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第十話 うるせえなあ


「奥様」


 頭が沸騰しそうになった時、私の護衛が戻ってきた。

 一人だけで戻ってきた。

 それを見て冷や水をかけられたように頭が冷えた。


「お二人の姿が見当たりませんでした。走って行った先は段差になっており、足を踏み外して落ちたと思われます。実際に地面には落ちて転がったような跡がありました。そこから更に奥に続く道に二人分の足跡もありました。恐らくけがはせず、すぐに立ち上がってご自分たちで奥に行ったのかと。気配を窺いましたが、すすり泣くような呼吸は分かるのですが、壁天井に反響して方向が摑めず、声をかけても応答もなく、道が細く分岐しているので、一旦戻りました」


 あの子たちは、気に入らないことや辛いことがあるとすぐに逃げて隠れる。

 クローゼットの奥、厨房の隅、ベッドの下……。

 そこで二人で身を寄せ合ってやり過ごすのだ。

 怖いこと辛いこと悲しいことが過ぎ去るのを、ただ待っているのだ。怯えながら。


 私が行ってやらねばならない。


 私が立ち上がると第二の勇者が声を上げた。


「シーヴ、やっぱり僕と帰ろう?」


 ダーヴィット……なんでここでぶっ込んでくんの!? 今それどころじゃない!!


「館を出て、宿を取ろうと町に向かう途中で、ご子息たちとこちらの女性が取っ組み合いの喧嘩をしていたんだ」


 取っ組み、合い……。

 ロベルトを見ると気まずそうに顔を背けた。


「借金のカタに後妻になって生さぬ仲の子どもたちの面倒を押しつけられ、子どもたちからは『偽物』と呼ばれ、家政だけではなく領地経営までやらされ働きづめの日々なのに、夫となった辺境伯からは口も利かれないというのは本当か。という僕の言葉を三人は聞いていたんだ。君が、声を失う程に僕のことを思っていてくれていたということも」


 本当と妄想を混ぜてきた!!


「それでご子息たちは、自分たちがいなくなればシーヴを『偽物』と呼ぶ『偽物』はいなくなるのだから、シーヴが僕のところに帰る理由が無くなると思ったらしい。母親について行くと言えば皆が納得するだろうと、家を出たんだ」


 なんでそんな。


「だけど、双子が途中から泣き出して暴れ出して『おまえのせいだ』『おとうさまのところにいく』と言って母親と取っ組み合いの喧嘩になったらしい。その後、闇雲に走り出したものだから、追いかけて確保して……なんとかなだめすかしてイペントラ川近くのあの避難所まで同行したんだよ」


 ダーヴィットの言葉の最後は苦労が滲んでいた。

 一番苦労したのはダーヴィットの護衛だろうな。


 ひらめいたように女が語り出した。


「……そうよね。あなたがこの人と一緒に帰れば、私は子どもたちと館に帰るわ。母親も真の辺境伯夫人は私なのだから、それがいいわね。ロベルトがヘンリックを探しに行くなら牢から出して一緒に行くって言ったから来たけど、……私が出てくることなかったわよね」


 勇者その一。


 うんうんと、ダーヴィットが言葉を引き取る。


「そうだな。色々手続きがあってこのまますぐに一緒に帰るのは無理だろうが、僕も手を回してシーヴを迎えに行くよ。子どもたちはメルネス家が責任を持つことだ。シーヴ、安心して待っていて」


 勇者その二。


 ロベルトが俯いて肩を落とした。そして絞り出すように呟いた。


「……シーヴ様の、の、望む、ように」


 ロベルト。お前もか。


 ああ、もう。


「……ぇ、なぁ」


 俯いて震える私をダーヴィットが不思議そうに見た。


「……よっ」


「え、シーヴ、君、声が……!」







「うるせぇなぁ!! っつってんだよ!!」







「うるさいうるさい、あーうるせぇ!!」


「なんであんたたちに私の気持ちを代弁されなきゃならんのだ!? 辺境伯の妻は私で子どもたちの母は私だ!!」


「幽霊の分際で!! メルネスと子どもたちを捨てた分際で!! 辺境伯との拗れた関係を子どもたちに背負わせてんじゃねぇよ!! 死んでもいない辺境伯とロベルトを死んだと言って!! そもそも辺境伯が流されたのが自分の所為(せい)なら、ちったぁフリでも反省しやがれ!!」


「僕も愛しているって、僕も、って『も』って何!? ねえ!? 確かに私はダーヴィットが好きでずっと一緒にいれたらいいって、家も助けてくれたらいいって思っていたがね? だけど、私たちは何もなかったじゃない。五年もあったのに、なーんにも!! 私はちゃんと諦めた!! ……声が出なくなったのは、あなたをまだ好きだからでは決してない!! 五年、五年よ!? 現実を見ずに夢を見ていた自分が恥ずかしかったショックのせいだっての!!」


「ロベルト!!」


「はいっ!」


 一気にまくし立てた私をただ見上げていたロベルトは反射で返事をした。


「私の望みはさっさと家に帰って()()で湯浴みすることだ!! 言われなくても望み通りにするわよ!! さあ、エルディスとカーリンを迎えに行くわ。来なさい!!」


「は、はい!」


 私がずんずんと歩いて行くと、さすがベテラン護衛たちは何も言わなくてもきちんとついてきた。……何も言わないけど肩が震えてる。どこに笑いのツボがあったんだよ。私は怒ってんだよ!!


 双子が転げ落ちた段差をゆっくりと降りて、二人の足跡が続く方へ向かった。

 進むにつれて、確かに「ぐすふぐぅ」というすすり泣きが聞こえてくるが、方向が分からない。前? 横? 後ろから? と全方位から聞こえてくる。


「エルディス! カーリン!! どこなの? 返事をしてちょうだい!」


 呼びかけても応答はない。

 聞き慣れない声に驚いたのか、すすり泣きがピタッとやんだ。


 子どもたちの足跡は途中でなくなり、続く道は四本。

 さて、どっちに進んだか。

 ……伊達に毎日あの子たちと過ごしていたわけじゃないぞ。


「カーリンは真っ直ぐに行きたがり、エルディスは一番右に行きたがり、引っ張り合いになった二人はこの辺に手をつく……ほら、手の跡。結局カーリンは泣く泣くエルディスに引っ張られるけど、エルディスも真っ直ぐかも……と迷いだして、一番右と真っ直ぐの間のこの道に行ったわね。さあ、進むわよ」


 はいビンゴ。

 明かりに光る二組の紫の眼を発見。座り込んでいるけれど、けがはないようね。


 こちらに気付かれないように身を丸めた二人だが、とっくに発見しているし。


 ツカツカと歩み寄って、右手でエルディスの、左手でカーリンの足首を持って引きずった。


「ぎゃあ!!」


 笑顔で引きずったけど、何か?

 悲鳴がユニゾンしてこだまするが、そのまま引きずって歩き出す。


「待って、待って! シーヴ様!! 二人がけがしちゃう!!」


 ロベルトが慌てて止めに入った。護衛たちは両手で顔を覆って見ないフリしている。

 はん、私は止めないよ。

 自分の意志で立って戻らない限りは、この子たちはまた同じことをする。


 エルディスとカーリンが悪態をついて逃げて隠れるのは、いわば防衛本能のようなものだ。

 捨てられることに目を逸らし、自分から先に逃げるのだ。そうすれば手には入らないが、『捨てられた』事実もない。


 それが五歳の子の精一杯の戦い方なのだ。


 しんどいなぁ。そう想像するだけでもしんどいわ。


 でも。

 さあ、その足で立って、おいで。

 私の子たち。


 少し手を緩めると、恐る恐る足を引き抜いて、ボロボロに泣きながら見上げてきた。


 クッソ可愛いしかねぇなっ!!


 双子は驚いて目を見開いて私を凝視してきた。


「こえ」


「でてる」


 あら、心の声が漏れてた?


「ええ、そう! 皆、自分勝手なことばかりして勝手なことばっかり言ってるから、怒りが沸騰して言い返そうとしたら、声、出るようになったわ!!」


 私が元気に言い放つと、カチンコチンに固まった二人……なぜかロベルトまで固まっているし。なんで?


「エルディス、カーリン。ほら、おいで」


 手を広げると二人が飛び込んできた。自分で立って、自分から飛び込んできた。


 ツンが。

 ツンが……。

 ツンがついにデレたーーーーっ!!


 私は今までの戦いの日々を噛みしめながら二人を抱き締めた。


「けがはしていない? 暗いところで怖かったでしょうに」


 二人は必死にしがみついて、「背中が一番痛い」と言った。

 さっき引きずったところか。あらまあ、それは仕方ないよね!


 護衛二人が双子をそれぞれ抱いてくれたので、ロベルトと私でたいまつを持って皆のところに戻ることにした。


 ロベルトが何か話したそうに私を見ているが、こちらも待ちの姿勢に徹する。

 ロベルトは自分の本当の気持ちを言うのがとても苦手だ。今まで散々心を押し殺してきた弊害だろう。

 さっき、ようやっとその(たが)の一つが外れたばかりだ。

 思ったことを何でも言って欲しいが、自分から言えなければ、双子と同じくまた繰り返しになるだろう。

 一朝一夕にとはいかないが、私はロベルトの我が儘が聞きたいのだ。


 たいまつを持っていない手でロベルトと手を繋ぐ。

 一瞬ビクついたものの、大人しく繋がれたままなので、拒絶はされていないとみなす。


 ロベルトの手はまだぷにぷにしているのに、剣を握るところはタコになって硬くなってきている。

 こうやって大きくなっていくんだなぁと、思う存分息子の手を堪能していた時。


 ズン……。


 地響きがした。


 何かが崩れ落ちたような、重いものが衝突したような鈍い音と振動だった。


 どこかの道が潰れた!?


 すぐに収まったが、状況が分からない。この周囲に変化はなかった。

 とにかく早く皆と合流して、雨がひどかろうが外に避難した方がいいと思っていたところで、男たちの野太い悲鳴が坑道に響き渡った。


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