第1話壱 お買い物日和
ある休日の学生寮――六花の部屋。頭から毛布を被せられてしまった二体のぬいぐるみたちは、毛布の中から話しかけた。
「おーい。もうこれ取ってもいいか?」
「ルチル様の許可なく勝手に何度も取ろうとしてたくせに何言ってんだ。ちゃんと大人しく待ってろ」
「チッ、いちいちうるせえな……なんでおまえまでここにいるんだよ」
「スヴェンがルチル様の着替えを覗きに行こうとするからだろ!俺だってルチル様のお部屋に侵入するなんて真似、したくなかったっての!」
毛布の中で言い合うスヴェン、アミルの声に続き、ボスッボスッと綿がぶつかり合う音が聞こえてくる。殴り合っているのかな、と六花は苦笑いし、毛布を取った。
「喧嘩しないの。私ももう着替え終わったから」
急に視界が明るくなったので、あひるのぬいぐるみはブルブルと首を振り、クマのぬいぐるみは眩しさに沈黙していた。
視界を取り戻すと、アミルはパッと両翼を広げた。
「とてもお可愛らしいです!さすがはルチル様!どんな衣装も着こなしてしまいますね!」
「ありがとう」
洋装の私服に着替え終えた六花を見て、アミルはさっそく絶賛する。ほー、とスヴェンも品定めしているような声を上げた。
「それがいまの時代の服装なんだな。やっぱり俺たちの時代のものとはちょっと違うな。悪くはないんじゃねえか?」
スヴェンの評価にアミルは不満そうだったが、六花は笑顔で礼を繰り返した。
用意しておいたカバンを肩から下げて、揉めているスヴェン、アミルを鷲づかみにしてカバンの中にぎゅっぎゅっと押し込む。二人が入るように作った六花お手製の一品である。
二人を連れて、六花は自室を出て談話室へと降りた。
「お待たせしてごめんなさい」
談話室には寮で一緒に生活している大河、勇仁の他に、今日は生徒会長と副会長もいた。
四人とも全員私服で、入ってきた六花に振り返る。
「気にしなくていい。俺たちが早く来過ぎただけだ。まだ待ち合わせ時間にもなっていない」
部屋にある大きな柱時計に目をやりながら、会長が言った。
「フーカ……?あら……もしかして、まだ寝てるのかしら。ちゃんと起こしに行ったのに」
「起きてる」
談話室を見回して顔をしかめる六花の頭を、背後に立つ風花が小突く。六花はわざとらしく痛がり、唇を尖らせて風花に振り返った。
「なによー。疑われるぐらい前科が多いフーカが悪いんでしょ」
それについては風花も反論はせず、ちょっとだけ笑って、六花が手に持っていた帽子を取り上げて六花の頭にボスっと被せる。
そろそろ出るか、と副会長が言った。
「予定よりは早いが、ゆっくり見る時間が増えると思えば悪くはないだろう」
「賛成!俺、早く町に行きたい!」
大河が元気よく答える。
今日は、会長たちに案内してもらって、町――学院の外を見て回ることになっていた。
「ガラテア王国領ワダツミ特別区」は「王都」と呼ばれ、ワダツミ帝国内でも特殊な場所となっている。
ガラテア王国の領地にも等しい扱いで、ガラテア人によって築かれたガラテア人の町。恐らくは、ワダツミ人の六花たちは非常に浮いた存在となることだろう。
そんな六花たちのお守り兼護衛役として、会長と副会長も今日の外出に同行してくれることになったのだった。
町自体は、入学の日に列車から見たり、総督府に招かれた時に車から見たりしたが、実際に自分の足で歩いて、町を見て回るのは初めてである。
大河はもちろん六花もとても楽しみにしていたのだが、どこか心配そうな勇仁、風花の気持ちも理解していた。
会長たちも、彼らと同じ懸念を抱いているからこそ、わざわざ休日に同行してくれるわけで。
「みんな、支給された耳飾りを今日も付けてるな?これがあれば、よほど遠くに行ってしまわない限りは俺たちは互いに連絡が取れるはず」
正門前に迎えに来てくれた車に乗って町へ向かい、人通りの多い広場で降りると、会長が真っ先に確認する。
大河が自分の耳飾りを確認して頷く。
「これが届く範囲なら、迷子になっても会長さんたちに助けてもらえるってことだね」
「とは言え、この耳飾りの性能は大したことはない。学院内ならば問題ないが、この広い王都では簡単に範囲外に出てしまうだろう。行動するときはせいぜい二グループに分かれることにして、俺かオルフェは必ず付き添っておくべきだ」
副会長が言い、そうだな、と会長も相槌を打つ。
「四人が希望している場所を考えると……ミソノジたちのほうに俺がついていって、ミクモたちはローズに任せるべきか?」
会長と副会長に同行してもらうので、事前に四人で町のどこへ行くか、相談済みである。
六花は裁縫店、風花は本屋。大河は特に目的を定めず町を見て回りたいみたいで、勇仁は会長たちの都合に合わせる、でいいらしい。
見たい店がはっきりしている六花、風花が一緒に行動することになり、勇仁は大河と一緒だ。
「俺はむしろ逆にすべきだと考えている。ミクモたちは目的を定めている分、買いたいものもはっきりしている――同行者の役割も、おのずと決まっている」
「……つまり?」
「ミクモたちに同行するならば、案内係と共に荷物持ち係にもなるということだ。任せた、オルフェ」
先に結論を出してしまった副会長に苦笑しつつも、会長も異論はないようだ。
お世話になります、と六花はニコニコと会長を見上げて言った。
「アミル。おまえ、タイガと一緒じゃなくていいのか?あいつの身体乗っ取って動けるんだろ」
「その通りだけど言い方」
六花のカバンに入ったまま、スヴェンとアミルがこそこそ喋っている。
「タイガの厚意にあぐらをかきたくない。あいつの休みなんだから、俺が邪魔しちゃダメだろ」
「……それもそうか。あーあ、それでも良いよな。おまえはいざとなったら自分の力が使えるんだから」
……なんて言っていたが、スヴェンも大人しく六花のカバンの中でショッピング……の様子を見て我慢することにしたらしい。
二人とも、一万年前にはなかった施設や設備を見ていたら、不満も忘れていた。
「綿は変えても大丈夫だと思うけど……布部分も変えて大丈夫なのかしら。アミルのは裁縫習い始めてすぐぐらいに作ったものだから、ちょっと耐久性に心配があるのよね」
裁縫店に着いてぬいぐるみ作りの素材を買い揃えつつ、アミル、スヴェンの身体を補強する方法を考えて六花はブツブツ呟く。
「糸や針だけでもこんなに種類があるんだな……。俺にはどういう違いがあるのかさっぱりだ」
「覚悟がないなら迂闊に質問しないほうがいいぞ。無駄に熱のこもった長話に捕まって後悔することになる」
離れたところで会長と風花がこんな会話をしていたが、買うべきものを考えるのに夢中になっている六花の耳には入らなかった。
とりあえず必要なものは購入して、次は風花が希望する本屋へ。
……行くはずだったのだが、向かう途中の通りで華やかな洋裁店を見かけ、六花が思わず視線を向けたのを男子二人は目ざとく気付いていた。
「寄っていくか?」
風花の言葉に、いいわよ、と六花は慌てて首を振る。
「見えたからちょっと気になっただけ。今日しか行けないわけじゃないんだから……。フーカの行きたかったところに行きましょう」
「別に、どっか行きたいところがあるかって聞かれたから思いついたことを言っただけだ。蔵書量だったら学院の図書室が絶対に上だろ。ガラテアの本屋ってのがどんなもんか、見る機会があるなら覗いてみるかってだけだ」
「フーカもこう言ってくれてるんだから、せっかくだし寄っていこう。俺たちが入りづらい……のはあるが」
外から見える店の内装も、店内の客も、男性客が及び腰になってしまいたくなるようなものだ。
でも……二人のビジュアルなら、実はそんなに店の雰囲気から浮かないだろうな、と六花はこっそり思った。指摘しても、そんなことない、と口を揃えて否定されそうだから言わないけど。
「少し見てくるだけなので、二人はここで待っていてください。すぐ戻ります」
これ以上、自分のわがままに付き合わせるのも申し訳ないので、六花は一人で店に入ることにした。
えっ、と会長が困惑するのが見えたが――なぜ会長が困惑しているのかも分かっていたが、構わず駆け出し、店の扉を開ける。
扉を開けると開閉に合わせて鈴が鳴り、店内がシン……となって、全員の視線が六花に集中した。
――予想に違わず、ワダツミ人の六花はここでは異端者だ。
様々な感情が込められた視線を向けられても、何も気付かないふりで六花は店の中で飾られた洋服たちを眺める。
神代もかなりハイカラな町になって、洋裁店も珍しくなくなったが、やはり本場の国には敵わない。ドレスも、一万年も経てばずいぶんと様変わりしたものだ……。
「――お客様」
どこかひやりとした口調で、ガラテア人の従業員が話しかけてくる。従業員は美しく愛想笑いで六花を見つめていたが、その目にははっきりとした侮蔑の色が浮かんでいた。
「申し訳ございませんが、当店にはお客様のご要望にお応えできるような品は置いていないと思うのです。どうぞ、他店をお当たりくださいな」
棚の影から、ヒソヒソ声が聞こえてくる。従業員と六花のやり取りを見ていた客が、聞こえていないつもり……いや、聞こえていてもどうせワダツミ人が相手なら通じないだろう、通じていたって構うものか、という本音駄々漏れで囁き合う。
「ガラテア語、通じないんじゃないの?」
「知るもんですか。未開の地の猿が、私たちと同じつもりでいるほうが愚かなのよ」
六花の耳には、紋章石を組み込んだ耳飾りがついている。
大河たちは通信範囲外にまで行ってしまったみたいでもう声は聞こえてこないが、店の外にいる風花や会長ぐらいなら、六花が聞こえているものは耳飾りを通じて聞こえているわけで。
耳飾り越しに、会長が心配そうに話しかけてきた。
『ミクモ。やっぱり俺も一緒に行こう。グランヴェリー家の名前を出せば、彼女たちも無礼な態度を引っ込めるはずだ』
会長はそう決心してくれたが、それよりも先に、助け船がやって来る。
――本人は助けるつもりなどなかっただろうが、六花に関わったのが運の尽き。
たまたま店に居合わせた、今日も見事な縦ロールのヒバート嬢が、六花を見て高笑いしてきた。




