5月22日(火) SD14年:金策
季節柄か、帰宅途中に良い感じに死にかけのカナブンがいた。
普段の僕だったら持ち帰ってアリの餌にするところだったけど、今日はそんなことを気にしている場合ではなかった。冷や汗をかきながら自宅に転がり込む。
現在の時刻は夕方5時ちょっと過ぎ。
いつもならまだ加速状態が続いている異世界を外側から眺めて大きな変化がないか目視確認し、買ってきたコンビニ弁当か半額シールのついたお惣菜のパックを開けて晩御飯を手軽に済まし、パソコンを立ち上げていまかいまかとガラスケースの前で待っているのだけど、今日は違う。それどころではなかった。
ポケットから財布を取り出し、その中身を確認する。
千円札が2枚、百円硬貨が7枚、10円硬貨が2枚に1円玉3枚。しめて2,723円也。
これが今の僕の全財産であった。
そろそろヤバイかな、と思いつつも、異世界観察が楽しすぎてあまり注意していなかったのだが、さすがに露骨に金欠になってきた。冷や汗が止まらない。
今朝、自宅を出た時に大家さんにたまたま出会ったため、挨拶と雑談ついでにその場で来月の家賃を納めてしまおうと財布を取りだしたところ、そのあまりの中身の少なさに絶望したのだ。
安アパートで学生割引が効いていたため、その場は何とか支払えたが、残りの金額が3,000円を切っていたため、今日一日過ごすにも気が気ではなかった。お金に余裕がなくなると心の余裕もなくなるらしい。
実家からの仕送りは月末にもらえるはずだが、十分な金額ではないし、あと1週間持つ気がしない。
このままだと飢え死にしてしまう。原因などわかりきっている。
本来は、仕送りだけでなくバイトをしてお金を工面する予定だったのだが、その予定が初日で崩れたのが全ての問題の根本だった。
異世界の観察を優先させたいがためにバイトの面接を後回しにし、学業を除くすべての時間をガラスケースの前に注ぎ込み、家計管理も貯金の増資も全て怠った結果がこの惨状である。わかりやすい自業自得であった。
そして収入がないところに、異世界のために様々な物資の調達を優先させたため、支出が多かった。毎回お供え物交換で出すマシュマロ代は意外と重い。塩だって頻繁に買ってればお金が目減りする。あまつさえサクラ国の住人のためという名目で24時間常夜灯点けっぱなしにしてるのだ。電気代だってバカにできない。
というわけで、今の僕は人生最大のピンチだった。一人暮らしを始めてたった一か月でコレである。あまりに酷過ぎて先が思いやられる。
……ということを笑い話風にリュウに愚痴ったら、本気で心配された。
「……やっぱりお金は必要なんですね。気づきませんでした」
リュウは成長した赤ん坊を少し重そうに何度も抱えなおしながら僕の情けない話を聞いてくれた。
ちなみにセルゲイネス氏は今日も来ていた。僕が困っているという話をしたところ「おお、私めにお手伝いできることなら何でもおっしゃってほしいですぞ!」と意気揚々と胸を叩いたくせに、僕がスマホを取り出したらあっさりそちらへ飛びついていった。現金な人である。
まあ異世界人に地球でのお金稼ぎの方法を相談しても仕方がないのは事実である。僕は力なく笑いながらリュウに現状を嘆いていた。
「その、やはり人神様の金銭的な負担が大きかったのでしょうか? 私たちからすると年に1回ですが、人神様からすれば毎日ですし……」
僕のことを体が巨大なだけの一般人だと理解しているリュウだからこその発想だろう。普通に心配してくれた。
しかしその心配が過剰な気がする。ずっとオロオロして申し訳なさそうにしている。何か勘違いがあるような気がして確認してみた。
異世界のために支払った金額は大したことないよ。もちろん全く影響がなかったわけでもないけど。
「そうなのですか? ですが、毎年あれだけたくさんのマシューや塩を頂いておりますし、やはりご負担が大きかったのではないかと……父も疑問に思っておりました」
負担というほどのものではないけどね。一番の問題は僕がこっちの世界でまじめにお金稼ぎしてなかったことだし、全部僕の責任。リュウたちの責任は全くないよ。
「ですが……」
しばらくこうやって、やたら申し訳なさそうに頭を下げるリュウとそんなに畏まらないでいいよと笑って否定する僕のやり取りが続いていたけれど、理由はすぐにわかった。
僕にとっては食後のおつまみ程度の量のマシュマロと塩であっても、リュウたち異世界人にとっては、国家財政を担うほどの財源であるマシューと塩なのだ。その認識の違いがあったようだった。
そのことを指摘すると、リュウは一回驚いた後に笑いあった。
「そういえば、人神様の世界はなんでも巨大なんでしたね。生まれてからずっと関わってきたつもりなのに、まだ理解が足らなかったみたいです」
僕もアハハと笑った。やはり世界が違う者同士、常識のすれ違いは絶えないようだとこの時知った。
だから僕は軽い口調で、まあこうやってもっとたくさんお話ししてれば相互理解は深まっていくだろうね、と同意を求めると、リュウは手短に「そうですね」とだけ返した。
そしてリュウはすぐに僕の財布事情の話題に戻した。曰く、お金が無くなっても大丈夫なのか、と。
大丈夫じゃないね、と僕が返事をすると、リュウの顔が真っ青になった。
「え、じゃあ人神様はいったいどうしてそんなに落ち着いて……」
いやー、あまり落ち着いてもいられないけどね。お金が本当になくなったら実家に強制送還だろうし、その場合、このガラスケースをどう処理したらいいのかわからない。下手に動かしたらサクラ国のみんなにも大災害になっちゃうだろうし、何とか急いでお金を作らないとマズイね。
「え、あ……なるほど。そうなんですか」
リュウはあからさまにホッとした口調で、僕に同意した。なんでホッとされたのか全くわからないので疑問に思った。金欠問題は何も解決されていないのに。
「それで……お金がなくなったら問題は、人神様がご実家に帰られる、ということだけですか?」
いや、さっきも言った通り、ガラスケースを動かすわけにはいかないから、実家に強制送還されたら大問題なんだけどね。
実際、問題があると思う。ガラスケースは大きすぎて持ち上げることはもちろんわずかに動かすこともできないが、もし仮に異世界に繋がったまま動かすことができたら、どんな災害になるかわからない。
仮にガラスケースを1㎜持ち上げて、うっかり落としたとしよう。異世界人の身長から推測しておよそ100分の1の世界であると仮定した場合、異世界の地面は10㎝落下することになる。
震度6強の直下型大地震の発生だ、ひとたまりもないだろう。もちろん落とさずとも、そっと地面に置けなければ同じことが常に起こることとなる。安アパートから出すだけで異世界が4,5回は滅んでしまいそうだ。
それに、僕と澤田以外の人には異世界を見せたくないという事情もある。お金は必要なのだ。僕は懇切丁寧にリュウに説明した。
「わかりました、人神様の世界でもお金は大事なのですね……では、どうしたらお金を稼げるのですか? 私たちに何かお手伝いはできますか?」
僕は「お手伝い」という単語に思わず吹き出してしまった。地球での金策に小さすぎる異世界人は何の役にも立たない。
まあ、稼げる手段はなくはないのだけど、それは使えない手段だ。だから僕は端的に答える。バイトやんなきゃかなぁ、と。
「ばいと、ですか……?」
短期の仕事のお手伝いだよ、とバイトのことを説明した。イメージで伝えようとすると真っ先にコンビニ店員のバイトを彷彿したので、それで説明する。
リュウが何とも言えない微妙な表情になって、僕の説明を聞いていた。
「このばいとというのを、人神様がやるのですか……」
まあ僕のような苦学生は必ず通る道だね……。
僕は情けなく肯定する。なんにせよお金は大事である。
リュウはバイトというものがいまいち理解できないのか、それとも僕がこんな使いっ走りみたいなことをするのが不満なのか、唇を尖らせていた。
「人神様がこんなことをせずとも……」
こんなこともしなきゃいけないんだよね、働かないと食ってけないのよ。
「それは、そうですけど……」
何が不満なのか妙につっかかってくる。自らの国の崇める神が、神の世界ではただの小間使いなのが気に食わないのだろうか。
しかしやらないわけにもいかない。僕にも生活がある。ただ、バイトをするにあたり問題があって、その相談は必要だった。
僕がバイトをし始めると、異世界との交流する時間が大幅に削られることになる。バイトの種類にもよるが、最低でも4時間は減ることになるだろう。
そうなると他の細々としたことを考慮すると、異世界との交流時間はわずか1時間程度になるだろう。ほぼお互いの近況報告のみになってしまう。
そのことをリュウに伝えると、急にリュウが慌て始めた。
「ひ、人神様の加護がなくなってしまうのですか? そうしたら私は……いえ、私たちサクラ国はどうしたら……」
全くなくなるわけじゃないけどね。ただ、僕からできることがすごく減るのは事実かもしれない。
僕は素直に謝罪する。今までこっちから多大なちょっかいをかけてきたのに、ここにきて放り投げることになってしまう。そのことがどうにも申し訳ない。
クロオオアリ変種のこともある。観察対象は基本的に自助努力で生活すべきだと考えているが、この異世界に関しては別である。リュウと同じで僕も心配でならない。
しかし金がなければ僕自身が生活できなくなるという切実な事情は山より高く、特別な能力のない自分が金を稼ぐには単純労働に時間をかけるしかないという現実は海よりも深かった。どうしようもないのである。
「私たちがなにかお手伝いできれば良かったのですが……いつもお世話になってるのに何もお返しができず、申し訳ないです」
僕は笑う。いくら仲良くさせてもらっているとはいえ、観察対象にそんなことを言われるとは思わなかった。ちょっと嬉しい。
僕は気にしないでいいよと言いつつ、交流時間が減る事の対策をいろいろ協議しあう。問題発生がしたらすぐ相談することと、問題対策はその場ですぐにはできず次の日に回すことがとりあえずこの時は決まった。
途中何度か赤ん坊をあやしつつ、リュウと僕は密に相談した。やはり問題に対して一緒に解決しようとすると話が良く進む。
スマホの虫と化したセルゲイネス氏は全く役に立たないため、完全に無視して話を進めていた。一通り相談が済むと、リュウは寂しそうに独りごちた。
「……人神様が大変そうなのに、何の力にもなれず……」
気にしないでいいって。ずっと気落ちしているリュウに僕は何度も慰める。
言っちゃ悪いが、異世界人に金稼ぎを手伝ってもらおうと考えたことはない。実はお金を稼ぐだけなら簡単なのだ。異世界のことを外部に漏らせばいくらでも金を稼ぎ放題だろうけれど、それは誰にとっても幸せにならない。
時間が余ったので、ダンジョンの様子やサクラ国の周辺の様子を聞いていた。
すると一仕事終わったのか、セルゲイネス氏が珍しくこっちにやってきた。
「人神様、いつもありがとうですぞ。おかげで今回も勉強になりました」
それは別にいいけど、今日はどうしたの? いつもは時間ギリギリになってもスマホにへばりついてるのに。
僕がちょっと茶化して言うと、セルゲイネス氏はホッホッホと好々爺然と笑った。
「いやー、確かにいんたーねっとの加護は素晴らしいのですが、やはり人神様に直接お話を聞いた方が理解が進むのですぞ。もしよろしければ、このサインコサインという三角関数についてご質問させていただいてよろしいでしょうか?」
僕はいいよと受け入れつつ、軽く冷や汗を流した。セルゲイネス氏の学力の向上度が早すぎる。
昨日まで余裕で理解できる中学生レベルだったのに、今回の質問はちょっと苦手な高校生レベルの数学と物理学だった。このペースだと明日はどうなってしまうのだろうか。
しかし、それはそれとして言うことがあった。明日からバイトをするのであまり時間が取れなくなるだろうということと、そうするとサクラ国の相談で手一杯になってしまいセルゲイネス氏へ割ける時間がなくなるだろうということだった。
こっそり質問回避できることを内心で喜んでいたことは内緒である。僕に時間的余裕がなくなることを伝えると、セルゲイネス氏も大仰に嘆きだした。
「そんな、そんなことになったら私はどうやって神の理を学べば良いというのですか!?」
いや、引き続きスマホは使っていいから、それで何とか検索してもらって……。
「それでは足りないのですぞ! 昨年、人神様のおかげで私の理解は10年以上進んだというのに、それはあまりにも殺生な!!」
ま、まあ落ち着いて落ち着いて……。
意思疎通の魔法であってもわかるくらいの大声でセルゲイネス氏は嘆いていた。リュウも仕方ないなぁという表情で小さく笑っていた。
しかし笑いごとでは済まなくなった。リュウの腕に抱かれた赤子が、セルゲイネス氏の大声に怯えたのか、急に大声で泣きだしたのである。
赤ん坊の泣き声というのはどうしてこうも威力があるのか。サイズ差が大きすぎて異世界人の声がほぼ聞こえないはずなのに、赤ん坊の泣き声だけはなぜか聞こえるような気がする。生物としての本能だろうか。
「おおお、す、すみませんですぞ。おーよしよし、怖くないよー」
「だ、大丈夫です。ほーら、怖くないよー。よーしよし……」
赤ん坊というのは得なものである。先ほどまで自分勝手に嘆いていたセルゲイネス氏も必死になって赤ん坊をあやしていた。リュウも片手でやりづらそうに泣き止ませようとしていた。
僕も見てるだけというわけにもいかず、何か泣き止ませる方法を考える。特に良い方法が思いつかず、以前使った方法を再度試してみた。
耳かきの先端のフワフワをリュウの腕の中にいる赤ん坊に触らせる。顔どころか体中を触ってくるフワフワに、赤ん坊はビックリしつつ触りだした。
「おお、さすが人神様ですぞ! これは以前にも見たことがありますが、一体何なのですか?」
「……」
これは耳かきの柔らかい方で……と僕が説明している間、リュウが何か考えているようだった。ちょっと気になる。
フワフワに両手を伸ばして喜んでいる赤ん坊を抱きかかえながら、リュウはある提案をしてきた。
「……もしかしたら、人神様の世界で私たちの道具が売れたりとかしませんか?」
……一体何の話?
僕が質問をすると、リュウは順序だてて説明をしてくれた。
「私たちの世界では、人神様から頂いたものはどれもすさまじいほどの価値があります。マシューも、塩もそうですし、あの透明な外壁やサクラ国の象徴も今ではどれもとても価値があります。このフワフワのように、人神様のものは異世界ではなんであれとても高価です」
まあ大きさが違うからかな?
「そうかもしれません。ですが、こうも考えられませんか? 違う世界の物品だから価値が高いんじゃないか、と。もしかしたら、私たちの世界にある物でも、人神様の世界では価値がある物があるのではないでしょうか?」
異世界の物品だって?
僕は素っ頓狂な声をあげつつ、納得できるところもあった。案として悪くない。
異世界の品物だ、とするのではなく、異常に小さい面白道具という名目にすれば、その手のモノが好きな人はきっと買うだろう。小指サイズの洋服ダンスや手術用メスより小さな両手剣なんて欲しい人からすれば垂涎の代物だと思う。
売り方なんてネット時代のこのご時世、様々な手段がある。金策手段としては悪くないと思った。
僕がそういうと、リュウは嬉しそうにさらに提案してくれた。
「そうとなれば話は早いです! 私たちの世界で人神様にも喜んでいただけそうな物を用意しますね。そうすれば、人神様にもお金ができて、今まで通りにしていただけますよね?」
まあそうなるかな、全部うまくいけば、だけど……。
少し悩みつつも、僕は間違いなくうまくいくだろうなと確信していた。どう考えても珍品揃いである異世界品の極小物品をいくらでも提供できるわけだ。
今までスレイプニル用の野菜しかもらってなかったけど、ついでに何か一つ二つもらえばそれを売ればいい。値段を吊り上げるのは僕の仕事だ。
僕の喜んでいる気持ちが伝わったのか、リュウもうれしそうに喜んでくれていた。僕は素直に感心する。よくそんなこと思いついたね、すごいよ。
リュウは一瞬目を丸くしつつ、目を伏せて自分の赤ん坊の額を撫でた。
「この子が人神様の出した物に大喜びした様子を見ていたら、この逆もあるんじゃないかなって思っただけです。私じゃなくてこの子のおかげですよ」
そうなんだ、じゃあ赤ちゃんに感謝しないとね。
僕がそういうと、リュウは少し寂しそうに「そうですね」と肯定した。
ちなみに、僕は試しに以前もらっていた爪楊枝みたいな大型槍をネットで出品してみた。
値段はかなり挑戦的な5,000円。この手の出品は初めてなのでドキドキする。うまく売れるだろうか。




