89.ああもう、次行こう、次!
今日も2話更新できそうです。
私には拒否権も退路もなし。
それどころか、お婿さんAまたはBの選択肢も、このままじゃ間違いなくBだけになっちゃうよね? だって、公爵さまは私に領地を経営しろって言ってるわけだから。
私が持ってる爵位にも領地にも財産にもまったく興味を示さず、お飾りの伯爵家当主としてただもうにこにこと座っていてくれるようなお婿さんB……を、6年以内にゲットする。
どんな無理ゲーだよ!
しかも私があんなに悩んで考えてたのに、すべてバッサリだよ!
なんかもう、マジでちゃぶ台かなんかひっくり返したい気分なんですけど!
なのに、公爵さまは私が納得したとでも思ってるのか、相変わらず満足そうに言ってくれちゃうんだ。
「ゲルトルード嬢、もちろんきみが成人するまでは、クルゼライヒ領は私が預かる。きみは学院に通いながら、自領について学んでいけばよい。クルゼライヒ領は恵まれた領地だ。特別なことはしなくとも、手堅く経営していれば十分な収益をあげられるはずだ」
ええもう、簡単に言ってくれちゃうわよ。公爵家の嫡男、跡継ぎ息子に生まれて、最初からそのために育てられてきたアナタならそうでしょうけど。
こちとら伯爵家の令嬢に生まれて16年、ずっと当主から虐待されて学院に入学するまで家から外出したのはたった2度だけっていう超箱入りですからね! 中身はもうちょっと、いやだいぶ、スレてますけど!
でも、お母さまもどこかホッとしたように言い出してくれちゃうんだ。
「そうよ、ルーディ。何もいきなり、貴女1人だけで領地を経営しなければならない、なんてことはないのよ。公爵さまを始め、貴女を助けてくださるかたがたがいらっしゃるのだから。貴女が前向きになってくれて嬉しいわ」
お母さま、私は確かにさっきまでの悲壮感たっぷりどんよりモードから切り替わってますけど、それは別に前向きになってるんじゃないです。ただ腹が立ってきただけです。
なんて言えるわけもなく、私はただもう両手を握りしめるしかないんだけど。
それでもやっぱり、私はお母さまの笑顔には弱い。
それに、さっきお母さまが言ったことで、私も気がついたのよね。爵位持ち娘になっちゃった私が打算まみれのモテ期到来になりそうなのと同じように、お母さまも危険な状況になっちゃったんだ、ってことに。
それもこれも、領地や財産を公爵さまが私に返してくれるから、なんだけど。
だって、もしいまお母さまが再婚させられたりなんかしちゃったら、公爵さまが私にって返してくれる領地は、その再婚相手に持っていかれちゃうのよ。いや、領地だけじゃないわ、私が相続するもののうち、爵位以外は全部持っていかれちゃう。
それを狙って、お母さまに言い寄ってくるクズが湧いて出る可能性、めちゃくちゃ高いでしょ。それでなくてもお母さまはこんなにも美人でかわいくて、おまけにまだ若いんだから。
もしまかり間違って、お母さまがとんでもないクズの罠に嵌められちゃったりなんかしたら……ダメ、絶対ダメ!
けどホンット、この国ってなんでここまで女性を差別するかな? 結婚したら妻の財産はすべて夫の所有になるのに、夫が亡くなってもその財産は妻には相続されない。すべて子、それも跡継ぎのみが相続する。例外は、子がない未亡人だけ。
でも、その跡継ぎが女子であれば、また結婚によって所有財産は夫のものになっちゃう。しかも、跡継ぎ女子が爵位持ちであれば、22歳までに結婚しなければ爵位は国に取り上げられちゃうんだから。
なんかもう、女になんか絶対財産持たせてやんねーよ、って言ってんのかってくらい、もはや悪意を感じるよね。
ああもう、どんな無理ゲーでも、私はやっぱ6年以内にお婿さんBをゲットしなきゃダメなんだわ……お母さまのためにも!
とにかく、どんより凹んで思い悩んでる時間なんてないんだってこと。目の前のことひとつひとつに、取り組んでいくしかないわ。
私は自分の頬をパンッとはたく代わりに、こっそり両の拳で膝をタンッとたたいて気合を入れなおした。
「そうですね、お母さま。いまからあれやこれや、思い悩んでいてもしかたありませんものね」
「そうよ、それでこそルーディよ」
お母さまは、嬉しそうに笑ってくれた。
ええもう、お母さまがいつも笑っていてくれるなら、少々のことでも私は頑張れるわ。
そして私は公爵さまに向き直って言った。
「公爵さま、領地経営のことはこれからゆっくり考えさせていただきます。今日はとにかく、今日予定しているお話し合いを進めてまいりましょう」
「ああ、そうしよう」
公爵さまがうなずいたので、私はヨーゼフを呼んだ。
ヨーゼフはもう止めても無駄なので、今日は最初から仕事をしてもらってる。まあ、手が足りないのは事実だし。
「ヨーゼフ、お客さまは皆、到着済みかしら?」
「はい。控えの間でお待ちいただいております」
本日2つめの議題、意匠登録に関する話し合いの開始だ。
ヨーゼフに案内された、お客さま第2弾チームが客間に入ってきた。
ツェルニック商会一行も、さすがにめちゃくちゃ緊張してるっぽい。エグムンドさんは余裕ありそうな雰囲気だね。でも、クラウスの顔色がかなり悪い気がする。そんなに緊張してるんだろうか。この公爵さま、確かに威圧感はあるけど、悪い人じゃないし変に偉ぶったとこもないし、別に怖くないよー。
我が家の客間はとんでもなく広くて、いままで衝立を置いて仕切ってたんだけど、今日はさすがに人数が多いから衝立を取り払ってる。
その広い客間の一番奥に、公爵さまが一人掛けソファに悠然と腰を下ろし、公爵さまの左手側の少し下がったところに、控えるように近侍さんが座ってる。公爵さまの席の手前、右手側に私とお母さま、左手側にゲンダッツさんズが、向き合うようにして座っているという格好だ。
そしてもちろん、部屋の隅にはヨーゼフとナリッサ、シエラも控えている。
客間に入ってきたメンバーは、まずは公爵さまの前に膝を突いてご挨拶だ。
「エクシュタイン公爵閣下におかれましてはご機嫌麗しく、本日このようなお目通りの機会をいただきましたこと、我らツェルニック商会光栄の至りでございます」
うん、ツェルニック商会は今日も通常運転だね。兄弟とベルタお母さんで1セットだ。
それに比べると、エグムンドさんは礼儀正しいものの、わりとあっさりしてる感じだった。ただやっぱり、クラウスの顔色がよくないのが気になるな……。
全員が着席したところで、私は声をあげた。
「ではツェルニック商会さん、新しい刺繍の試作品を、公爵さまに見ていただきましょう」
「はっ、公爵閣下にご覧いただけるとは、我らツェルニック商会恐悦至極にございます」
うん、通常運転はいいから。
リヒャルト弟が例のレティキュールを取り出す。一昨日見せてもらった後、いったん返してあったのよ。さらに改良したいってベルタ母が言うから。
近侍さんがすっと音もなく立ち上がり、リヒャルト弟が捧げ持つレティキュールを受け取る。近侍さんはその場で確認をして(一応変なモノが仕込まれてないかとか確認が必要らしい)、恭しくレティキュールを公爵さまへと手渡した。
「ほう、これは……」
レティキュールを受け取った公爵さまの藍色の目が、大きく見開いた。





