【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の六
袖の内に秘匿された不可視の礫──《竈門打ち》。
松脂の加工で石は《平型手裏剣》に昇華し、刃の切れ味と曲がる軌道を備えるに至った。
いましも闇に弧を描き、洋を追尾して、その頬を切り裂く。
「……展開、変わってなくない?」
「そうかな」
視線を洋に注いだまま、雁那が応じた。
「さっきより動かなくなった気がするけど」
「弾が曲がって来るから、逆に動かないってー作戦か?」
「松羽は飛び道具の専門家だ。精度も読みも超一流。
その程度の対策ならば、即対応してくる。
現に松羽はあの構えから、一度たりとも狙いを外していない。
けれど、魚々島は倒れず、立ち続けている──何故だと思う?」
「脂肪が分厚いから?」
「肉のない急所は幾らでもある。たとえば首だ」
雁那の指摘を追従するように、放たれた《平型》が首元へ滑り込む。
頸椎、気管、頸動脈。急所を束ねた首という部位は、人類最大の急所である。
礫で頸椎は折れないが、即死が反則となるこのルールなら、逆に好都合だ。
暗闇に、血飛沫の花が咲いた。
避ける余地なく吸い込まれた《平型》の刃が、洋の首筋を掻き切ったのだ。
終わった。誰しもがそう思った、その直後。
「──当たってねえ」
否定したのは、浪馬だった。
「いや、当たってンけど、頸動脈は切れてねえ。
切れたら大噴水だ。あんなモンで済むワケねえ。
……けど、なンでだ?
間違いなく首に当たった。礫の威力も十分だったのにヨ」
「私も原理はわからん。わかるのは、一つだけだ。
魚々島も奥の手を隠していた。戦略は互角だった。
どちらが多く抽斗を持ち、かつ開けるつもりなのか。
それが、この勝負の鍵になりそうだ」
「……へぇえ。
同じチビッ子でも、こっちはバトルが読める感じじゃねーの」
「るっさいわね。あんたらと一緒にすんなっつーの」
「私の立場も、君らとは違うがな」
その雁那の目で見て、戦局を占う鍵がもう一つある。
足だ。
射程に勝る松羽に対して、機動力を失えば魚々島は詰む。松羽の弾は無限に等しい。魚々島が倒れるまで撃ち続ける展開に持ち込めば、実質勝利だ。立会人が必至を宣言する確率も高い。
いかにも鈍重な魚々島の体型から、狙いは上半身に集まりがちだが、《海蛍》の防御の堅さは実証済みだ。投げを極めた男ですら、魚々島の頭を獲るのは不可能に近い。ならば上半身ではなく、足を狙った方が効果的だ。
この読みを話さなかったのは、対戦者の耳に入る可能性を考慮してだが、おそらくはどちらも、この事実に気が付いている。
松羽が足を狙った弾は序盤の数発のみ。魚々島は苦もなく、それをかわした。
魚々島には足が弱点という自覚があり、松羽は意図してそこを避けている。
理由は一つ。魚々島の注意を上半身に集中させ、確実に足を獲るためだ。
松羽にすれば、頭で仕留められればそれでよし。無理でも足から意識が薄れれば、二の矢の確率が上がる。一石二鳥の作戦である。
問題は、魚々島の意識が本当に薄れたかどうか。その見極めだ。
曲がる《竈門打ち》で攻勢に転じるも、《海蛍》が対応し始めた。
魚々島の気は充実している。乱れや隙は微塵もない。
一瞬の機を捉えた者が勝利する。それがスポーツと実戦の違いである。
馬鹿にしていた《陸亀》に、松羽が食われる展開も十分にあり得る。
洋の変化に気付いた烏京は、いち早く対応した。
雨のような礫の連打をやめ、出足を止める単発に切り替える。有効打に至らぬ以上、無駄弾は打てないという判断だ。石は無限に拾えるが、加工の手間は隙に通じる。調子づく敵の前で、弾切れの愚は犯せない。
そんな烏京の思考を読んだように、洋が動いた。
弱まる弾雨の間隙を縫い、一直線に飛び出す。《御所の細道》のレール上を滑らかに進む様子は、まるでドミノ倒しだ。
烏京は背を向けず、後退しながら《竈門打ち》を放つ。
応弾が洋の顔で弾けた。
血花が散るも、ものともしない。止まらない。
──こいつ。当たりながら避けている……!
冷水のような戦慄が、血管に広がった。
百発百中の狙いも軌道の変化も、そんな技には意味がない。
二人の距離がみるみる詰まる。単なる後退では当然だ。
何故か烏京は反転しない。洋と相対しながら、退き続ける。
上段で《棒型》を握る烏京の右手を、洋が一瞥する。
距離7メートル。洋の間合いに到達する、その寸前。
歩を踏んだ洋が、突然、体勢を崩した。
洋の顔から剥落する笑み。
烏京が飛び出したのは、その刹那だった。
洋の失態というまさかに、烏京の接近というまさか。
眼前に迫る暗殺者に、洋は反射で《鮫貝》を繰り出す。
だが、甘い。
長身を傾け、白線を躱す。右手が斜めに振り下ろされる。
「──《袈裟打ち》」
渾身の石手裏剣が、洋の膝に深々と突き立った。
夜空を突くどよめきの中、悠々と間合いを離脱した烏京が振り返る。
色を失い、呆然と立ち尽くす魚々島の姿がそこにあった。
姿勢こそ崩れていないが、手応えでわかる。
石の棒手裏剣は、膝蓋骨の隙間から左の膝関節を貫き、靱帯を破壊した。
物理的にも機能的にも、もはや左脚は用をなさない──勝ったのは松羽だ。
「……シクったぜ。
そっちの使い方を考えとくんだった」
怨嗟とも取れる洋の台詞に、雁那が顔を上げる。
「そうか……松脂だ」
「おい、どーゆーことだヨ?」
「松羽は、序盤に《竈門打ち》を多用した。
牽制と偵察が目的だと思っていたが、それだけではない。
粘着質の松脂を用いた弾を、意図して周囲に撒いたのだ。
魚々島が誤って踏めば、足裏に石が張り付き、運足が乱れる。
一瞬だが、確実に隙を作る、文字通りの布石だ」
「言われて見たら、ほんのり色の違う石が落ちてる。
あんたには見えないだろうけど」
「いちいち、るっせーヨ!
てゆーか、ンなもん、都合よく踏むか?」
「もちろん簡単ではない。
しかし魚々島は後半、石のない轍を足場に利用した。
誘導は格段に容易になり、分の悪い賭けではなくなった」
誘導が成立した理由はもう一つある。
洋の足捌きの巧みさである。滑るような移動は修練の賜物だが、それは精緻で規則正しい運足を意味する。烏京の眼力をもってすれば、どこを踏むか予測するのは造作もない。
そして、烏京はこの好機を最大限に利用した。
あえて前に出ることで洋の混乱に拍車を駆け、甘い一撃を引き出すとともに、勢いを乗せた一撃を、足に打ち込むことに成功したのだ。
「……ともあれ、これで決着だな」
雁那に促されるように、立会人の忍野が洋に近づく。
「洋殿。まだ続けられますか」
「おいおい。まだ倒れてもねーだろ」
洋は、いつものように片目を閉じてみせる。
その額に浮かぶ脂汗を、忍野は無言で確認した。
右に体重を寄せた立ち方からして、左脚が使えないのは明らかだ。かつて秘剣で与えた傷とはわけが違う。至近で膝を撃ち抜く徹底ぶりは、忍野と烏京の違いでもある。
だが、洋の顔に虚勢はない。それも事実だ。
「オレの師匠は隻脚だぜ。
片足で戦う方法くらい教わってる。下がってな、忍野」
「おまえに泳ぎ一つ教えられなかった、無能な師か」
「いや、まったくだぜ」
烏京の横やりに、洋は白い歯をこぼす。
「あのジジイ、オレが泳げねえと見切るや、海を脅しの道具にしやがった。
『魚々島は海で命を賭ける。おまえも船で命を賭けろ』つってよ。
トラウマ抉られまくりで、もう一生泳げる気がしねえ」
烏京は息を呑んだ。
片足を潰され、勝ち目のない状況下で、継戦を選ぶ。
そんな悲壮さは微塵もない。これから戦に出るような顔ではないか。
シュルルル……ル。
巻き戻る《鮫貝》の白線が、2メートルを余して止まった。
掲げた洋の腕に誘われ、頭上で回り始める。
速度を上げる──唸りを上げる。
「魚々島を出る時、その師匠が言ったんだよ。
『おまえは陸一番の魚々島になれ』ってな──」
凄みを増す風切り音が、風雲急を告げた。




