010 〜延徳3年(1491年)3月 鳳来寺山〜
〜延徳3年(1491年)3月 鳳来寺山〜
朝はまだ田峯の山々に白い霧が立ち込めていた。
夜の冷えが残り、葉先に溜まった雫がぽたりと落ちるたび、静かな森に小さな響きが返ってくる。
私は右近に背負われて、彦兵衛、与五郎、孫右衛門らに続いて、木地師の与右衛門と島田村名主の藤兵衛を連れて獣道のような細い山道を登っていた。
――椎茸の“山”を見るためである。
数日前、藤兵衛に連れられて弥助が田峰城に、生えてきた椎茸を届けに来た。想像以上に肉厚かつ大ぶりな椎茸で私も余りの薫りの強さと歯応えに驚いてしまった。
気持ち悪い程の大量の椎茸が物凄い勢いで生えて、それも巨大化しており、弥助とウタだけでは到底収獲が間に合わないとの事だった。
因みに…おかげで少し前まで私が顔を出すと寝込んでいた島田村の名主藤兵衛の体調もここのところ絶好調のようで、収獲や干し椎茸作りの陣頭指揮を執るだけでなく…
頼みもしていないのに毎夜甲冑を着込み松明を手に槍を抱えて、鳳来寺山の夜番を自発的におこなっているらしい。
「竹千代様、あそこに見えるのが椎茸のほだ木です」
藤兵衛が指さした先、朽ちた櫟や小楢の丸太が等間隔に積み上げ並べられ、その表面に無数の丸々とした厚い傘が見えた。
霧の湿気が椎茸を包み、艶めく黒褐色の傘がゆっくりと膨らんでいく。まるで森が息を吐いているようだ。
「これは……思ったよりも、多いな。」
私は思わず呟いた。律儀な弥助から報告は受けていたが、この目で実際に見てみると胸を打つものがある。
真新しい白い装束に身を包み口元も手拭いで覆った島田村の衆が黙々と収穫をしていた。何人かでずしりと重そうなホダ木をぐっと持ち上げると、傘の裏からぱらぱらと胞子が舞う。そこに陽が差し込み、霧の粒と混じり、間違いなく黄金色に輝いていた。
〜延徳3年(1491年)3月 津具宿〜
早朝の津具の空は、まだ墨を薄めたような灰色だった。山から吹きおろす風が津具の谷を震わせ、乾いた春の香りを運んでくる。
私は、朝から右近に馬を駆けて貰い、利兵衛の見送りのために津具にいた。今日は、利兵衛に預けた干し椎茸五千個の初めての出荷の日である。
荷駄馬の吐く白い息が、ぼうっと宙に浮かぶ。田峰の漆器にぎっしり詰め込まれた干し椎茸は、まだ薄暗い旭の下でもはっきりと分かるほど、ずしりと重かった。
五千個。ーー相場は一つ5貫。全て捌けば2万5,000貫。
五千個という数を放出すれば、いかに堺であろうと確実に相場を崩すだろうが…
(……それでも城が一つ建つ額だ)
私は思わず喉の奥で苦笑した。
そんな銭を、自分の名を伏せて密かに動かす日が来るとは。もちろん利兵衛にとっても、商いは長いらしいが、津具のような山間の商人が扱う銭の量ではない。
商いというものは、最初の打ち込みが肝心だと利兵衛は言っていた。堺には諸国からの商人が集まる。そこで「田峯産の干し椎茸」と評判が立てば、その後の取引も増える。利兵衛の読みは悪くないのであろう。
荷を確認していた利兵衛が深々と頭を下げた。
「竹千代様、わざわざのお見送り、忝うございます」
「うむ。利兵衛、心して行けよ。堺は津具のような田舎とは違う。命あってこそじゃ。」
「承知しております」
返事を返す利兵衛の顔はどこか誇らしげだった。五千個の椎茸など、津具の商人にとっては一生で一度あるかどうかの大仕事である。まぁ…これからはほぼ毎月出荷だが…
「孫右衛門、内匠」
荷馬の左右に立つ二人に声をかけた。
早朝の冷気の中でも背筋を伸ばしている。孫右衛門は寡黙で体躯が大きく、内匠は目が鋭く素早い。どちらも腕が立つ。堺まで行くには十分な護衛だった。
「利兵衛を頼んだぞ。道中、山賊や野盗もさることながら、堺に入れば人の多さ自体が厄介だ。利に明るい者ほど狙われる。くれぐれも気を抜くな」
「御意」
私は一歩近づき、利兵衛にそっと声を落とした。
「それと……折角の堺行きだ。頼んだ探し物も忘れるなよ。」
「鉄砲に、甘藷……でございますな?」
いずれも利兵衛は見たことは無いのであろうが分かっていてくれるようだった。
「左様。いずれも無理に買わずともよい。もし手に入るならでよい。」
「心得ております。堺は諸国の品が集まりますゆえ、必ずや手を尽くしましょう」
そして私はさらに小さく声を潜めた。
「……人の買い付けも、頼む」
利兵衛は眉をひそめたが、すぐにうなずいた。
「年端のいかぬ子らを、働けるよう鍛えて使う……というお考えで?」
「うむ。田峯に人手が足りぬ。これから城下を整え、商いも広げる。働き口があれば、彼らにとっても悪い話ではない」
利兵衛の目が細くなった。
「承知いたしました」
利兵衛は深く頭を下げ、荷駄の前へ戻った。
空の東が、ようやく薄朱色に染まってきた。谷に朝が満ちるのも、もう間もなくだ。
利兵衛が振り返る。
「では、そろそろ参ります」
私も利兵衛を激励する。
「堺は遠い。戻るまでには一月はかかろう。だが帰ってきた時には、お前は東海一の商人じゃ。戻るまでに店も屋敷も大きく建て直しておいてやるから楽しみにしておけ。」
利兵衛は目を丸くし、次の瞬間、照れたように笑った。
「竹千代様のお言葉、しかと頂戴仕りました。」
孫右衛門が先に立ち、内匠が殿を務める形で隊列が組まれる。荷駄馬が蹄を鳴らし、ゆっくりと動き出した。干し椎茸の箱が揺れるたび、乾いた香りが朝の空気にふわりと広がる。
三人と一頭の影が、朝霧の中に細く伸びていった。
利兵衛は振り返らない。商人として、初めての大海へ漕ぎ出す者の背中だった。
私はその姿が山に消えるまで見送った。
(さあ……ここからが勝負だ)
五千個の干し椎茸は、ただの山の幸ではない。
田峯菅沼家を変える、最初の一手。
堺の海風が、それをどう育ててくれるか――。
〜参考記事〜
干ししいたけの作り方/デリッシュキッチン
https://delishkitchen.tv/articles/380
〜舞台設定〜
第10話でようやく(菅沼家の税収を大きく超える)資金調達が出来ました。これでやっと、なろう小説の真骨頂チート&ザマーが出来る様になったかなと思います。




