5月14日(月) SD6年:交戦
今日ほど月曜日を呪った日もあるまい。休み明けでの登校がただ憂鬱というだけでなく、ガラスケースのことが気がかりでしかたなかった。1日中ずっと不安だった。
一応設置カメラを用意して、ネットで生放送をするという荒業を駆使して、出先でもスマートフォンで様子を確認できるようにはした。
映せる範囲はアリの巣に近いとされている2面だけだったし、見ず知らずの他人に異世界人たちを見せるのは危険であるため、地表面は映さないようにカメラの範囲を狭く絞ったが、これで何とかリアルタイムで状況を視認することができる。
とはいえ外出先で四六時中自分の家の生放送を見ているわけにもいかず、仮に異変があったとしてもすぐ帰宅できるわけでもない。気休めにはなったが、実質的にはあまり意味がなかったかもしれない。
ちなみに配信タイトルは「アリの巣観察24時間耐久放送」である。できるだけ人に見られないタイトルにしたかったからこんなタイトルになった。
家に帰ってきたとき、いつもとは違う意味でガラスケースに飛びついた。心配で心配でたまらなかった。
地中を四方からよく見る。その際、生放送用のカメラの脚立に頭をぶつけてだいぶ痛い思いをした。
僕は一通り見てから安堵のため息をついた。アリの巣とただの土くれを見分ける自信はある。まだ近くにアリは接近していない。
アリがこちらのマシュマロ狙いで最接近するより先に、黒狼討伐隊の人々が駆除してくれれば万々歳である。もしうまくいったら何か討伐隊の人たちにお礼がしたいと思う。
ようやく落ち着いていつものように観察を開始できた。ガラスケースの上空からサクラ国の様子を昨日と比較する。
また国の規模が少し大きくなった気がする。あと二回り大きくなったら、ガラスケースの縦軸から畑がはみ出てしまいそうだ。
最初の頃は小さい家が4件建ってるだけだったのに、ずいぶんな進歩だろう。たった1か月でとんでもない変化だ。もう細かい変化なんて見てられない。
強いて気になったことといえば、外壁がエグイ感じに変えられてることだろうか。なんか棘っぽいものが追加されてたり、高台のようなものも追加されている。
後ほど聞いたところによると、リネ氏と討伐隊の人たちの喧々諤々の会議の結果、増強することになったそうな。予算を預かっているオダカ氏が頭を掻き毟っていたとかなんとか。
というわけで今日のゲストは昨日と同じ。ちょっと違うところは、レアさんが物々しい皮鎧を着ていることくらいだろう。
いつもの挨拶をかわし、真っ先にリュウに現状を聞いた。
この一年どうだった? 黒い魔物の危険はなさそう?
「はい、大丈夫でした。討伐隊の方々が凄く頑張ってくれて……サクラ国の中でも、討伐隊に参加したいって人や協力しようという空気もできてきて、今みんなで一丸となって国を守ってます」
そう、良かった。
僕は動画や先ほど確認したときの地面の様子を伝えておいた。特に変化がないため、地中からの侵攻はまだないと。
「そうですか。人神様が見守ってくださっててとても安心できます。ありがとうございます」
リュウはニコヤカに答えてくれた。その笑顔が眩しい。
大雑把に逆算して、リュウは今13歳くらいである。確か彼女の母親もこのくらいの年齢から凄く可愛くなってきたような気がする。ちょっと恥ずかしくてリュウの顔を直視できない。
サイズ差を生かして顔を少し遠のかせる。そうすれば異世界人からは僕の顔が見えないが、僕は異世界人たちのことが見える。細かい表情まではわからないが、これで十分だ。
今日は何をしたくて彼らを呼んだのだろうか、という話題になって、リュウが少し言葉に詰まった。躊躇う様子が伝わってくる。
「……今日は討伐隊からの報告です。人神様に意見を聞きたいそうで……詳しくはレアさんから」
そうしてリュウが反対側の手でレアさんの手を握る。
女の子が仲良さそうに手をつないでいる様子は見てて微笑ましいが、なんというかリュウの態度が固い。どうしたんだろうか?
「……なんでもないです。それよりレアさん?」
「はい、失礼します。お久しぶりです人神様」
久しぶり、って言っても昨日ぶりだけどね。僕が軽く冗談を言ったが、全く笑わずにレアさんは淡々と報告を続けた。
「今年一年はサクラ国の防備の増強、およびお互いの連携の確認を主に行いました。ただ斥候隊が黒い魔物の集落を見つけたらしく、そこに私と隊長が数人の仲間とともに強硬したのです。その時の様子を見てもらいたいと思います」
おっけー、わかった。でもリュウの負担が大きそうだけど大丈夫なの?
「……大丈夫です。でも、途中で交代するかもしれません。その時は、すみません」
リュウは決意を秘めた表情でそう言った。僕は無理しないように、と言った後にレアさんに先を促した。
少し慣れない感覚で、目の前の視界が歪んでいく……。
「5の1の3。ザイサ、シライザ、右をやれ。オレが左で先行。アーカス、状況に応じて動け。一撃いれたら離脱して様子を見ろ。レア、補充を」
野太いが落ち着いた声に、私は即座に対応する。荷物を降ろして蓋を開け、隊長の背中に背負った大剣と、ザイサとシライザの片手剣、アーカスの弓に魔法を付与した。
戦術は5の1の3。対象の警戒が薄い状況でこちらが急襲をかける。可能なら殲滅、危険を感じたら即撤退。
森の中を隠密で進行していたら早速黒い魔物を見つけた。3匹の黒い魔物が崖下の廃村を漁っている。餌でも探しているのだろうか。
その探している餌が人間でないことを祈りつつ、私は隊長の次の指示を待った。
「レアは待機。4人で狩るぞ。合図はオレが1匹目を仕留めてから……」
「隊長、私も戦います」
待機命令を言われるかなと思っていたが、本当に言われるとは思ってなかった。だから抗議の声をあげる。
隊長は私を見下ろす。その目が怒っているように見えて、少しだけ狼狽えてしまった。
「……もし万が一があった場合、お前は即座に撤退しろ。情報をサクラ国に持ち帰れ。それが役目だ」
「私も参戦すれば万が一の可能性をさらに減らせます。そもそもたった4人で3匹を相手にするなんて無謀です。せめてあと1人いないと……」
「1人増えても変わらん。現場での隊長の命令は絶対だ。従え」
「ですが……!」
私が声を荒げそうになる。女だからと言って足手まとい扱いされたくない。私はそのために強くなったのだから。
さらに言葉を続けようとしたところで、我慢できないという感じでザイサとアーカスが吹き出した。シライザも目をそらして肩を震わせている。
私が不満そうな目で彼らを見ると、お調子者のアーカスが説明してくれた。
「あのなお嬢、隊長がアンタの実力を見誤ってるわけないっすよ。いつも隊長の背中守ってるのは誰っすか?」
「だから、私も参戦すれば……」
「参戦なんて必要ねいっすよ。今日は神様からの加護もある。かったい殻をぶっ叩いて叩き割る作業に比べたら楽なもんす。なぁに、万が一は万が一、起こりゃしねーっすよ」
アーカスが気楽に言う。しかし私を含めてもたった5人で黒い魔物3匹と戦うというのは無謀としか言いようがない。隊長ならともかく、他の3人は普通だったら間違いなく死ぬ。
私の考えていることがわかったからか、豪放なザイサと生真面目なシライザも横から口を挟んできた。
「安心しなってお嬢。普段だったらオレもこんな命令従えねーが、今回は別だ。この神の加護がどの程度効果があるのか知らなきゃならねぇ。試し切りにはもってこいの状況だしな」
「万が一があった場合の保険を用意しておくのも当然のことです。安心してください、我々の剣の腕を。それに逃げるときは身軽なあなたが適任なんですよ」
「あ、あとな。もしオレらに万が一があったとしても、隊長には万が一はないから安心しとけ。大丈夫だぜ、お嬢の恩人はそう簡単にくたばらねーよ」
「そうですね、隊長が倒れる姿は想像できませんね……。むしろ危険な作戦にあなたを巻き込みたくないという隊長の親心みたいなものもあるんでしょうね」
「あ、そうか。だから珍しく待機命令なんて出したんすね。隊長はやはりお嬢には甘いっすねー」
「お前ら、いい加減黙れ」
アーカスが調子に乗ってきたところで隊長が手短に釘をさす。3人は「失礼しました」と謝りつつも、目が笑っていた。
隊長は小さくため息をつきつつ、命令を繰り返した。
「どんなことがあるかわからないのは事実だ。それに、この魔法の効果を上から俯瞰する人間も必要なんだ。わかったら命令に従え、いいな」
「……はい、わかりました」
私は表面上は納得してない風を装って、実際はちょっと赤くなって待機命令に従うことにした。
「いくぞ」
隊長の一言で空気が変わる。隊長が崖を飛び降りで1匹目に切りかかると同時に、残り3人が飛び出していった。
黒い魔物に切りかかったザイサは、超反応した黒い魔物のアゴに阻まれて前に出られなかった。
あのアゴは本当にマズイ。こちらの体をマシューのように軽く真っ二つに裂いてしまう。何人アレでやられたかわからない。
しかし弱点は多い。黒い魔物は一度警戒態勢をとると、触覚をその警戒対象に集中させてしまうため、背後ががら空きになるのだ。
その習性を生かして、基本的に多方面から囲い込んで滅多打ちにするのが基本戦術である。
シライザは廃屋の影を移動して黒い魔物の後ろから飛び掛かる。触覚が反応していない。今ならいける。
ほんの少しだけ、剣の先端が黒い魔物のお尻の部分に刺さった。黒い魔物が暴れだす。その勢いに負け、シライザは剣を残したまま吹っ飛ばされてしまった。
標的をシライザに変えた黒い魔物が吹っ飛ばされた方に近づこうとするも、それをアーカスとザイサが許さない。ザイサが剣で威嚇し、アーカスが的確に魔物の足を弓矢で射って足止めをする。
矢が何本か黒い魔物の体に刺さり、頭にほんのわずかに切り傷ができてきた。しかしこんなものでは黒い魔物は倒れない。決め手にかけていた。
いつもならここで強力な魔法を打ち込むか、もしくは多人数で足を切り落として行動不能にする。
しかしたった3人、しかもシライザはまだ復帰できていないため2人ではどうしようもなかった。アゴの標的にならないよう避けるだけで精一杯となる。
やはり私も援護に行かなければ、と腰を浮かせそうになったその瞬間、黒い魔物の動きに異変が出てきた。よろめいている。
足を1本切り落とした直後の黒い魔物はこんな動きをする。ガクンガクンと体をがたつかせ、うまく動けなくなるのだ。
まだ五体満足、せいぜいダメージはお尻に刺さった剣と矢くらいなのに、その動きは死にかけのソレだった。
動きがおかしくなればザイサたちの敵ではない。シライザも復帰してきて、予備の短剣で応戦している。
足をすべて切り落としたあとに首を刎ねれば終わりである。しかし、今回は足がすべて残っているにもかかわらず黒い魔物の動きが弱っていき、最後には動かなくなってしまった。
足を丸めてピクピクと痙攣しながら、その動きがだんだんと小さくなっていく。
「……こいつは確かに、すげーな」
「……ああ、これなら少人数でも黒い魔物を倒せそうだ」
「あとはどこがもっとも神の水の効果があったのか、それを確かめたいところではあるな」
私が合流すると、3人が口々に感想を言いあっていた。自分たちの武器にかけられた魔法を見ている。
私が掛けた魔法は人神様から頂いた水を剣に塗布するという初歩的な魔法だ。食器を洗うときなんかに使うと便利な魔法で、私程度でも複数人にかけることができる簡単な魔法だった。
毒だということは事前に聞いていたが、ここまで効果的で即効性があるとは思っていなかった。感心して持ち歩いていた壷を見下ろした。
「……そっちも終わったか」
背後から声。振り返ると、隊長が3人がかりで倒した黒い魔物を見下ろしていた。興味深そうに傷跡や死骸の様子を眺めている。
私は隊長に駆け寄っていった。
「隊長! そちらは大丈夫でしたか?」
「問題ない」
いつものように簡潔な一言だけ。そして視線を先ほどまで戦っていた方を見た。私たちも同じ方向を見る。
そこには2匹の黒い魔物の死骸があった。片方は最初に倒した方だろう、不意打ちの一刀で首が切断されていた。
もう1匹は左側の3本の脚が中ほどでまとめて切断されており、同じく首が落とされていた。黒い魔物が無害になったときの特徴で、どちらもピクピクと一定間隔で痙攣していた。
隊長のあまりにあまりな強さを見せつけられ、アーカスが呆れた口調で感想を述べた。
「……隊長には、神様の毒は不必要っすね」
その一言を聞いて、私たちは全員頷くと同時に笑ってしまった。隊長は頭を掻きながらそっぽを向いていた。
こわっ。
リュウから異世界の映像を覗かせてもらううと、毎回怖いと言っている気がする。
黒い魔物はやはりオオクロアリで間違いないようだった。見た目が見覚えがあった。
しかしその大きさが全く見覚えのないものだった。動いているアリも、死んでいたアリも、どっちも人より巨大なせいで物凄く恐ろしく思えた。ピクピク動く様が本当に気持ち悪い。
トラックくらいの大きさのある6足歩行昆虫に果敢に挑んでいく異世界人の討伐隊のメンバーは勇気があるなと思った。僕には無理だろう。
目の前にあんなのがいたら間違いなく怯えて動けなくなり、吹っ飛ばされるだろう。
「……これが今回の報告です。人神様から頂いた毒水はとても効果的でした。持ち運びにやや難がありますが、それでも十分に使える道具だとわかりました。外壁の槍にもこの毒が付与されるように工夫してあります。これでサクラ国の防衛と探索はより効率的に進むでしょう」
なるほど、その報告のために映像を見せてくれたわけだね。納得できた。
毒液をどうやってアリに含ませるのか疑問だったが、まさか武器に付与するという方法を使うとは思っていなかった。魔法が使えるからこその発想なのだろう。
「今度はもう少し隊の人数を増やして、奥の探索を行いたいと思っています。申し訳ありませんが、また神の水を頂けないでしょうか。黒い魔物の駆除のために必要なのです」
うん、わかった。僕が毒液を用意するだけでいいなら、いくらでも持ってって良いよ。
そういって僕は、昨日の余りを多めに渡すことにした。これで足りると思いたい。
「……すみません、今日は、これくらいでいいでしょうか。少し疲れてしまいまして……」
リュウが辛そうにそう言ってきた。やはり他人の思考を読みながら、さらに他人に映像を見せるのは大変だったのだろう。
今日はかなり早かったが、解散することにした。
「……すみません、あまりお話しできなくて……」
リュウが謝罪するが、そんなことはない、と否定しておく。
実際、討伐隊の様子を見ることができたのはありがたかった。割と安全に駆除ができそうで何よりである。油断はできなさそうだが。
「……来年には、黒い魔物を全部倒したら、ゆっくり人神様とお話ししたいですね」
リュウの素直な笑顔を向けられて、僕は少し照れてしまったのは内緒である。
「えっ、きょ、今日はもう解散なのですかな? も、もう少しでこの漢字というモノの法則性が解読ができそうなのに……」
余談だが、スマホの虫と化していたセルゲイネス氏を引きはがすのが本当に大変でした。この人はマイペースだなぁ……。




