【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の四
「飛び道具特化の松羽流──驚いたね。
暗殺型かと思ったら、まさかの正面対応の流儀だ」
野の獣のように烏京を見据えながら、洋が動く。
砂利を鳴かせぬ滑らかな足取りで、ゆっくりと、烏京を中心に輪を描く。
「射程で投げに勝てる武器はねえ。
相手は突っ込むしかないが、呼び込まれた攻撃は単調になる。
そこにカウンターの《独楽打ち》だ。オレもまんまとハメられた。
相手の勢いを利用すりゃ、投げの威力も底上げできるしな。
ま、さっきの一発は、それ抜きでも必殺だろうが」
先の回避は、《鮫貝》の長射程あってこそだ。
刀の間合いなら避けられなかった。忍野も選抜では苦しめられたに違いない。
「かといって弾切れは待てねえ。石は無限に転がってる。
となれば足で追いつくか、遠間で投げ勝つしかねえわけだが……」
「《陸亀》の豚に、後れをとるオレではない」
にべもなく断ずる烏京。
洋の動きに合わせ、こちらも緩やかに位置を変えていく。
舞台は京都御苑の砂利道である。道幅は約20メートル。道の傍には松や桜の木立が植えられた広い空間があるが、申し合わせにより、そこは場外となる。
周り込む洋の狙いは、その場外を烏京に背負わせることだ。
退路を塞げば、追手が優位になる。単純な道理だが、そこは烏京も心得たもの。10メートルを維持したまま、同極の磁石のように洋と道際から離れていく。
突如──洋が加速した。
道際を避けた流れから、烏京はまっすぐ後退せず、左方向へ向かう。洋も左に向きを変え、道なりに平行線を描いて追いすがる。
「何だ?……あのブタ、さっきより速くねーか?」
洋に背を向け、烏京はすでに全力疾走である。にも関わらず、二人の距離は次第に縮んでいく。洋のスピードが明らかに増している。
「あれでしょあれ」
たつきに指さされ、浪馬は目線を地に落とす。
快調に追う洋の足下に、一本の線が浮かんでいた。
幅20センチ程の線上、そこにだけ砂利が存在しない。思えば、石を蹴る烏京の足音に対し、洋のそれは無音に近い。
通称《御所の細道》。近隣の自転車往来で刻まれた、天然の轍である。
御苑の道沿いに延々と続くこの一本道を、洋は目ざとく利用したのだ。
細道が引かれているのは道の中央。道際を嫌う烏京の真横に並べば、彼我の距離は7メートルに迫る。《鮫貝》の有効射程範囲だ。
梟を思わせる仕草で、烏京が小首を傾げた。
ここまで、何度か見た仕草だ。おそらくはあれで、後方の状況を把握している。
反転して放つ《独楽打ち》の精度がその証拠だ。猛禽の視力と草食系の周辺視がなければ、あんな芸当はできない。死角はないと思うべきだろう。
松羽 烏京の強みは、どうやらその目にあるらしい。
分析しながら、洋はさらに速度を上げた。
ついに、二人が並んだ。
烏京は足を止めない。
細道が使えるのはここまでだ。洋から仕掛けるしかない。
「行っくぜ」
《鮫貝》から白刃が迸った。
《アゴ打ち》──しかし、狙いは烏京ではない。
その前方、腰の高さで、烏京の走路を遮る角度だ。
烏京が眉根を寄せるのを感じた。
無理なく停止できる速度は、とうに越えている。
さあ、どう出る。
洋は、《鮫貝》を握る指に力を込めた。
潜るか。跳ぶか。また《独楽打ち》か。
間髪入れず、烏京のつま先が砂利道に突き立った。
杭のように長躯を伸ばす。後方にのけ反る。身を捩る。
《独楽打ち》──後ろにも使えんのかよ。
左右の《独楽》との違いは、方向転換でなく急停止という点か。
ジャイロ効果で斜めの角度を維持したまま、周回した左腕が向かってくる。
アンダースローの常識を覆す、超威力の一撃を秘めた左が。
「打たせるかってーの」
烏京の進路を塞ぐ白線がわずかに引かれた。
親指で白線の根元を圧し潰す。白線の先まで緊張が伝わり、屹立する。
《アゴ》から派生する変化技。
かつて自身の喉を抉った技に、忍野は思わず息を詰めた。
洋の操作で自在に硬直する白線は、瞬間的に槍として機能する。
《鮫貝》を鞭や鎖の類とあなどった者に、この洗礼は避けられない。
白線の尖端が角度を変え、烏京の喉に狙いを定める。
向きを転じた《鮫貝》に対し、《独楽打ち》は反転半ばだ。
コマはその軸を打てば回転を狂わせる。玩具も技もその点は変わらない。
「──《鬼頭魚》」
白線が闇を貫き、烏京の喉に突き刺さる。
その、寸前に。
鋭い破裂音を発して、白線が跳ね上がった。
への字に折れたそれが、瀕死の蛇のように宙でのたうつ。その尖端は、当然ながら烏京まで届かない。
こいつ……とっさに《竈門打ち》に切り替えやがった……!
理解と戦慄が、落雷のように脳髄を叩く。
手首を用いる《竈門打ち》なら、回転状況は関係ない。威力は落ちるが、烏京がの狙ったのは《鮫貝》の白線だ。そして、本物の測定器同様、白線は横からの衝撃には極めて弱い。
「──お兄ちゃん!」
思いがけない蓮葉の声が、洋を戦いに引き戻した。
烏京の回転は止まらない。
迎撃を終え、遠ざかる左に代わり、渾身の右が立ち昇る。
肩越しの裏拳から放たれる、遠心力の粋。
「……《独楽打ち・二連》」
闇を螺旋に引き裂いた魔弾が、洋の眉間を貫いた。
「うおっ……死んだろ、あれ」
「あんた、ホント目が悪いわね。眼鏡かけたら?」
「るっせ! 田舎の澄んだ空気で育った奴と一緒にすンなよ」
「だっだだ、誰が田舎者よ!」「図星すぎンだろ」
小さな場外乱闘を耳にして、洋は表情を取り戻した。
額から鼻梁へと、熱い血がしたたり落ちる。
正しくは額を庇った左掌と、それを貫いた傷口から。
《鮫貝》を回収しながら、洋は左手に刺さったそれを確認する。
「外野でケンカしてんじゃねぇよ、おまえら。
これでも見て、ちったぁ静かにしろ」
引き抜いて、投げつける。受け止めた浪馬の手を、一同が覗き込む。
「こりゃあ一体…………なンだ?」
血に塗れたそれは、細く、奇妙なオブジェだった。
材料は玉砂利。粒を揃え、中指程の棒状に固められている。砂利を繋ぐ黄色い物質は、パテか接着剤のようだ。形状と重みは単三電池を思わせる。
「棒手裏剣ならぬ、石手裏剣か」
巨漢の肩の上から、少女がつぶやいた。声は意外に低い。
「この黄色いのは?」
「松脂でしょ。匂いがそうだし。
ただの松脂じゃなさそうだけど」
「ちょっと待て。
あいつ、石だけで戦うとか言ってたよな」
「……加工しないとは言っていない」
全員の注視の中、悪びれもせず言ってのけた烏京に、一人が吹き出した。
洋である。他ならぬ当事者が、むせ返るほど爆笑している。
「豚め……何がおかしい?」
「いやぁ、悪い悪い。
おまえさんの真顔が、ちょっとツボに入っちまって」
殺意を帯びる烏京に、洋はようやく笑うのをやめた。
「これだけでも確かめた価値があったぜ。
口約束のハンデを、ここまでして守るとはね。
おまえさん、意外に律儀なんだな。忍者のくせに」
「──忍ではない。暗殺者だ」
「そうだった、そうだった」
「……今、確かめたと言ったな。
《独楽打ち》を受けたのは、わざとと言う意味か?」
「不安材料は、早目に潰しときたくてな」
片目を閉じて見せる洋。
「左手を潰してもか」
「オレの予定じゃ、相打ちのはずだったんだがな」
掌の傷を一舐めし、洋は続けた。
「初見の《シイラ》を破ったのは、おまえさんが初めてだ。
さすが、忍野が天才と認めるだけはある」
「誉めるな豚が。汚らわしい」
「そりゃーすんませんでしたっと」
茶化す洋を、忍野は奇妙な想いで見つめた。
《シイラ》を破られ、左手を潰された。洋の劣勢は明らかだ。
けれど今。洋は明らかに本気で笑っている。
今しも致命撃を放った敵に、屈託なく話しかけ、近づいていく。
数多くの輩を知る忍野だが、こんな男は見たことがない。
「もう一つ。わかったことがあるぜ、烏京」
「豚が人の名を呼ぶな」
「まあ聞けって。
おまえさんの投げに関わる秘密だ」
教鞭のように《鮫貝》を伸ばしながら、洋は烏京に説明を始めた。




