【後幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の二
「……まだ寝ぼけてんのか?」
浪馬の唐突な「勝利宣言」に、洋は怪訝な表情を浮かべた。
「急いでくれ、八海ちゃん。
呼吸は回復させたが、頭の方は手遅れかもしれねえ」
「はいはい。今、参りま──す!」
地下通路の向こうからぱたぱたと駆けつけた少女は、前回と同じ白装束だ。飾り気のない無地の和装に草履履き。腰まである黒髪を襟首で束ね、細腰に垂らしている。目元を覆う包帯も相変わらずだが、その足取りは確かで、白杖の持ち合わせもない。
「ダレの頭が手遅れだと、コラ」
「動かないでくださいませ、浪馬さま」
洋に噛みつく槍使いをなだめながら、八海が糸切り歯で指先を断つ。
傷口からほとばしる優曇華の雨と、同じ数の妖蟲──《白銀さま》を頭上に見上げ、浪馬は固唾を呑んだ。
「い、痛くねーンだろーな、コレ」
「少しの我慢です。《鯰法》なんて使っちゃダメですよ?」
「ま、待てってオイ! まだ心の準備ッてやつが──!」
満面の笑みの下、糸引く蟲の群れが浪馬に降り注いだ。
全身の傷口に群がり、そこから体内に潜り込んでいく。
悲鳴をあげる浪馬に、経験者である洋は心の中で十字を切った。《神風》候補とは思えない狼狽ぶりだが、蟲に体を侵食されて平気な人間などいない。治療行為と頭でわかっていても恐怖は別腹、いや別頭なのだ。
「ま、痛いのは最初だけだからよ」
「テメー、『ザマァw』ッて顔してンじゃねーゾ! 豚野郎!」
「単なる経験談だってーの」
そんなつもりはなかったが、そんな顔だったかもしれない。
八海も似たようなもので、天使の笑顔の隙間からわずかな、けれど高濃度のS気が漏れ出ている。そのせいだろうか、浪馬の反応が激しい。怪我の具合は洋より軽いはずだが、比ではない悶絶ぶりである。
そういえば前回、浪馬は蓮葉以外の女性陣に総スカンを食っていた。これが八海の意趣返しなら自業自得だ。魚々島の教えでこそないが、洋が陸暮らしで最初に得た人生訓は「女を敵に回すな」である。
程なくして、浪馬の呻吟が転調した。
こちらも洋は経験済みだが、八海の治療は痛気持ちいい。最初こそ体をこじ開けるような激痛が走るが、折れた骨や神経が繋がるにつれ痛みが和らぎ、得も言われぬ快感に変わる。内心はともかく、八海も治療の手までは抜かなかったらしい。
「応急処置なんて、余計な世話だったな」
「そんなことはないですよ。
前にも言いましたが、《白銀さま》に死人を蘇らせる力はありません。
肉体は復元できても、精神は元には戻せないんです。
早めに蘇生していただけるなら、その方が確実です」
「バラバラ死体から復活した忍野はどうなってんだ?」
「空木の一族は特別なんです。
生まれる時から《白銀さま》を宿していますから。
多分ですが、体内にバックアップがあるんだと思います」
「バックアップか。なるほどねえ」
八海の口から飛び出した意外な単語を、洋は繰り返した。
常に和装で時代がかった空木兄妹だが、性格や口調まで前時代的な忍野に対し、八海には幾分砕けた、現代的な部分が見受けられる。例の趣味が関係あるのだろうか。
「うおォお、こいつァすげェ……新感覚だゼ!!」
突如、雄叫びを上げたのは浪馬だった。
床に寝そべった状態から米搗虫のように跳ね飛び、八海の横に着地すると、見る間に腰に手をやり、その手を握る。
「あ、あの、えーと……もう大丈夫ですか?」
「あーもー大丈夫。元気ビンビンだゼ。
つーかアレだ。これ、ゼンリツセンってヤツか?
元気ビンビンになり過ぎて、収まりがつかねェ。
この後、オレの部屋とかどーヨ? その蟲を使えば新たなプレイが」
皆まで言わせず、旋風のように八海を奪い返したのは、兄の空木 忍野だ。
「──浪馬殿、お戯れを」
「チッ。どいつもこいつもシスコンかよ」
いつになく険しい窘めに、毒づくのが精一杯の浪馬だが、
「節操なさすぎやろ、おまえ」
「ンだよ。『ケツは熱いうちに打て』ッつーだろ」「言わんわ」
ドン引き周囲代表の文殊に、悪びれた顔一つない。
八海を解放した忍野は、毅然と浪馬に向き直った。
「《神風天覧試合》立会人として、今一度お伝えしておきます。
今宵の第二戦は、畔 蓮葉殿に軍配が上がりました。
偽りの勝ち名乗りなど、勝負を汚す愚行の極み。
八百万の名に賭けて、厳に慎まれるようお願い申し上げます」
振り返る忍野に、頷く洋。
だが、浪馬の反応は異なった。
「馬ッ鹿かオメー。全然わかッてねーのな。
いーか。耳の穴カッポじって、よく聞けや忍野。
オレはこの勝負に蓮葉ちゃんの接吻を賭けた。
でもッて最後の最後に、そいつをモノにした。
どーヨ? 誰がどー見たってオレの勝ちだろーがヨ!」
「なっ……」
呆然とする洋に、浪馬は意気揚々と畳みかける。
「試合はアレしたかもしンねーが! 勝ったのはオレ!
蓮葉ちゃんのベロチューを堪能したのも、このオレだッ!
テメーも本心じゃあ理解してるハズだぜ……ッ」
「こ、こいつ……」
──負け惜しみじゃない。本気で勝ち誇ってやがる!
腰に手を当て、呵々大笑するピンク髪に、思わず歯噛みした。
認めたくないが、浪馬の言い分には一理ある。
何より妹の勝利を喜びきれない心中を、ずばり言い当てている。
もちろん蓮葉にそんな気がないのは百も承知だ。畔にとって、性とは男に特化した武器の一つに過ぎない。勝つためなら何でも使うのが畔の流儀であり、それは他ならぬ洋が一番理解している。
それでもなお割り切れない。それが兄の複雑な心理。
敗北だと断じられれば、そんな気もして来ようものだ。
「確かに──してやられた感は否めんな」
いつしか背後に立つ烏京に駄目押しされ、洋はついに折れた。膝を屈し、両手を床につく。
「馬っ鹿じゃないの、あんたたち」
呆れ果てた口ぶりで割り込んだのは金髪の巫女、宮山たつきである。
「そんなの、そこのヤリチンの勝手な言い分でしょ。
こいつ柱越しの一発以外、いいようにやられてたじゃない。
最後はハサミで吊り上げられて、手も足も出ない完敗だし。
それで勝利宣言とかマジ笑えるんだけど。もしかしてギャグ?」
容赦ない面罵を浴びて、今度は浪馬が顔色を変えた。
「うるせーゾ、ちんちくりん! 外野は黙ってろッつーの!」
「誰がちんちくりんよ、この珍走族!
わたしが相手の時は、こんなんじゃ済まさないからね!」
親子ほどもある体格差をものともせず、浪馬に食ってかかる巫女。
侃々諤々、不可視の剣舞さながらに火花を散らす口論は、割って入る文殊の努力むなしく、ますますヒートアップしていく。
すっかり毒気を抜かれ、立ち上がる洋に差し出される手。忍野だった。
「今日は恥さらしが続くな……面目ねえ」
「肉親の闘いに立ち会う懊悩、お察し致します。
それが畔であれば、なおのこと」
「そう言ってもらえると、ちっとは救われるぜ」
「……浪馬殿には、困ったものです」
「ただの馬鹿だと思ってたが、そうじゃねえな。
あの野郎、天まで突き抜けた馬鹿だ……あなどれねえ」
「私が選んだ《神風》候補ですから」
「ははっ、違いねえ」
ようやく破顔した洋に、忍野は満足げに頷いた。
「……あんたも、なに他人事みたいな顔してんのよ!」
勢い止まらぬたつきの矛先が向かったのは、他ならぬ蓮葉である。
特に何をするでもなく、洋の傍にたたずむ妹の前に立ち塞がると、胸を反らし顔を見上げた。身長180弱の蓮葉に対し、たつきは150弱。視界を塞ぐ双丘の恵みに苛立ちながら、舌鋒の照準を合わせる。
「そもそも、あんなのにキスしたのが間違いなのよ。
いくら両手が使えないからって、口と口で塞ぐ必要ある?
他にほっぺたとかおデコとか……いや、どっちも絶対嫌だけどさ」
ぶつぶつと不満を並べる巫女に、蓮葉は不思議そうに小首を傾げた。




