011 〜延徳3年(1491年)4月 津具宿〜
〜延徳3年(1491年)4月 津具宿〜
春の陽がまだ山際に沈みきらぬ頃、津具の宿近くの街道に、三つ四つの影がゆらりと姿を見せた。
荷駄馬二頭、そしてその脇に寄り添うように歩くのは、利兵衛、孫右衛門、内匠の三名。馬の背にはずしりとした鉄箱が括られ、箱の側面には堺の商家のものであろう印が燻銀のように輝いていた。
津具の宿の外れにあった小さな桶屋は、堀が渡され壁が築かれ城塞の如く改修されていたが、見張りの者がその邸宅の中の物見矢倉の上から声を張り上げる。
「竹千代様! 利兵衛殿がお戻りにございます!」
その声に、ちょうど下で利兵衛の屋敷改修の視察をしていた私の胸の奥で、何か固いものが小さく跳ねる。
(戻ったか……利兵衛)
わずかに息が深くなる。椎茸五千個の商いという、城一つ建てられるほどの銭を稼ぎに商都堺に挑んだ英雄の帰還だ。
私は屋敷内に複雑に巡らされた幾つもの土塀を足早にくぐり抜け、桶屋の店の前に駆けつけた。
利兵衛は、旅塵をまとい、髭に白い雪が少し張りついたまま深く頭を下げた。
「竹千代様。ただいま戻り申しました」
その声は、どこか張り詰めたものが解けた温かさを帯びていた。
「まずは皆、無事で何よりだ。これから堺の客を招いても恥ずかしくない屋敷にしておいたぞ。早う中にっ。」
私はこのひと月の間で随分手を加えた屋敷へ利兵衛の袖を引き誘った。
店の壁は厚板で補強され、窓には格子、門前には簡易の柵まである。屋敷も壁が二重に張られ、蔵の扉はまるで小砦の関門のようだ。このあたりの小豪族が相手なら数日程度は立て籠もれるであろう。
「……して、堺はどうであった?」
私の問いに、利兵衛は微かに笑う。その目尻には疲れが刻まれているのに、光だけは強く、揺らぎがない。
「はい。まずはご報告いたします。干し椎茸五千個――そのうち、二千六百三十個、売り抜きましてございます」
「二千六百……六十?」
思わず声が震える。半分を超える量だ。堺という大市場でも、伝手の無い中で乾物の大量売りは難しかったであろう――それを成し遂げたということか。
「はい。納屋衆、会合衆の方々に評判がよく、香りが殊の外よいと……。ただし、相場はやはり崩れ始めております。最初は一個五貫でしたが、いまは三貫、品により二貫に」
「予想通りではあるな」
私は深く頷く。
(五千個という量が市場に出たのだ。当然、値は落ちる。むしろ半数以上が売れたことの方が異例だ)
「残りはどうした?」
「宗次郎殿が『名物に育つ』と申され、預かりにて段々と出すとのこと。信用第一にて、売り切りよりも名を立てる方が得策と……」
利兵衛の言葉に、内心私は舌を巻いた。
(油屋宗次郎……堺でも名のある会合衆。そやつが目を付けたか)
これは商いの成功以上の成果だ。堺の商家と繋がりができるということは、田峯の窓口が日本最大の自由都市へ開かれるということだ。
利兵衛は一つ咳払いし、次の報告へと移った。
「それから……鉄砲については買い付ける事は出来ませんでした。ただ、瀬戸内の賊が使っているらしいという噂がありましたので、詳しき者を呼び寄せる手配をしてございます。」
「甘藷の苗についても琉球からであれば手配出来るかもしれぬということで、何人かの納屋衆に話を通してきてございます」
いずれも入手出来れば大きな変革だが、簡単に買えるものではない。
「うむ。十分だ」
私は微笑んだ。
「そして……人買いの件でございますが……」
私は目だけで「続けてくれ」と促す。利兵衛は深く息を整え、静かに口を開いた。
「まず都は戦続きで荒れており、飢えた人で溢れかえっております。孤児なぞは値を付けるどころか、むしろどのくらいまで引き取って貰えるのか懇願される始末で、一旦話を持ち帰った次第にございます。」
瞬きを一つすると、利兵衛は続ける。
「昨年のうちに先の公方様(足利義視)が病で亡くなられ、公方様(足利義稙)様は急に柱を失われました。そのせいか、近頃は管領(細川政元)様——細川京兆家を強く牽制しておられる様子にございます」
「そんな折、寺社本所領を返さぬ六角行高様を討つと、急に軍勢催促が出ました。表向きは“寺社領の回復のため”と申しますが……堺では、義稙様が『武威を示して、将軍としての格を立て直そうとしている』と噂されております」
火の粉が静かに弾けた。
「管領(細川政元)様は、公方(足利義稙)様の就任にそもそも反対でして、義澄様を推しておられた。その遺恨がまだ消えておりませぬ。政所(伊勢貞宗)様も管領(細川政元)様と歩を合わせ、京兆家の屋敷では人の出入りが増えており近々また大きな戦になるだろうとの噂です。」
「都は、荒れておると……」と相槌を打つ。
「はい。商人衆はもっと露骨でございます。『東の管領様か、西の公方様か、どちらに付くべきか』と、納屋衆、会合衆の間でも囁かれておりました。堺でも武具、馬具といった“戦の支度”が高う売れ、逆に椎茸の様な贅沢品は値が下がっております」
利兵衛は声を落とした。
「竹千代様。機内は大きく荒れております。公方様や管領様が衝突すれば、機内だけでなく三河にも必ず波は来ます。」
(戦国というのは…実際に話を聞くとやるせない。)
「利兵衛、また次からも都の風の向きを見届けてくれ」
……その後も利兵衛の報告が続いていた。
利兵衛が堺の雑踏に足を踏み入れた時のこと。茶人・宗達に椎茸が絶賛された場面。干し椎茸が香り高く、湯引きにしても味が残ること。安売りを求める強欲な商人を宗次郎が一喝してくれた話。相場が崩れ、町中が椎茸の噂でざわつき始めた様子。甘藷を取り寄せるため琉球への船の段取りを整えてきたこと。
そして、利兵衛は最後に深々と頭を下げた。
「竹千代様……大きな商いでござった。わしには荷が勝ちすぎるのではないかと、何度も思いました。しかし……」
「しかし?」
「堺の町で、何度も思うたのです。――田峰菅沼の名を背負っておるのだ、と」
その利兵衛の言葉に、少し胸が熱くなってしまった。
「利兵衛。よくぞ働いてくれた」
「まだまだでございます。しかし、宗次郎殿も仰せでした。“田峯の椎茸”は名物に育つ、と。次はもっと良き商いをしてみせます」その声は、決意に満ちていた。
***
利兵衛の長く濃い報告が終わる頃には、外は夕闇が迫っていた。
私は立ち上がり、利兵衛に近づいて静かに肩へ手を置いた。
「田峯菅沼は、これから大きく変わる。そのためには、お前の働きが必要だ。堺との縁を繋ぎ、商いを広げ、人を呼び……それは武よりも、人よりも難しい大役だ」
孫右衛門と内匠が静かに目を伏せる。利兵衛の背中に宿る責任と誇り、それらが未来へ続く光となっていた。
〜参考記事〜
Wikipedia「会合衆」
https://ja.wikipedia.org/wiki/会合衆
旧益田家物見矢倉/萩市観光協会公式サイト
https://www.hagishi.com/
日本史年表・明応の政変/名古屋刀剣ワールド
https://www.meihaku.jp/japanese-history-category/meiounoseihen/
〜舞台設定〜
堺へ出張していた利兵衛の口から土産話の形で、戦国時代の始まりである明応の政変(1493年)直前の日本の政情を語らせました。まだ三河の田舎は平和ですが、この頃でも京都や機内は世紀末の様相を呈しています。




