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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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014 ~延徳3年(1491年)7月 鳳来寺山~

挿絵(By みてみん)

    ~延徳3年(1491年)7月 鳳来寺山~



 鳳来寺山の峰々は、夏の霧を湛えていた。七月の湿り気は木々の葉脈まで重たく染みこんで、朝露はすぐに霧となり、昼には陽の白さに溶けた。谷あいで鳴るのは何か獣の哭き声か…風にきいと鳴る。木々の列はどれも瑞々しく、葉の間の芽は薄茶の舌先のように微笑んでいる。


 田峰城から、そんな鳳来寺山を見渡す眺望が、最近の一番のお気に入りである。


 そんな景色の中に今日も居るのであろう毎日飽きもせず椎茸の数を数えに行っている几帳面な兵庫の話によると、椎茸の榾木(ほだぎ)の数も万を超えたらしい。


 今傍に立つ安藤彦兵衛、山路与五郎、少し離れて控える加藤孫右衛門、永原内匠、神谷右近将監らも最近は、二百人近くなった島田村の男衆への武芸指南に汗を流してくれている。


 そんな静寂を田峰城の御台屋敷の木戸を叩く音が破った。勢いよく入ってきた門番の薄い汗の匂いが土間を満たした。


「利兵衛殿からの早馬、至急にて。」


 国境の町津具の桶屋、利兵衛は椎茸を扱ってからは月の半分は堺に詰め、米や人を買い付けるだけでなく会合衆の懐へ忍び寄り、同じ様に津具においても商人衆の噂を拾うのが仕事になっている。


 (山路)与五郎が文を開く。字は走っていたが、『昨日、足助鈴木氏が武具や刀槍を大量購入。』

続けて「津具で見かける鈴木家の家中の顔つきが商いの目つきではない。兵の目をしていた。」など利兵衛の見立てが添えられていたが、伝えたいことは一つであろう。


「鈴木は動きますな」

(安藤)彦兵衛が即座に言った。彼の声は低く谷の底に落ちる石のように意思を持っていたが、続けて(つぶや)いた疑問もある。

「しかし、どこから・・・武節には(菅沼)貞行様が詰めておられる。簡単に抜かれるとは思えぬが・・・」


与五郎が膝をつき利兵衛からの文を私に捧げながら、

「あからさまに街道は使わぬと思う。それでも貞行様の山ではあるが…獣のように這って来るつもりであろう」

私に聞かせるように呟き、幼い指が紙の端に触れるのを待っていた。


利兵衛からの文を手に取り一読してひと呼吸。目を閉じている間に側に立っていた(加藤)孫右衛門、(永原)内匠、(神谷)右近将監らを見上げて指示を出す。


「島田村へ移ろう。藤兵衛の屋敷を借り本陣とする。」

「(筒井)与次右衛門へ木地師の者たちで鈴木を追うように伝えよ。」

「藤兵衛には、組で纏まり、武具を回すよう言え。」

(神谷)右近が要件を繰り、孫右衛門が手勢の数を頭の中で算盤を弾いた。


 山の恵みが(もたら)す潤沢な銭は、この半年で今や二百名近くなった島田村の男たちに、鋼の刃を与え、渋柿の汁を塗った籠手と、鉄を編んだ胴着を与えていた。


皆の頷きは一つだった。



-----



 何度も訪れている島田村の名主・藤兵衛の屋敷は、人が詰めると思いのほか狭かった。土間の竈は皆の握り飯を炊くのに燃え盛り、実直な墨の匂いのする仏画が掛かっていた床の間には陣幕が張られ、田峰菅沼家の旗『六つ並釘抜紋』が静かにはためいていた。


 取り外した入口の板戸は寝かされて、上に鳳来寺山の絵図面が広げられていた。そして絵図面の前では…私も…馬廻衆も…そして本人でさえも想定外であったであろう、縦横無盡の活躍をしている(幸田)兵庫の姿があった。


 兵庫は、(安藤)彦兵衛、(山路)与五郎にはは孤児兵の編成と山廻りの采配、(加藤)孫右衛門には武具の配分と山地師(筒井)与次右衛門との伝令の段取りを指示、(永原)内匠と(神谷)右近には本陣の警備、藤兵衛には村の女衆の取り纏めと炊き出しの指示をおこなっていた。

 そして今もその几帳面さを遺憾なく発揮して、絵図面の上で玩具のような木片に小さな文字で印を付けている。「峰」、「谷」、「祠」、「菅沼」、「鈴木」…。木片は細かく増え、やがてそれは陣立ての図となっていく。


 なぜ、勘定方の兵庫が甲冑に陣羽織を羽織った馬廻り衆の中で、兵庫だけ普段着である肩衣で指揮を執っている羽目になっているのかというと…

 今日も兵庫はねちねちと藤兵衛の蔵を一人で調べに来ていたらしい。そして丁度その時に、藤兵衛の屋敷に我々が大挙して押し寄せて巻き込まれてしまったとのこと。

 もちろん兵庫は早々に帰ろうとはしたらしいのだが、私の側付きである面々は腕は立つのだがこういった合戦の人の差配というのは経験不足であったのだろう、もたついていたので…見ていた兵庫はつい口を出さずにはいられなくなり…で、今に至る。


「ここに潜んで、退路を断つのはいかがであろうか」内匠が言う。


「逃げ道は峠の影にいくらでもある。むしろ自分の退路を見せかけて、相手を誘い込むほうが利く。」右近が笑って言う。


「ならば奇襲をやるか。」孫右衛門が目を細める。


「おぉ…悪くないぞ。その渓は常に霧が晴れぬ。潜んだら全く分からん。」と与五郎が賛同する。


 ずっと黙っていた彦兵衛が絵図面の上で指を鳳来寺へ通じる獣道にそっと滑らす。そこは木地師が使う道で蛇のように緩やかに山肌を這っている。


彦兵衛はようやく口を開いた。

「網を使うのは如何であろうか。」


「漁の話か。」与五郎が眉を上げる。


「山の漁だ。」彦兵衛は続けた。「谷筋の狭いところ、落葉が降り積もって滑るところ、そこに麻の大網を仕掛け、杭で口を狭める。先頭が網にかかれば、後ろは止まり、横は崖で動けない。上から石を落とす。槍は使わない。槍を使えば、相手の槍も届く。石ならば、山が味方だ。」


 行き掛りとは言え、兵庫が鳳来寺山の絵図面を整えてくれたおかげで、ここのところ連日の教練で馬廻り衆や孤児たちにとって庭と化している鳳来寺山の情報が軍議で次々と戦術に落とし込まれていく。


 その孤児たちも、今はもう孤児と呼ぶのが似合わないほど、結束の固い小隊となっていた。

 名を持たぬ者にはあだ名が与えられ、彼らの手習いの板にはぎこちない字でいくつもの合図が書かれており、合図の鳴き声や蜂の羽音のような短い音を誰もが出せるようになっていた。


そこへ、思いもかけぬ客が現れる。


「老骨が邪魔をする。」


 孤児たちの”お師匠”菅沼定行その人である。ほっそりとした指で扇を持ち、目尻には笑い皺。腰は曲がっていない。歩みはゆっくりだが、足裏が地を掴む音はまだ若い。


「定行様。遠路を…」

彦兵衛達が一斉に床机から立ち上がる。


「遠路?。遠いところへ行くのはお主達じゃぞ。儂はお前たちの帰りを見に来ただけじゃ。」

定行は愉快そうに笑った。



-----



 軍議の翌日…鳳来寺山の霧の中に多くの人の気配があった。


 追う木地師たちが木の芽の向きを見るように彼らの足跡を見る。踵の泥、草の寝方、山蛭の這い跡。足助鈴木の兵は100。

100のうちの30は、山で生まれ山で育った者の足取りをしていた。軽い。枝を折らない。鳥を驚かせない。

残る70は槍を持って歩く人の足。悪くはない。だがここは他所の山だ。足助とは山の癖が違う。


 鈴木の軍を追跡していた山地師達から伝令を受けた孫右衛門が足跡を絵図面に落とし込む。

「やはり分散しているな。五つに分かれておる。三つは渓を遡る。二つは尾根を伝う。中心が薄い。」彦五郎が地図を示す。


「鶴翼の形か…」(つぶや)くが特に対策案は持っていないらしい与五郎がこちらを伺う。


いや、いや…1歳児に意見を求められても困るぞ。


 鶴翼という名前も何か聞いたことがある気がするが、どうしていいのか分からん。

 なので…先程からお口がムズムズと何やら言いたそうで仕方がない兵庫に具申をさせてみる事にした。

「兵庫、なにか言いたい事はあるか?」


「それでは…僭越ながら…。皆様ご存じのとおり…かの有名な宋の軍学書『武経総要ぶけいそうよう』や、これも改めて申し上げるまでもござりませぬが…諸葛孔明の『八陣図』にも伝わりまするところの、鶴翼かくよくの陣とは、中央を持たせる間に、左右の翼を同時に閉じて包み込む包囲陣にござります。


ゆえに、対処の要は二つ。


ひとつは雁行がんこう——すなわち斜形の構えにて敵翼の合流を遅らせ、閉じさせぬこと。


もうひとつは鋒矢ほうし魚鱗ぎょりん——くさび形をもって薄い中央を穿ち、翼を遊兵と化すこと。


いずれも『孫子』“以正合以奇勝(せいをもってあいきをもってかつ)”“先為不可勝(せんまさにかつべからざるをなす)以待敵之可勝(もっててきのかつべきをまつ)”の理に叶い、時間差で優勢点を作って各個に撃つのが定石にござります。」


勘定方の雰囲気とは異なる、生の軍議に参加して、物申したくて(たま)らなかった兵庫が、我が意を得たとばかりに、さらに舌を滑らせる。


「また、あえて両翼を閉じさせて受け止め、内と外から逆包囲に転ずる偃月えんげつの陣もござりまする。


されど——どうも鈴木らめは、我らが少数で椎茸を守って固まっておると思い違えておるようです。小勢が籠もるを殲滅するには鶴翼は巧みな陣法に相違ありませぬが、むしろ小勢は鈴木、我らは、彼奴等(きゃつら)の倍の数で山中を自在に動けまする。


ゆ・え・にっ、このような兵法もどきはなんら恐るるに足りませぬ!」


…いや…意外と言っては失礼だが兵庫にしては分かりやすい意見だ。相変わらす古典の引用が多く混じるものの総じて明快である。


兵庫の指摘を受けて、彦兵衛が絵図面の木片を動かす。「では我らが翼を網で受けよう、笛で繋ぐ。中央は削るのでなく餌を与えよう。椎茸だ。」


榾木(ほだぎ)を囮に?」与五郎が目を丸くする。


「そうだ。榾木の一段を、あえて目立つ場所へ。鈴木は必ずそこを襲う。彼らにとって椎茸は戦の理由であり、勝ちの印だ。印を与え印に縛らせる。」


私も静かに頷き、小さな手で榾木の小片を1つ絵図面の上に置いた。それは犠牲の印だった。人ではなく椎茸を出して、椎茸の金で集めた孤児達の命を救う。なにか世の巡りに不思議な思いがした。

〜参考記事〜

武田信玄の戦国八陣/刀剣ワールド

https://www.touken-world.jp/tips/18700/


日本の服装史/刀剣ワールド

https://www.touken-world.jp/history/costume-culture/


〜舞台背景〜

隣国足助鈴木氏との合戦のお話です。負ける要素は無く、なろうっぽい「ざまぁ〜」な勝確ですが、あんまりワンサイドゲームだと面白くないかなと思って、上のベテラン世代は登場させずに、若い幕僚&主人公だけの初心者編成です。

で、初陣シーン超定番の台詞「…初めてこの手で人を殺した…ゲームとは違う『おえぇぇぇ』」を書こうか書かまいかどうしようか…流石にくどい気がするんですよねぇ…w

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