第2話壱 エミリオ王子の研究結果
エミリオ王子の研究室はまだ荷解きの途中といった感じの状態で、部屋の中で唯一、しっかりセットされている応接用の重厚な長椅子にそれぞれ腰かけ、六花たちは改めて王子と向き合うことになった。
「――改めまして。ガラテア本国より着任したエミリオだ。せっかくなので、皆には先生と呼んでもらえたら嬉しい。もちろん僕個人としては呼び捨てでもまったく構わないのだが、教頭のフロックハート先生から、それでは生徒のためにならないからと言われてしまって」
エミリオ王子――もといエミリオ先生は物腰柔らかな態度で話し、六花だけでなく生徒会のみんなにも親しげに振舞う。
ワダツミ人の大河や勇仁は先生の申し出に素直に応じていたが、ガラテア人――上級貴族として礼儀をみっちり躾けられてきた生徒会長や副会長は、王子本人からそう言われても少し抵抗があるようだった。
「ガラテア本国でも、聖ロベラの加護を受けたワダツミ人の生徒のことは話題になっている。その真偽を自分自身の目で確かめたくてワダツミへと来たのだが……総督府に着いてから妹のジョゼフィン王女とも話をして、体育祭で襲われた時のことも聞いてね。ジョゼフは襲われた混乱で妙な夢を見てしまったと思い込んでたようだが、僕はすぐにピンと来た」
エミリオ先生は六花を真っすぐに見つめて言葉を続ける。
「その場にルチルの生まれ変わりがいた、とね。僕自身が生まれ変わってるんだ。ルチルやロベラの生まれ変わりがいたって何の不思議もない。まさか、ロベラのほうではなくエルドラドのアッシュ王子のほうだったとは思ってもいなかったが……」
先生の視線は風花を素通りし、六花の膝の上にちょこんと並んで座っているぬいぐるみに向けられた。
「それ以上に、君たちに驚いたな……。ラズ、スヴェン、アミルは……生まれ変わり、とは違うんだよね?」
「我々はジョーブツできないフユーレイのような存在だと、タイガと言う名のワダツミ人が説明していました」
ラズが言った。先生は顔を上げ、ワダツミ人――大河と勇仁を交互に見ている。俺です、と大河が手を上げて答える。
「ガラテアの人にどう説明したらうまく伝わるかなぁ……。えーっと……ワダツミでは、肉体と魂が揃った状態を『生きもの』と指していて、いまのアミルたちは、肉体を失ったのに魂だけが残った歪な状態なんです。不安定であんまりよろしくない状態だから、悪い利用方法もたくさんあって……とりあえずいまは、そういう利用のされ方をしないように、俺が契約って形で彼らを現世に繋ぎとめてるんです。肉体は、リッカちゃんが作ったぬいぐるみか、俺たち自身の身体を使ってもらう感じで」
ワダツミ人なら分かる話、という訳でもない。六花たちも何度か説明を受けてはいるのだが、よく分かっていない部分も多い。
ううん、とエミリオ先生が首を傾げながら考え込む姿に、共感しかなかった。
「ワダツミに伝わる陰陽道というやつかな。僕もちょっとかじった程度だから、知識は君たちの足元にも及ぼないが……」
「陰陽師としての修行をしてるタイガしか分かってないと思う。俺もタイガの修行に時々付き合ってるのに、全然知らないことのほうが多いぐらいだから」
勇仁が言った。なるほど、とエミリオ先生も曖昧に相槌を打つ。
「彼らがラズ、スヴェン、アミル本人たちであることは理解した。そしていまはまだ、カルネ、ロベラとは誰も再会できていないことも。きっと、僕たちが理解しておけばいいのはその程度だろう」
「その認識で俺もいいと思う。もっと肝心なことが分かってないのに、陰陽道の専門的な知識とか、ふわっとでいいんだよ」
大河が言った。
それでいいのかな、とかたわらで聞いている生徒会長のほうが苦笑いしている。
「もっと肝心なこと……か。そうだね。そもそも、なぜ彼らが竜となり、アッシュ王子を襲っているのかも分からない。誰がそう仕向けているのかも分からない」
「……そうね。改めて考えてみると、どうしてフーカを狙うのか、理由が思いつかないわ」
六花が言った。
考えることが多すぎて、どうして狙われているのか考えたこともなかった。心当たりは、と先生に振られ、沈黙していた風花も眉間に皺を寄せて口を開く。
「前世も含めれば人から恨まれる生き方しかしてこなかったから、理由は山ほど出てきそうで逆に心当たりがない」
妙な言い方なのに、説得力はあって六花も苦笑してしまった。
「最初は美雲風花のほうを狙ってるのかと思ったわ。襲われたのが神代領だったし。フーカは神代の次期領主もあり得るから、それ関連の恨みかと」
「実子のおまえやはながいて、なんで俺が――」
「お父様だって先代領主の血は引いていないわ。養子でいい前例を作ったとなれば、実子の娘より養子の息子が有望視されるのは当然でしょ」
この言い争いは昔からである。そして他ならぬ父が後継については明言していないため、いまも答えは出ていない。
父自身も、どうするか答えは出していないのだと思う。まだ領主としてやらなくてはならないこと、やりたいことがたくさんあって、自分の跡継ぎのことまで考えている暇はないから。
――閑話休題。
「……その話は置いといて。でも今度は学院で襲われて、狙われる理由はやっぱり前世のアッシュ王子のほうにあるかもしれないってなっちゃって、三度目もガラテア領内。フーカ、アッシュ王子の時代に何やらかしたの?」
「知るか。戦に明け暮れた一生だったから、おまえら以上に殺したいほど憎まれてるだろうが、いちいち覚えていられるか」
「それはそうなんでしょうけど、一万年経っても恨みを引きずられてるって相当よ」
「恨みよりも、アッシュ王子でなければならない何かがあるのかな」
六花、風花の会話の合間に、エミリオ先生がぽつりと呟く。
二人も言い合うのをやめ、先生を見た。
「例えば……アッシュ王子しか知らないことがあるとか。それについては、実は僕も……君と再会できたのなら聞き出したいことがある」
この部屋を訪ねてからこれまでずっと優しい口調だった先生が、声のトーンを落とす。
風花を見る目に、六花はなぜかドキッとしてしまった――それがなぜなのか、この時には分からなかったけれど。
「ルチルをどこへ隠したのか、ずっと聞きたいと思っていた。知らないとは言わせない。君が彼女を隠したはずなのだから」
全員の視線が風花に集中する。注目の的となった風花は顔色を変えることなく無表情を貫いてはいたが、エミリオ先生の指摘が的外れでないことは、彼の雰囲気からも全員が察した。
やがて、風花がぎこちなく口を開いた。風花にしては珍しいことに、少し圧されている。
「……覚えていない。俺があいつの遺体を隠した――たぶん、それはその通りなのだと思うんだが……なにせ俺も棺桶に足を突っ込んでるような状態で、まともに記憶が残ってない」
自分の死については、六花も愉快な記憶ではないのであまり思い出さないようにしていた。
幸いにも、神樹も空気を読んだのかそういった記憶を夢に見せることはほとんどしなかった。
でも、ついにその話題に触れることになり、六花も自らの記憶を掘り返してみる。
……六花自身も、死の直前はさすがに記憶がかなり曖昧だ。
「私のほうが先に死んだ……のよね?最期の力であなたを治療したような気がする……」
「それでもどうにもならないほど俺もやられてた。おまえも分かってたはずだ。ほんの短い間の時間稼ぎにしかならない回復だったと。ただ……それで俺も、親父への最期の抵抗として、残された時間ですでに息絶えたおまえを担いでどっかに連れて行って、二度と親父が手に入れられないようにしてやった……と、思う。おまえの力がどれだけのものか分からず、死んでても治癒能力が多少残る可能性はあったからな」
かつてエンデニル傭兵団のリーダーによってつけられ、完治することのなかった傷を治療させるため、エルドラドの王ゴットフリートはルチルに執着した。
だから、死後であってもルチルが二度と手に入れられないようにしてやるのは、ゴットフリートへの嫌がらせとしてはそれなりに効果はあったはずだ。たぶん。果たしてどうなったのか、六花にも風花にも知る術はない。
「……僕も探し回った。ルチルの遺体を、仲間たちと共にちゃんと埋葬してあげたくて。カルネ、ロベラ、ラズ、スヴェン、アミル……五人は何とか見つけ出したのに、ルチルだけはついに見つけ出すことができずに教皇ディオも人生を終えた。僕にとって、唯一の心残りだった」
エミリオ先生が言い、全員の視線がまた先生に戻った。六花だけでなく、風花も驚いて目を丸くしている。
エミリオ先生――教皇ディオが、自分たちより長く生きたという可能性を、なぜか六花たちもまったく考えていなかった。
なぜなら……ディオも、敵国の王に囚われていて……ルチルを誘き出し、捕らえるための罠兼人質として生かされていたから、ルチルの死後は彼も容赦なく始末されたものだと思い込んでいた。
「ゴットフリートは僕を殺さなかった。生きたまま、サンクブルム神聖国へ解放した。当時は僕も驚いたが、考えてみれば当然だ。エンデニル傭兵団という最大にして最強の守りを失ったサンクブルム――僕が死んで喜ぶのは大神官だけ。エンデニル傭兵団を葬り去るために大神官が何をしたのか……背信のすべてを知っている僕が生きて戻ったほうが、ゴットフリートにとってはよほど都合がいい」
「じゃあ、ディオは……」
ああ、と六花の言葉を遮るようにエミリオ先生は頷き、笑った。
――その笑顔に、また六花はドキッとしてしまった。ルチルの知っているディオは、こんな笑い方をする子ではなかった……。
「サンクブルムへ戻って教皇としての権威を取り戻し、大神官と彼の一族、配下、その他関りのあった者すべて処刑してやった。僕を敵国へ売り飛ばし、サンクブルムの守護神とも呼べるカルネたちに屈辱的な汚名を着せて死に追いやった連中に、一人残らずその罪にふさわしい罰を与えてやったよ。それから、君たちの名誉回復にも努めた」
「……では、今日に伝わる聖母ルチルと五賢人の言い伝えは」
会長が言い、先生が頷く。
「僕が作り上げた。腐りきった教会の中で孤立していた教皇のために最後まで命を賭けて戦い続けた本物の聖人たちこそ、称えられ、栄誉を受けべきだからね。とはいえ、一万年という長い時の中で、ずいぶん変わってしまったこともあるようだが」
六花がジト目で見てくるものだから、先生も苦笑して付け加えた。
未婚なのに「聖母」ってどういうこと、と口に出して訴えずとも先生も察したらしい。
「僕が存命だった頃はエンデニル教だったんだよ。君も聖女だったはずなんだが……いつの間にか聖母に格上げされて、宗教名も君の名を冠したものになっちゃったみたいで」
言い訳をする先生は、この部屋で再会したばかりの時と同じ――ディオだった頃と変わらぬ優しい面立ちだ。
先ほどまでの暗さはない。
「カルネたちと同格の聖人としていたんだが、君の遺体だけは埋葬できずじまいだったから僕もすごく心残りで……その影響で、君だけ頭一つ抜けた扱いになったのかもしれない」
「だから私が、お兄様を差し置いて……?」
誰にも答えられないはずだった長年の疑問が解けたわけなのだが、六花は微妙な気持ちだ。
……案外、真実というものはこんなものなのかもしれない。




