第49話 大学の中
午後、部室を出ると、
「桃子ちゃん、どうする?俺、これから講義あるけど…」
と聖君が聞いてきた。
「うん。駅のほうにでも行ってこようかなあ」
「…麦ちゃん、午後は」
「講義あるよ。菊ちゃんもあるみたいだし、誰もあいてる子いないかなあ」
そんな会話をしていると、
「あ、俺暇してます。なんなら、奥さんと一緒にいてもいいっすけど?」
と知らない顔の男の人が言ってきた。
「お前が?…遠慮しとく」
聖君がそう言うと、
「先輩!いいじゃないっすか。俺、ちゃんと奥さんのこと守りますって」
とその男の人が聖君に言った。
ああ、1年生なのか。じゃ、同じ年。
「駄目。お前みたいなのが一番危ないから」
「え~~~?」
確かに。髪金髪だし、ピアスつけてるし、すごくちゃらそう…。
「こんなのが一緒にいるから、安心なんじゃないっすか。誰も声、かけてきたりしませんって」
「うっさい。お前、俺の奥さんに半径5メートル以内に近寄るなよな。ほら、離れろ。近寄りすぎてる」
「ブフ!ほんと、聖君っておかしいよね」
それを聞いて麦ちゃんが笑った。
「ちぇ~~」
そう言いながら、そのちゃらそうな男の人は去って行った。
「は~~~。なんか、むちゃくちゃ心配になって来ちゃった」
聖君はそう言うと、チラッと私を見て、
「俺の講義、一緒に聞く?」
と聞いてきた。
「目立つよ。聖君の隣にいたら。だいいち、聖君の学部、女子少ないんだから、知らない顔の女の子がいるって、すぐにばれちゃうって」
「だよね」
「ふだん、聖君、女の子と一緒にいることもないんだし、注目浴びちゃうから、それはやめたほうがいいよね。じゃあさ、私のところに来たら?」
そう話にいきなり入ってきたのは、カッキーさんだ。
「え?」
「うちの学部、女子ばっかりだし、紛れ込んでてもわからないって」
「わかるって。でも、聖君と一緒にいるよりはいいかもね」
麦さんにもそう言われた。
「決まり!」
そう言うとカッキーさんは、こっちこっちと私を引きつれ、歩き出した。
う…。でも、私、ちょっとカッキーさんは苦手なんだ。
聖君のほうを見たら、心配そうに私を見ながら手を振っていた。
カッキーさんのあとについて行くと、本当だ。その教室には女子ばっかりが座っていた。ほんのちょこちょこっと男子もいるけど。
「さ、入って入って」
「はい」
おずおずと中に入ると、カッキーさんの友達らしき人が、カッキーさんを見つけて話しかけてきた。
「あれ?見ない顔だけど、誰?」
一人の子が私に聞いてきた。
「あ、榎本君の奥さん」
後ろからそう声をかけてきた人がいた。げ!あの派手な女の人だ。
「え~~~?榎本君の?なんでこんなところにいるの?」
「うそ。榎本君の奥さんなの?」
「なんで大学来てるの?」
うわ~~~~。いっぱい集まってきたよ~~。
「か、カッキーさん。私、やっぱり、駅のほうに行ってうろついてます」
それだけ言って、私は猛ダッシュでその場を逃げた。
ああ、怖かった。どんどん群がって来てた。女子ばかりの教室も怖いかも。
なんだか、この大学の女性で、聖君のことを知らない人はいないんじゃないかって気もしてきた。
さてと。ところで、どこに行ったら駅に行けるんだろうか。あれ?
今いる棟はB棟だっけ?で、駐車場からの入り口が確かあっち。その逆が駅に通じている入り口だって聖君、言ってたよね?
う、う~~~~ん。それにしても、闇雲に走って来ちゃったし、ここが何階でどこの階段を下りたらいいかもまったくわからない。
うろうろ。歩いていたらもっとわかんなくなってきた。なんだか、迷路にでもなっているみたいだ。
とりあえず、下に行ってみる?
えっと、あの階段からでいいのかな?
「迷子?」
ドキ!男の人の声?まさか、ナンパ?
こわごわ振り向くと、普通の真面目そうな男の人が立っていた。
ホ…。チャラそうな人じゃない。
「あの、駅の方ってどこから出るんですか?」
「ここの大学の人?」
「え?い、いいえ。サークルの集まりがあって、今日来ただけで」
「なんのサークル?」
「す、スキューバダイビング」
「ああ、外部の人で、うちのサークルに来てるんだ。でも、何でこんな時間帯に?」
「えっと、昼にビデオ上映があって」
「…サークルで?」
「あ、はい」
ドキドキ。変な部外者が入り込んでると思ってるのかな、この人。ど、どうしよう。
「ふうん。で、迷子?」
「えっと。…はい」
「まあ、仕方ないか。このへん特に複雑で、違う学部の奴が来ても、迷子になるしね」
「…ここの学部の人ですか?」
「うん」
「な、何年生ですか?」
「3年」
聖君よりも一個上なんだ。だからかな。やたらと大人びて見える。
「駅に行くってことは、帰るの?」
「い、いいえ。ちょっとお店をぶらつこうかなって」
「ああ、そうなんだ。じゃ、案内しようか?俺、今日はもう授業もないし」
「でも…」
そんなことしたら、聖君に怒られる。
「いいよ、何なら家まで送ってくよ。どこ?」
「い、いいです。車で来てるし」
「へえ。君が運転するの?大丈夫なの?」
「私じゃないです。運転は…」
「…誰かと来たの?」
「はい」
「この大学の人?」
「はい」
「…もしかして、彼氏?なんだ。彼と同じサークルに入ったとか?」
「は、はい」
もう、そういうことにしておけ。
「ふ~~~~ん」
「あの、駅のほうへの出口だけ、教えてもらえたら」
「そいつ、どんなやつ?」
「え?」
「何年?」
しつこいかも。この人。あ、もしかして真面目そうな人だからって、安心しちゃ駄目だったかな。これだからいつも聖君は心配してるのかな。
「あの…、出口…」
「そいつ、彼女ほっておいて何してるの?今」
「授業出てます」
何をしてるのかって、あったりまえじゃない。ここ、大学なんだし、遊んでるわけないでしょ?
ちょっと頭に来たかも。
「ふうん」
なんだか、含みのある言い方だよね。目つきもなんだか、いやらしい目って感じがしてきたよ。だんだんと。
「い、いいです。他の人に聞いてみますから」
私はそう言って、くるっと後ろを向いた。
「名前は?」
「……彼のですか?」
「君のだよ」
うるさいし、しつこい。なんでついてくるの?
「…」
無視して行っちゃおうっと。
「ねえ、そっち、駅の方じゃないよ」
う…。
「いいんです。下に下りて、どこかでまた、誰かに聞きます」
「そいつが危ない奴だったら?」
あなたより、絶対にましだと思う。
私は話を聞かないで、どんどん階段を下りて歩いた。
「ねえ。じゃ、その彼氏の名前は?ここの学部のやつでしょ?俺、知ってるかも」
「いいえ。ここじゃないです」
「あれ?じゃ、なんでここにいるの?」
「…サークルの知ってる人が、この学部で…」
「誰?」
「だ、誰だっていいでしょ?」
なんだか、ムカムカしてきた。しつこすぎる~~~!
グイ!
わ。なんで手、掴まれたの?私。
ちょ、ちょっと待って。誰か…。周りを見渡したけど、誰もいないし、このあたりって、教室もない?
ここ、どこ?!
「ねえ。大学内を案内するよ。君、今、他の大学行ってるの?サークルでまたここに来たりする?彼氏なんかもうほっておいて、俺と付き合わない?」
やっぱり、超ナンパなやつだったの~~~~~?
聖く~~~ん!
「いた!桃子ちゃん!!」
え?
「なんでこんなところにいるんだよっ!そいつ誰だよ!」
聖君が猛ダッシュでこっちに走ってくる。
う、うそ。まさか、本当に来てくれるなんて!
「…榎本?あれ?あいつが彼氏?なわけないよね。あいつもう、結婚して」
「私の旦那さんです!」
「え?」
私がそう言うと、その人は目を丸くして驚いた。ちょうどその時、聖君が私の肩を抱き、その人から私を引きはがし、
「俺の奥さん、勝手にナンパしてるなよな!」
とすご~~く怖い口調でその人を睨みつけた。
「い、いや。まさか、榎本の奥さんだって知らなかったから」
「…今、手、掴んでなかった?」
「悪い。迷子になってたから、案内しようとしてただけで」
「…手、掴んで?」
「だから、お前の奥さんだって知らなかったから」
その人が、ものすごくびびりだした。
「じゃ、じゃあ、よかったね。旦那さんに会えて。それじゃ!」
その人は真っ青になりながら、走って行ってしまった。
「し、知ってる人?」
私が聖君にそう聞くと、聖君は首を横に振り、
「桃子ちゃん!迷子になったら電話してって言ったよね?」
と私に向かって怒って言ってきた。
「ご、ごめんなさい。でも、授業中だし、どうにか駅まで行けるかなって思って…」
「それであんなナンパ野郎につかまってりゃ、世話ないよ?」
「ご、ごめんなさい」
わ~~。むちゃくちゃ、怒ってる。
「は~~~~。見つかったからよかったけど」
「さ、探してた?」
「探しまくってた!カッキーからメール来て、桃子ちゃんがいなくなったっていうから、講義ほっぽりだして」
「ごめんなさい~~~~~」
ギュウ!聖君がいきなり、抱きしめてきた。
「もう~~~。ここね、教室ないし、ほとんど人が来ないところなんだよ。どこか空いてる部屋に連れ込まれたら、助けを求めたって誰も通らないから、危ないところなんだよ?」
そ、そうなんだ。今頃、青ざめてきた。私…。
「でも、なんでそんなところに、あの人…」
「知らないよ。でも、そんなところに可愛い女の子が一人でいたら、あっちからしてみたら、好都合だろ?」
「え?」
「まじで、変な奴だっているんだし、気を付けてよ」
「ごめんなさい」
「…いいよ、もう。やっぱ、俺んところに連れて行ったらよかった。みんなにばれようが、教授に何を言われようが」
いや。それも、どうかと…。
はあ。でも、聖君の胸の中にいると、一気に安心してホッとする。
ホッとするけど、でも、胸が痛い。
「あ…。おっぱいの時間」
「へ?」
いきなり私がそう言うと、聖君が私を抱きしめている手を離した。
「胸、張ってるの?」
「うん。痛い」
「そっか。どうする?そのままじゃ、つらいよね?」
「うん。哺乳瓶持ってきたし、搾乳できる場所さえあればなあ」
「じゃ、ちょうどいいじゃん。この辺、人めったにこないし、その空いてる部屋、借りちゃおう」
「え?いいの?」
「いいでしょ?使ってないんだし」
「本当に使ってないの?」
「なんかの準備室とか、あ、あっちは一応会議室かな。ほんと、人見かけたことないんだよね、このへん。何に使ってるんだか」
「…そうなんだ」
「ほら、ここならベンチシートがあるよ。会議室っていうより、なんだろうね。わかんないけど、勝手に入らせてもらおう。鍵もかかってないし」
そう言うと、一つの部屋に聖君は入って行った。
聖君は部屋の電気をつけてドアを閉め、ベンチシートに私を座らせた。
「哺乳瓶は?」
「うん。カバンの中」
カバンから哺乳瓶を出した。
「本当に人、来ないかな」
こんなところで、服をまくしあげ、搾乳してるところ見られたら、大変なんだけど。
「来ないでしょ?あ、一応念のため、俺がこうやって、廊下から見えないように、壁になっててあげるから」
そう言うと、私の座っている横に聖君は立って、廊下から私が見えないようにしてくれた。
すっかり、パンパンに胸が張ってしまった。今頃、きっと凪は家で、ミルクを哺乳瓶で飲んでいる頃だろう。
「凪も連れてきたらよかったかな。凪を抱っこしてたら、まさかナンパするやつもいないよね」
「でも、もっと目立ってたよ、私」
「いいじゃん。目立ってても」
「…」
よくないよ。でも、ナンパされられるよりもましかなあ。
「次は凪を連れてこようね、桃子ちゃん」
「うん」
だけど、次ってあるかなあ。もう、大学にいる聖君もわかったし、満足かも。
「すごく張っちゃってた?」
パンパンになっている私の胸を見て、聖君が聞いてきた。
「うん」
「痛い?」
「ううん、大丈夫」
「…搾乳するの、大変だよね。手伝う?」
「だ、大丈夫」
「…それ、帰ったら凪にあげるの?」
「わかんない。捨てちゃうかも」
「もったいない」
「へ?」
「俺が、何なら直に飲んであげてもいいのに」
「は?」
直に?搾乳した母乳をってことかな。
聖君は私の隣に座って、着ている服を持ち上げ、胸に顔をうずめてきた。
え?!まさか、直にって、胸に直にってこと?
「ちょ、ちょっと待って、聖君!」
「あれ?出てこないよ」
「そりゃそうだよ~~。赤ちゃんって吸い付く力すごいんだよ?」
「俺じゃ無理ってこと?」
「…わかんないけど。でも、聖君、そんなこと、ここで…」
って、言ってるのに、なんでまた吸い付いてるの?!
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!聖君」
くすぐったい~~~!それに、やばい~~~!
「あん」
う。今、私の口から、とんでもない声が!!!!
「桃子ちゃん」
「え?」
「なんで、いきなりそんな声あげてんの」
ひえ~~~~~!!
「ひ、聖君が悪いんだよ。もう~~~」
「…」
聖君は顔をあげ、私の顔をじいっと見た。私が真っ赤になっていると、
「うそ。桃子ちゃん、その気になっちゃったの?」
と聞いてきた。
「な、なってないから!」
わ~~~~。顏、熱い。恥ずかしい~~~。聖君がなんだか、にやけた顔しているし!
「なんだよ、桃子ちゃん。そんなに照れなくても」
「聖君のあほ!」
聖君はまだ、私に引っ付き、私の髪を撫でたり、キスをしようとしてきている。
何をするんだ。私は今、搾乳をしようとしてるのに。
「聖君、ダメ!」
その時だった。
ガラ!
「こ、こんなところで、何をしてるんですか?!」
という、ドアの開く音と同時に女の人の叫ぶ声が聞こえた。
「え?」
私と聖君が同時にドアのほうを見ると、顔を赤くしてわなわなと震えている50代くらいの女の人が立っていた。
い、今の見られた~~~~!!!!!!
きゃ~~~~!!!!!きゃ~~~~~!!!きゃ~~~~~~~~~!!!!




