第4話肆 それぞれの休日
「シルバー。母と一緒に父上のもとに行ったんじゃなかったのか――なんでリッカを睨むんだ」
生徒会長は立ち上がって目線を合わせ、露骨な態度を向ける弟を諫めるが、シルバーは自重する様子もなく六花を睨み、低い声で言った。
「……おまえ。無駄に兄貴にベタベタすんな。恥じらいってものを知らないのか、女のくせに。ワダツミは恥の文化なんだろ」
ぱちくりと六花は目を瞬かせる。ジョゼフィン王女もぱちくりと目を瞬かせていた。
エミリオ先生はぽかんと口を開けてシルバーを見上げ、マリーとオールストン博士は目を真ん丸にしたそっくりな表情でシルバーをマジマジと見つめている。
母同様に優雅な仕草で紅茶を飲んでいた副会長は、グフっと奇妙な声を立ててむせていた。
「シルバー」
「バカ兄貴もちゃんと自分で気を付けろ!さっきのあれ――こいつだったんだろうが、年頃の女が男にベタベタするなって注意するのも年長者の役目だろ!」
何やら一人でヒートアップしているシルバーをなだめようと生徒会長は必死だが、ははーん、と六花は意味ありげに何度も頷く。
こいつ、と指差された天馬のぬいぐるみはいまもぬいぐるみのふりをして、オールストン博士やジョゼフィン王女は何も気付かなかった。
「オルフェ会長」
なおも弟をなだめようとする生徒会長に、六花が立ち上がって呼びかける。呼ばれて振り返った会長の腕に、ぎゅっと抱きついた。
当然、生徒会長は驚いて唖然とし……シルバーのほうは、驚愕などという言葉では表せないようなとても愉快な表情になっていた。
「こ、こ、この破廉恥女が!何をしてるんだ!いますぐ兄貴から離れろ!」
絶叫する勢いでシルバーは叫び、マリーはさらに目を丸くしている。オールストン博士は悪戯っぽく笑って、なるほどな、と納得したような独り言を呟き、副会長は肩を震わせていた――爆笑したいが、それは副会長の美意識に反するらしい。オールストン家の愛犬は、新しくやって来たお客さんのシルバーにも愛想を振りき、尻尾を振っていた。
「めちゃくちゃ面白いわ」
「そうだろう。オルフェの弟は、昔からおもしれー弟だった」
六花の呟きに、副会長は同意してくれた。
肝心の生徒会長はよく分かっていないようだ。目の前の弟が、単なるお兄ちゃん大好きっ子でしかないことに。
「はんれちって何ですか?」
「初等部を卒業する頃にはマリーにも教えてあげよう。いまは覚える必要もない単語だ」
ワダツミ語はまだ勉強中ということもあって、幼いマリーはシルバーが何を喚いているのか理解できていない。博士は、娘が余計なワダツミ語を覚えてしまうことをさりげなく阻止していた。
ジョゼフィン王女はこの場の人間関係が把握できていないので事態に困惑しているが、エミリオ先生は苦笑いだ。
「大丈夫だよ、ジョゼフ。あれは彼らなりに友情を深めているだけだから」
「はあ……。世の中には、様々な友情の形があるのですね……」
まだギャーギャー騒いでいるシルバーに、六花はニヤニヤ笑顔で話しかける。
「シルバーったら、そんな細かいこと気にしないの。落ち着いて――小さいマリーや王女殿下を怯えさせてしまっているわよ」
「このっ……誰のせいだと――!」
ちっとも悪びれる様子のない六花にシルバーはまた怒鳴りかけたが、マリーと王女の名前が出たことで、さすがに我に返ったらしい。
喉元まで出かけた怒りをなんとか引っ込め、歯を食いしばった。
「せっかくだから、シルバーも一緒にお喋りしましょう。ちょうどジョゼフィンの分のデザートも頼もうとしてたところだから、シルバーの分も頼んであげる」
「いらん!」
そう言いながらも、六花とオルフェ会長の間に椅子を持ってきて無理やり自分の席を作り、ドカッと座り込む。腕を組んで、これ以上オルフェに近付けさせてたまるか、と六花を睨んでいた。
やっぱり面白いわぁ、と六花がクスクス笑ったその時、轟音が鳴り響いて食堂が大きく揺れた。
あまりにも音が大きすぎて耳元で何かが爆発したのかと思ったが……。
「地震……じゃ、ないわね……。いまのは地面が揺れた揺れ方じゃなかった」
食堂内を見回し、六花が呟く。
ぬいぐるみのふりに徹してテーブルの上でのんびりと座っていた天馬のぬいぐるみはパッと六花のそばまで跳んで移動していたが、全員がそれどころではないので机上の変化など何も気付いていなかった。
博士とローズ副会長はすぐに立ち上がって末子のマリーをかばいながら食堂を見渡して警戒し、会長とシルバーは周囲を見回しながらもエミリオ先生とジョゼフィン王女の様子にも注視していた――ガラテア貴族の二人にとって、優先は王子と王女なのだろう。
エミリオ先生は、不安そうにオロオロとあたりを見回している妹にさり気なく寄り添っていた。
また建物が揺れ、地震ではない、という確信を六花は持った。六花だけでなく、その場にいた誰もが。
「地震じゃない。この建物が揺れている――攻撃されてる」
オルフェ会長が、きっぱりとした口調で言った。
「ローズ、マリーを連れて建物外へ避難しろ。グランヴェリー、貴公たちは殿下お二人とミクモ嬢を連れて避難だ」
オールストン博士が言った。反論を許さぬ態度での命令口調だったが、誰も逆らわず、ローズ副会長だけが母親の身を案じた。
「母上はどうするつもりです」
「無論、私は格納庫へ向かう。所在不明の攻撃だがいまの揺れから考えて、防衛にはタイテニアが必須だろう。現場へ直行する」
「母上お一人では危険です。俺かオルフェを護衛に連れて行ってください」
オールストン博士は紋章を持っていないと以前話していた。息子のローズ副会長が心配するのも当然だし、紋章使いの誰かを同行させてほしいという気持ちはよく分かる。
……話している間にも食堂が揺れ、壁や天井からは不吉な音が聞こえてきて……物も倒壊してきている。何者が攻撃しているのかは分からないが、直接の対象にならずとも危険だ。
「会長、博士と一緒に行ってください。ジョゼフィンは私が守ります」
そう言いながら、六花は自分のそばにいた天馬のぬいぐるみをオルフェ会長に差し出す。差し出されたぬいぐるみと六花を交互に見つめて会長は一瞬戸惑ったが、天馬のぬいぐるみを受け取り、弟を振り返った。
「シルバー、リッカと協力してエミリオ先生と王女殿下を守り、建物外へとお連れしろ――これだけは反抗を許さないぞ。女性の殿下が相手となったら、同性のリッカのほうが融通が利くことも多い。リッカ、任せても構わないか」
もちろんです、と六花が頷くと、また建物が揺れた。
それ以上は話し合っている時間もないな、と全員が判断し、それぞれが行動に出る。子どもたちを任せたぞ、と愛犬を撫でてから博士はオルフェ会長と共に食堂の出入り口へと駆けて行き、残った六花たちは副会長からの指示を聞いていた。
「そこの窓から裏庭に出て、外を迂回してエントランスへ向かう。外からの攻撃の可能性もあるが、とにかく建物内に留まっていては危険だ。殿下たちも、それでよろしいですね」
てきぱきと脱出方法を決めて説明するその姿はオールストン博士にも似ているし、彼の父親のフロックハート先生にも似ているような気がする。やはり親子だ。
……なんて余計なことを考えるのはそれきりにして、六花も副会長たちと共に急いで裏庭に面している大きな窓から外へ出た。
この食堂は、もともと裏庭にもテーブルがあり、外でも食事ができる仕組みになっている。今日は休みなので室内で完結するようテーブルは片付けられていたが。
親がここに勤めている副会長とシルバー。ここが居住地でもあるエミリオ先生とジョゼフィン王女。
この総督府のことを一番知らないのは六花だろう。初めて見る場所だらけで、人間を先導するように走るオールストン家の愛犬、並走する副会長を先頭になるべくまとまって移動しつつも、最後尾は六花だった。護衛の役目もあるので、自分が最後でも構わないだろう。
先を走る彼らを見失わないよう注意しながら時々建物のほうにも視線を向けていた六花は、建物から聞こえてきた轟音に不吉な予感を抱いた。
「ジョゼフィン、急いで!」
言いながら、自分のすぐ前を走るジョゼフィン王女の背中を押して突き飛ばす。無防備だった王女はつんのめって転倒してしまったが、とにかくその場を離れることはできた。六花も急停止して後ろへ大きく飛び退く。
次の瞬間、自分たちがいるはずだった場所に巨大な人形が現れた――建物の壁をぶち壊して突進してきたタイテニアは、ゆっくりと姿勢を直す。
中に乗っている人間が、周囲を見渡して確認しているのだ、ということはタイテニア乗りの六花にはすぐに分かった。
割り込んできたタイテニアを挟んだ向こう側に、転んでしまった王女に駆け寄るエミリオ先生とシルバーの姿……。
「シルバー!先生とジョゼフィンを連れて早く――」
叫びかけて、六花はまた大きく飛び退いた。
姿勢を直したタイテニアは六花のほうを向き、持っていた長い剣を六花めがけて振り下ろしてくる。炎を帯びた剣は、迷うことなく六花を狙っていた。
狙われているのは自分。
――ならば。
六花も迷うことなく身を翻し、元来た道を駆ける。自分に呼びかけてくる声は複数聞こえたが、ほとんど振り返ることなく六花は叫んだ。
「私のことは気にしないで!ジョゼフィンたちを守って!」
六花たちが食堂を脱出して正体不明のタイテニアと遭遇していた頃、オールストン博士とその護衛を務めていたオルフェも格納庫へと到着していた。
ただし、集まっているその他大勢の人間たちと共に、格納庫の扉の前で立ち止まることしかできなかった。
「父上!」
「オルフェ――博士と一緒だったのか」
総督補佐のグランヴェリー公爵も、格納庫の前で足止め状態である。歪な形になってしまった扉を、数人がかりでこじ開けようとしているが……。
「これはどういうことだ」
博士が言った。総督補佐は眉間に皺を寄せ、盛大にため息を吐く。
「所属不明のタイテニアに侵入され、攻撃を受けている最中なのだが……やつら、この格納庫を壊していきおった。それぐらいで破壊されるような代物ではないが、扉の開閉機能は壊れてしまった。おかげさまで、こちらは反撃の手すらない」
「現在稼働可能なタイテニアは、すべてこの中にあるのか?」
「休日だったからな。平時であれば、いくらか外に出して動かしていたかもしれんが……」
お手上げだと言わんばかりに頭を抱える総督補佐に対し、博士は考え込んだ。
「エミリオ殿下が所望した特注の新型は別の場所にある。まだ調整と修復の途中で……殿下の強い希望で搭乗者を限定した仕様になってしまっているが……」
「カルネなら俺が乗れます!博士、どこにあるんですか!?」
エミリオ王子が作らせた新型のタイテニア。もちろん例の、五賢人をモデルにして作らせたもののことだろう。竜のロベラと戦った時にも乗ったもの。
王子がオルフェたちのために宛がってくれたものだ。カルネ本人も連れているのだし、オルフェに動かせないわけがない。




