第109話 やすくんの相談
翌日、朝、やすくんは散歩をしに来なかった。杏樹ちゃんは、ギリギリまでやすくんがお店に来るのを待って、がっかりしながら出て行った。
そして、やすくんのシフトの時間の30分前に、やすくんはお店に現れた。
「あれ?やすくん、早くない?」
お店から紗枝さんの声が聞こえた。リビングで、凪と私とのんびりとしていた聖君は、その声を聞き、お店に行った。
「あ、聖さん、相談したいんすけど、いいっすか?」
やすくんは、お店から家のほうに近づいてそう言ったのか、やすくんの話し声がとてもよく聞こえてきた。
「いいよ。家に上がれよ」
「すみません」
やすくんはリビングに来た。それを見た凪は、寝返りをうって、やすくんに近づいた。
もしや、本当にやすくんのこをと気に入ってたりしてる?凪…。
「あ~~~」
「凪ちゃん、こんにちは。遊んであげたいけど、今日は俺、パパに用があって。ごめんね?パパ、しばらく借りるね?」
やすくんは優しく凪にそう言った。
「何?相談って」
聖君がそう聞くと、やすくんはなぜか正座になった。
「俺、今日、店の帰りに杏樹ちゃんに、告白しようと思うんです」
え?!!!え?え?え?まじで?!
私は思わずそう叫びそうになったが、喉まで出かかった言葉を、必死に飲み込んだ。でも、顔がにやけそうになったので、くるっと後ろを向いて、凪をあやしているふりをした。
「その気になったの?やっと」
聖君は冷静に聞いてあげている。さすがだ。
「はい。なんだか、このままもやもやしていたくなくって」
「ふうん」
「…で、もしうまくいったら、それはそれでいいんですけど」
「うん」
「もし、ふられて、杏樹ちゃんが俺と一緒にいるのが気まずくなって、俺がバイトに来るのを嫌がるようになったら、俺、辞めるかもしれません」
「バイトを?」
「はい。すみません」
「…あのさ、なんで、上手くいかないほうまで考えて、そんな相談しに来るかな。きっと、上手くいくって思って、うきうきしていたら?」
「そ、そんなわけには…」
やすくんは、顔を引きつらせた。
「ごめん。そうだよな。本人にとったら、結構不安材料いっぱいで、バクバクもんだよな」
聖君は、突然下を向きそう言うと、何かを思い出しているようだった。
「聖さんも、桃子さんと付き合う時、不安でしたか?」
「俺?いや。俺は、桃子ちゃんの気持ち、知っていたし…」
「そうでしたね。いいですね。知っていてから、付き合うのって」
「そう?じゃ、前もって知りたい?俺から杏樹に聞いておく?」
「え?聞いてもらえるんですか?」
「…知りたいの?本気で?」
「…う。い、いいです。俺になんの気もないよって、そう聖さんにサクッと言われたら、立ち直れそうもないすから」
「…だから、お前、結構考えが後ろ向きだよね」
「そりゃ、後ろ向きにもなります。俺、全然自信ないし」
「あれ?彼女いたことないっけ?」
「中学の時にあります。でも、そんときは向こうから告白されて…。こっちからはコクったことってないすから」
「なるほどね」
「もし、聖さんが桃子さんの気持ちを知らず、桃子さんを好きになっていたら、ちゃんと自分から告白してましたか?」
「え?俺?」
聖君は黙って下を向いた。それから、腕を組んで、しばらく「う~~ん」とうなってしまった。
「そうだなあ。どうしてるかな。やっぱ、なかなか言い出せないかな…」
私を聖君はちらっと見た。
「でも、俺、桃子ちゃん、他の奴に取られたくないって思って、さっさとコクっているかも」
え?ドキン。そうなの?それ、ちょっとしてもらいかったかも。
「聖さんは、自分に自信があるから…」
「俺が?ないよ?」
「でも、モテるじゃないっすか」
「…それと自信とは別だろ?」
「そうっすか?」
「俺、前にちょっと付き合った子に、つまらないって言われてフラれた。だから、なんつうか、トラウマがあるって言うか」
「え?そうなんすか?聖さんでも、ふられたことあるんすか?」
やすくんは、思い切り驚いている。
「あるよ。俺、女の子と付き合うの、どうしていいかわかんなかったし。そうだなあ。桃子ちゃんには、言葉で告白できなかったとしても、態度で示すか、どんどんアタックしてるかもな」
「アタックって?」
やすくんは、聖君に顔を近づけた。
「だから、一緒にご飯食べようって誘うとか、メアド聞いてメールするとか、あとは…。どうにか自分の気持ちがわかってもらえるよう、態度で示すかな?」
「なるほど」
「ね?俺、してたよね?」
「え?」
聖君が私に聞いてきた。
「俺がコクっても、桃子ちゃん、ずっと疑ってたじゃん。だから俺、結構頑張ってたよね?」
「……が、頑張ってた?」
「うん。メールもしてたし、手も繋いだし、キスも…」
と聖君は言いかけて、やすくんが聞いているのに気が付き、
「あ、俺のことはいいから。お前のことだよな?まあ、頑張れよ」
と慌てて話を変えた。
「キスもしちゃったんすか?」
「だから、お前のことだって。あ!言っとくけど、付き合ってからの話だからな?付き合う前にそんなこと、強引にしたわけじゃないからな?」
聖君は慌てて、そう言い訳をした。
「……はい。ちょっと、頑張ってみます」
やすくんはそう言うと、ハ~~ってため息をして、
「駄目だ。今からすげえ、緊張」
と頭を掻きながら、下を向いた。
「青春だねえ。いいねえ」
聖君はそんなやすくんを見て、まるで親父のようなことを言った。自分だってまだ、19歳なのに。
「俺、聖さん、羨ましいっす」
「へ?」
「桃子さんと仲良くって。ずっと羨ましいなって思ってました」
「桃子ちゃんと仲良くなりたかった…んじゃないね。杏樹と俺らみたいに、仲のいいカップルになりたかったってことだよね?」
聖君は一瞬顔をこわばらせたけど、すぐに表情は穏やかになった。
「はい。俺も、聖さんみたいに、一人の子を大事に思って、すごく仲のいいカップルになって、デートとかもいっぱいして…。なんて、そういうのあこがれたっていうか。ここでバイトするまでは、そんなに女の子と付き合うこと、興味なかったんすけど」
「じゃ、女の子と付き合いたいがために、杏樹に告白?」
聖君がやすくんに顔を近づけそう聞いた。
「いえ。そうじゃなくって。杏樹ちゃんを見てて、聖さんと桃子さんみたいに、杏樹ちゃんと付き合えたらいいなって、そう思えたから…。その…。誰でもいいわけじゃないですから」
やすくんは、慌ててそう言って、黙ってうつむいた。あ、顔、真っ赤だ。
「杏樹のどこがいいの?どこを好きになったの?」
聖君が静かに聞いた。
「……」
やすくんは、しばらく恥ずかしがっていた。でも、ぽつりぽつりと話しだした。
「なんか、可愛いところ…。元気で明るくて、一生懸命で。そういうの全部、いいなって」
「へえ」
「それに、杏樹ちゃんって、すごく優しいっすよね」
「うん」
「すごくいい子で…。一緒にいると、すごく幸せな気持ちになるんです」
「……そっか」
聖君は優しい顔で、やすくんを見ている。私はなんだか、他人事ながら嬉しくて、胸がさっきからドキドキしっぱなしだ。
「そういう気持ちをさ、素直に杏樹に言えばいいんじゃないの?」
「え?」
「伝わると思うよ?」
聖君がそう言うと、やすくんは真っ赤になりながら、うなづいた。
「さて、そろそろ店戻る?」
聖君がそう言うと、やすくんは時計を見て、
「あ、そうっすね」
と言って、お店のほうに行った。
「うわ。うわわわ~~~」
私はずっと黙っていたけど、ようやく口を開いた。
「ん?」
そんな私を聖君は見た。
「ドキドキした。やすくん、今日、コクっちゃうんだね」
「うん。そうだね」
「うわ~~。杏樹ちゃん、きっと泣いちゃう」
「え?」
「きゃ~~。他人事ながら、私まで泣きそう」
「あはは。何それ?桃子ちゃんはやっぱり、面白いよね?」
聖君はそう言って、私の鼻をむぎゅってつまんだあと、
「俺は、なんだか、変な気分だよ」
とそう言った。
「え?」
「俺、杏樹が大事で、まだまだ彼氏なんかできてほしくないってどこかで思ってた。だけど、あんないいやつが、杏樹のことを好きになってくれて、なんだかさ、嬉しいんだよね」
「うん」
「それに、杏樹もやすを好きで…。なんつうか、幸せになってほしいって本気で思ってて、2人を見てるとすごく微笑ましくって」
「うん!」
わかる、その気持ち。
「俺も、親父になったなあって、ちょっとがっくりしてる」
「へ?」
なんでがっくり?
「親父の心境だよね。これってさ」
「い、いけないの?微笑ましいし、応援したいって思うのは、変なことじゃないよ」
「……だね?」
聖君はそう言うと、なぜか力なく笑った。
「あのね」
そして、テーブルに顔をうつぶせて、ぽつりと話しだした。
「俺、杏樹が未来の凪に思えてきちゃってさ」
「え?」
「凪も、誰かを本気で好きになって、本気で悩んだりするんだろうなって」
「う、うん」
「それに、やすみたいに、本気で凪を大事に思ってくれるやつが、現れるんだろうなって」
「うん」
「そうしたら、反対できないね。うん。絶対にできない」
「うん」
「きっと、俺は応援したり、見守ったり、背中おしてやったりするんだろうな」
「うん。そうだね、きっと」
「そう思ったら、ちょっと悲しくなった」
「なんで?」
「そうやって、凪は他の男のものになっちゃうんだ」
「…私が、父親から離れて、聖君のものになったみたいに?」
「……え?」
「でも、うちの父親は、聖君みたいな息子ができて喜んでるよ?だから、聖君もきっと、凪の旦那さんが息子になったことを、喜んじゃうかもよ?」
「なるほど。そうかもね」
聖君はそう言うと、しばらく凪のことをじっと見つめ、
「だったら凪、俺が本気で気に入るような奴と結婚してね?」
とそんなことをつぶやいた。
くす。何十年も先の話なのになあ。
でも、いつかはそんな日が来るんだね。凪がお嫁に行く日。聖君はどうなるんだろう。
って待って。
「ねえ、聖君」
「ん?」
「私の結婚式には、うちのお父さん、どうするかな」
「え?」
「泣いたりしないよね?」
「あ…そうか。まだだもんね、結婚式。どうするのかな」
聖君はそう言ってから、なぜか、また顔をテーブルに伏せた。
「ああ、お父さんはきっとさ、大事な娘を嫁に出すって心境になって、悲しいやら、嬉しいやら、複雑な思いをするんだろうね」
「え?」
「俺、わかる!お父さんの気持ちが手に取るようにわかるよ!」
そんな気持ち、わかってあげなくたって。と思ったけど、そうか。聖君ったら、すっかり父親の気持ちがわかっちゃうようになってるんだね。
「じゃ、お父さんに私のこと、返してあげる?」
でも、つい意地悪なことを言いたくなって、そんなことを聞いてしまった。すると聖君は顔を思い切りあげ、
「まさか!まさか、まさか、まさか!」
と何度も繰り返すと、私に抱きついてきた。
「そんなことするわけないじゃん!桃子ちゃんはね、もう、俺の奥さんなんだからね!!!」
「うん」
ああ、安心した。父親気分の聖君が、ちゃんと私の旦那さんに戻ってくれて。
「あ~~~~~」
その時、凪が聖君のすぐ横まで寝返りをうちながらやってきて、聖君の足をぺちぺちたたいた。
「凪?何?パパに遊んでほしいの?」
聖君はそう言うと、さっさと私から離れ、凪のことを抱っこして、
「凪~~~~。お嫁に行くのは、ずうっと先の先の先でいいからね?」
と言いながら、凪に頬ずりをした。
ああ、また、父親に戻っちゃった。それも、親ばかなパパに…。いいけどさ。
もう一人、女の子が生まれたらどうするのかな。聖君の両手は娘に取られ、私は手も繋げなかったりして。
それ、かなり悲しいかも!
2人目は絶対に、男の子を生もう…。なんて、私はその時、固く決心していた。




