護衛騎士の回想 そのに
ほどなくして、ビルギット様が懐妊し、紫の眼をした男の子を出産した。
ヘンリック様は後継ぎを得たことに満足しているようだった。
相変わらず二人の寝室は別だ。
寝室どころか、一日の内でどこかの食事を一緒に取れば良い方で、一緒にいることがほとんどない。
会話? 領内の話しかしてねえ。
そしてロベルト様が一歳を過ぎた頃、ビルギット様が再び懐妊した。
経過は良好だったが、ミカル様から多胎妊娠だろうと言われ、遊び歩いていた辺境のトワイニクスは大半を館で過ごすことを余儀なくされ、身近な若い騎士を恋人にした。
お腹の子の父親かと思ったが、ヘンリック様が「違うぞ?」といつもの無表情で言った。
妻の浮気相手と子の父親は把握してるってわけか。
……こっちの心配を何だと思っているんだ。
なんか心底腹が立ったから、もうこの夫婦の心配をするのはやめようと思った。勝手にやっていればいい。
その頃、隣国がいつものちょっかいをかけてきた思ったら、密かに行軍してきており、小規模だが戦端が開かれた。
隣国は『相手がいつも悪い』『すべての物は自分たちの物』という謎の信念を持っている厄介な国だ。
放っておいても常に難癖を付けてくる『かまってちゃん』に、周辺国は辟易している。
我が国が本気で侵攻すればあっと言う間に終わるだろうが、うちの国にしたところで旨味もなく面倒しかない。なのでこうやって長年、やってくるものを追い返しているのみなのだ。辺境伯軍が。
いつもの小競り合いより時間がかかり、それでも難なく隣国を追い返して館に帰ると、紫の眼の男女の双子が生まれていた。
そして、その翌月、ビルギット様は姿を消した。恋人の若い騎士もいなくなった。
書き置きも何もなく、二人とも部屋はそのままで、金品だけ無くなっていた。
駆け落ちか? 駆け落ちだよな……。
子どもたちを置いて、ふざけんなっ!!
ヘンリック様はこれが誘拐でないことを確かめると、ビルギット様を産後の肥立ちが悪くて死んだことにしてしまった。
隣国に駆け落ちしたビルギット様のことを定期的に報告させているが、連れ戻す気配はまるでない。
こどもたち三人に構う気配もない。
「……近付いたら、泣くだろう」
当たり前だろうが!!
ほとんど会ったこともない眼光鋭い男が近付いたら赤子でなくとも泣くわ!!
不自由のないようにと子どもたちのまわりの環境は整えているようだが、不器用すぎて溜め息しか出ない。
辺境伯としての能力はピカイチ。
だが、人として、男として、親としてはどうしようもない。
そう思っていたら、もっと碌でもないことを言い出した。
爺どもの再婚攻撃が本格的になる前に、「ベルツ男爵の借金を肩代わりしたから、完済出来なかったら娘を後妻にもらう」と。
娘とやらはその時十三歳。
兄として父としてコイツを殴らねばならないと覚悟を持って襲ったら、避けられた上に「五年後だ!」とワケの分からないことを言う。
聞けば、五年で完済出来ればその話は無かったことになるという。
額を聞いた。
無理だろうよ……。
どういうつもりかと問い質しても、のらりくらりとはぐらかすので、いよいよ頭にきて退職することにした。
積もり積もったものが溢れ出てしまった。
全部話せなんか言っていない。俺は一介の護衛に過ぎない。
だが、大事なことを話さないということは、俺のことを信用していないということだ。
俺では力不足の役立たずということだ。
しかも十三歳の女の子の人生を食い物にしようとしている。
俺の娘と同い年だ。
義理だ給料だと言われればそれまでだが、これ以上付き合ってられるかっ……!!
退職を叩きつけて出て行く日、ヘンリック様が迷子のような眼をして俺に頭を下げた。
いわく「なんでそんなに怒っているのか分からない」と。
「借金のカタに幼い娘に目を付けたお貴族様と話すことはない」
不敬だ。
だが、本当に俺が何に怒っているのか、蔑んでいるのか分からないなら、最後に俺が言ってやらなきゃならないだろう。
生まれた時から一緒にいる、『ぼっちゃん』に。
俺が静かにそう言うと、ヘンリック様は目を瞠って驚いていた。
「いや、後妻にもらうのは十八歳を過ぎてからだ」
「今、十三歳だ。今からそういう意味で望まれたと思うだろうし、まわりもそう思っている」
幼女趣味だと。
驚きが抜けて、俺の言っていることを理解したのか、ヘンリック様は頭を抱えて蹲ってしまった。
結局、「どうしたらいい?」と追いすがってくる弟に絆されてしまい、俺の不敬と退職は有耶無耶になった。
俺も甘い。
ベルツの娘に懸想したわけではないのなら、何故選んだのかヘンリック様に尋ねたところ、俺は顎が外れるほどに驚愕することになる。
「ベルツの鉱山が閉山するというのは周知の事実で、男爵はその後の領地経営を模索するにあたって、三十年前にメルネスの鉱山が閉山した時の資料を求めてきた。差し障りのない部分を提供することにしたのだが、父も母もいつものように愛人宅に行き不在で、気が向いて自分で持って行った。お前は奥方の出産で下がっている時だったな」
そんなこともあったな。
ぼっちゃんが一人で行ってしまった! と皆慌てて追いかけたと聞いている。
「ベルツの鉱山も視察したのだが、その時に鉱夫たちに混ざってベルツの娘がいた。ニコニコと一人でハンマーで石を叩いて割って遊んでいる変わった娘だった。鉱夫たちに抱き上げられたと思えば、鉱夫たちの間をぽいぽい投げられて遊ばれていたな。ベルツ男爵本人は誠実までとはいかなくても真っ当な人間だった。荒くれどもをまとめるのにそんなので大丈夫かと思ったが、まあ、見た目通りではないのだろう。そんなベルツが食い物にされているのを見て、何だが腹が立った。何も理由なく巨額の融資は出来ん。だから娘をもらうと話をしたのだが」
幼女趣味に見られていたとは、と項垂れるヘンリック様を凝視してしまった。
……待って。
確かその時って、ヘンリック様は。
「十三の時だったな。それがどうした?」
すると、十歳下のベルツの娘は三歳。
……不器用もここまでくると筋金入りかよ。
しかも本人は気が付いてもいやしねぇし。
たぶん、ベルツ家の借金は完済は出来ない。
五年後、憐れな生贄はメルネス家に嫁いでくることになる。
ならばせめて、その間くらいは自由にさせてやりたいと思うのは、同い年の娘を持つ親心だろうか。
とりあえず、この五年はあえてベルツ男爵の娘と直接の交流は避けるように進言した。婚約をしたわけではない花盛りの娘の生活を縛ってはいけない。
そう、婚約はしていないのだ。
ベルツ側からの要請だと聞いた。
もしも、借金完済の目処がつくとしたら、それは娘の婚姻による、嫁ぎ先からの融資だろう。メルネスよりもそちらを選んだということだ。
ベルツ男爵は娘にその道を残したのだ。いくらなんでも婚約者のいる身で嫁ぎ先を探すことは出来ない。
そうなったとしたら、涙をのんで諦めさせるしかない。
無自覚で不器用なこの初恋バツイチ野郎を。




