5月13日(日) SD5年:情報交換
午前中は所用のためにお出かけ。昼に帰ってきてからずっとガラスケースに張り付いていた。
もしアリがサクラ国の近くで巣を作りだしたら、1秒でも早く知らせねばならない。そのための合図は決めてある。
時間が加速状態の空に手を突っ込んで、巣のできた方角を指さすというものだ。あまりやりたくないが、手遅れになったら大惨事である。僕は四つん這いになってずっとガラスケースの土の様子をじっと見つめていた。
幸いにして特に変調をきたすということはなかった。5時間近く中腰でいたため、かなり腰が痛い。
しかもなぜか最近スレイプニルの食欲が旺盛なのもよくない。餌を与えるそばからどんどん食べつくしてしまう。
まあその分心を許してくれてるみたいなのでこれはこれで可愛いのだけれど、貢物としてリュウたちからもらった山のように積まれたダイコンもどきを1日で消費しつくしてしまうのはさすがに食べ過ぎなんじゃなかろうか。なんて燃費の悪い家畜なんだ、こいつは。
今日のゲストはリュウは当然として、セルゲイネス氏とエルバード氏、そして初めて見る女性だった。
人数が多すぎると持ち運びづらいと苦情を言っておいたからだろう、リネ氏とオダカ氏は来ないようだった。まあそれでも4人もいると結構バランスとか気を遣うのだけど。
いつも通り簡単な挨拶を終わらせてから、その女性の紹介をしてもらった。ちなみにセルゲイネス氏はろくに挨拶もせず真っ先にスマートフォンに取り付いている。ちょっと痩せたようにも見える。
女性の名前はレアさんというらしい。
「初めまして。黒い魔物の討伐を主に行っている討伐隊、黒狼隊の副隊長をしております。隊長はわけあって来られないそうなので、私が代理として来ました。よろしくお願いします」
そういうと、レアさんはピシっと殴るような勢いで右腕で左胸を叩いた。リュウとは違ってちょっと可哀想な胸板が痛そうだった。
年の頃はリュウと同じくらいに見えたが、雰囲気が全く違うため年上に見えた。リュウは最近少し明るくなってきたが、最初は暗い文学少女みたいな感じだった。対してリネさんは体育会系というか、バレー部の主将みたいなしっかりした顔つきと体つきをしている。
あと個人的にポニーテールはポイント高いです。
「あの、人神様? お話よろしいですか?」
あ、はい。な、なんでしょうか?
リュウが何か尖った口調で僕に話かけてきた。いつも嬉しそうに話しかけてくるのに、何か雰囲気が違ってちょっと怖かった。何か不機嫌になるようなことでもあったのだろうか。
僕がビクビクしながらリュウの言葉を待っていると、リュウは仏頂面のまま僕に事情を説明してくれた。
「討伐隊の黒狼隊にアプローチをかけたら、割と簡単に引き受けてくれたんです。情報が欲しいのならばいくらでもあげる、と。ただ、情報はタダ同然でもらえたのですが、人神様のことを話したら少し交換条件を持ち出されたのです。今日はそのことでお話に来ました」
交換条件? 僕に何かしてほしいってこと?
そう聞くと、今度はレアさんが「これから先は、私が」と続きを引き受けた。
「はい、我々独自の調査により、この国の特産品である神の甘味マシューが、殊の外黒い魔物に好かれていることに気づきました。なので、人神様に3つほどお願いを聞き入れていただけるのなら、我々黒狼もサクラ国防衛に協力しようと思います」
と、ここでエルバードさんの補足説明。サクラ国はまだ黒い魔物のいる地域からは遠く、直接的な被害もまだ出ていない。だから討伐隊の補給施設として援助しつつ、黒い魔物の生態をさらに詳しく調査してきてくれるとのこと。
いわゆる威力偵察だ、と教えてくれた。さらについでに、駐屯中は警察のような自治に協力したり、万が一黒い魔物が現れたときは防衛線にある程度協力してくれるそうだ。
エルバードさんの説明を聞くと、ほぼデメリットがなくコストも少なく、それでいてメリットが多いように思えた。黒狼側にメリットがあるのか不明だったが、その分僕に対して何か交渉したかった、ということなのだろう。
神様なんて言われているけれど、僕はどこにでもいるごく普通の一般人だ。何を要求されるのかわからず少しドキドキする。あとレアさんの整った顔がキリっと僕を見上げていて、こっちもドキドキする。
レアさんは一つ目のお願いを口にした。
「まず人神様には、あの黒い魔物に特別効果のある武器や神の加護があるか、をお聞きしたいです。そして可能であれば、それを我々にお貸しください。特に武器の類だと嬉しいです」
レアさんの頭の中のイメージを覗き見すると、光り輝く武器を掲げた荒くれ者の一団の絵が想像されていた。神の加護を得た武器でアリをばったばったとなぎ倒していく実にワイルドな光景である。
ただ、そんな便利なものはない。というか異世界人サイズの武器なんてぶきっちょな僕が作れるわけがない。
しかし、アリ特攻のアイテムなら授けることができる。僕は大喜びで昼間入手したアイテムを持ってきた。
これを使ってください。たぶんとてもよく効きます。
「これは……水ですか?」
毒の水です。絶対に口に入れないでくださいね。
インドキサカルブはアリの身体に入ると、副交感神経を即座に麻痺させ、すぐに絶命させる。インターネットで購入してもよかったが、それだと含有量0,05%とかで即効性に欠けるため、わざわざ大学に行って10%希釈液をもらってきたのだ。
10%もあればほんの僅かに摂取しただけで動けなくなるだろうし、効果は高いはずだ。異世界人たちに使ってもらおうと思って用意してみたが、まさか異世界人側から要求されるとは思ってなかった。使い方を厳重注意しつつ喜んで渡す。
「これがあいつらに効く魔法の水ですか……ありがとうございます、大事に使わせていただきます」
細長くしたカプセルみたいなプラスチックの小さな容器5本分渡した。これをサクラ国の川上から撒けば、一瞬で異世界人を全滅させられるだろう。
エルバードさんに管理権限を渡すことを同意してもらい、次のお願いを聞く。
「次は、神馬スレイプニルをお貸しいただけないでしょうか」
スレイプニルですか? いったいなんでまた……。
よく言えば可愛いペット、悪く言えば無駄飯食らいのスレイプニルを要求されるとは思っていなかった。理由を聞く。
「神の御寵愛を受けて長命になり、若さを保ち続けていると聞きます。もともと当時最も優秀だった馬を人神様に捧げたという話を聞き及んでおります。もしスレイプニルが使えるのであれば、我が討伐隊の戦力が増すでしょう」
馬一匹でそんなに状況が変わるとは思えないが、まあ使いたいというのなら貸すのは吝かではなかった。仕方ないなぁと言いつつ僕はウキウキとスレイプニル牧場に手を伸ばした。
親バカとでも言えばよい。自分のペットが必要とされていると言われたら、そりゃ少し嬉しくなるさ。餌をよく食べるから燃費は悪いよ、とか、ブラッシング忘れないで機嫌悪くするから、とわざと悪口を言ってしまうのもある種の親心だろう。僕が手を伸ばすと素直に乗っかってくるスレイプニルににやけ笑いをしつつ、レアさんに託す。
「ありがとうございます。これで黒狼の士気が向上するでしょう」
……あ、そういう効果の方を期待してたわけね。まあ愛馬って意味ならその通りだから何も問違ってはないけど。
能力を評価もまああるけれど、それ以上に神から託された神馬であるという事実が大事なのだろう。僕はちょっと落胆しつつ納得した。
そして3つ目のお願いだった。ただ、その前にレアさんから提言があった。
「隊長の指示により、これからの話は極秘で行いたいのですが……よろしいでしょうか?」
そういって中継役をしているリュウをチラ見する。僕は自分が意思疎通の魔法を使えないことを教えて、それはできないと伝えた。
「いえ、私も未熟ながら魔法は少し使えます。得意ではないので短時間になるでしょうが……どういたしますか?」
ん、別に僕はどっちでもいいけど。じゃあリュウ、ちょっと休憩して、セルゲイネス氏と一緒に遊んでてもいい……。
「いえ! 私はやりますから」
リュウに離れていいと告げようとしたら、途中で遮られた。リュウが頑なにその場を動こうとしない。
さっきも言った通り、僕はどっちでもよかったので、じゃあそういうことで、と続けようとした。しかしレアさんが少し苦い表情をしていた。
「私もどちらでもよいと思っておりますが、神の巫女であるリュウ様にこそ聞かせるべきではない、と隊長もエルバード様もお考えでした。ですから直接対話ができる私が来たわけですし……」
「ですが、人神様との交神は私の仕事です。勝手なことをされると困ります」
「いえ、ですから人神様に許可をいただいてからと思ってお話したのです。人神様のご許可もいただきましたし、ここはご遠慮願えないでしょうか?」
「それは、そうですけど……。でも初めて意思疎通の魔法を使うと人神様に失礼を働くことになるかもしれません。私がいつもやってるように仲介した方が良いはずです!」
困り顔のレアさんをなぜかリュウが食い下がっている。いつもそれほど感情を見せないのに、一体どうしたんだろうか。
ものすごく関係ないが、この時僕は、可愛い女の子二人が僕をめぐって争ってるのかぁとちょっとリア充にでもなった気分になっていたのは内緒である。
ただ、あまり言い争いをするのはよくない。僕は無難に仲裁に入った。まあまあ落ち着いて。
「ですけど……」
「私はどっちでもいいんですけどね」
何やら不満そうなリュウとクールなレアさん。僕は普段は聞き分けが良いリュウを抑えた。
理由はわからないけど、レアさんは何か秘密の話があるみたいだし、エルバードさんも許可してるみたいだから、今回だけは遠慮してよ。ね、リュウは僕のいうこと聞いてくれるよね?
「そうですけど……魔法の強さの調整ができないと人神様にまた痛みを与えてしまいます。やめた方が……」
僕はウッと呻いた。慣れてない人が使う意思疎通の魔法は結構痛い。実際の痛みはないのだけど、全身が吹っ飛ばされたような衝撃と脳みそを直接揺らされてるような不快感がある。あまりやりたいものではない。
だが、男に二言はなかった。僕は強がる。
が、我慢するから大丈夫だよ。心配してくれてありがと。
「……わかりました」
ものすごく渋々といった様子でリュウが離れた。リュウのいた場所にレアさんがやってくる。
リュウとは全くタイプの違う美少女が僕の手に触れるのを目の前で見て、ちょっとだけニヤけ顔をする。レアさんはきちんと意思疎通の魔法を練習していたのか、それほどの衝撃はやってこなかった。
「3つ目は確認を取りたいと思ったのです。とても失礼なお話になりますが、できれば正直に答えていただけると幸いです」
お、おう。なんでしょう。
「……人神様は黒い魔物の名前をクロオオアリとおっしゃいましたよね? それに黒い魔物のことをとても警戒されているご様子。またセルゲイネス様が黒い魔物の絵をいんたーねっとで見たと聞きました。それに今回の魔法の水……」
レアさんが一つずつ事実を指摘する。僕はこの時にはもう何を言われるのかだいたい想像できた。
なぜリュウを退かしたのかも。
だから自首する気持ちで先に答えた。そうだよ、あのクロオオアリを君たちの世界に持ち込んだのは、僕が原因だよ。
「……そうですか」
ただ言い訳させてほしい。信じられないかもしれないけど、わざとじゃないんだ。
僕の世界と君たちの世界が繋がったときに、うっかりそちらに行ってしまったらしい。
すぐに気づけなくて申し訳なく思う。それに被害についても、ごめん。
「……いえ、意図的ではなかった、という確認をとれただけでも良かったです。ただ隊長が非常に不思議がっていたので」
それだけ言うと、レアさんはリュウと場所を変えた。そしてリュウは不機嫌なのかわからない無表情のまま、話し合いを続けた。
サクラ国の防衛に関しての連絡の仕方。黒い魔物の指揮官が確実に存在すること。指揮官については僕は全く知らないことと、それの対策。そして僕が外側からアリの巣を常に警戒すること。
いろいろな相談をした後、時間が遅くなったので解散となった。今日はセルゲイネス氏をきちんと回収して、全員を返すことにした。
簡単な検索までできるようになったことを自慢していたセルゲイネス氏を笑って迎えながら、リュウが最後に一言残していった。
「その……今日は我儘を言い出してしまい申し訳ありませんでした。ちょっと、意固地になってしまって……」
ん、ああ。別に気にしてないよ。確かに僕と会話するのがサクラ国の象徴であるリュウの役目だしね。むしろ僕が我儘言って悪かったよ。
「そうじゃなくて……人神様が私以外の人とお話するのは、なんか嫌だったんです」
漫画ならば主人公特有の難聴で「ん、なんだって?」と聞き返すシーンなのだろうが、思考を読む魔法に聞き逃しというものはない。僕はその時顔を真っ赤にしたと思う。
同じく顔を真っ赤にしていたリュウを見送ってから、僕は今日の観察日記を書いているわけだが、凄くいたたまれない気持ちになった。
わざとではない。でもアリの侵入を手引きしたのは間違いなく自分のせいだ。そしてそのことをリュウには伝えていない。
母親が拉致される原因であり、異世界に被害をまき散らしている黒い魔物を呼び出したのが僕であるという事実を、リュウに教えないというのは、彼女を騙していることになるんじゃないだろうか。
僕は人神サーティスではなく、異世界人にとっては魔神ロキなのではないだろうか。そのことが胸に引っかかってしまい、どうにも気分が良くなかった。
必ずクロオオアリの危険は排除しなければ。僕はそう覚悟したことを、決意表明としてここに記しておく。




