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第2話弐 夏休み


グランヴェリー家の別荘に到着した当日は、六花たちも汽車で長時間の移動をしていたし、幼い子たちはすっかり疲れていたので、早めの夕食を取って就寝となった。

翌朝、しっかりと休んで朝食を終えたのち、会長が皆に向かって言った。


「別荘にはもちろん管理人がいて、ほとんどのことは彼らがやってくれるんだが、夏合宿ということで、俺たちも働こうと考えている。軽くだが、この別荘の掃除を自分たちでやろうかと」


はーい、と大河は会長の提案に対して元気に返事をする。別にいいけど、と勇仁も同調する。


「家でも修行の一環って言ってやらされてきたし。掃除なら役に立てると思う」

「なら決まりだな。個人の客室は抜きで、主に一階の掃除をしよう。はなちゃんとマリーは二階で待っていてくれ。ミクモも、二人と一緒に――」

「はなちゃんもお掃除するよ!」


会長は幼い女の子たちを気遣ってくれたが、他ならぬはなが反対した。


「お母さんのお手伝いしてるから、はなちゃんもお掃除は得意だもん。雑巾がけ競争はクラスの男の子たちにだって負けないんだから」

「……雑巾がけ……?」


かくして、なぜかグランヴェリー家所有の別荘――その長い廊下にて、はな、大河、勇仁による雑巾がけレースが始まった。

当然、大河と勇仁はかなり手加減してくれていたが、それでも廊下を駆け抜けていくはなのスピードにガラテア人の生徒会長と副会長は驚いている。


「も、モップあるんだぞ……」

「あのスピードならばモップはかえって足手まといだろう」


副会長の言う通り、雑巾がけに慣れているワダツミ人にモップはかえって掃除がしづらいアイテムだとは思う。すごい、とマリーははなの勇姿に目を輝かせていた。


生徒会長の弟は、自分たちで掃除をするという提案を聞いた時は眉間に深い皺を刻み付けて、管理人がいるのになんで俺たちが、と不服そうにしていたが、なんだかんだ掃除に参加して、ちゃんとやっている。

覚えもよくてテキパキと働いていたし、分からないことは素直に質問してきていた。

必要のない会話にはまったく応じない不愛想さは相変わらずだが、悪い子ではないな、と六花たちが思うには十分な姿だった。




広い別荘ではあったが全員で掃除をすれば午前中にはすべて終わり、別荘の管理人たちが用意してくれた昼食を取って、一休みとなった。


掃除で張り切ったはなとマリーは一緒にお昼寝。

好奇心の強い大河は勇仁を引っ張って別荘の外へと探検しに行き、生徒会長と副会長は中庭に面したラウンジでのんびりとお茶をしていた。


六花は眠る妹たちに付き添って趣味のぬいぐるみ作りとアミル、スヴェンの手入れをしていたのだが、座りっぱなしも疲れたので、アミルたちが部屋に残ると申し出てくれたので後を任せ、一人で別荘内を探索することにした。

大河、勇仁と会長、副会長はそれぞれ六花を誘ってくれたので四人の行動は分かっているのだが、風花と会長の弟は何をしているのだろう……。


別荘内は好きに見て回っていいから、と会長は簡単な見取り図も渡してくれていたので、覚えた地図を頭に思い浮かべながらのんびりと歩き回る。

そうして二階へと登った六花は、そう言えばこの先に図書室があったな、ということを思い出した。


グランヴェリー家所蔵の本が並ぶ場所。本が好きな風花ならそこにいそう、と真っ先に向かってみれば、六花の予想に違わず窓際に腰かけて風花は本を読んでいた。近くの重厚な机には、積み上げられた本が……。


「また本の虫してる。こんなに引っ張り出して」

「ほとんど読み終わったから、あとでちゃんと片付ける」


本から顔を上げることもなく、風花が言った。

もう、と六花はため息を吐き、図書室内をぐるりと見回す。


壁にはめ込まれた本棚は天井までぎっしりと並んでおり、本は綺麗に整列されている。一部の棚が半分ぐらい空になっていて、机の上の大量の本は、あそこから取ったのだということが一目瞭然だった。


積まれた本を数冊取って、空になった棚に近付く。

可動式の木製の梯子がついているので、それをガラガラと動かして目的の棚まで運び、片手で本を持ったまま六花は梯子を登った。

――最初の数本は気にならなかったが、梯子の途中で六花は止まり、風花に声をかけた。


「……ねえ。なんか嫌な感じにギシギシ言ってるけど、こんなもの?フーカが使った時もこんな感じだった?」


梯子に一抹の不安を感じ、六花が言った。

風花も本から顔を上げ、六花のほうをじっと見つめる。


「俺は踏み台で済ませたから、それは使ってない」


風花がちらりと向けた視線の先を六花も見れば、膝丈ぐらいの高さの踏み台が棚のそばにあった。

たしかに、長身の風花ならあれで十分だろう。腕だって六花よりずっと長いし。


片手で登るのでゆっくりとした動きだったが、六花はさらに慎重に梯子を登ることにした。

やっぱり、一本登るたびにギシギシと嫌な音が鳴っている。


窓際に腰かけていた風花も、おい、と立ち上がった。


「自分でやるから、おまえはもう――」


風花の言葉を遮るように梯子が壊れ、バランスを崩して六花は背中から落ちた――ちゃんと両手で登っていたらこの程度のハプニングでも対応できたが、重い本を片手に抱えていたので対処しきれなかったのだ。


――風花の焦る声に混じって誰か別の声も聞こえたような気がする。

六花の腕から滑り落ちた本が床に叩きつけられている音にかき消され、それが誰なのかは分からなかった。

衝撃を覚悟して目を瞑り、身を固くしていたが、力強い男の腕が自分を支えてくれたので、六花は床に叩きつけられるのを回避できたようだ。


目を開けると、そこには風花と……会長の弟のシルバーが。


「ありがとう、二人とも。あとごめんなさい……本がひどい有様になっちゃった」


後で聞いたことなのだが、会長の弟も近くを通りがかって、聞こえてくる声で図書室を覗いたところだったらしい。

梯子から不吉な音がしていることも聞きつけ、さすがに一声かけるか、と寄ってきたところを六花が落下して。

咄嗟に身体が動き、風花と共に助けてくれた。


ホッとため息を吐いていたシルバーは、六花の言葉になぜか激高した。


「バカか!いまこの状況で気にすることか!」


バカって怒鳴られちゃった、と六花が眉を八の字にしてしょんぼりすると、そうなって当たり前だろ、と風花に呆れられてしまった。




その一件で六花たちはシルバーとすっかり打ち解けた……なんてことはなく、その後もかれは不愛想で、六花たちとは距離を置いて一人でいたが、生徒会の皆もシルバーの存在にすっかり慣れて、何の違和感もなくなっていた。


夕食は自分たちで作ることになり、料理のできる六花、風花を中心にそれぞれの仕事をする。

野菜の皮むきは個人の才能と経験の差が顕著に出ており、武家の出で普段から刃物の扱いに慣れている勇仁と、妙に器用なシルバーはすらすらと芋と人参を剥いていた。

会長と副会長には皮むきのいらない玉ねぎをお願いしたのだが、涙が止まらなくて副会長は降参していた。会長は見事完遂したが、終わるとすぐに顔を洗いに行っていた。


みんなで切った材料を鍋に入れて煮込むと、カレーライスの出来上がりだ。

米は風花と大河、はなとマリーの四人で炊いた。


「ふうちゃんはカレーが大好きなんだよ」

「甘党で辛党みたいなのよね。本なら何でも読むから料理本も読んで、勝手に色んな料理作ろうとするの」


姉妹に暴露され、カレーを食べながら風花は眉間に皺を寄せる。へえ、と勇仁が相槌を打った。


「弟くんって本当に万能だよね。寮でも食事取り損ねたら、ミクモと一緒にいつも作ってくれるし」

「カレーうまー。ルミナス学院に来て楽しいことたくさん知ったけど、西洋の料理を食べる機会が増えたのが一番うれしいかも、俺」


洋食の経験がまだまだ乏しい大河は、カレーもたいそうお気に召したらしい。

副会長は、もぐもぐと食べている妹を気遣っている。


「ミクモの家に泊まった時もそうだったが、今夜もよく食べているな、マリー。ミクモ姉弟を我が家の料理人として雇うべきかもしれん」

「みんなで作ったから、マリーも特別美味しく感じるんだと思うよ。愛情と空腹がいちばんのすぱいすだって、はなちゃんのお母さんが言ってたもの!」


はなが元気に言えば、素晴らしい格言だ、と副会長が笑顔で感心していた。マリーははなと顔を見合わせ、にこにことカレーを食べ続けている。


「はなちゃんの母上のお言葉は、きっと真理だろう。今夜の料理……一流の料理人が作ったものには敵わないはずなのに……食べるたびに、美味しさと共に幸せを感じる。皆と一緒に、自分で作ったというのが最高の調味料となっているのだろうな」


生徒会長の言葉に弟のシルバーは顔をしかめていたが、反論せずカレーは完食していた。


こうして合宿二日目は過ぎ、六花もとても幸福な気持ちでベッドに入った後。

――この夏休みで、もっとも恐れていたことが起きた。




「彼らはあなたたちを利用するつもりですよ」


ラーザリと出会ったのは、兄カルネがロベラ、スヴェンと共に戦場をいくつか渡り歩いた後のこと。

負け知らずのチームがあるとなれば自然とその名前は大陸に広まっていくことになり、自ら仕事を探し求めていたのが、仕事のほうからカルネたちを指名してくるようになっていた。


ラーザリは、カルネたちに仕事を依頼してきた貴族の子息だった。


「あなたたちを使い捨ての囮にするつもりなのですよ。目障りな敵を潰して手柄だけ横取りをし、自らの家名を上げ、ついでにあなたたちが死んでくれれば報酬を支払う必要もなくなる――うまい話には裏があると思い、身の程を知るべきですよ」

「うまい話に裏があるのなら、私たちでそれをひっくり返して表にしてしまえばいい」


カルネは静かに言い、不敵に笑う。


「私たちも力を持ち、正攻法だけではこれ以上、のし上がることが不可能になってきた。リスクを踏み越えて上を目指す時がやって来たのだ。君の家のことは、そのひとつに過ぎない」


少しずつカルネのもとに集まる人もでてきて、自分たちも身の振り方を変える時が来た。

――最初から、ただの下っ端兵士として戦い続けることがカルネの目的ではなかった。そんな生き方から必ず脱却してやると、兄は強い決意をしていて……。


「……心配してくれてありがとう。ラーザリ……だったかな。わざわざ私たちに教えに来てくれたのだろう」


ロベラ、スヴェンは敵意を発しながらラーザリを見ていたが、兄は穏和な態度でラーザリに接し、笑みを絶やさなかった。

ラーザリのほうが、兄の態度に対して呆れたような表情だ。なんとも能天気な、と呟いている。


「ラーザリ」


用は済んだとばかりに立ち去ろうとするラーザリを、カルネが呼び止める。宿の部屋の扉に手をかけていたラーザリは、立ち止まって肩越しにこちらを見た。


「もしよければ、また来てくれないか――戦闘に参加してくれという意味じゃないんだ。君が来て……うちに身を寄せている子たちに、勉強を教えてやってくれたら、と思って」


戦場を渡り歩けば必ず出会うのが、敵と味方の兵士と……戦争に巻き込まれて身寄りを失った幼い子供。

少しずつ力をつけていって、自分たちで子どもを引き取り、世話をする余裕ができてきた。それでも、まだまだ足りないものだらけ。


「自分の名前すら書けない子がほとんどだ。教えれる人間も限られているし」


露骨にため息を吐き、ラーザリは部屋を出て行った。


ラーザリには何のメリットもない頼みだ。

バカげてるぜ、とスヴェンは容赦なくカルネの無謀さをツッこんだが、その後もラーザリは何度かこちらへやって来て、暇つぶしです、と言って子どもたちにちょっとずつ文字を教えるようになり。


数か月と経たないうちに、ラーザリことラズが加わって、カルネは正式にエンデニル傭兵団を旗揚げした。


――そんなラズと出会った時の夢を、六花は見てしまったのである。


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