第十一話 完全なるデレ
いや……。もう絶句。
まじか……。
皆は無事だった。
土埃を被って、小麦粉をまぶされバターで焼かれる直前の魚みたいになってはいるが、無事ではあった。
無事でなかったのは、出入り口である。
元々は人二人が通れるくらいの出入り口だったが、完全に塞がれていた。
ひとつの岩がどんっと出入り口前に落ちてきたのである。
岩がこんなピンポイントに落ちてくる!?
皆の話を聞くと、何が起こったか分からないうちに、あっと言う間にこうだったという。
土砂が多少流れ込んできており、それを見て不幸中の幸いを知る。
もしも土砂の水分が多ければ、洞の中に濁流となって押し寄せて、全員とっくに命は無かっただろう。
幸いではあるけれど、危機的状況に違いはない。
ふむ。
周囲を確認すると、けが人はいない。
だが、大した食料も水もない私たちが閉じ込められて、いつまで無事でいられるか。
私の持つたいまつは消えていない。
壁の明かり置きにたいまつをかけ、少し離れてじっとみていると炎は揺らめいた。
ひとまず空気の流れはあるようだ。
奥に進んで別の出入り口を探すか。
岩を砕くか。
ただ待つか。
出来ることは三つ。
「シーヴ! 大丈夫か!?」
ムニエルが近寄ってきた。
間違ったダーヴィットだ。……おしいな。名前がダニエルだったら面白かったのに。
ああ、私、冷静なようで大混乱している模様。
ムニエルダニエルは(もはやダしか合っていない)、私にけががないことを見ると膝に手を当てて脱力した。
「よかった無事で」
……そうだ。
ダーヴィットはいつも誰かを思いやり、優しさが溢れ零れている人だった。
八方美人と言えば聞こえが悪いけれど、少し……うん、大分世の中の令嬢からはかけ離れている私と気が合って、共に楽しく過ごしてきた奇特な人。
自分は貴族階級の生まれで、不自由なく過ごしている自覚のあるダーヴィットは、困っている人を放っておけないのだ。
まあ、結構な確率で空回り、時には余計なお世話ともなるが。
……人助けで求婚はしなかったけど。
ストンと腑に落ちた。
ダーヴィットは、メルネス辺境伯に嫁いだ私の状況を聞きかじって、自分に責任を感じたのだろう。
五年も共にいた人が苦境の中にいると知って、黙っていられる人でないのだ。
でも、もうなんの関係もないのにな!!
「ねえ、ダーヴィット」
呼ぶと満面の笑みでダーヴィットが私の手を取った。
いや、だから私人妻だからね?
「私と帰ろうと言っていたけれど、あなた、婚約者はどうしたのよ?」
ダーヴィットは「ふぐ」と砂を噛んだような顔をして、「……気が合わなくて解消した」と呟いた。
「あら、あなたの理想だったのでしょう?」
ダーヴィットがハッとして私を見た。
自分が何を言っていたのか。
それを誰に聞かれていたのか、思い至ったのだろう。
そもそも、段々と「忙しい」とダーヴィットとは疎遠になっていった。そんな中、ダーヴィットがガーデンパーティーに参加すると聞いて、最後の機会と思って友人と参加したのだ。叶わなくても、思いを告げようと。
そしてダーヴィットが友人と話していることを聞き、告白どころか会うこともなく、私は嫁いだ。それから連絡も取っていない。
「……表面だけは。でも、会っても話が噛み合わないし、趣味も価値観も違った。それが擦り合わせ出来ないほどに離れたものであると気が付いて、お互い納得して解消した」
知ってた。
この辺境の地にまで『スピード婚約スピード解消』が聞こえてきたもの。
望んで望んで婚約しただろうにと、私は一層やさぐれたけれどね。
「それでなんで私もあなたを愛しているという結論に至ったわけ?」
「一緒にいて苦痛ではないということが、どれほど貴重か思い知った。僕は一生シーヴの側がいい。聞けば聞くほどシーヴの結婚生活は不遇で、ベルツ家の借金さえなんとかなれば、一緒に帰ってこれるだろう?」
「私が不遇だとして、ダーヴィットの提案に飛び付くと? それが私もあなたを愛していることだと思ったの?」
「……うん、一緒に帰ろう?」
これは、鉄拳が許される事案だと判断していいよね?
不遇だから、『やっぱりダーヴィットがいい』って飛び付くと思われてるのって、いくらなんでも私をなんだと思ってんだって話だよ。
私がダーヴィットに向かって一歩踏み出した時。
「だめーーーっ!!」
エルディスとカーリンが護衛の抱っこから反り返って飛び降り、叫びながら駆けてきた。
「いかないで」
「まま」
そう言って、双子はひしっと私に抱き付いた。
真の……。
真のデレ……は、ここにあった……っ!!
なになに? 私がダーヴィットに近寄ろうとしたのはぶっ叩く為なのに、私が行っちゃうと思ったの!?
ぐはぁっ……!!
ハートの矢で心臓をメッタ刺しにされ双子の下僕と化した私だが、ちゃんと忘れてはいない。
どうして良いか分からず迷子のような顔をしているロベルトを手招きすると、糸で引かれるようにやって来たので、そのままギュッと抱き締めた。
ロベルトは小さな途切れがちな声で「ははうえ」と言って私の腹に顔を埋めた。
……鼻血が出そうだ。いや、ちょっと出てるかもしれない。
完全に陥落した子どもたちを両手で抱き締めながらダーヴィットを見ると、超困惑していた。
そりゃそうだ。不遇の一因が超懐いているんだもんな。
やっとの完デレなんだよ。今やっとさぁ!!
呆けているダーヴィットはちょっと置いておいて、私はそのまま幽霊に向き合った。
どうしても言っておきたいことがあった。
背筋を伸ばして声を張る。
「ビルギット様」
突然話を振られた幽霊ことビルギット様は、小さな声で「な、なによ」と言った。
子どもたちが私を母親だと抱き付いている姿に衝撃を受けているようだ。
私は「やっぱり」と思いながら続けた。
「この子たちを産んでくださったこと、感謝いたします。改めて、私はシーヴ・メルネス。辺境伯夫人としてここにおります。夫はヘンリック。長男はロベルト。次男はエルディス。長女はカーリンです。身命を賭して夫を支え、子どもたちを愛し、この辺境の地で生きていくことを誓いましょう」
だからどうか安心なさって? と言うとビルギットは泣き出した。
この人は恐らく自分の感情のまま生きる人なのだろう。
でも、それにしては違和感があった。
この人は終始、子どもたちを引き取ろうとしていたのだ。
子どもたちと共にあろうとしたのだ。
今更だし、辺境伯自身はいいのかとは思うけれど、もしかしてこの人は継母と上手くいっていない子どもたちの話を聞いて、連れ出しに来たのではないかと思ったのだ。
ダーヴィットが私の不遇を聞いて迎えに来たように。
元々辺境伯の子ではないのだし、後妻がこれから子を産むならばと、隣国からやって来たのかも? と思い至ったらそうとしか思えなかった。
でも、ロベルトたちの心に深い傷を残したのは、絶対許さないけど。
ダーヴィットを見ると、ようやく状況を飲み込んだのか、「そう」とだけ呟いて、泣きそうに苦笑いをした。
一緒にいた頃なら、そんな顔をしたら寄り添って話を聞いたところだが、その役割はもう私じゃないんだと、踏み留まった。




