襲来、前編
ピンポーン。
僕がパソコンを打っていると、玄関からチャイムの音が鳴った。僕は少し驚いた。
リュウはもっと驚いていた。
『え、な、何の音ですか? すごい破裂音がしたんですけど……』
リュウにとってはチャイムの音が破裂音に聞こえるらしい。僕は笑って何の音なのかを教えて落ち着かせる。
『お客さんが来てるらしい。玄関のチャイムなんだけど、チャイムってわかる?』
『ベルのようなものでしょうか? それにしても凄い大きな音ですね、魔物の襲撃かと思いました』
『アハハ、魔物って……まあこんな時間に珍しいけど』
僕はパソコンの右下に表示されている時刻を見た。21時58分。宅配にしてはちょっと遅すぎる時間の気がする。
通販で何か頼んだっけかと首を捻りつつ、パソコンに書いていた観察日記の追記を上書き保存する。玄関へバタバタと走りよる。
男とはいえアパートの1人暮らし。しかも夜の来客だから一応警戒して、ドアスコープで来客相手を確認する。
モンスターがいた。
玄関前に立っているのがお仕着せの宅配員の制服ではなく、見慣れた人影だったことに気づいて僕はドアチェーンをかけた。さらには玄関のカギを即座に閉める。ガチャリ。
「え、おい、ちょっと! 今カギ閉めたでしょ!? どういうつもりだよなんで締め出すんだ早く開けろよ!」
ドンドンドン、とドアを叩く音がした。さすがに夜中だからか控えめなノック音だったが、静かな夜の町には十分な騒音だった。僕は冷や汗をかきながら、自分の部屋を見直した。
まずい。
僕の部屋には他人には見せられないモノが散乱していた。もちろんエッチな本などではない。
明らかに巨大な街のミニチュアが配置されている巨大なガラスケース。虫籠の中でのんびりダイコンもどきを食べている小型の馬。視界には映っていないけれど、小さい1人用の冷蔵庫の隅を占領している大量の小型野菜の数々。
そして何より、僕の方を不安そうに見つめる小さな女性の姿。どれもこれも他人には見せられない。こんな夜中に急な来客なんてないと油断していた。心の底から焦る。
「ちょ、ちょっと待ってよ! へ、部屋が散らかってるからさ! す、すぐ片付けるから少し外で待っててよ!」
「ん、引っ越してまだ1か月も経ってないのにもう散らかってんの? 何してんだよお前……」
呆れつつ「仕方ないから40秒で片づけな」とどこか聞いたことのあるセリフで許可をくれた。その偉そうな態度に反感を覚える余裕なんてなかった。急いで全てを隠さなければ。
巨大ガラスケースを真っ先になんとかする。常夜灯の明かりを消し、段ボール箱を引っ張り出す。異世界騒ぎで段ボール箱を片付けていなかったことが幸いした。段ボールで周りを覆って「まだ封を開けていないんでござい」という状況を作って無理やり隠す。
スレイプニルのいる虫籠を片付けるついでに、他の全ても隠そうと思った。冷蔵庫を開けられたら一発でバレてしまうため、野菜の数々をタオルで包んで虫籠と一緒に持ち上げる。箱の中のスレイプニルが振動に驚いて暴れているのが見えた。我慢してほしい。
『あの、どうしたんですか? お客様じゃないんですか?』
リュウが慌てふためく僕の姿に驚いたらしく、不安そうに声をかけてきた。僕は説明に窮し、とっさに嘘をついた。
『魔物が来たんだ! だからリュウは隠れていて!』
『え、魔物ですか!? でしたら私も微力ながらお手伝いします! 神様の世界の魔物に対抗できるかわからないですけど、少しくらいなら私だって……』
『気持ちは嬉しいけど大丈夫! 大人しくしてれば何もしないで帰ってくれる奴だから。それよりリュウたちが見つかる方がまずいんだ。だからここでスレイプニルと一緒に大人しくしてて、いいね!?』
リュウの返事も聞かず、僕はスレイプニルの虫籠の中にリュウをゆっくり入れ、そのままベッドの下に隠した。荷物が少ないとこういうとき隠し場所に困る。
少しでも見つかりづらいように、余っていた「衣服」と書かれた段ボール箱で虫籠を四方を囲んだ。真っ暗だけど我慢してほしい。僕は部屋の中が大丈夫か指差し確認をすると、息を整えてから玄関へと向かった。カギを開ける。
玄関ドアの前には、見慣れた顔があった。
「ガタンゴトンすごい音してたけど、夜中に何してんの? 近所迷惑だよ」
「原因のお前がそれを言いますか。これでも急いだんだよ、誰かさんのせいで」
「つうか寒いんですけど。早く入れてくれない?」
僕の文句を全く聞かず、家主である僕を押しのけてさっさと上がり込もうとする。図々しさの化身の後姿を見て、僕はため息をついた。
こいつの名前は澤田。数少ない友人の1人である。
中学のときはお互いをギリギリ認識していた程度の仲だったが、高校で同じ部活動に所属し、今は同じ大学に通っている完全な腐れ縁である。
友達と言える人はそれなりにいるが、こいつほど仲が良くなれた友人はそれほど多くない。だからこそ僕は多少驚きつつも、軽い口調で澤田を迎え入れた。
僕の部屋を勝手にキョロキョロ見回しつつ、澤田は感想を述べた。
「なんか思ってたのと違う。もっとどっ散らかしてるかと思ってたのに」
「ま、まあな。引っ越しって初めてで、意外と手間取ることが多くてね。片付けがまだ済んでないんだよ」
「……で、これが例のガラスケースか」
澤田は明らかに場所を食っている巨大な段ボール箱を軽く蹴った。大丈夫だとは思うが、中に振動がいってないか少し気になった。
僕は勝手に巨大段ボール箱を開けられる前に、澤田の前に滑り込んだ。
「勝手に触んないでくれよ、めちゃくちゃ高かったんだから。それにまだ封も開けてないし、見てもつまんないよ」
「ふーん。お前ならすぐにアリかイモムシ辺りでもいれて観察し始めると思ってたのに、まだやってないんだな。意外だ」
「ま、まあな。さすがに忙しかったし」
目をそらしながら「忙しかったから」と嘘の言い訳を続ける。僕の言葉に納得したのかどうか、澤田は唇を尖らせて文句を言った。
「なんだよ、巨大なケースを買ったから完全リアル志向の観察ができるぞ! 羨ましいだろ! って自慢してたくせにまだできてないのかよ。興味あったのに」
「うっ、すまん……」
澤田と同じだった高校の部活動とは、生物部であった。生き物を観察したり、生態を勉強したりする部活動である。
僕はもちろん、澤田もそういう研究に興味があったらしく、僕たちはかなり早くから意気投合して今に至る。当然巨大ガラスケースのことは自慢したし、準備できたら見せてあげるとも約束していた。
……まあ、ガラスケースが異世界に繋がった時点で、見せられるモノじゃなくなったんだけどね。
僕は少し気まずくて話題をそらした。
「そ、それより急にウチに来るなよな。ビックリしたじゃんか。何の用だよ」
「ん? スマホで連絡したけど、未読スルーだったじゃんか。ムカついたから許可なしに突撃した。悪い?」
「悪いに決まってんだろ、こんな夜中に」
リュウのお見合い話に集中していたせいか、スマホには気づかなかった。未読だったどころか着信に気づいてすらいなかった。
しかし、未読だったら来ないのが当然だろう。澤田も悪いと思っているのか、頬を掻きながら申し開きをする。
「まあガラスケースを見せるために家に呼ぶって言って全然呼んでくれなかったことも腹立たしいんだけど、まあこれで許してよ。良いもの買ってきたから」
「良いもの?」
そう言って澤田が持っていたビニール袋の中身にようやく気付く。中には缶が何本も入っていた。
澤田はいい笑顔を見せて僕にビールを勧める。
「お前さ、せっかく大学に入ったのに飲み会一回も参加してないじゃん。今日は一緒に飲もうぜ」
「……正確にいうと、まだ僕たち未成年じゃん」
「固いこと言うなって!」
澤田は僕のことを気を使って自宅飲み会を開いてくれるつもりだったらしい。僕は「おー」と少しだけ興味を持ちつつ、ベッドの下にチラリと視線を送る。
リュウが異世界に帰っているなら遠慮なく自宅飲み会を始めてしまう。澤田とは最近遊んでなかったし、良い機会でもあった。
とはいえ、今リュウがベッドの下に隠れている。しかも「モンスターだ!」と言ってから隠した手前、あまり長時間放置しておいたら悪いだろう。
どうにかして澤田を返すべきか、それともどうにかしてリュウをこっそり隠し場所から出して事情を説明して待っててもらうべきかとベッドの方をチラチラ見ながら悩んでいたところ、澤田が何か勘違いしたらしく下品な笑いをしていた。
「安心しろって。ベッドの下は探さないでおいてやるよ」
「ベ、ベッドの下!? な、なにも隠してないけど?」
「ははーん、やっぱりか。大丈夫、わかってるから見逃してやるからさ。武士の情けじゃ」
エロ本だと勘違いしたのだろう。ある意味それ以上にヤバイものが隠されているわけだが、そう勘違いされているならまだマシだ。
僕は「あーはいはい、ありがとうよ」と適当に礼を言っておく。
「でも明日に響くから、早めに解散させてもらっていいか?」
「ん、別にいいけど。何か用事あるの? 明日日曜だけど」
「まあそんなとこ。悪いね」
「ふーん……」
澤田は何か考えながら、それでもビニール袋の中身を全部取り出してきた。全部で5本、飲みに誘った割には意外と少なく見えて、澤田の財布具合を心配してしまう。
人生初「かんぱーい」とやって、お互いビールや果実酒を開けた。適当に近況報告しつつ、なぜ買ってきた缶が5本しかなかったのか理由を察する。
澤田は開始5分でベロンベロンになっていた。弱すぎるにもほどがある。
「でよー、大学でさー、一緒にいろいろな動物とか虫とか観察するのかなーとか思ってたらさー、お前なんか知んないけどめちゃくちゃ付き合い悪いしよー」
しかも絡み酒だった。僕は友人の意外な一面を見つつ、愚痴に付き合っていた。
ちなみに僕はお酒に強い方だ。父に試しとばかり飲まされた時も平然としていた。
「仕方ないじゃないか、こっちは慣れない一人暮らしで大変なんだから」
「でもさー、一人暮らし始めたらさー、一緒にでかいケースを試してみたらさー、どうなるか試そうぜーとかさー、割と楽しみだったんだよー? なのにまーだ段ボール箱から出してすらいないって、どういうことよー?」
「悪い悪い。一回試してみたけど女王アリに逃げられちゃったしさ。まだすぐには無理そうなんだよ」
「だからさー、この前朝一で連絡あったときはビックリしたけどさー、ちょっと嬉しかったんだよー? なのに内容は『休むから代返よろ』ってさすがに酷過ぎないー? 酷いっしょー!?」
「あー酷い酷い。ごめんごめん」
僕が適当に返事をしているうちに、澤田は眠りこけてしまった。テーブルに突っ伏してスゥスゥと静かに寝息を立てている。
それなりの付き合いの友人の家とはいえ、初めて入った他人の1人暮らしの家で熟睡するとは、こいつは度胸があるのか無防備なのかわからない。
しかしチャンスではあった。僕は澤田が反応ないのを確認したあと、こっそりベッドの下のリュウに詳しく説明をする。
『……つまり、魔物というのは嘘で、人神様の御友達がいらっしゃったのですね?』
『うん、そう。ごめんね驚かしちゃって。でもこいつに見つかると厄介だから、悪いけど今夜はここで隠れてて。明日にはすぐ帰すから』
『わかりました。ではまた明日に』
『うん、そういえば暗くない? 明かりいる?』
『大丈夫です、魔法の明かりをつけられますから』
リュウに居心地が悪くないか確認だけをとって、またソッと段ボール箱の陰に隠した。
僕は少し苦労して澤田の身体を横にして、僕の部屋で唯一の毛布を掛けてやった。
ベッドの上で寝ると寝返りをうつたびに下のリュウを起こしてしまいそうなので、僕も床で寝ることにした。テーブルを挟んで澤田の反対側に陣取って、冬物のコートを掛け布団代わりに使う。
今日はいつもとは違う意味で大変だった。気疲れしたのだろうか、僕の意識はすぐに微睡みに落ちていった。
…………
「でさ、これはなんなの?」
次の日、僕が目覚めると、第一声に澤田の質問が飛んできた。心底困惑した声色で、澤田が自らの手に持っているモノを眺めている。
澤田が両手で持っている虫籠の中で、リュウがスレイプニルにしがみついて不安そうに見上げていた。
僕は珍しく一瞬で眠気が吹っ飛んだ。
感想やブクマありがとうございます。がんばります。




