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第4話弐 それぞれの休日


自分の買い物を終えて満足した六花は、当たり前のように妹の荷物を持とうとする兄に声をかける。


「私の用事は終わったわ。お兄様、行ってみたいところある?」

「私が選んでもいいのかい?」


その返事は少し意外で、自分で尋ねたくせに六花は思わず目を丸くしてしまった。

もちろん、と答えつつも、王都に詳しくないはずの兄が行きたい場所をあれこれ考えてみる。


「話を聞いてみて、一度、自分でも行ってみたいなと思っていたんだ」


そしてやって来たのは総督府。

――兄だったら、ここに興味を持って行きたがるのは当然かもしれない。


「私も会長たちに招かれて一度しか来たことがないの。案内できるほど詳しくはないし……私たちだけで入れるかどうか」

「俺のふりをしていれば大丈夫だ」


六花のカバンに入った天馬のぬいぐるみが、顔を覗かせて言った。


「いっそ、私はぬいぐるみのほうに戻るべきかな」

「もう少し俺の身体を使ってていい。知り合いが来たら交替する――今日は総督府も休みのはずだから、人は少ないはずだが……」


会長の厚意に甘え、会長の身体に入ったままの兄と共に総督府へ入る。立派な建物の出入り口には守衛が立っていたが、会長を見て敬礼し、丁寧な態度で六花たちのために扉を開けてくれた。


「総督府は、会長のお父様と副会長のお母様が勤めてらっしゃるんですよね」

「ディオの居住もここなんだろう。学院に泊まり込むことが多いからあまり帰らないと話していたが」


何気ない世間話を装いながら、六花、カルネは天馬のぬいぐるみに話しかける。そうみたいだな、と会長は小さな声で頷いた。


「俺の父もローズの母も、仕事とは関係なく総督府に来ている。特にローズの母上のほうは、この総督府で紋章の研究をするのが趣味みたいなものだからな。エミリオ先生とジョゼフィン殿下の王都におけるお住まいもここだ。お二人の居住スペースには俺も行ったことはないんだが……」


会長に説明してもらいながら、六花も総督府をゆっくり見て回る。

前回は副会長の母親のオールストン博士の話を聞くことに意識が行っていて、建物内を見回す余裕はなかったが、今日は六花がどれだけキョロキョロしていても問題ない。時々、足を完全に止めてしまっている六花の手を、兄が軽く引っ張った。


「……おや。あのご婦人と一緒にいる青年、見覚えがあるな」


兄がこそっと言ったので、六花も視線を追ってそちらを見た。

上品なたたずまいと上等の服を着こなす女性と……兄の言う通り、見覚え……というかはっきり知り合いの青年が並んでいる。

青年もこちらに気付いて、露骨に顔をしかめた。隣に並ぶご婦人は初めて見る顔だが、誰なのかは予想できた。

――ご婦人が、六花たちを見て目を丸くしている。


「まあ、オルフェ。出かけるとだけ聞いていたけれど、あなたもここに来ていたのね」


美しいガラテア語で、女性が会長に話しかける。中身はカルネのままの生徒会長に。

会長の姿をしたカルネは、にっこりと曖昧に微笑む。


「それも、お友達と一緒だったなんて。可愛らしいお嬢さん――私にも紹介してもらえる?」


女性の言葉には、意味深な響きが込められているような気がした。六花たちを見て微笑むその表情も、なんだか意味ありげな……と思い、六花はハッとなった。


パッと兄から離れる。

中身は兄だと思っていたから、つい癖で。当たり前のように兄の腕に手を伸ばしてしまっていた。

……ただの男女にはあり得ない距離感である。目の前の女性に誤解されてしまうのも当然だ。


「――彼女は生徒会の後輩です。ワダツミ人の後輩が入ったことは、前に話したと思いますが」


ガラテア語で返す生徒会長の姿を見て、兄はぬいぐるみのほうに戻ったのだと六花は察した。

さすがに、実の母親は欺けないと彼らも考えたらしい。


「ミクモ。俺たちの母だ。母もワダツミ語は話せるので、気楽に話してほしい。母上、彼女のためにもいまはワダツミ語でお願いします」

「はいはい。初めまして、ミクモさん。息子たちがいつもお世話になってます。お話には聞いていたけれど、こんなに可愛らしい子だったなんて」


ガラテア語もお手本のように美しい発音だったが、ワダツミ語のレベルも劣っていない。西の訛りが強い神代領の人たちよりも完璧な発音かもしれない。


「初めまして。こちらこそ、生徒会長には私も弟たちもみんなお世話になりっぱなしです。シルバー……くんにも、夏合宿では親切にしてもらいました」


六花も頭を下げて挨拶を返せば、あらあら、と会長たちの母親は可愛らしく笑う。

どんな仕草もおっとりしていて、品がある。会長は母親似かな。隣で眉間に皺を刻み込んで自分を睨みつけてくるシルバーのことは完全に無視することにした。


「母上はなぜこちらに?シルバーと一緒ということは、父上を訪ねてきたのですか?」

「新型のタイテニアのことで、シルバーの力を借りたいんですって。エミリオ殿下のご要望らしくて」


会長の母親の話に、六花はすぐにピンと来た。


エミリオ先生は五賢人を模したタイテニアを開発することを強く望んでおり、カルネ、ラズ、スヴェン、アミルはそれぞれの契約相手の生徒を乗せるつもりで調整している。

ロベラをモデルにしたものには、シルバーを乗せたいのだろう。最初は風花の予定だったが、シルバーのことを知ってからは風花には別の専用機を作らせると話していたし。


シルバー本人は、絶対にロベラと契約しないという主張は覆していない。


「……なんて、私の話は家に帰ってからにしましょう。オルフェったら。私と話してる場合じゃないでしょ」


ニコニコと会長の母親は話す。これは完璧に誤解されているな、と思いながらも六花は口を挟まなかった。

ここで下手に否定すれば会長たちに恥をかかせることになってしまうし……なんか、さらにあらぬ方向に誤解を深めそうな気も。


会長は苦笑いだ。


「そうですね……。では、俺たちはこれで。ミクモ、休憩がてら食堂に行こうか」


会長の誘いに六花は素直に頷いた。またね、と上品に挨拶をする会長の母親に丁寧に頭を下げて、会長と共に食堂へ向かう。

ちらりと後ろを少しだけ振り返った時、笑顔でこちらを見送る会長の母親と、すっごいしかめっ面でこちらを睨むシルバーが立っていた……。


「ごめんなさい。私が軽率なことをしたせいで、お母様にあらぬ誤解を与えてしまったみたいで……」


六花の謝罪に、気にしなくていい、と会長は笑う。


「誤解されて困るようなことは俺にはない……が、ミクモはそういう訳にはいかないか。フーカやロベラを怒らせてしまうかもしれないな」

「私がフォローするからその点は大丈夫だ。そんな分からず屋の、狭量な男たちではないはず――もしそれでルチルに腹を立てるなら、私が相手になるさ」


六花のカバンから顔を覗かせ、天馬のぬいぐるみが愉快そうに言った。兄がそう言ってくれるなら頼もしい……一方で、ちょっと怖いかも。


総督府の食堂は昼時にも関わらずお客さんは少なめで、数えるほどしかいない先客も、六花たちが席に案内される頃には入れ違うように出て行ってしまった。

おかげさまで天馬のぬいぐるみをテーブルの上に載せてお喋りしていても、誰の視線も気にせずに済むのはありがたい。

給仕係も休日のため人数が極端に少なく、テーブルにあるベルで呼ばない限りはホールに出てこない状態だそうだ。会長がそう教えてくれた。


「メニューを見てもどんな料理が出てくるのかさっぱり分からない」


六花にメニュー表を見せてもらいながらカルネが楽しそうに言った。


「私もガラテア料理はまだまだ知らないもののほうが多いわ。神代にも西洋風の料理は色々入って来てるんだけどね」

「神代にまた行く機会があれば、俺もワダツミ料理を食べてみたい。フーカが作ってくれるのを時々食べさせてもらってはいるが……」


なんてことのない世間話のつもりだったが、兄が反応したような気がして、六花はメニュー表ではなく天馬のぬいぐるみを見つめた。

天馬のぬいぐるみも、六花を見つめ返す。


「――ああ、いや。アッシュ王子のことはフーカと呼ぶのに、どうしてルチルのことはミクモと呼ぶのかなと思って。リッカがルチルのいまの名前だろう。ルチルもルチルで、オルフェのことを名前で呼ばない」


不思議そうに尋ねてくる兄に、深い理由があるわけじゃないけど、と六花は困ったように目を逸らす。


「ワダツミでは、苗字がある人は苗字で呼ぶのが一般的なの。それに、年上の人に名前で呼び捨てるのは馴れ馴れしいから良くないっていう風潮があって……」

「俺は名前でも構わないが」


なぜかしどろもどろになって言い訳のように説明する六花に、生徒会長のほうが口を挟んだ。

ぱちくりと目を瞬かせ、六花は会長を見る。


「もしミクモさえよければ、君のことも名前で呼ばせてもらえれば……。ミクモのほうで呼びかけるとややこしくなるから、フーカだけ名前で呼んでいただけで……」

「オルフェ会長……ですか?」


さすがに呼び捨ては躊躇われてしまう。

六花も、ワダツミ人としての習慣がすっかり身に着いてしまっているのだ。風花ほど気軽には呼べない。


「……うん。そっちがいい」

「はあ……。会長がそうおっしゃるなら、これからはできるだけお名前で呼ぶことにします。オルフェ会長も、私のことは名前で構いませんよ――」

「ならば俺も、これからは名前で呼ぶことにしよう」


なぜかオルフェではない人間が返事をしたので、六花はさらに目を瞬かせた。

いまの声は、自分たちの後ろから聞こえた。振り返ってみると、六花たちしかいなかった食堂には新たな客が入って来ていた。


「ローズ……」


相変わらず美しい長い髪をなびかせている副会長に、オルフェが苦笑いする。副会長も一人ではない。

妹連れだ。


「こんにちは、副会長、マリー。マリーは夏合宿以来ね、久しぶり」


六花がガラテア語で挨拶をすると、お久しぶりです、とマリーも控えめに挨拶を返してくれた。

さらりと髪を振り払い、副会長が言った。


「違うぞ、リッカ。その呼び方はもう正しくない」

「……ローズ副会長も、こんにちは」


副会長のことも名前で呼ぶことが確定したらしい。六花も苦笑いで挨拶し直す。

すっかり機会を逃してしまっていただけで、名前で呼び合ってもまったく構わないと言えばその通りなのだが……改めて呼ぶことになると、ちょっと気恥ずかしい。


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