013 〜延徳3年(1491年)6月 島田村〜
〜延徳3年(1491年)6月 島田村〜
利兵衛が椎茸を扱い始めてから、まだ三月も経たぬというのに、鳳来寺山はすっかり様相を変えていた。
晩春の陽光が差し込む朝の山肌には、相変わらず霧が薄く漂い、そこかしこに湿り気を含んだ巨木の根が張り巡らされている。だが、その空気の奥に、これまでなかったざわめきが混ざるようになったのだ。
ざわ……ざわ……。
鳴動にも似た気配が、森の奥から絶え間なく響く。最初に異変を感じたのは、島田村の見回り組の若者だった。夜明け前、鳳来寺山の中腹に仕掛けられた罠の一つが何者かに荒らされた。獲物がかからぬよう細工され、足跡だけが残されている。しかも、その足跡は一つではない。に三、四人の集団で、明らかに山地師達とは異なり山慣れしていないのか、距離感の稚拙さが読み取れる。
その報告を受けた島田村の名主藤兵衛は、すぐに田峰城に居る私に判断を求めてきた。
(さっそく椎茸の噂が漏れたか……)
鳳来寺山で育てられている約60,000個の椎茸、それがひとつ数貫で取引され毎月5,000個が堺へ運ばれている。相場を震わせるような巨額の金が動いていることは、当然周辺にも匂い立つ。金の香りというものは、山の恵みの薫りよりも早く風に乗る。
そして、噂を聞きつけた者たちが山に入ってくる。収獲の実態を探る者。群生地を奪おうと目論む者。あるいは盗みに来た者。
私は、想定以上の速度で鳳来寺山が「静かな宝の山」ではいられなくなったことを悟った。
因みに……この椎茸の育成数は、さっそく噂を嗅ぎつけた勘定方の幸田兵庫が、大小様々に不規則に群生する椎茸を1人で数えたらしい……どうやって数えたのだろう。
しかし、変化は外ばかりではなかった。むしろ、それ以上に島田村の内部が大きく変わっていた。利兵衛が毎月堺へ送り込んでいる干し椎茸が齎す莫大な銭で、絶え間なく利兵衛は人買い嘉右衛門から多数の孤児を買い入れていた。
孤児といっても、親を失っただけで働ける年の少年少女は山ほどいる。むしろ、行き場さえあれば自力で生き抜ける者ばかりであった。
彼らは島田村に迎え入れられると、まず食事を与えられた。戦乱の世にあって、腹いっぱい飯を食えるというだけで、少年少女の目は変わる。
そのうえで、見廻り、荷運び、畑仕事、樵など、それぞれ適した仕事に振り分けられた。
人口が数倍増している島田村には、かつて見られなかった活気が満ちていた。焚火の煙に混じって、家を建てる若い声が飛び交う。
「薪はここに置け!」
「そっちは木口が湿ってるぞ、使えぬ!」
「こっちの柱を組み直せ、曲がってる!」
彼らは指示を素直に受け、愚痴一つこぼさない。なぜなら、島田村は彼らにとって救いの地だったからだ。豊かな飯の匂いがする場所は、故郷になる。
そして、椎茸の巨大な利益は、すぐに目に見える形で変わっていた。武具が一新されたのだ。
以前の村人たちは、錆びた槍や百姓槍を持ち寄った程度だったが、今では胸当て、脛当てが揃えられ、刃こぼれの少ない刀まで用意された。
今、日本最大の商都である堺の会合衆達が、最上客と認めた田峰菅沼家は三日と空けず米や織物を運ぶ行商が訪れ、武具でさえも望む物は数日で揃えられる環境にある。
島田村で働く孤児が増え、真新しい武具に身を固めた見回り組が増員され、まるで小さな軍団のようになりつつあった。
−−−−−
島田村の変貌を象徴する存在となったのは、意外にも菅沼城主・菅沼定行その人であった。
島田村の隣にある作手村、そして作手村に構える菅沼城は田峰菅沼家発祥の地として由緒ある場所である。
ただ菅沼城と呼ぶものの、古い砦に名誉職として押し込められて久しい口煩い大叔父殿は、長らく退屈と老いの埃をかぶったような日々を送っていた。
だが島田村に若い男女が増え、活気が満ち、右近や内匠らが武芸を教え始めると、どうにも気になってきたらしい。
最初は遠巻きに腕を組み、「構えが甘いの」と口だけ挟んでいたのが、一言が二言になり、二言が手本を示すようになり、気づけば槍を手に取っていた。
今では若者に混じり、馬上で大槍を振るう有様である。
「そこ、下がれ! 本陣の旗を見落とすな!」
「太鼓に合わせよ!敵は待ってはくれぬわ!」
叱声を飛ばす姿は、祖父定信と数多の戦場を潜り抜けてきた古強者そのもの。
実際、右近ら馬廻り衆でもそれぞれに剣術は教えれるのだが、数が百を超えてくると孤児や村人達に上意下達の集団行動を叩き込むのは人一倍の実戦経験が必要なようで手間取っていたところ、さすがは年の功、定行の孤児達への訓練指導は見事なものである。
「構えが甘い! お前ら、敵は待ってくれぬぞ!」
「左右も見よ! 槍の届く距離が命を分ける!」
定行の叱声が鳳来寺山にこだまして、孤児たちは必死にそれに応えている。
槍の扱い、隊列の組み方、夜間の歩哨、山道の警戒。
そのどれもが、村というより軍のそれであった。
特に若い孤児たち程飲み込みが早く、数日で見違えるほど体の動きが変わった。
「お師匠様、この構えでよろしいですか!」
「おう、悪くない! そのまま突け!」
最近「お師匠」と呼ばれる定行は口元こそ厳しいが、目はどこか優しげだった。
−−−−−
訓練を重ねる一方で、鳳来寺山に現れる不審者の数は日ごとに増した。
ある日、日の暮れる頃、山の入口に人影が三つ現れた。
腰に刀らしきものを差した痩せた武士風の男と、後ろには粗野な二人組が続く。
「ここが島田村の……」
「いや、手を出すな。まず椎茸の場所を見つけと……」
彼らは声を潜めながら藪をかき分けて消えていく。
しかし、彼らが山へ踏み込んでからわずか一刻。鳳来寺山中で「ガシャッ」と金属の音が響き、怒声が返ってきた。
「そこの者、止まれ!」
「き、貴様ら何者だ!」
見回り組が急行し、山中の道で不審者と対峙したのだ。
不審者は抜刀こそしなかったものの、気配は明らかに敵意に満ちていた。だが、連日定行に鍛えられ、武具を新調した見回り組の勢いは、不審者の想像を凌駕していた。
「退けッ!」
「山を荒らす奴は、容赦せん!」
彼らは槍を揃え、不審者たちを一気に圧した。
不審者たちは抵抗しきれず、尻餅をついて逃げ出す。
逃げる彼らを追わなかったのは日々の訓練の賜物か、見回り組の者たちは粛々と見廻りに戻っていった。
翌日も、また翌日も、山には他所者が現れた。誰も襲ってくるわけではない。誰も明確に名乗りを上げるわけでもない。ただ、山に入り、谷をうろつき、栽培場に近づこうとする。狙いは明らかだった。
−−−−−
ある夜更け、菅沼定行は一組の見回り組を連れ、山道の分岐点に潜んでいた。
最近、何をするにも慕ってくれている(定行視点。子供達から直接聞いた訳ではない。)子供らから、夜不審な男達の姿を見ると言われる場所に隠れている。
月明かりを頼りに、足音が聞こえてくる。六人だ。声の調子からして、武士崩れか、あるいは流れ者の集団。
「全部持っていけば、大金になるぞ……」
「噂では、ここの椎茸は一つ五貫……」
その言葉を聞いた瞬間、定行は全身の血の気が踊るようにたぎるのを感じた。
(なるほど、やはり椎茸目当てか)
定行が手を上げ、見回り組に合図を送る。
「いくぞ。……今だ!」
十数名の村人や子供達が一斉に藪から飛び出した。
「止まれッ!!」
不審者たちは驚き、腰の刀に手をかける。しかし、先頭を駆ける定行は既に間合いを詰めていた。
「武器を抜けば、命は保証せぬ!」
定行の声は低く、しかし山の闇を震わせるほど強かった。
不審者たちは互いに目を合わせたが、迷っている暇はない。見回り組の槍先がすでに彼らを取り囲んでいた。
「わ、分かった! 退く、退く!」
六人は歩みを引き返し、山道を転げるように逃げていった。
定行は全員の姿が消えたのを確認すると、ゆっくりと呼吸を整えた。
「…お主ら良い動きだった。鍛えた成果が出ておる」
見回り組の若者たちは誇らしげに胸を張った。
−−−−−
追い返しても追い返しても、鳳来寺山に人は入ってくる。だが、それ以上に島田村の備えは固く、鍛えた人員は増え続け、武具は揃い、機動力も増していく。
(鳳来寺山は、ただの山ではなくなった……)
椎茸という宝を守るため、村が強くなる。村が強くなれば、金が集まる。金が集まれば、人が集まる。人が集まれば、さらに強くなる。
その好循環の中心に鳳来寺山があった。
そして今日もまた、山の奥から怒声と不審者の悲鳴が響く。
「止まれッ! ここは島田村の領分ぞ!」
「うわっ、や、やめろ!」
「二度と来るな!」
〜参考記事〜
したらの文化・歴史/愛知県設楽町
https://www.town.shitara.lg.jp/soshiki/13/1231.html
〜参考書籍〜
1491: 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見/チャールズ・C. マン/ NHK出版
〜舞台設定〜
戦国なろう系の醍醐味、椎茸無双の回です。田舎の山奥では稲作が関係無い設定なのでのんびりですが、1491年は周囲の美濃、尾張、甲斐では大飢饉が発生中で地獄だったそうです。機内でも「第二次六角征伐」や「備中大合戦」が勃発し相変わらず戦争続きでした。こんなんじゃ一向宗のような原理宗教が流行るのも当然だなって思いました。で、世界史的には翌1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達するという大変革を迎えます。




