第1話弐 次のはじまり、新学期
二学期は始業式の翌日から授業が始まり、六花たちはついに他の一年生たちと同じ教室で座学を受けることになった。
四人で教室へと向かいながら、大河が言った。
「四人一緒でよかったよね。これも配慮の特別扱いかな?」
「ガラテア語が分からなくても、お互いに助け合えってことじゃない?一番助けてもらうことになるのは俺だろうけど」
勇仁が答える。
みんな一緒で一安心、というのは六花も同じだ。肝が据わってて全然そうは見えない、と言われがちな六花だが、やっぱり一人は寂しいし、心細い。
教室の扉を開けると、室内は急にシンとなり、視線は出入り口――六花たちに集まった。
教室にいるのは男子生徒ばかりで、実技授業の時に見たような顔もちらほら……。
「あのにぎやか兄妹はいないんだ、残念」
教室内を見回して大河が本当に残念そうに言った。何も残念じゃねえよ、と風花は言い返す。
――男子生徒だけなので、兄のほうはともかく縦ロール女子学生がいないことは一目で分かった。
「このクラス、女の子はミクモだけになっちゃうね」
「俺たちもいるし、フーカちゃんも一緒だから大丈夫じゃないかな」
勇仁は紅一点となってしまった六花を気遣ってくれているようだった。大河も、そう言いながらも六花を明るく元気づけてくれているように感じる。
「高等部の女子の進学率はものすごく低いもの。二年生も女子生徒は二人しかいないって副会長が話してたわ。三年生に至っては、結局、結婚のために中退してしまってゼロになったって」
二年生の女子も、一人は結婚が決まって今年度いっぱいで学院を去ることになり、もう一人も、もともと婚約者がいたこともあって、それに合わせて学院を辞めて結婚するのだとか。
――いまだに、ルミナス学院を卒業した女子生徒は一人もいない。
「リッカちゃんも俺たちと一緒に卒業しようね」
「ぜひそうしたいわ」
六花としても、せっかくならみんなと一緒に卒業したい。注目されていることは無視して、六花たちは空いている席へと座った。
教室にいた生徒たちは元の状態に戻っていたが、何人かはワダツミ人の同級生への関心を隠しきれず、ちらちらとこちらを見てくる。しばらくすれば、彼らも慣れてきて自分たちに関心を払うこともなくなるだろう――と思って素知らぬ顔で授業の用意をしていたが、教室でざわめきが起こり、六花も思わずそちらを見た。
注目の的になっているのは教室の入り口――ジョゼフィン王女だ。
王女は周囲を見ることなく――周りを気にしていないというより、頑なに視界に入れないようにしているような感じだった。
空いている席に真っすぐに向かってきて、着席する。王女の席は六花の隣……と言っても、通路用に少し距離は離れていた。六花はじっと王女を見た後、何も言わないのも変かな、と思い、話しかけることにした。
「久しぶり、ジョゼフィン。姿は何度も見かけたけど、こうして顔を合わせるのは体育祭以来ね。そう言えば、あれから体調は大丈夫だった?」
相変わらず王女は見えない壁を作っている雰囲気だが、六花もお構いなしである。
今回は、自分のほうも彼女と話がしたい理由があるし。
「心配してくださってありがとうございます。私ならばご覧のとおりですから、どうぞお気になさらず」
「なら良かった。あなたのお兄様が本国からわざわざいらっしゃるぐらいだから、それほど心配な状態なのかと思ったわ」
ジョゼフィン王女と話をしたい理由は、もちろん彼女の兄についてである。王女も、彼の話は必ず振られるだろうという認識はあったらしい。
やはりその話題になったか、という表情をしている。わずかな変化だが。
「そのような理由で兄が来たとは思えません。ほとんど学校に行っていないことについて、少し注意はされましたが……」
「ああ、それで今日はちゃんと登校してきたのね。せっかくなんだから、二学期からはあなたも授業に出たほうがいいわよ。誰かと一緒に学び合う機会なんて限られてるんだから、来れるのに来ないのはもったいないと思う」
六花に限らず誰とも目線を合わせようとジョゼフィン王女が教室に来て初めて六花を見たので、ちょっとお説教くさかったかな、と思いつつも六花は反省しないことにした。
――前世のことを思えば、学校に行けるのに行かない、というのはとてももったいない、というのが六花の持論である。
前世の兄がずっと叶えたかったこと――子どもが子どもらしくいられて、望めば好きなだけ学ぶことができて。そんな制度と施設が、一万年後にはちゃんと整えられている。
子どもでいられる時間は短いのだから、子ども時代はたっぷり楽しんだほうがいい。二十年もすれば、その後は嫌でもずっと大人でいなくてはならないのだから。
予鈴が鳴り、それから少し経った後に担任の先生が教室の扉を開けて元気よく入ってきた――このクラスの担任は、実技授業でもお世話になったモラハン先生だ。
「おはよう。全員席に着いてるな?ちょっと遅れちゃったから、出席飛ばしてホームルーム始めるぞ。いないやつがいたら、お互いにチェックして先生に申告するように!」
なかなか雑な出欠確認から始まり、モラハン先生は改めて二学期の予定をざっと話して、次の時間から授業が始まった。
思ったよりも授業についていくことは難しくなくて、六花も心の中でホッとしていた。
午前中の授業を終えて昼食は生徒会室に集まって食べることになり、六花たちのことを心配してくれていた会長たちと話す。
会長も、授業は問題なさそうだ、という報告を聞いて安堵したように笑った。
「――そうか。ジョゼフィン王女も今日は授業に出ていたのか。彼女も来ている、という噂話は三年生の教室にも届いていたが」
「兄王子が来ているのに妹の王女が来ぬわけもいくまい」
副会長は食後の紅茶を優雅に飲みながら口を挟む。
そう言えば、と大河はおにぎりをもぐもぐしながら言った。
「王子様はどこの授業の先生になるの?というか、王女様が総督なんだよね。総督ってこの王都では一番偉い役職でしょ?お兄さん差し置いて妹のままなの?それとも年上の王子が総督になっちゃうの?」
「それについてはまだ総督府でも議論中だそうだ。父も、エミリオ殿下の訪問が意外過ぎて彼の待遇に頭を悩ませている」
生徒会長の父親は総督補佐――もとは総督代理で、彼が事実上の王都におけるトップである。王女はお飾りも同然だったので、王子に代わっても政務には差しさわりないような気もするが……。
「ルチルたちが授業の間、俺らもこっそり校舎内をウロウロしてみたが、ディオには会えなかったぜ」
「そんなことしてたの……」
あっけらかんとスヴェンは話しているが、六花は苦笑してしまう。すいません、とアミルは少しだけバツが悪そうに言い、ラズはスヴェン同様、悪びれることなく開き直っている。
「無関係な人間に見つからないよう、気を付けはしますよ。ですが、一日の大半を生徒会室でボーっと過ごすのは御免です」
「……退屈ではあるよな。別に、見つかったって大した問題にはならないだろ。このぬいぐるみが五賢人だとかそんなこと、見抜けるやつのほうが少ないだろ」
意外にも、風花のほうがラズたちを擁護する。
まだ風花への敵意が完全になくなったわけでもないだろうに、そうですよ、とラズは調子の良い同調をしていた。
そうして昼休みも終わり頃、生徒会室の扉をノックする音が聞こえてきた。
どうぞ、と会長が言えば、入ってきたのは教頭先生だった。
「失礼する。グランヴェリー、放課後は生徒会メンバー全員を連れ、エミリオ先生の研究室へ向かうように――彼はこの生徒会の顧問となることが決まった。まだワダツミに到着したばかりで忙しいので、君たちのほうから挨拶へ行ってくれ」
昼休みも終わってしまうということで、教頭は簡潔かつ一気にそう説明し、会長は目を瞬かせる。
戸惑いながらも教頭から与えられた情報を整理し、会長が問いかける。
「生徒会に顧問の先生ですか?あまり聞いたことのない話ですが」
「前例のないことだ。本来なら生徒会は生徒の自治を重んじるために教師は介入しないものだが、エミリオ先生の立場が特殊過ぎるために彼をそういった地位に就けざるを得なかった。色々思うところはあるだろうが、察してくれ、と教師側も言うしかない」
厄介事を、有能な生徒に甘えて押し付けようとしている、という自覚は教頭にもあるらしい。話す声にも表情にも、どことなく申し訳なさが感じられる。
分かりました、と会長が苦笑交じりに答えた。
「では、放課後に全員でエミリオ先生にご挨拶に行ってきます。彼の研究室は……?」
「南棟の四階だ。研究室の用意は午後からとなっているので、いまはただの空き教室のままだがな。放課後にはエミリオ先生も学院に来ているだろう――現在は総督府にいる」
それで探し回っても見つからなかったのか、というスヴェンたちの無言の納得が聞こえたような気がした。
そして放課後になり、生徒会メンバーは一旦生徒会室に集まって、全員揃ったところでエミリオ王子の研究室とやらに向かう。
「南棟の四階って階段が二か所あるんだね。こっち側は初めて来た」
生徒会長について行きながら、大河が言った。本当に、と六花も同意する。
この階は高等部の教師たちの研究室が並んでいるので、生徒も用がなければ滅多に立ち寄らない。一年生の六花たちにはなおのこと縁のない場所。
エミリオ王子の研究室は他の研究室からは独立した場所にあり、別の階段を使わなければ入ることもできない――やっぱり王子だし、特別扱いなのだろう。
誰とも会うことのない廊下を進み、一番手前の扉をノックする。
どうぞ、と返事が聞こえてきて、失礼します、と会長が扉を開けた。
「三年生のオルフェリーノ・グランヴェリーです。生徒会長を務めています」
部屋に入り、姿勢を正して会長が挨拶する。
公爵家の跡継ぎで日常の何気ない仕草からしても気品のある彼だが、いまはよりいっそう挙動に気を付けているようだった。
「二年生のアンブローズ・オールストンです。オルフェの補佐……副会長を務めています」
副会長も長い髪をさらりとなびかせ、挨拶をした。一年生は、自己紹介ではなく会長が紹介してくれた。
エミリオ王子は、部屋の真ん中にある机の前に立っていた。
――六花は、部屋の様子に目を奪われて王子を見るどころではない。
部屋の壁には多数の絵が飾られており、その大半が……。
「……驚いただろう。この絵は、すべて僕が描いたんだ。絵を描くのが好きというわけではなかったのだが、僕にはどうしてもこの絵たちを描かなくてはならない理由があって……そうして描いてるうちに、すっかり趣味と化してしまった」
六花の視線にすぐに気付き、エミリオ王子が丁寧に説明する。穏やかな笑みをたたえ、不躾なはずの六花の態度を咎める様子もない。
「これってやっぱり……?」
大河がこそっと話しかけてくる。
そうだよ、と答えたのは王子だった。さすがの大河もヒソヒソ話に留める分別はあったのだが、王子のほうは大河たちの反応もお見通しといった感じだ。
「これは、生前のルチルと五賢人の姿を描いたものだ。彼女たちの絵は多くの画家が描いているが、どれもこれも僕の感性には合わなくてね――彼女たちの姿を正しく描くことができるのは僕だけだから、自分の使命と思い、幼い頃から描き続けてきた」
エミリオ王子の研究室の壁には、ルチルを始め、カルネ、ロベラ、スヴェン、ラズ、アミル、六人全員の肖像画が飾られている。
肖像画に描かれた彼らの姿は、六花の記憶にあるものとほぼ同じだ。
「久しぶりだね、ルチル。まさか一万年も経ったいま、こんな遠い国に君がいるとは思ってもいなかったよ」
エミリオ王子は真っすぐにルチルを見つめて言い、その眼差しは喜びに満ちていた。
――ガラテア王子エミリオは、間違いなく教皇ディオの生まれ変わりであり……前世の記憶をはっきりと持っている。




