48.緊急事態発生
え、えっと、いや、あの、マズイでしょ? マズイよね?
公爵さまに、国王陛下の義弟にあたられるかたに、我が家の執事の面倒を看ていただいた挙句、転寝されてしまうほど疲れ果てさせてしまうだなんて。
いや、いくら貴族の常識に疎い私にだってわかっちゃうくらいマズイ状況だよね?
だって一部上場大企業の代表取締役が、零細企業の平社員の付き添いをずっとしてくれちゃってるような状況だもんね?
ナリッサに向かって思わず口をぱくぱくしちゃった私に、イケメン近侍さんはやっぱりとってもさわやかに言ってくれた。
「もう少ししたら起こしますから。本当に大丈夫です、魔物討伐の遠征に行ったりしてると、どこでもすぐ、眠れるときに眠れるようになっちゃうんですよ」
いや、大丈夫って、いや、起こしますからって、近侍さんが公爵閣下を起こしちゃうの? 眠ってる主を起こしちゃっていいの?
やっぱり口をぱくぱくしちゃう私に、イケメン近侍さんはちょっと困ったように笑い、そして言ってくれた。
「そうですね、もしよければ何か……簡単なものでいいですから、口に入れるものを少しいただけませんか?」
「も、申し訳ございませんでしたー!」
私はもう勢いよくスライディング土下座でもなんでもしちゃいたい心境だった。
助けていただいただけでなく、こんな遅くまでずっと怪我人の世話をしてくださっていたのよ? そんな義理なんか何ひとつないっていうのに。その上お食事すら出していなかったなんて……私たちはちゃっかり食事を済ませていたのに。失礼にも程があるでしょ!
ナリッサも、あのスーパー有能侍女のナリッサも気がついてなかったみたいで、サーッと青ざめて私と一緒に深々と頭を下げている。
「いやいや、お手を煩わせてしまって申し訳ない。本当に何か、温かい飲みものの1杯でもいただければ十分ですので」
「ただちにご用意致します!」
さわやかに言ってくれちゃうイケメン近侍さんを残し、私とナリッサは超速で厨房へと向かった。
血相を変えて厨房に駆け込んだ私たちを、ちょうど食事をしていたシエラとハンス、それにカールがびっくりした顔で迎えてくれた。
彼らにいっさい構わずナリッサがかまどのお鍋に飛びつく。
「ゲルトルードお嬢さま、シチューがまだ残っております」
私も駆けつけてお鍋を覗き込み、すぐにシエラたちに振り向いた。
「貴方たち、十分食べた? まだ食べ足りない人はいる?」
「えっ、あの……?」
戸惑っているシエラたちにはやっぱり構わず、ナリッサは冷却箱を開ける。
「ゲルトルードお嬢さま、朝食用の『さんどいっち』がございます。こちらもお出ししましょう。林檎のパイも残っていますのでこれも。公爵さまのお口に合ったようですし」
ナリッサは冷却箱から次々と、料理の入った陶製の箱を取り出していく。
「2階の客室にワゴンは使えませんから、お盆に乗せられる分だけです。これだけあれば恰好はつきます」
真っ先に立ち上がったのはカールだった。
「姉さん、お盆はいくつ要るの?」
さっと踏み台を持ってきたカールが、棚の上のお盆に手を伸ばす。
ナリッサに代わって私が答えた。
「公爵さまと近侍さんの分よ、2つあればいいわ」
「えっ、こ、公爵さま、まだいらっしゃるんですか?」
シエラが手にしていたスプーンを取り落として声を上げた。
ハンスもぎょっとした顔をして、すぐに思い出したように言う。
「そう言えば、公爵さまの馬車がまだあったような……」
「ハンス!」
思わず呼んだ私の声に、ハンスがびくっとばかりに立ち上がった。
「よく思い出してくれたわ、ハンス。そうよ、公爵さまの御者さんにも届けなければ。カール、お盆は3つ出してちょうだい」
「はい!」
「え、え、あの……?」
立ち上がっちゃったハンスがキョドキョドしてる。
ナリッサは朝食用のスープボウルにシチューをよそい、お盆に乗せていく。その間にカールはサンドイッチ用のお皿やカトラリーを取り出す。この辺りはさすが姉弟というか、我が家の緊急事態に慣れているというか。
私は私で、戸棚からトングを取り出してサンドイッチの取り分けに向かう。
しかし、本当に、さすがマルゴと唸るしかない。
マルゴの作ったサンドイッチは、そりゃあもう彩もきれいで見るからに美味しそうだった。こちらの世界には食パンのような四角い形のパンはないので、バゲットみたいに大きくて長い円筒状のパンをスライスして使ったようだ。具材をはさんだその直径15センチほどのパンを真ん中で半円に切り分け、切り口が見えるように並べてある。
その切り口は、厚焼き卵の黄色に葉野菜の緑、それにトマトソースの赤にコールドチキンの白と本当に彩がいい。ちらっとパンをめくって確認すると、具材の水分でパンがべしゃっとならないよう、ちゃんとバターも塗ってあるし。
たぶん私が簡単に作り方を教えたカールが、実際に作ってマルゴに見せたんだとは思うけど……でもそれだけで、こんなにいろんな具材を使ってすっごく美味しそうなサンドイッチを作っちゃったっていうマルゴは本当にすごい。
私は大きめの平皿にサンドイッチを取り分けながら、ナリッサに言った。
「ナリッサ、貴女は今のうちに少しは何か口に入れておいて」
「私は大丈夫です」
すぐにナリッサの答えが返ってきたけど、私はさらに言った。
「駄目よ、公爵さまの前でお腹が鳴っちゃったら恥ずかしいでしょ?」
ナリッサは無言で戸棚から大きめのカップを取り出すと、お鍋に残っていたシチューをよそって立ったままそれを食べ始めた。
なんかもう、そのようすがあまりにも手馴れていて、私はナリッサがふだんからこういう食事のとり方をしているんだなと想像できてしまった。
ううむ、ナリッサには強制的にでももっと休みを取らせなければ。
ハンスは御者さんに食事を届けに行き、カールはお鍋と食器を洗ってくれている。
私はお盆を持ったナリッサとシエラを従えて厨房を後にした。
みんな、今夜はもうちょっとだけ頑張ってね!





