第2話壱 夏休み
夏になり、ルミナス学院は夏休みを迎えた。
長期の休暇となるため、学生寮暮らしの六花たちも各々の家へと帰ることになり、神代領の美雲邸では、帰ってくる人たちを待ってそわそわとしていた。
「車の音がしたよ!きっとりっちゃんたちが帰って来たんだ!」
六花の妹はなは、そう言って立ち上がり、玄関に駆けていく。はなを追いかけて、愛犬のユキも元気よく走るが、こっちは単に習性でついっていっているだけだろう。
玄関を開けると、門の向こうに停まった車から六花たちが降りてくる姿が見えた。
「風花、重いだろう。俺も持つよ」
「平気だって、これぐらい」
自分と六花の分の荷物を一人で持つ風花に父が声をかけており、六花はアヒルとクマのぬいぐるみだけを抱えている。
帰って来てくれたのが嬉しくてはなが名前を呼ぶと、六花たちがこちらを見た。
「りっちゃん、ふうちゃん、お帰り!今回はお馬さんじゃないんだね」
「ただいま、はなちゃん。荷物があったし、今回は休みも長いから、のんびり汽車に乗って帰って来たわ」
駅までは父が車で迎えに行っていた。
犬のユキも尻尾を振り、六花と風花の周りを駆け回る。みんなで家に入ると、厨房で食事の支度をしていた母も嬉しそうに駆け寄ってきた。
「りっちゃん、ふうちゃん、お帰りなさい。今日はちゃんと、ご馳走の用意が間に合ったわよ」
久しぶりに五人全員で食卓を囲み、洋テーブルの足元ではユキも犬用のご馳走をほおばる。
またユキを家に入れてんのかよ、と風花は呆れていたが、ユキちゃんも大事な家族だもん、と頬を膨らませる妹に反論することはできなかった。
「学校の再開は長月の一日からなんだよな?」
「うん。でも来月の頭に生徒会のみんなで夏合宿しようって話になって」
母が作ってくれたご馳走を食べながら学校の予定を確認する父に、六花が答える。
「他の部活は夏休みの間も夏合宿をしていたんだけど、生徒会はいままでしてこなかったの。部活とは違う立場だし、顧問もいないし」
だが、夏合宿という存在を知った大河が羨ましがったことで、生徒会長が今年は生徒会でも夏合宿をしよう、と提言したのだ。
……会長も、本当は夏合宿というものをやってみたかったらしい。友達と一緒にお泊りなんてことを、したことがない人だから――と、副会長がこっそり教えてくれた。
「夏合宿と銘打ってるけど、実質はただのお泊り会ね。会長のお父様が所有している別荘にみんなで遊びに行くの」
「いいなぁ。なつがっしゅく、楽しそう!」
姉の話を聞き、幼い妹は目を輝かせている。そう思うでしょう、と六花は笑顔で相槌を打った。
「それで、会長がもしよければ、はなちゃんも一緒にどうかって、誘ってくれてるの」
「はなちゃんも?一緒に行っていいの!?」
椅子の上に立ち上がり、食卓の上に身を乗り出す勢いではなちゃんが言った。
母は少し困惑している。
「とても有難い申し出だけど、いいのかしら」
「会長のお父様の別荘だから、会長も自分の弟さんを連れて行くつもりなんですって。副会長は妹さんを」
「マリーも来るの!?」
だから六花たちの妹も誘ったのである。副会長も、自分の妹を遠距離の友達と会わせてあげたくて、あえて連れて行くことを決めたのだ。
良かったなぁ、と父が笑顔で言った。
「祭りに来てくれた女の子だろう?はな、ずっとまた会いたいって言って、ガラテア語も勉強してたもんな」
うん、とはなも元気に頷く。
「はなちゃん、ガラテア語、ちょっとだけ話せるようになったよ」
「マリーもはなちゃんと自分でお話できるようになりたくて、ワダツミ語を勉強しているそうよ。副会長が教えてくれたわ」
生徒会長の弟のことはよく分からないが、ワダツミ文化を愛する父親の教育方針で、会長の弟もワダツミ語はほぼ完璧にマスターしているらしい。
夏合宿に参加する人間はみな、ワダツミ語での意思疎通が可能ということだ。
「はなちゃんも行きたい!お母さん、はなちゃんも一緒に行っていいよね?」
「ダメとは言わないけど、りっちゃんたちの夏合宿だから、りっちゃんやふうちゃん、りっちゃんたちのお友達の言うことをちゃんと聞くのよ」
うん、とはなはまた元気に頷いた。
夏合宿に向けた旅支度と用意をしながら、夏休みは平穏に過ぎた。
前の帰省で竜に襲われた経験から、今回も竜が襲ってくるのではないかという不安があり、生徒会メンバーからもそのことを強く心配されたのだが、夏休み前半は杞憂で終わった。
美雲家では自分で動いてお喋りをするぬいぐるみが二体に増えたという小さな事件が起きていたが、クマのぬいぐるみが時々、美雲家で飼われている犬に挑んであっさり返り討ちに遭うこと以外の問題行動は起こさなかった。
……元のスヴェンなら負けるわけがないだろうが、小さなぬいぐるみの身体で勝てるはずがないだろうとアミルも風花も呆れていた。
そうして八月になり、夏合宿のために妹を連れて王都へ向かうため、美雲一家は朝早くから駅へ向かった。
「お馬さんには乗らないんだね」
汽車を待つ間、妹がそんなことを話す。
「お泊りのための荷物が多いから。そのうち、はなちゃんも天馬に乗せてあげるわよ」
汽車に乗り、窓から駅を見て、両親に向かって手を振る。両親も手を振り返し、出発する汽車を見送った。
始発のため、空はまだ薄暗い。山の向こうから昇る日の光が見えるだけで、太陽そのものは見えない。
初めての汽車の旅に妹は興味津々だが、早起きしたのでまだ眠たくて、次第に六花にもたれてウトウトとし始めた。
途中の駅で帝都から汽車に乗りに来た大河、勇仁と合流したのだが、その時には六花の膝を枕にすやすやと眠ってしまっていた。
「ありゃ。妹ちゃん、寝ちゃってる」
「俺たちより早起きしてるんでしょ。無理もないよ。静かにして寝かしてあげなよ、大河」
勇仁にたしなめられ、はーい、と大河も大人しく座っていた。
「会長さんたちのおかげで、夏合宿でも汽車の個室を取ってもらえたのは助かったね」
入学の日と同じように、六花たちの席はコンパートメントとなっている。
学院とは直接関係のないものなので本来なら一般客と同じように争奪戦を勝ち抜いて予約しなければ取れない席なのだが、グランヴェリー公爵家の威光と伝手を惜しみなく使ってくれた会長のおかげで、すんなりと席を取ることができた。
窓際に妹のはなが座り、その隣に六花、向かいに風花が座っていたのだが、後からやって来た大河は六花の隣に、勇仁は風花の隣に座った。
ぬいぐるみのアミルとスヴェンは、窓から外を眺めたり、コンパートメントの扉から列車内を観察したりと、相変わらず、一万年前には存在しなかった汽車に好奇心が抑えられないらしい。
……神代へ帰省するときには、初めて乗る汽車に大興奮状態だった。
大河たちと合流して半刻も経たない頃、はなも目を覚ました。
最初はあまり見覚えのない大河、勇仁に戸惑い、六花にぴったりくっついてこっそり様子をうかがっていたのだが、大河の愛想のよさ、人懐っこさのおかげで、彼らに慣れるまで時間はかからなかった。
昼が過ぎる頃には食堂車で昼食を取った後、大河、勇仁と共に、二体のぬいぐるみを連れて汽車の探検に行ってしまったぐらいで。
目的の駅に着くと、迎えに来てくれた生徒会長の姿にまた妹は大人しくなっていた。
「長旅で疲れただろうが、別荘までまだもう少しあるんだ。車は二台用意させたから、荷物も全部乗るはず」
六花たちを出迎えたのは会長の他に、車の運転手と、あまり見覚えのない青年だった。
会長より背は高いが、顔立ちはちょっと幼い印象を受けるし、何よりもグランヴェリー家特有の赤毛……。
「弟のシルヴェリオだ。総督府を訪ねた時、父が連れていて軽く紹介していたが、直接顔を合わせるのはこれが初めてだったな。シルバー、俺の生徒会のメンバーだ」
会長は弟に対しても丁寧に六花たちのことを紹介したが、弟のシルバーはちらりと視線を向けただけで、ほとんど興味なさそうにしていた。
愛想のよい会長とは対照的に、弟のほうはずいぶんと不愛想な印象である。
もっとも、不愛想な青年という意味では風花も負けてはいないと思う。大河と勇仁は会長の弟の態度を気にしていないようだし、風花は会長の弟に劣らず不愛想な態度だ。
妹のはなは六花にしがみついたまま、こそっとグランヴェリー兄弟を見つめている。
「……弟がすまない。弟は誰に対してもこんな態度で、君たちを嫌っているわけじゃないんだ。はなちゃんも、遠くから来てくれたのに怖がらせてごめん」
会長の優しい表情とハンサムな顔立ちは幼い女の子にも非常に有効なようで、姉の服の裾を握ってしがみついてはいたが、妹は照れていた。
副会長は自分の妹を連れて別行動でグランヴェリー家の別荘に向かっているそうで、一同は車に乗り、目的地へと向かう。
六花と妹のはな、大河、勇仁は前の車に乗り、会長と風花は、会長の弟と共に後ろの車に乗っていた。
――後ろの車の空気ヤバそう、と大河が茶化していたが、きっとその通りなのだろうな、と六花も心の中で同意した。
お陰様で六花たちのほうは目的地まで楽しくドライブし、景色は流れて行って、緑豊かな山へと車は走り、やがて大きな屋敷が見えてきた。
「きっとあれだね。門の前に副会長さん見えるし」
大河が言った。
大河と同じぐらい窓にべったり貼りついて外を見ていたはなも屋敷の前に立つ人を見つけ、その姿を確認して興奮している。
「マリーだ!りっちゃん、マリーだよ!」
車が停まると早く降りようと妹が急かしてくる。クスクスと笑って六花が車の扉を開けると、はなは勢いよく駆けて行った。
「マリー!」
「はなちゃん」
数か月ぶりの再会に、二人とも大喜びだ。副会長も妹たちを微笑ましく見ている。
「中に入って待っていてくれて構わなかったのに」
「俺もそう思ったんだが、マリーがはなちゃんを待ちたいと言って聞かなくてな」
後続の車から降りてきた生徒会長が話しかけ、副会長が答える。
二人とも、六花たちの到着を出迎えるためにずっと待っていてくれたらしい。
会長は六花たちに視線を向け、言った。
「ようこそ、グランヴェリー家の別荘へ――と言ってもここはワダツミ国内だから、もしかしたら土地のことは俺より君たちのほうが詳しいかもしれないな」




