46.美味しくて幸せな食卓
「お母さま、お食事は召し上がれそうですか? できたら少しでもお口にしていただきたいのですが……」
お母さまが落ち着いてきたのを見計らって、私は声をかけた。
「今日はシチューだそうですよ。しかも、リーナがマルゴのお手伝いをしていて、シチューが美味しくなる秘密のチーズを、リーナが加えることになっているようです」
「まあ、リーナが?」
ようやくほんの少し、お母さまの顔に笑みが浮かんだ。
けれどすぐ、お母さまはハッとした表情を浮かべ、慌てて訊いてきた。
「そうだわ、ヨーゼフ、ヨーゼフの具合はどうなの?」
「大丈夫です、お母さま」
私はできるだけ落ち着いた声で答えた。「ナリッサがついてくれていますし、カールがすぐにグリークロウ先生を呼びに行ってくれました。それに、ヨーゼフはちゃんと意識があって、わたくしとも話せる状態でしたから」
「そ、そう……それなら……」
納得してくれたのか、お母さまは体から力を抜いてくれた。
「お母さま!」
厨房の扉を開けたとたん、アデルリーナが駆け寄ってきた。
「お母さま、お加減はいかがですか?」
「大丈夫よ、リーナ。貴女にも心配をかけてしまったわね」
まだ顔色はよくないけれど、お母さまに抱きしめてもらえたことで、アデルリーナも安心したようだ。
「リーナ、マルゴのお手伝いをしてくれたのでしょう? シチューは美味しくできたかしら?」
私が問いかけると、アデルリーナはちょっと恥ずかしそうにうつむいてから、マルゴに助けを求めるように顔を向ける。ああもう、なんで私の妹はこんなにもいちいちかわいくてかわいくてかわいすぎ(以下略)。
で、マルゴは、にっこり笑って言ってくれた。
「ええ、もちろんですとも。アデルリーナお嬢さまのおかげで、とびきり美味しいシチューができましてございますよ」
「まあ。では早速いただきましょう」
「本当に楽しみだわ」
お母さまが嬉しそうにほほ笑まれて、私もやっとほっこりできた。
「マルゴ、今日は遅くまでありがとう。あとはわたくしたちでするから大丈夫よ」
私がそう言うと、マルゴが首をかしげた。
「おや、お給仕はどうなさいます? いまはお夕食も朝食室で召し上がっていると伺っておりますが」
私はちょっといたずらっぽく笑って見せる。
「今日はお行儀悪く厨房でいただくわ。伯爵家の夫人と令嬢が厨房でお食事だなんて、よそで話さないでね?」
「おやまあ」
マルゴは明るい声で笑った。「それならば、料理人がお行儀悪くお給仕差し上げてもよろしゅうございますかねえ」
「あら、本当に大丈夫よ、お家で息子たちが待っているんでしょう?」
「なあに、息子たちなんざ待たせておいて構いませんよ」
「でも、もうすでにだいぶ遅くなってるのに……」
「それじゃあ、ちょっとばかりお手当をはずんでいただけますかねえ?」
マルゴが片目をつぶって見せてくれたので、私は笑ってマルゴの好意に甘えることにした。
「じゃあお願いするわ、マルゴ。本当に助かります」
ナリッサはまだヨーゼフのそばを離れられないだろう。シエラはたぶん、私たちの寝室の支度をしてくれていると思う。カールはグリークロウ先生を送っていくだろうし、ハンスはイケメン近侍さんが使った馬の世話をしているはず。
みんな大忙しで働いてくれてるのに、朝食室を使っちゃったらその後始末が必要になる。だからもう、ホントにお行儀悪いけど厨房で簡単に夕食を摂ることにしちゃった。
「ここでお夕食をいただくのですか?」
アデルリーナがちょっとびっくりしているので、私は小声で言った。
「そうよ、誰にも言っては駄目よ? 我が家だけの内緒ですからね」
「わかりました。内緒なのですね」
なんだか真剣な顔でアデルリーナがうなずく。いやもうホンットにどうしてこんなに私の妹はかわいすぎてかわいくてかわ(以下略)。
マルゴが手早くシチューを器によそってテーブルに並べてくれる。それにとろりとしたソースがかかったローストビーフのようなお肉料理や、ほんわりやわらかそうなパン、きれいに切りそろえられた桃のような果物も並んでいく。
テーブルといっても調理台なので、表面にでこぼこがあるし端もちょっと欠けてたりする。そこにマルゴがクロスをかけてくれて、角にお母さまとアデルリーナが座り、私はお母さまの隣に腰をおろす。椅子も作業用の丸椅子だ。
そこで、ごく当たり前に、ふつうの家族としてご飯を食べる。
まあ、料理人がいてくれるって段階ですでに一般家庭じゃないけどね。それでも、幼い妹がどうやって料理のお手伝いをしたかを話しながら、笑顔で美味しいご飯を食べられるんだ。これ以上の幸せなんてない。
お母さまもさすがにお肉料理までは無理だったようだけど、それでもシチューはちゃんと食べられた。シチューは本当に美味しかった。チーズを入れるとコクが出るんだよね。
アデルリーナも嬉しそうだ。でも今日は本当にいろいろあって、アデルリーナも気を張ってたんだと思う。もう、すぐにでもコテンと眠ってしまいそうな雰囲気だ。
「後片付けもしておきますよ」
マルゴは笑顔で請け負ってくれる。
「ありがとう。本当に助かるわ、マルゴ」
「いいえ、とんでもございませんです。ああ、そうでした、明日の朝食ですが」
マルゴは冷却箱を示す。「あの『さんどいっち』というお料理、おもしろうございますねえ。カールから聞いて早速作ってみましたんで、明日の朝、召し上がってくださいまし」
「まあ、それは楽しみだわ。マルゴの作ってくれるお料理、本当にどれも美味しいもの。明日、いただきますね」
うーん、マルゴって本当に腕のいい料理人だから、どんなサンドイッチを作ってくれたのか、マジで楽しみだわ。
私はマルゴにお休みなさいと言って、3人で一緒に寝室へと向かった。





