015 ~延徳3年(1491年)7月 鳳来寺山~
~延徳3年(1491年)7月 鳳来寺山~
夜の雨が嘘のように止み、谷底に溜まった白い霧がゆっくりと裾を広げ、山の斜面を這い上がっていく。濡れた葉は月明かりをわずかに返し、鳳来寺の山全体が息を潜めているように見えた。
その静けさを裂くように、足助鈴木の軍がついに動いた。
それを知らせたのは、木地師たちの笛の音だった。高く、低く、そして再び高く──三度鳴り響くその音は、合図だ。
配置はすでに判明していた。三つの谷道にそれぞれ二十。尾根筋にも二十と二十。
ただ、最後の「二十」の足跡だけが濡れた地面に残らない。まるで霧の中へ溶けて消えたかのようだった。
「……消えた二十はどこへ行った?」
与五郎が眉を寄せ、焚火の赤に照らされた顔で問う。
「ここだ。」彦兵衛が紙の隅、鳳来寺の裏の斜面を指差した。「僧房の古い水路。石畳の下を抜けて、祠の裏に出る。貞行様の領から来るにはここが近い。」
「まさか……貞行が裏切ったというのか!」
これまで黙って軍議の成り行きを聞いていた定行が思わず声を出す。その声には、驚愕よりも哀しみが滲んでいる。
「いえ。裏切り……ではありますまい。ただ、目を閉じておられるだけです。黙認でございましょう。」
彦兵衛の声は短く重く、逃げ場のない真実だけを淡々と述べる刃のようだった。
私は少しだけ唇を引き結んだ。幼い頬がきゅと引き締まる。
与五郎は孤児たち五十名を率いて谷へ駆けた。
網はすでに張ってある。麻縄は雨を吸って重くなり、だがその重さが地肌に馴染んで目立たない。杭は栗の木で皮を剥がずに打ち込んだ。生木は柔らかく、衝撃を吸って折れにくい。まるで谷そのものの一部であるかのように馴染む。
孫右衛門は榾木の囮を運んでいた。孤児たちは水を含んで重くなった木を背負い、肩が悲鳴をあげる。それでも彼らは黙って歩く。
囮は本物でなければならない。手を抜けばすぐに見破られる。重さも湿り気も、生木の匂いさえも、すべては真を装うための必然だった。
尾根では内匠と右近が、小さな逆茂木を急ぎ組んでいる。人の膝ほどの高さ。しかしこれが命を奪う。
獣も山で足を挫けば的となる。膝が砕ければ、心も折れる。逆茂木は心を折る武器なのだ。
彦兵衛は藤兵衛の屋敷で伝令を操った。笛の合図は細かく、鳥の声のように変わる。山の民は鳥の声を聞いて育つ。鳥の声で命令を伝えられれば、敵に悟られずに済む。笛の穴をほんの少し指から離せば、音は一つ高くなる。伝令は鳥の名で覚える。「鶯は退け、鷹は急げ、鴉は囲め。」
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最初の衝突は、谷の網で起きた。
鈴木軍の先鋒は異様な速さだった。彼らは水音を読む。転がる石の癖、濡れた岩の光り方、谷に満ちる湿気──そのすべてと会話するように、足が迷いなく進む。
だからこそ、見えていたのに気づかなかった。網は落ち葉と苔に溶け込み、まるで谷底に元からあった影のように静かだった。
先頭の兵が跳んだ。鹿のように軽やかに網を越えようとした……が、足が絡んだ。宙に固定されたように動きが止まり、背が伸びた。
その背を、最初の石が打った。石は狙った場所に落ちず、狙っていない場所に当たる。だが数が補う。十、二十、三十。石は雨のように降り、網は沈む魚の群れのように重くなった。
鈴木の先頭二十は、網の口で完全に立ち往生した。後続の二十は止まれない。谷は狭い。横へ逃げようにも、崖の蔦が腕を巻く。後ろは押し寄せる押せば押すほど網は締まり、石の雨は激しくなる。
笛が三度鳴った。山路に潜んでいた孤児たちが一斉に滑り降り、網に絡んだ鈴木兵を槍で突いた。力の加減が分からない孤児が槍を抜けず慌てるが、その動きさえ網を激しく揺らし、敵をさらに絡めていった。
「槍は薙ぐな! 突け! 突けぃ!」
与五郎の怒声が谷に響いた。
尾根に回った鈴木の二十には、別の地獄が待っていた。逆茂木の高さは膝ほど。そこに足を引っかける者の脇腹に、右近の槍が決まって刺さった。
右近の動きは畝を刻む農夫のように一定のリズムだった。次々と突いて引き、突いて引き。血が槍を重くし、雨が流し、また血が重くする。
鈴木の者達も怯まない。山で生きる者は“止まれば的になる”ことを知っている。だから進む。必ず進む。
そのうちの1人が笛を鳴らした。低く太い、山の底から響くような音。笛を合図に斜面から一人が弓を放った。山鳥を狙う短弓を、人へ向けた。山に生きる知恵は、時に残酷だ。
「くそ……逆にやられた!」
内匠が叫ぶ。
孤児の一人の肩に矢が刺さり、鏃が絡む。少年は声を上げず、歯を食いしばった。彼は自分の肩に刺さった弓を小刀で切り、射程から逃れた。肉は赤く、血は黒い。彼は倒れず、槍を拾って前へ出た。
弓兵が次の矢を番えるより早く、内匠は弓手の背後に忍び寄り、横に一閃、振り返る弓兵の首を刎ねた。振り返る暇もなく首が転がった。
囮の榾木に、鈴木の影が伸びた。雨が上がり、わずかな陽光が差す。榾木は重く濡れ、茸は開かず、湿気の匂いが濃い。獣道から現れた二十は静かだった。火を使う気配はない。煙は山を呼ぶ。彼らは刃を選んだ。木を割り、茸を毟り、袋に詰める。
彼らはまったく気づかなかった。榾木の周りに伏せている五十名の孤児たち──一月以上、弓ばかりを鍛え続けた者たち。
最初の矢が鐘の音を響かせた。兜を打ったのだ。
続けざまに二の矢、三の矢。雨のように矢が降り注ぎ、鎧を弾き、腕を貫き、頭蓋を割った。注ぐ矢は茸の香を煙のように散らした。
四半刻が経った頃、そこに立つ者は一人もいなかった。
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刻が経つに従って、雑兵たちに繰り返し叩き込んだ獣の鳴き声が時間とともに静かになっていき、飛び交う聞きなれない鳥の囀りに眉間に皺を寄せてたのは足助忠親だった。
足助忠親は一門衆ではないにもかかわらず鈴木家の旗印「抱き稲」を掲げることを許されている。
長年、大国松平家を相手に鈴木家の南線を支えてきた将である。
「菅沼を軽く見ておった訳ではないが…儂の詰め腹では済まんな…」
「まだ負けと決まった訳ではござらぬ。やるべきことをやるのみ。」
足助忠親の横でその巨体を揺らし唸るように答えたのは古瀬重兼。
しかし忠親は心の底で悟っていた。
(もはや尾根も、渓も…息をしているものは残ってはおらんだろうよ…)
思い返せば、主君である鈴木重勝に呼び出され、最近噂の田峰の椎茸を狩ってこいと言われたのが数日前。
そのような野盗のごとき真似事など武士のすることではないと思ったものの、東の国境を接する菅沼貞行とは話がついていると押し切られた。
今年は春の麦の作柄が非常に悪く、おそらく秋の米も望めぬだろう。足助忠親自身が、腹を空かせた兵達を見るにつけ菅沼だけが豊かに恵まれているように見え、軽く懲らしめてやろうと思っていたのも否めない。
(此度の戦にはもともと大義が無かった…。地の利なく、天の利も無ければ…)
足助忠親は古瀬重兼を振り返って言った。
「やはり、儂にはこのように旗を畳んで隠れまわるのは性にあわぬ。せめて菅沼の地に『抱き稲』を翻してやろうぞ。」
「ではせいぜい村に火でも焚べて帰りまするか。」
古瀬重兼が不敵に笑って相槌を打った。
足助忠親が率いるのは「消えた二十」。大勢が決した今、足助忠親が狙ったのは、もはや榾木ではない。椎茸でもない。
…菅沼勢の本陣のある心臓部。狙うは島田村名主屋敷
~参考記事~
武家家伝_三河鈴木氏/田中 豊茂(家紋World)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/m_suzki.html
~舞台背景~
鈴木家との合戦の戦闘描写の回です。ただ殺せばいいってもんでもないんでしょうし、多少は文学的に。
と、ごちゃごちゃして感情移入し難い多人数描写っていうのは、やはり素人には難しいですw
あと、あんまり一方的な展開だとつまらないと思うので、桶狭間の戦い(1560年)や第4次川中島の戦い(1561年)キツツキ戦法を参考に、後半で敵軍に知将と猛将を加えて、情報、人数、兵站…全てに勝る主人公のガラ空き本陣を急襲させます。




