69.またもや厨房に闖入者
「申し訳ございません、これはあたしの下の息子で、フリッツと申しますです」
マルゴはその大きな体を縮めるように恐縮して言った。「なんのお約束もございませんのに、自分が焼いたパンがどう使われたのか知りたいと、いきなり押しかけてまいりまして」
そう言って私に頭を下げるマルゴの向こうで、ぽかんとしていたその息子フリッツが、いきなりパーッと笑顔になった。
「ゲルトルードお嬢さまですか? 母がいつもお世話になっております! フリッツと申します!」
20歳くらいだろうか、大柄でがっちりした体格の青年なんだけど、このフリッツくんは妙に人懐こさがあるせいか威圧感がない。
でも、押しは強いようで、フリッツくんてばお母さんのマルゴを押しのけるようにして、私のほうへ足を踏み出した。
「いやあ、ゲルトルードお嬢さまのことは母からよく聞いてるんですよ、母は仕事の話はほとんどしないんですけど、こちらにお世話になってからは、家でもよく話してくれます。特にゲルトルードお嬢さまのことはベタ褒めで、こちらにお世話になることができて本当によかったと」
べしっと、マルゴがフリッツの頭をはたいた。
「余計なこと言ってんじゃないよ!」
マルゴは再び身を縮めるように頭を下げる。「本当に礼儀を知らぬ子で申し訳ございませんです、いきなりお嬢さまに話しかけるなどと。いますぐ叩き出しますので」
私は思わず笑っちゃった。
「いえ、大丈夫よマルゴ、構わないから入ってもらって」
「えっ、いいですか?」
マルゴが答える前にまたパーッと顔をほころばせて身を乗り出したフリッツの頭を、やっぱりマルゴがはたく。
「いいからお前はちっと黙ってな!」
私はまた笑ってしまった。だって、まるっきり親子漫才なんだもん。
「本当に構わないわよ、マルゴ。自分が焼いたパンですものね、どうやって食べられているのか、知りたくなるのは当然よ」
笑いながら手招きする私に、マルゴは恐縮しまくりだ。一方で、息子のフリッツはもうにっこにこ。大喜びで厨房に入ってきた。
「すげえなあ、これがお貴族さまの厨房かあ」
嬉しそうに、また物珍し気に、きょろきょろとせわしなく首を動かすフリッツの、その襟首をマルゴがむんずとつかんで前を向かせる。なんかホントに親子漫才だわ。
「あ、でも、今日作った分は、もうみんな食べちゃったのではないかしら?」
私の問いかけに、マルゴが答える。
「はい、あの、カールたちがもっと食べたそうだったもんで、残りも作っておきました。余れば明日の朝食に、またカールたちが食べるだろうと思いまして」
マルゴが示す先には、リールの皮を巻いたホットドッグが山盛り載ったお皿と、それに硬く絞った布巾に包まれたフルーツサンドらしきモノがあった。
フリッツがぽかーんとしてる。
いや、ホットドッグとフルーツサンドに対して、じゃなく、そのすぐそばに並んで座って木苺をつまみ食いしているお母さまとアデルリーナに、だ。
いやもう、していることがつまみ食い、げふんげふん、だろうがなんだろうが、お母さまの美しさとアデルリーナのかわいさを初めて目にした人は、まあそうなっちゃうよね。
うん、フリッツくん、それは正しい反応だよ。
でもあんまりにもぽかーんとしすぎちゃって、またマルゴに頭をはたかれた。
「フリッツ、ご当家の奥さまと、下のお嬢さまのアデルリーナさまだよ。ご挨拶しな!」
「へっ? は、え? あ、あの、フリッツです!」
ぴしっと姿勢を正して言ったフリッツの頭を、マルゴがむんずとつかんで押さえつける。
「奥さま、アデルリーナお嬢さま、申し訳ございません、コレはあたしの下の息子でございますです」
マルゴはフリッツの頭を押さえつけたままねじり、私のほうへ向けさせた。
「ほれ、厨房に入れてくだすったゲルトルードお嬢さまにお礼も言ってないだろうが! ったく、あたしに恥かかせてんじゃないよ」
「ありがとうございます、ゲルトルードお嬢さま!」
いやもう、私は笑いをこらえきれなかったんだけど、お母さまも朗らかに笑った。
「あら、マルゴの息子なのね? じゃあ『さんどいっち』のパンを焼いてくれた人ね?」
「は、はいっ! パンを焼かせていただきました!」
すっかり舞い上がっちゃってるフリッツに、お母さまはにこやかに笑いかけちゃう。
「とっても美味しかったわ。マルゴの息子はとっても上手にパンを焼くのね」
「ありがとうございます!」
うん、お母さま、一応彼らはプロの職人さんだからね、パンを上手に焼けるのは当然なのではと思います。
でもま、職人だといっても、誰でもこれだけちゃんとサンドイッチにあうパンや、ホットドッグにあうパンを焼いてくれるとは思えないから、本当に腕はいいんだろう。マルゴがしっかりと、どういうパンがいいのかを伝えたんだろうけど、その注文通りに焼けるかどうかはやっぱ腕の問題だもんね。
私は笑いながら、ホットドッグを1本手に取った。そして、リールの皮をずらしながらフリッツに見せてあげた。
「フリッツ、貴方が今日焼いてくれたパンは、こうやって食べたの」
フリッツの目が丸くなる。
「えっ、ソーセージが丸ごと1本?」
みるみるうちに、フリッツの顔つきが変わる。なんていうか、職人さんか料理人さんの顔になった。
「これ、真ん中に切込み入れて……味付けは粒辛子とトマトソース? ソーセージはふつうに蒸し焼きにして……?」
大きな体をかがめて顔を動かして、フリッツは私の手にあるホットドッグをいろんな角度から真剣に見つめている。
「とっても美味しかったのよ。手軽に食べられるし」
お母さまがまた朗らかに笑う。「ね、リーナ、美味しかったわよね」
「はい、とっても美味しかったです! 公爵さまも近侍さんも、美味しい美味しいっておっしゃってました!」
「あっ、ありがとうございます! って、あの、えっ、公爵さま……?」
ほとんど反射的に礼を言ったフリッツが、一拍置いて固まった。
固まってるフリッツに、マルゴがため息をこぼしながら言ってくれた。
「そうだよ。たまたまおいでになった公爵さまも、この『さんどいっち』をお召し上がりくだすったんだよ」
フリッツの顔がひきつってる。
なんかもう、ホントにわかりやすくてかわいい性格してるわ、このフリッツくん。
私はやっぱり笑いながら言ってしまう。
「先ほどまでエクシュタイン公爵さまがお見えになっていたの。それでこの細長いサンドイッチを召し上がってくださって、とっても気に入ってくださったのよ。それはもう、軍の携行食糧に採用したいとおっしゃってくださるほどに」
「ぐ、軍の、携行食糧、っすか?」
ひきつったままの顔を私に向けたフリッツの頭を、またマルゴがはたいた。
「なんだい、その言葉遣いは!」
「いや、でも、母さん、公爵さまとか、軍の携行食糧とか……」
「いいかい、よくお聞き」
うろたえちゃってるフリッツの胸元をつかんで、マルゴは自分のほうへ向かせた。
「公爵さまも召し上がってくだすって、しかも軍の携行食糧に採用したいとまでおっしゃってくだすったこの『さんどいっち』を、お前たちの店で売ってもいいと、ゲルトルードお嬢さまがご許可くだすったんだよ」
マルゴの言葉を聞いたフリッツは、まずぽかんと口を開け、それから完全に固まった。
固まっちゃってる息子に、マルゴが繰り返し言い聞かせる。
「この『さんどいっち』を、お前たちの店で売っていいんだ。しかも、レシピのお代金すらご不要だとまでおっしゃってくださってるんだ。いいかい、これから一生、ゲルトルードお嬢さまに感謝し続けるんだよ!」
「えっ、えっ、あの、えっ?」
わたわたと両手を動かして、フリッツはますますうろたえてる。
「フリッツ、まずゲルトルードお嬢さまにお礼を言いな!」
「あっ、ありがとうございます! ゲルトルードお嬢さま! ありがとうございます?」





