【序幕】選抜、畔 蓮葉 其の二
「どうだったよ。大阪の魚は?」
夕食の後、洋と忍野は外へ散歩に出た。
蓮葉はシャワーを口実に置いてきた。内密で話をするなら敷地で十分だが、畔の超感覚を用心する、忍野の主張を受けた恰好だ。
スタンドの前を横切る堤防を登り、河川敷の歩道を歩き出す。
春とはいえ夜風はまだ冷たい。桜の開花はもう少し先だろう。
「御馳走でした。感謝いたします」
「そうだろ、そうだろ」
満足そうに洋がうなずく。
戦いの後、ゆっくりと話をするのはこれが初めてだ。
帰路は忍野の疲弊が激しすぎ、蓮葉への口止めを聞いたのみだった。台所でも食卓でも、蓮葉がいる場では無論、肝心な話はできない。舌の回転には定評のある洋も口数は減り、量は圧倒的ながら自然と早飯になった。
「ま、サラダはちょっとアレだったけどよ」
洋の苦笑は、妹に向けられたものだ。
あの後、蓮葉は唐突に料理を手伝うと言い出した。蓮葉に料理が出来るなど、洋も初耳だ。ひとまずサラダを任せると、キッチンバサミ一つで見事な飾り切りを披露した。盛り付けも彩りも完璧な、食べるには惜しい出来栄えだったが、味は壊滅的。二重の意味で箸の伸びない一品だった。
「ありゃあ芸術だが、料理じゃねえな」
「おそらくは初めて料理したものだと」
「かもしれねぇな。まったく困った妹だよ」
肩をすくめる洋の背中は、どこか嬉しそうだ。
「実は、私にも妹がおります」
「へぇ。あんたに似て美人なんだろうな」
「身内ながら器量については申し分ないかと。多少変わり者ですが」
「うちの妹ほどじゃないだろ」
「方向は異なれど、よい勝負かと思われます」
「そりゃヤベーな。一度会ってみたいもんだ」
「いずれその機会もあろうかと。名は八海と申します」
「そりゃ楽しみだ。
その八海ちゃんも、あんたと同じ体質なのかい?」
「《白銀さま》を宿す身、という意味では左様です」
「シロガネ? 傷口から出てた糸のことか」
「我ら空木の民の不死性は、《白銀さま》のご加護に依るものです」
真実は不明だが、空木に残る伝承では、彼らはかぐや姫を迎えに来た眷属の末裔だという。その体内には蚕に似た無数の寄生虫が宿り、宿主の危機には極細の糸を吐いて傷を塞ぎ、復元させてしまう。手足が千切れようとも有効なのは、昼の仕合いで目したばかりだ。
「ん? ならなんで心臓が弱点なんだ?」
「あれは洋殿の覚悟を促すための方便。謀った旨、まことに申し訳ない」
「マジかよ。首を落とせばってのもウソか」
「然り。《白銀さま》が繋ぎ合わせれば甦ります」
「マジモンの不死身じゃねーか。何だよ、すっかり騙されちまったぜ」
「そうでもありませぬ故、お伝えした次第」
洋は、神妙な顔になった忍野を見つめ返した。
「……ここで本題、ってわけか」
「選抜に向け、《畔》宗家を訪ねた日のことです。
《神風⦆候補に蓮葉殿を推挙された際、不可解な提言を受けました。
曰く、『選抜試合には、必ず魚々島 洋を立ち会わせること』」
「……オレを?」
「私は《天覧試合》の立会人です。
候補者を選ぶ立場であり、いかなる条件も受ける謂れはありません。
ですがその方は、『おまえのために言うのだ』と譲られず。
思案の末、洋殿の選抜を済ませた後、打ち明けた次第です」
「言ったのは、《ドロ婆》か?」
「そのように呼ばれているとお聞きしました」
「だと思ったぜ」
畔 濘。通称《ドロ婆》は畔の最古参で、渉外の顔役である。
陸に上がる際に世話になった洋には、もっともなじみの深い《畔》だ。
「オレを立ち会わせろ、ねえ」
その理由には心当たりがある。懸念といってもいい。
「……何でだと思う?」
「わかりません。
ですが、ドロ婆殿はこうも言っておられました」
吹き抜ける夜風の中、忍野は言葉を続けた。
「『蓮葉は危険』だと。
『畔の最高傑作にして、失敗作』だと──」
「引き受けてもいいが、一つ条件がある」
しばしの沈黙の後、洋が言った。
「と、言われますと」
「オレの兄貴──先代《神風》だった魚々島 航の情報が欲しい。
兄貴が死んだのは、《神風》の任務中だったって話だ」
「《神風》に関する情報は、全て機密として扱われます」
「……だよな」
取り付く島もない拒否だが、洋に落胆はない。元より駄目元の提案だ。
「ま、条件ってのは冗談だ。
蓮葉があんたとモメればオレも困る。喜んで立ち合わせてもらうぜ」
「──ありがとうございます」
闇の向こうで、忍野が胸を撫でおろすのが窺えた。
「それじゃ、そろそろ戻るか。蓮葉に気付かれたら面倒だ」
家にいないとわかれば、裸で飛び出しかねない。
「洋殿」
河川敷の道を引き返す洋を、ふいに忍野が呼び止めた。
「《神風》の情報は全て機密扱い。
ですが、そこに航殿の情報が含まれることはお約束します。
《神風》になれば、それら全てに触れることが許されることも」
「……ありがとよ」
洋は振り返らない。堤下の街灯の薄明りに、丸い影を浮かべたままだ。
「ところで、蓮葉殿にこの話は?」
「そういや、してないな。いつか話してやるか」
大きく伸びをすると、洋は再び歩き始めた。
「おまえにはもう一人、兄貴がいたってな。
クラゲみたいに掴みどころのない、最強の兄貴が──」




