第3話参 準備期間中
忙しくも充実した日々を送り、授業が終わると真っすぐ総督府に帰っていたジョゼフィン王女も毎日園芸部の手伝いに通うようになったある日。
初めて、ジョゼフィン王女のほうから六花に声をかけてきた。
「ミクモさん。えっと……この後、ご予定はありますか?いえ、生徒会のお仕事でお忙しいことは重々承知の上でのお願いなのですが、少しでいいのでお時間を作って頂けませんか?」
「園芸部のこと?」
人を誘うという行為に慣れていないのか、言葉を必死に探して、たどたどしく話しかけてくる王女に、六花のほうが察して答えた。
はい、と王女が頷く。
「正確には服飾部です。でも、園芸部も関りあることで……。正式な部員ではありませんが、クラスメートの私がミクモさんをお呼びすることになりました」
「もしかして衣装ができたとか?」
「型は出来上がった、とアシュビー部長はおっしゃってました。まだミクモさんに着ていただいて、実際のお姿を拝見して本格的な仕上げを行うそうですが」
「それが普通の流れよね――分かったわ。私も用意をしなくちゃいけないから、ジョゼフィンは先に園芸部に行ってて。服飾部のほうかしら」
待ち合わせは園芸部の部室だと言われたので、ジョゼフィン王女とは一旦教室で別れ、六花は自分の準備品を風花に持たせて園芸部へ向かった。
すでに園芸部で六花の到着を待っていた服飾部の部長は、風花の荷物を見て不思議そうにポーズを取った――もとい、首を傾げた。
「その荷物は……?」
「出来上がった着物の試着をすると聞いたので、他に必要なものを持ってきました。長襦袢に、袴、帯……」
六花が説明しても服飾部の部長も居合わせるヒバート嬢も理解できない、という表情をしていたので、風花が面倒くさそうに口を開く。
「着物はそれ一枚じゃ着れねえよ。ドレスもそうだろ」
端的な風花の指摘に、全員がハッとなった。六花も困ったように笑う。
「しまった。すっかり失念していた」
「着物を縫うだけでも大仕事ですから仕方がありませんよ。これほど見事な刺繍では、他のものに手を回す余裕もなかったでしょうし」
落ち込む服飾部の部長を、六花が慰める。
デザイン画を見せてもらった時に六花も実は気付いていたのだが、服飾部が文化祭に向けて作る着物は、本当に着物一枚だけ。
通常、着物は下に長襦袢を着るものだし、帯が必要ということは完全に彼らの計画から抜け落ちているな、と思ったので、自分が持ってるものを用意しておいたのだ。
帯まで作ってる余裕はないでしょ、とこの話をした時に大河や勇仁も仕方がないという反応をしていたので、これぐらいは六花のほうでなんとかしてあげることにした。着物に合う帯があるかは分からなかったから、袴にしたのである。
「それで、フーカには荷物持ち兼着付けの見本になってもらおうと思って連れてきたんです」
「着付け」
ジョゼフィン王女がぽつりと呟く。六花が頷いた。
「袴だったら一人でも着れなくはないけど、やっぱり綺麗に着るためには手を借りたほうがいいから」
「文化祭当日は俺を手伝いにやってる余裕がないかもしれないって生徒会長に言われた。だから女のおまえらがいまここで覚えて、当日は自分たちだけでできるるようになっておけ」
不遜な態度で風花が言ったが、六花の着付けをするのだから、女子生徒のヒバート嬢とジョゼフィン王女が指名されるのは当然である。
王女は素直に頷いたが、ヒバート嬢は眉をひそめて異議を唱えた。
「――私が覚えますわ。この人のために召使いのような真似をさせられるのは不本意ですけど、服飾部の成功のため、それぐらいは我慢して差し上げます」
着付けなんてそんなこと、王女にやらせるわけにはいかない。たぶん、ヒバート嬢はそう思ったのだろう。
その気持ちはよく分かるので六花には異論はなかったのだが、いいえ、と首を振ったのは他ならぬジョゼフィン王女であった。
「服飾部は他の部とも共同しており、文化祭当日までとてもお忙しいと聞きました。部員のヒバートさんも例外なく。当日のミクモさんは主に園芸部にいらっしゃるのですから、園芸部をお手伝いする私が覚えて、彼女の着付けを行うのが道理。私もちゃんと覚えます」
そう言った後、王女は真っすぐ風花を見つめる。
「ご指導、よろしくお願いします」
「殿下……。ちょっと!殿下がこうおっしゃってるのですから、あなたも心して手本を見せなさい!」
風花をビシッと指差し、ヒバート嬢も威勢よく言った。
園芸部近くの空き教室で、六花、風花、ジョゼフィン王女、ヒバート嬢……とオオカミのぬいぐるみの四人と一体で試着が始まり、机の上に持ってきたものを広げて説明しながら、六花は制服を脱ぐ。
「これは長襦袢と言って、着物の下に着る……えっと、下着ね。着物を着た時に綺麗な形を作るためにも必要なもので……」
六花が制服を脱いで長襦袢を着るまでは、風花も教室の片隅に寄って背を向け、彼女を見ないようにしている。
ふと隣に視線をやると、机の上にちょこんと乗っているオオカミのぬいぐるみが思いっきり六花のほうを見ていたので、むんずと掴んで強引に後ろを向かせた。
うわ、とか間の抜けた声を出していたが、ロベラも抵抗はしなかった。
「――これで、上から着物を着るの。フーカ」
呼びかけられ、ようやく着物を着る段階になったのだと察して振り返る。長襦袢を着た六花のもとに寄り、ジョゼフィン王女、ヒバート嬢にも時々手伝わせながら、六花の説明に合わせて風花もてきぱき動いた。
「紐を結んで……それから腰紐……背中でクロスさせて前に持ってきてくれる?それから帯を巻いて……袴を履くわ」
「可愛いリボンなのに、隠してしまうのですか?」
着付けが進むたび、感心したように時々見惚れていた王女が、帯のリボンを袴ですっぽり隠してしまうのを見て口を挟む。
「ガラテアでも後ろを膨らませるでしょ。バッスルドレスだっけ。ワダツミも、袴は後ろをちょっと膨らませるのよ」
「バッスルドレスと言われると、なんとなく納得できますわね」
ヒバート嬢も、着付けを覚えることについては真面目だ。
最初だけは居丈高な態度だったが、その後は余計な口を挟むこともなく真剣に風花の実演を見つめている。
そして着付けも終わり、袴姿を披露することになって。
「とてもお美しいです。凛として……これが、ワダツミの着物」
出来上がりを見つめ、ジョゼフィン王女は感嘆のため息を漏らす。ワダツミを馬鹿にするヒバート嬢ですら、着物の美しさは認めるしかないようだ。
「アシュビー部長の腕前はさすがとしか言いようがありませんわね。異国の文化と我がガラテア文化を融合させて、これほどのものを作り上げてしまうのですから」
「ガラテアナイズされてるのはたしかに。でも着物として違和感はないのよね。独学でこれなんだから、部長さんの才能は本物よ」
風花が着物の出来栄えに一切ケチをつけないのが、逆にこの衣装の素晴らしさをよく物語っている。
「着付けは覚えられたか?」
はしゃぐ女の子たちにうんざりしたかのように、風花がため息を吐いて口を挟んだ。
はい、と丁寧に答えたのは王女で、もちろんですわ、と居丈高な態度を取り戻して答えたのはヒバート嬢である。
その後、教室の前で待っていた服飾部の部長と園芸部の部長にも試着姿を披露し、動作に問題がないことを確認すると、六花は制服に着替えた。
――生徒会室に戻った時、俺たちも見たかった、と大河に苦情を言われてしまった。
「いいなぁ。フーカちゃんとロベラだけ」
「正直、ちょっと期待したからちょっと残念」
大河はいつものノリだったが、勇仁まで残念がったのは意外だった。会長や副会長も、見てみたかったと笑っている。
「当日に、俺たちもなんとか時間を作って園芸部に行ってみるか」
「賛成!みんなで行こう!」
会長の提案に大河は勢いよく手を上げて同調する。生徒会長の机の上で、天馬のぬいぐるみが笑う声が聞こえた。
「ワダツミ衣装のルチルか。私もぜひ見てみたい」
「だからすぐ着替えず、生徒会の連中にも見せればよかったんだよ。やっぱりうるさいじゃねえか」
フーカちゃんだけずるいズルい!と言われまくってうんざりな風花が、盛大にため息を吐く。だって、と六花も唇を尖らせる。
「せっかくだったら、ちゃんと小物も揃えた状態で見せたかったんだもん。髪形もそのままだし、袴に合う靴はこれから買いにいく予定だし」
「買い物……。次の週末に行くのか?」
生徒会長が反応したので、六花は少し意を突かれた思いで頷く。
「着物用の装飾品は色々持ってはいるんですが、王都にお店があるのを見つけたので」
以前、王都にお出かけした際に、ワダツミ風の小物を扱うお店も見かけていたのだ。
ちらっと見ただけだが、ワダツミ風の小物なのにガラテア文化も取り入れた品が並んでいて、機会があれば……と実はずっと行きたくて堪らなかったのだが。
文化祭で看板娘をやることを口実に、買い漁りに行くことにした。
「なら、俺と一緒に出かけないか」
「会長とですか?」
六花が目を丸くし、デート、と口を挟みかけた大河は勇仁に口を抑えられていた。
「……デートの誘いだな。そう思ってくれていい。カルネは連れてきて構わないが、他の人たちには遠慮してもらえれば」
カルネの名前が出たことで、全員が察したような反応をした。
デートと言っているが、会長は六花がカルネとお出かけできるようにはからってくれているのだろう。カルネに、自分の身体を使わせて。
「いいのかい、オルフェ」
天馬のぬいぐるみが申し訳なさそうに尋ねる。もちろん、と会長は笑顔で頷いた。
「会長のご厚意に甘えさせてもらいます」
「決まりだ」
六花も頷いたので、会長もさらにニコニコする。
「なら、次の休みに。寮まで俺が迎えに行くよ。行きたい場所はミクモとカルネで考えてくれていい」
こうして次の休みは会長と二人で出かけることになった。
……正確には会長がおまけで、兄カルネと二人で出かけることのほうがメインなのだが。
カルネとお出かけとなったら、さすがに風花もロベラも同行は控えていた。




