【開幕】《神風天覧試合》、始まりの儀 其の三
「やれやれ、京都に着く前からこれだ」
洋と蓮葉、魚々島と畔の兄妹が出場権を勝ち取った《神風天覧試合》。その開催式が今日だと、二人を試した忍野から報されたのは数日前のことだった。
場所は京都御所。集合時刻は丑三つ時、つまり午前二時だ。
集合に遅れれば、どんなペナルティがあるかわからない。十分過ぎる余裕をもって、二人は前日の午前中に出発した。
行先は天下の京都である。時間があれば観光地を回ればいい。蓮葉がいるので人の多い場所は避けたいが、掃いて捨てるほど見所があるのが京都だ。知られざる名所を探して散策するのも悪くない──そんな考えでいた洋だが、早くも見通しの甘さを思い知らされた。
今更、駅には戻れない。通報されていたら面倒だ。
やはり特急に乗るべきだったか。指定席を選べば、おかしな人種と関わることなく京都に到着できたはずだ。
だが、もし敵に襲われた場合には、特急の方が選択肢は少なくなる。いざという時に逃げ場のない乗り物は、可能な限り避けるべきというのが洋の持論だった。
それに収穫もあった。衆人環視の中でも、洋の制止で蓮葉は止められる。そうでなければ痴漢はおろか、車内は血の惨劇と化していたはずだ。蓮葉という怪物の鎖は、確かに洋の手に握られている。
──何故、それが自分なのか。
これもドロ婆に聞きそびれた謎の一つだった。
兄というだけでは納得しづらい。にわか仕立ての兄妹ではなおのことだ。
「……いや、怒ってんじゃねーぜ?」
不思議そうに自分を見つめる蓮葉に気付き、洋は慌てて歩き始めた。
高槻駅は大阪・京都間では最大級のターミナルである。JRの他に阪急線の高槻市駅もあり、二本の線路に挟まれた区域に繁華街が詰め込まれている。
高架歩道を南に渡り、人の多い繁華街を避けて、二人は広い道を進み始めた。けやき大通りという名前らしい。
「どうにもトラブルを呼び込むよな、おまえは。
……いや、オレもか。オレらは、だな」
「蓮葉も、お兄ちゃんも、二人とも」
洋の言葉に、蓮葉が大きくうなずく。二人セットなのが嬉しいらしい。
「この服が悪かったかな」
「服、おかしい?」
「おかしくない。むしろ似合いすぎた」
「?」
今日の蓮葉のOLスタイルは、開催式のドレスコードを意識したものだ。案内には指定はなかったが、自分はともかく妹に恥はかかせたくない兄心で、洋が不慣れながら調達してきた。お気に入りのサンダルがパンプスになることに抗議した蓮葉も、着替えとともに持っていくことで納得させた。洋も同じ店でスーツを揃えようとしたが、特注サイズの在庫がなかったのは余談である。
「美人過ぎるってのも考えものって話だよ」
声に出して言ってやるが、蓮葉はきょとんとしている。
トラブルを想定して地味にしたつもりだが、それでもあの手合いが寄ってくる。美人は何を着ても似合うというが、とかく目立ちすぎるのは問題だった。畔の女はみな容姿端麗だが、その手のトラブルは聞いたことがない。おそらくはドロ婆のように変装に長けているのだろうが、蓮葉には期待できない。
洋は腕組みした。
ドロ婆との密談は、蓮葉に話していない。口止めされたわけではないが、言える気がしなかった。会ったことも秘密にしておくべきだ。多少心苦しいが、まずは洋自身が真実を知る必要がある。
けやき大通りは、ほどなく大きな交差点を迎えた。
巨大なキャンピングカーが、洋の前を通過していく。移動のトラブルは解決するには、あれもいいかもしれない。
「これが171号線だな。曲がって北に向かえば、京都につく。
時間はあるし、ちょいと歩いていくか。いいよな蓮葉?」
スマホで調べる洋に、蓮葉が頷いた。マップが示す京都までの距離は20キロを越えるが、聞くまでもなく答えはイエスだ。蓮葉の信頼は盲目的でさえある。
それでも、洋がその提案を口にするには、勇気を必要とした。
「──蓮葉。京都に行く前に、話しておきたいことがあんだ」
国道沿いの店に目を奪われていた蓮葉が、洋を見た。
「《天覧試合》の形式は毎回変わるんで、以前の情報はあてにならない。
ただ、ずっと変わらない部分もある。
優勝者が《神風》になり、もう一人の《神風》を選ぶってのが、それだ。
つまり優勝者と、そいつが選んだもう一人が《神風》になる。
魚々島と畔が組んで来たのは、このルールがあるからだ。
協力して闘い、優勝した方がもう一人を《神風》に選ぶ。
魚々島と畔の長い関係の中で、これが破られたことは一度もない」
蓮葉はきょとんとした表情だ。洋は続けた。
「蓮葉、おまえはオレより強い。ちいと悔しいがな。
だからオレは、おまえのサポートに回る。おまえの優勝のために動く。
確実に《神風》を狙うなら、これが一番だとオレは思う」
蓮葉が、目を見開いた。
「お兄ちゃんは……勝ちたくないの?」
「そりゃあ勝ちたいさ。オレはこう見えて負けず嫌いなんだぜ?
ただ、オレには陸に上がった目的がある。
死んだ兄貴の情報を探してるんだ。《神風》になれば、それが手に入る。
試合で勝たなくても、《神風》になれれば、オレはそれでいい」
「お兄ちゃん……の、お兄ちゃん」
「そうだよ。おまえの兄貴でもある。
名前は航。魚々島最強って言われてたよ。
まあ、陸で死んじまったんだけどな。生きてりゃ、きっと……」
喉が錆びついたように、言葉がそこで止まった。
我ながら驚いた。慌てて蓮葉から目を逸らす。
「……それより、どうなんだ。
おまえが優勝したら、オレを選ぶって約束できるか?
できるなら、オレはおまえのサポートに徹する」
「大丈夫」
即答する少女に、洋はあっけに取られた。
「いや、大丈夫って……おまえな」
「蓮葉は、大丈夫だから。一人でも、勝つから。
だから、お兄ちゃんも、ちゃんと戦って、勝って」
洋は言葉を失った。
「それで、二人で、《神風》なる。それがいい……蓮葉は、そう思う」
「……ははっ」
何の気負いもなく、そう言い切られ、乾いた笑いが漏れる。
言われてみれば、蓮葉が正しいのかもしれない。洋が闘わず白旗を上げる相手にサポートが必要だろうか? 必要なのは《失敗作》故のフォローだけで、それは洋の勝負と何の関係もない。
何より、ここまで来て、蓮葉の信頼を疑うとは。
蓮葉が他の誰を選ぶというのか。一分前の自分を殴りたくなった。
「じゃあ、お前が勝ったら、オレを《神風》に選ぶんだな?」
「うん」
「ちゃんと憶えとけよ。おまえはすぐ忘れるからな」
「うん!」
洋は晴れ晴れとした顔で、蒼穹を見上げた。
「よーし。景気づけに、京都でスイーツでも食ってくか。
和菓子とか甘味処とか、すげー名店がありそーじゃねーか」
「ほんと!?」
春の陽気の中、蓮葉との道行きを楽しむと決めた。




