第1話弐 新しい生活スタイル
食堂にフラフラと寝ぼけた状態の風花が入ってきて、そのままいつもの席に座り、机の上に突っ伏す。大河たちもそんな状態の風花にはもう慣れっこで、六花も目覚まし道具の鍋とお玉を片付けに行く。
机の上の風花の頭をクマのぬいぐるみが突いたり、アヒルのぬいぐるみが蹴っ飛ばしたりしていた。
「こいつ、この寝起きの悪さでよく戦場で生き抜いてこられたよな」
スヴェンが呆れたような、感心したような口調で言った。それは本当にその通りだと思う。
六花も、そんな寝起きの悪さでは兵士なんてやってられない、というのは自分の前世でも痛感済みだ。
突然、ボッとアヒルのぬいぐるみが燃え上がり、クマのぬいぐるみが急いで飛び退く。
火の玉と化したぬいぐるみが机の上を駆け回っている。
「ぎゃああ!焼き鳥になっちまう!」
「もう、フーカったら」
六花が机のそばに戻ってきて、アヒルのぬいぐるみをピンと指で弾く。ふっと炎が消え、アヒルのぬいぐるみは脱力してぺたんと座り込んだが、焼けた跡はなかった。
「ぐううう……ルチル様、やっぱりこいつを信用しちゃだめです!危うくローストチキンになるところでした!」
「いまのはアミルに落ち度があるんじゃないかな」
カルネがあっさりそう言ったので、ルチル以上にカルネのことも敬愛するアミルは落ち込んでいる。
大河は明るく笑った。
「全然燃えてないあたり、フーカちゃんも手加減してるよ。君たちもすっかり仲良くなったね」
「私もそう思うわ」
同意する六花にアミルは否定の意を訴えるようにバサバサと翼をバタつかせていたが、ちゃんと風花のために寝起きの珈琲を毎朝用意してくれているのだから説得力はない。
カワウソのぬいぐるみが、やれやれと首を振る。
「あなたたちこそ、朝からよくそんなに賑やかにできるものです」
ラズの言葉に、ロベラが笑った。ラズが視線を向けても、ロベラはまだ笑っている。
「最後に残ったのは俺とラズだけだっただろう。それで……俺たち、どっちも自分から話題を提供するタイプじゃないから、二人だけだと静かだなって言い合ったんだ――やっぱりスヴェンたちがいると賑やかでいいよな」
「……賑やかなほうがいいと言う意味で話したわけじゃありませんけどね、あの時の台詞は」
ロベラの指摘に対し、ラズは不貞腐れたように言った。カルネもラズを意味深に見てクスクス笑っている。
「そう言えば、今朝見た夢はアッシュの素顔を初めて見た時の夢だったわ」
風花の前に珈琲を置きながら、前世の話が出て自分もふと思い出したことを六花は話す。
何気ない世間話のつもりだったが、思いのほかみんなの関心を集めてしまった。
「それって、今度は弟くんと戦うことになるってこと?」
勇仁が言った。
そんなつもりはなかったのだが、いままでの竜による襲撃の前に前世の夢を見ていたので、彼らにそう誤解させてしまったらしい。
「弟のほうのミクモと戦うことになったら、いままで以上の激戦になるだろうな。なにせ、現役時代は無限回復をする五賢人を相手に対等に渡り合ってきた男だろう」
長い髪を優雅になびかせ、副会長が言った。
「フーカと戦うとなると……弟には絶対にロベラと契約してもらわなくてはならなくなる。ロベラの能力なしではフーカの黒い鎖に対抗できない」
会長も真面目に考え込んでいる。
もぞ、と風花が顔を上げて反論した。
「いまさらおまえらと戦うかよ……。それに、アッシュだった時も六人どころか三人以上揃ったら俺も尻尾巻いて逃げてた。なんらかの作戦で戦えって命令が下ってなきゃ、勝ち目もないのにやり合うなんぞ愚の極みだ……」
ようやくまともに動き始め、風花は珈琲を飲んでいつもより緩慢とした動きで朝食を食べ始める。
風花も朝食を終えたら全員で登校だ。
「本当に生徒会室でいいの?」
カルネとロベラに生徒会室の場所を教えるため、今朝は教室へ向かわず先に生徒会室に寄って、六花はぬいぐるみのみんなと話す。
六花としては教室まで連れて行こうかと考えていただけに、二人も生徒会室に残ってしまうのは意外……というかちょっと残念だ。
「ルチルの学ぶ姿も見てみたいとは思うが、しばらくはこの生徒会室という場所で、みんなと一緒に過ごすよ。この学院で、寮の次に君が長く滞在する場所なのだろう」
カルネは生徒会長用の机の上に載り、六花を見上げて言った。
生徒会長であるオルフェ本人がカルネにこの席を勧めたのである。ロベラは興味深そうに部屋の中をウロウロしているが、アミル、スヴェン、ラズはもうお気に入りの場所を定めて各々気ままに振舞っていた。
「授業が終わったら、私も生徒会のみんなもここに来るから。じゃあ、行ってきます」
行ってらっしゃい、とぬいぐるみたちは六花を見送り、しばらくは個人で過ごしていたが、生徒会長の机の上に並ぶ書類を一通り見終わったカルネが、机から飛び降り、そっとロベラに近付く。
ロベラは、六花特製の特訓人形をボコボコにしているスヴェンを眺めていた。
「――ロベラ。昨日は聞けなかったことを質問させてもらってもいいだろうか」
ロベラが天馬のぬいぐるみに振り返る。図書館から借りて風花が積みっぱなしにしていた本を読んでいたカワウソのぬいぐるみも、本から顔を上げて二人を見た。
「君たちが捕まっていた時のことだ。ゴットフリートの罠で君もルチルも捕まり、君だけが脱出に成功したと聞いた。ルチルは、そのまま……」
カルネの話す内容に、アミル、スヴェンも反応して顔を上げた。
「話し辛いかもしれないが、詳細を聞かせてくれないか。ルチル本人には、さすがに私も直接問うのを躊躇ってしまって――」
言葉を切り、カルネは一瞬押し黙る。
「――女のルチルが、敵地に捕らえられて何もなかったと思えるほど、私も楽天的にはなれないんだ。そういう状況は、嫌というほど見てきたから……」
「まさか、そんなこと」
スヴェンが思わず口を挟んだが、みなまでは言わず、彼もまた他の男たち同様に黙り込んでしまった。
ゴットフリート王にそういった俗物のイメージはないが、彼がルチルに執着していたのは誰もが知る事実であり、執着が果たしてルチルの能力だけに留まったかどうか……。
オオカミのぬいぐるみは少し俯き、すぐには答えなかった。
「俺とルチルは捕まり、ルチルはゴットフリート自身が拠点としている城のどこかに連れ去って、俺は地下牢にぶち込まれた。処刑を命じてはいたようだが、俺のことは適当な扱いだった。だから警備の目も大したことなくて……牢は頑丈だったが、時間をかければ俺の紋章でもぶち破れる程度で、俺は自力で脱出することができた。それから――」
記憶を掘り起こしながら、ロベラがゆっくりと話し続ける。
「ルチルを探した。火であちこちに小規模の爆発を起こして騒ぎを起こせば、警備兵の動きも派手になる。その動きを見ていれば、おのずとルチルの居場所も分かるだろうと思ったんだ。俺の予想通りに兵は動いてルチルの居場所も分かったが、彼女を連れ出すことは不可能だった」
ロベラの火の紋章は物も溶かすほどの高火力で、ロベラが自ら牢をぶち壊して逃げたと話したように、ロベラはたいていのものを焼失させることができた。
ただし、ロベラの紋章も万能だったわけではなく。
「ルチルが囚われていた部屋の窓には格子がはめられていて、あれは俺でも焼き切れなかった。騒ぎを起こしていたからゴットフリートが俺の逃亡にもすぐ気付くだろうし、そうなれば脱出はさらに困難になってしまう。だから、ルチルは俺だけで逃げろと」
肝心の質問には答えていない自覚はあったが、その答え方でカルネはすでに察しているような気もする。
カルネの心配がただの杞憂だったのなら、ロベラなら明朗にそう答えているはずだ。はっきりとした回答を避けている時点で、カルネの問いを肯定しているようなものだった。
ロベラが話の続きを迷って沈黙が続く中、生徒会室の扉をノックする音が聞こえた。
大急ぎで皆でぬいぐるみのふりをしたが、入ってきたのはエミリオ先生だ。
「お邪魔するよ。みんな、ここにいたんだね。ルチルの教室についていったかと思った」
ぬいぐるみたちに近付き、エミリオ先生は屈んで話しかける。
ぬいぐるみたちはホッとして、ぬいぐるみのふりをするのを止めてエミリオ先生の前にわらわらと集まった。
「学びの場にも興味はあるんだが、まずはルチルの新しい仲間たちとの場が気になってね。君とも再会できてよかった。いまの君はガラテアという国の王子なんだって?」
カルネが言った。
ああ、とエミリオ先生が頷く。
「教皇の次は王族……肩書だけは立派だが、実際には何の権限も持たない子供なのも相変わらずで……。そんなものとは無縁の世界で生まれ変わりたかったものだ」
自嘲するようにエミリオ先生は笑い、気を取り直したようにカルネたちを見る。
「でも、そんな地位にあったからこそ君たちとも出会えたわけだから……複雑だ」
「まったくもって皮肉な話だな」
カルネは笑って同意する。わざとらしくエミリオ先生が話題を変えたことには触れず、ロベラたちもそれ以上は追及しなかった。
「ところで、君たちが揃ってるなら先に君たちの写真を撮らせてもらってもいいかな。実はルチルたちとも撮ろうと思って用意させてたんだが」
「ふぉとぐらふぃー?」
聞き慣れない単語に、ぬいぐるみたちが首を傾げる。すでにこの時代の本を読み漁っていたラズだけは何かに思い至ったように言った。
「カメラという道具を使って作り出す、実物そっくりの肖像画だそうですよ。この時代でも、まだまだ生まれたばかりの技術だとか――書物にはそう書かれていました」
へえ、とラズの説明に対し、みんな適当な相槌をした。
説明されても想像しきれず、ピンと来ないのだ。
「実際に見てもらったほうが早い。写真家は連れてきてる。授業が終わってから仕事をしてもらう予定だったが、試し撮りをしたいと言ってここに入ってもらうよ。まずはぬいぐるみを被写体に、一枚撮ってもらおう」
「よく分からないが、とりあえずぬいぐるみのふりは続行したほうがいいということかな」
カルネが苦笑いで言い、写真家を呼ぶためにエミリオ先生が生徒会室を出ていくと、引き続きみんなでぬいぐるみのふりに努めた。




