51.『貴族の常識』って?
公爵さまは、片手で私を遮り、もう一方の手で自分の頭を抱えている。
私、そんなに非常識なことを言っちゃったんだろうか。『貴族の常識』では、こういうときどう言えば『正解』だったんだろう。
なんかもう生きた心地がしない私に向かって、公爵さまはようやく口を開いた。
「確認するが……私はこの件、つまり『クルゼライヒの真珠』を取り戻すことに関しては、私にすべて任せてほしいと、きみときみの母君に言った。そしてきみたちは、それを了承した。間違いないな?」
「はい」
とりあえず、私はうなずく。
公爵さまはでも、眉間にシワを寄せまくった顔を、私に向けた。
「では、それで何故、代金をきみが支払うという話になっているのだ?」
「はい?」
私の返事が思いっきり疑問形になった。
なのに、眉間にシワを寄せまくってる公爵さまの頭の上にも、クエスチョンマークが浮かんでるような雰囲気だ。
「私に任せることを了承したのだから、それで終わりではないのか? そもそも、買い戻しの代金をどうやって都合するつもりなのだ? 『クルゼライヒの真珠』を売却した代金は、すでに新居の購入に充てたのだろう? 残金を返済に充てても、その後の生活費はどうするつもりなのだ?」
「え? あっ」
そうだ、その話をしていなかった、と私は慌てて説明する。
「あの、マールロウの、母の父である前マールロウ男爵家当主が、母に信託金を遺してくれておりました。わたくしたちの当面の生活費は、それで十分まかなえます」
「ああ」
ようやく公爵さまの顔に納得の色が浮かぶ。「なるほど、そういうことか」
そのようすに、私は胸をなでおろして説明を続ける。
「母が受け取れる信託金は向こう15年間です。その間、節約して暮らせばいくらかは支払いに回せます。ほかにも、何かわたくしたちにできることで収入を得て……」
「いや、待て」
再び公爵さまが手を上げて私を遮った。「だから何故、きみが代金を支払うのだ?」
「へっ?」
なんかもう、素で私は間の抜けた声をもらしちゃった。
だって、何故私が代金を支払うのかって……。
「あの、当家が売却した品を当家が買い戻すのです。当然、その支払いは、当家が負担するしかありませんでしょう?」
私の答えに、公爵さまは両手で頭を抱えてしまった。
「……さっぱりわからん」
ぼそりとつぶやいてから、公爵さまはげんなりと疲れた顔を私に向けた。
「私がこの件については私に任せるように言ったのだから、きみたちはただ品が返却されるのを待っていればいいだけではないか。何故わざわざ、自分たちに負担を強いるようなことを申し出てくるのだ?」
は、い?
私は本気でぽかんと口を開けてしまって……それから公爵さまが言ったことを何回も頭の中で反芻した。ただ品が返却されるのを待っていればいいだけ、って……。
あの、えっと、それってつまり……お支払いに関しても全部、公爵さまに丸投げしていいってこと? あの金額をそのまんま公爵さまが自腹を切ってくれて、私たちは私たちのミスで売っぱらっちゃった『クルゼライヒの真珠』をタダで返してもらえちゃうってこと?
ナニソレ?
詐欺? 詐欺だよね? 売ったものをほかの人に取り返してもらって、売ったときの代金は返さないで知らん顔しちゃうって、どう考えても詐欺だよね?
私はすっごい混乱してるのに、公爵さまは困ったように、あきれたように、深く息を吐きだしちゃうんだ。
「代わりの品を、それも複数寄こせと相手が言ってきた時点で、きみたちに十分な負担を強いることになってしまった。それを私は申し訳なく思っているのに、何故きみはさらに代金まで負担しようと言うのか? 私にはどうにも理解できないのだが」
くらっ、と……本当にくらっと、私は意識が遠のきかけた。
だって、このどう考えても詐欺でしかない行為が、『貴族の常識』なの?
貴族の間のお金のやり取りって、そんないい加減で大雑把で都合が悪けりゃ知らん顔しちゃっていいものなの?
そりゃあのクズ野郎が『期日を再考しろと言い続ければ済む』なんて、平然と言ってのけちゃうわけだよ!
げんなりした顔で公爵さまは言う。
「公爵家当主である私には、きみたちを援助できるだけの地位も財力もある。きみもその程度のことはわかっているのだろう? それで何故、私を頼らない? 何故そこまで、私を頼ることを拒絶するのだ? それほど私は、信用ならぬ相手なのだろうか?」
「えっ、あの」
私は飛び跳ねそうになった。
だってそんなつもりはこれっぽっちも……いや、まったく知らない相手をいきなり頼れと言われも困るけど、でもこの公爵さまが悪い人じゃなさそうだっていうのはだいたいわかってきたんだけど、そもそも何かがズレちゃってるっていうか……。
「あの、えっと」
私は必死に頭を回す。「あの、公爵さまはわたくしたちにとって債権者で、それ以外の接点などいままでまったくなかったと思うのですが……その、親族でもなく、親しくお付き合いがあったわけでもないかたを一方的に頼ってしまうというのは、失礼ではないのでしょうか?」
「……なるほど」
公爵さまはまたも深く息を吐きだした。「きみは、そういう考え方をするのだな……」





