91.ノリノリですかそうですか
今日は3話更新できそうです。
レティキュールを3つ並べ、公爵さまは眉間のシワを深くしてる。
一同緊張の中、公爵さまはようやくぼそりと言った。
「すばらしい」
一気に場の空気が緩む。
いや、だから、そういう言葉は最初に言ってあげて?
ツェルニック商会一同なんて、もう可哀そうなくらい緊張しまくってたでしょ? 最初に賛辞の言葉をあげていれば、みんな無駄に緊張しなくて済んだのに。
まあ、そう告げた声も低いし、すっごく考え込んでるようすなんだけど、どうやら公爵さまは本気で感嘆しているようなのよね。
「この新しい刺繍は本当に、さまざまな可能性を秘めているな」
唸るように言って公爵さまは、ようやく本日のお題に言及してくれた。
「ゲルトルード嬢、それではこのコードを使った刺繍を、意匠登録するというのだな?」
「それにつきましては」
私はさっとエグムンドさんに視線を送った。「商業ギルド意匠登録部門部門長のベゼルバッハさんから説明をしていただきます」
恭しく礼をしたエグムンドさんが、一昨日私たちに話してくれたマーケティングのお話を公爵さまにも披露してくれた。
公爵さまも身を乗り出して、熱心に話を聞いている。
そして、公爵さまは大きくうなずいてくれた。
「なるほど。其方の説明は実によくわかった。其方の言う通り、このコードを使った刺繍という手法に関しては、意匠登録はしないほうがよいだろう」
私も、ツェルニック商会の名を残すためコード刺繍の図案を意匠登録しておくこと、それによってコード刺繍をするならまずツェルニック商会へという流れを作りたいと考えていることを、公爵さまに説明する。それについても、公爵さまはしっかりうなずいてくれた。
ふっふっふっ、やっぱりこの辺りは事前に話し合って根回しできたから、とってもスムーズよね。
「現在、ツェルニック商会さんが、わたくしの衣装に何着か、このコード刺繍を施してくれているのです」
私の説明を受け、お母さまが言い出してくれた。
「そうなんですの、公爵さま。いま、ゲルトルードの夜会用の衣装に、この新しい刺繍を施してもらっておりますの」
「ほう、夜会用の衣装というと……」
公爵さまは、それだけでもう察してくれたようだ。
お母さまは嬉しそうに言った。
「はい、『新年の夜会』ですわ。公爵さまにはぜひ、ゲルトルードをエスコートしていただきたいのです。それによって、公爵さまがゲルトルードの後見人になってくださったことのお披露目になり、同時に新しい刺繍を使った衣装のお披露目になると存じますので」
「ふむ……」
公爵さまはあごに手を遣り、また眉間のシワを深くした。
あれ?
まさか断ったりしないよね? だって、あれだけ私の後見人になりたがってたんだし、これくらいお披露目にぴったりな場ってないと思うんだけど。
そりゃ、確かに私としては、公爵さまが断ってくれたほうが、踊らなくて済んで大助かりっていうのが本音なんだけどね。
などと思っていたら、公爵さまがおもむろに口を開いた。
「では、私が当日着用する衣装も早急に用意しよう。おそらく黒になると思うが、襟や袖口にこのコード刺繍をあしらえば、ゲルトルード嬢の衣装とともに話題になるはずだ。ツェルニック商会には、いつまでに届ければいいだろうか?」
「公爵閣下!」
ツェルニック商会一同が、その場にひれ伏さんばかりの勢いで叫んだ。
「ありがとうございます! まさか私どもに、公爵閣下のお衣裳に針を刺す栄誉をお与えくださるとは!」
「必ずやご満足いただけるものに仕上げさせていただきます!」
「お衣裳につきましては、なるべく早くお願いできますでしょうか? ゲルトルードお嬢さまのお衣裳と模様をそろえるなど、意匠にも凝らせていただきますので!」
公爵さま、夜会のエスコートはOKだよって答えもせずに、いきなり自分が当日着る衣装の話まで飛んじゃったよ。
うん、まあ、それだけ乗り気でいらっしゃるんですね? 眉間にシワ寄せてても、気分はノリノリでいらっしゃるんですね?
しかし、いいのか私?
夜会で公爵さまと、おソロの衣装で踊ることになっちまったよ……。
すっかり遠い目になっちゃった私を置き去りにして、エグムンドさんも『新年の夜会』がどれほどお披露目の場としてふさわしいか、公爵さまに力説しちゃってる。
「すばらしいです、公爵閣下。ゲルトルードお嬢さまだけでなく、閣下自らこのコード刺繍を施したお衣裳をお召しくださるのであれば、夜会にお集まりのかたがたにそれはもう強く印象付けることができますでしょう。しかも『新年の夜会』は、流行に敏感な年若い貴族のかたがたが多くご参加される夜会です。新しい装飾であるコード刺繍に惹かれ、即座に試してみようとお考えになるかたも少なくないと予想できます。お披露目として『新年の夜会』は、まさにうってつけであると存じます」
はい、エグムンドさんもノリノリです。
さらにここで、エグムンドさんの眼鏡キラーンが入りました。
「閣下、僭越ではございますが、お伺いしたいことがございます」
「なんだろうか?」
「『新年の夜会』におかれまして、エクシュタイン公爵家さまよりご祝儀のお届けは可能でございましょうか?」
エグムンドさんの問いかけに、公爵さまの口の端がわずかに上がった。
「私もいま、それについて考えていた」
「さすがでございます、閣下」
にんまりと、エグムンドさんの口角が上がる。「閣下のお考えの通り、ゲルトルードお嬢さまが考案なさいましたあのメニューを」
「うむ。これまた、まさにうってつけだな」
な、なんですか、その黒幕の悪だくみ的な会話は?
なんかちょっとドキドキしちゃってる私に、公爵さまは口の端をあげたまま言ってきた。
「聞いての通りだ、ゲルトルード嬢」
いや、聞いてはいましたけど、なんのことか私にはさっぱりわかりません。
あいまいな笑顔を浮かべた私に、公爵さまは上機嫌でさらに言ってくれた。
「我が公爵家から『新年の夜会』への祝儀として、当日参加者が口にする軽食を提供しようと思う。できれば、きみが考案したというあの『さんどいっち』を提供したいのだが、どうだろうか?」
そ、そういう意味のお話でしたか。
それだったらもう、全然問題ないです。サンドイッチなんて、パーティの立食にはもってこいのメニューなんだし。
私は笑顔で答えた。
「もちろん、公爵さまのお望みのままにご提供くださって結構でございます」
「そうか、ではレシピの購入をさせてもらおう」
うなずく公爵さまに私は、マヨネーズの話もしたほうがよさそうだな、でもまた試食っていうと今日は難しいかな、なんて思案してたら、公爵さまはさらに言ってくれた。
「ああ、細長いパンの『さんどいっち』については、軍が正式にレシピを購入すると決定した。そちらも頼もう」
おおう、なんかすでに、レシピで結構収入が得られそうな展開じゃないですか。こっちもノリノリですね?
私はちょっとほくほく顔になっちゃいそうなのを、なんとかがんばって堪える。
でも、公爵さまのお申し出はまだ終わりじゃなかった。
「それから、例の布についても、魔法省魔道具部が権利を売ってほしいと言っている。それについては、改めて相談したいのだがいいだろうか?」
へ?
あの、例の布って、蜜蝋布ですよね?
それを、魔法省の魔道具部? 権利を売って欲しい? いったいどういうお話なんでしょう?





