352.唐突に斜め上へ
本日1話更新です。
スヴェイは、自分が引きずってきていまも倒れたままの男を見下ろして言う。
「この男はまず間違いなく、誰かに命じられてこのような真似をしたのでしょう」
そしてスヴェイは先生をまっすぐに見て言った。
「オードウェル先生、たいへん申し訳ないですが今回のこの事件につきましては、内々に済ませることはできません。この男にこのようなことを命じた者を必ず見つけ出し、その罪を公にします。オードウェル先生にはご迷惑をおかけすることになるかもしれませんが、どうかご容赦ください」
頭を下げるスヴェイに、ぎゅっと奥歯を噛みしめてからオードウェル先生は答えた。
「このようなことがあっていいはずがありません。どうか存分にお調べになり、その罪を公にしてください。わたくしはいくらでもご協力いたします」
「ありがとうございます」
再び頭を下げたスヴェイは、今度はテアちゃんに向き直った。
「ドロテアさま、先ほどのお話では以前にも蜂の群れに襲われたことがおありだとか」
「はい」
うなずくテアちゃんの顔が強張ってる。
スヴェイはさらに言った。
「もしかしたら、そのときのことと今回のことは、関係があるかもしれません。貴女と、それに弟君のドラガンさまにも、ご協力をお願いすることになると思います。できる限りご迷惑をおかけしないよう配慮させていただきますが――」
と、スヴェイがテアちゃんに話している途中で、デズデモーナさまがうめき声をもらした。
スヴェイも思わず口を閉じ、その場の誰もがハッとばかりにデズデモーナさまに注目する。
「デズデモーナ嬢、気が付きましたか?」
オードウェル先生の呼びかけに、デズデモーナさまが目を開けた。
「気分はどうですか? わたくしがわかりますか?」
デズデモーナさまは眉を寄せ、小さく首を振ってから声をもらす。
「……オードウェル先生? わたくし、いったい……?」
芝生の上に座らされ、植込みに持たれかけさせられていたデズデモーナさまが体を起こそうとしたので、オードウェル先生がその背に手をまわして支えてあげる。
「馬が暴走したのですよ」
「馬が……暴走……?」
何度か目を瞬き、その場にいる私たち……私やテアちゃんはわかるだろうけど、見慣れないゲオルグさんやスヴェイを見たデズデモーナさまが眉を寄せてる。
「どこか痛いところや、気分が悪いといったことはありませんか?」
オードウェル先生はそう問いかけながら、デズデモーナさまの顔を覗き込んだ。
「落馬せずに済みましたし、蜂にも刺されたようすはないのですが……」
「……蜂?」
つぶやいたデズデモーナさまの青い目が、みるみる見開いた。
「蜂! そうだわ、蜂!」
「大丈夫、もう蜂はいません」
また悲鳴をあげそうになったデズデモーナさまに、オードウェル先生が素早く声をかけ、その肩をさすって落ち着かせてあげている。
「乗馬の授業中に蜂が出るなど、あり得ないことです。貴女が驚いてしまったのは、当然のことですよ。本当に怪我がなくてよかったです」
先生にそう言っていただいて、デズデモーナさまも落ち着いてきた。
「どこも痛くないですか?」
「はい、あの……痛いところはありません」
「それでは、立ち上がれそうですか? 一度、厩舎の横の控室に戻りましょう。貴女の侍女もいるはずですし……」
「じ、侍女は!」
いきなりデズデモーナさまが、顔色を変えてオードウェル先生の袖をつかんだ。
「侍女は呼ばないでくださいませ!」
えっ、なんで?
と、素朴に思ったのは私だけじゃないと思う。
ご令嬢にナニかあったら、その世話は侍女がするよね? 侯爵家なんて上位貴族家のご令嬢が、自分の世話を侍女に丸投げしてないはずがないし、実際にデズデモーナさまはさっきご自分の侍女を伴っていた。
それでなんで、侍女は呼ばないでなんて言うの?
「あっ、あの……あの、侍女は……その、侍女には、わたくしがブライトを御せなかったことは、あの、伝えずに……」
私たちの視線を集めてるデズデモーナさまが、しどろもどろに言う。
「とにかく、侍女には何も、何も知らせずにお願いしたいのです……!」
「お声がけをお許しください、デズデモーナさま」
にこやかに口を開いたのはスヴェイだった。「貴女の侍女は、一度個室棟に戻ったようです。厩舎横の控室には入りませんでした。おそらく授業が終わるころにまた、貴女のお迎えに来るつもりなのでしょう」
「そ、そう……」
あきらかに、デズデモーナさまがホッとしてる。
ええと……つまり、デズデモーナさまは、ご自分が蜂に驚いてパニック状態になったこと、それに何より、あのでっかいブライトくんを暴走させちゃって落馬しそうになったことを、ご自分の侍女に知られたくない、ってことだよね?
なんで?
私は、素朴な疑問に首をかしげそうになっちゃった。
横を見るとテアちゃんも眉間にしわを寄せちゃってて、そして私の視線に気づくとちらっとこっちを見て肩をすくめた。
で、次に口を開いたのは、意外なことにゲオルグさんだった。
「デズデモーナ嬢、つまり貴女は、ご自分の失態を侍女に知られ、さらに侍女の口からご家族に伝わることを恐れておいでだということだろうか?」
失態って……ちょ、ゲオルグさん、そんな超仏頂面で女子にキツイこと言わないであげて!
って、私はちょっとわたわたしそうになっちゃったんだけど、案の定デズデモーナさまのお顔がカーッと赤くなった。
うわー、図星だったらしい。
「な、何を……何を、誰に向かって、口をきいているのです? 其方は名乗りもせず、侯爵家の令嬢であるわたくしに、なんということを……!」
真っ赤になって、なんかもう必死に抗議しちゃうデズデモーナさまに、ゲオルグさんってば仏頂面のままさらに言っちゃうんだ。
「そもそも、あのブライト号は貴女のような、乗馬技術の未熟な女子生徒に御せるような馬ではない。デルヴァローゼ侯爵家のご当主は、いったいどのような意図であの馬を貴女に与えたのか? まったく理解に苦しむ」
「何を……其方、口を慎みなさい! 我が侯爵家の当主の決定に、異議を唱えるなどと……!」
「デズデモーナ嬢、このかたは貴女の命の恩人ですよ」
真っ赤な顔でまくしたて始めたデズデモーナさまに、オードウェル先生がぴしゃりと言った。
「こちらのボーンクリフト騎士爵どのは、王家直属の国家一級御者でいらっしゃいます。本日たまたまこの場に居合わせてくださったおかげで、貴女はあの暴走したブライト号から落馬せずに済んだのです」
ぎょっとデズデモーナさまが目を見張り、ついでにテアちゃんも『マジ?』みたいな顔で私を見てくれちゃった。
ごめんテアちゃん、マジです。
だからさっき私、我が国でいちばんの御者さんをつけてもらったって、言ったじゃん。
と、私はちょこっとうなずいておいた。
さすがに、目の前のこの仏頂面で率直にキツイこと言ってくる人が自分の命の恩人で、しかも王家直属の騎士爵だと言われて、デズデモーナさまも口をつぐんで目を泳がせちゃった。
オードウェル先生は少し口調をやわらげ、デズデモーナさまを慰めるように言う。
「そもそも、1年生女子の乗馬授業が行われるコースに、蜂がまぎれ込んでくること自体があり得ないことなのです。貴女にとっては少々不名誉なことになってしまったかもしれませんが、そのように恥じ入る必要はありません」
うつむいて唇を噛んでるデズデモーナさまに、先生はさらに言った。
「今回、学院が徹底的に駆除をしている乗馬授業用のコースに蜂が現れ、実際に生徒に被害がでるところであったことは、正式に学院に報告します。また、貴女を含めいまこの場にいる生徒3名のお家にも、正式にお知らせしないわけにはいきません」
せ、先生、ソレはちょっと待ってください!
思わず私が声を上げてしまうより先に、デズデモーナさまが声を上げた。
「い、嫌です! 先生、お願いします、我が家にはどうか、このことはご内密に……!」
もはや半泣き状態でデズデモーナさまは、オードウェル先生にすがっちゃってる。
「あ、あの、オードウェル先生」
私も声を上げた。「あの、わたくしも、その……本日のこの出来事を、ただちに我が家にお伝えいただくのは、ご容赦いただけないでしょうか? その、わたくしが自分で家族に報告をいたしますので……」
だって、こんな故意に誰かが蜂の巣を投げ込んできたって……テアちゃんに対する嫌がらせだったのだとしても大問題だけど、現時点で誰が『標的』だったのかわかってないんだからね?
もしかしたら、私に対する嫌がらせっていうか、攻撃だったのかもしれない。それで、テアちゃんやデズデモーナさまを巻き込んじゃったのかもしれない。その可能性は否定できない。
だからスヴェイも、内々に済ませることはできません、って言ってるんだよね?
誰が誰に対して悪意を持ってこんなことをしたのか、その辺りがすべて明らかになった後であれば……それがもし、私に向けた悪意だったのだとしても、お母さまに対してまだ説明のしようがある。もう終わったことですからとばかりに、軽く話せば済む。
だけど、こんな不安をあおるだけのような状況で、いま起きたことだけをお母さまに知らせるわけにはいかない。それでなくても、私もここんとこいろいろありまくりなのに、お母さまに余計な心配をかけるなんて絶対したくない。
私は、さっとスヴェイに視線を送った。
スヴェイはすぐにうなずいてくれる。そして、またにこやかに言い出してくれた。
「オードウェル先生、ご令嬢がたはそれぞれ『家庭の事情』もおありでしょう。今回の事件の全容が明らかになるまでは、情報を学院内にとどめておいたほうがいいのではないかと思います。その辺りは、私とボーンクリフトの判断に任せていただけないでしょうか」
「フォルツハイム騎士爵どの……貴方がそう言われるのであれば……」
釈然としないような表情ながらも、オードウェル先生はうなずいてくださった。
「ご配慮をありがとうございます、オードウェル先生」
私はすぐにお礼を口にした。それにスヴェイにも感謝よ。ホンットに助かるわ。
と、私が胸をなでおろしちゃったところで、スヴェイがまたにこやかに言い出した。
「ただ、デズデモーナさま、貴女がそこまでご自身のお家へのご報告を望まれないそのご事情を、話せる範囲で結構ですのでお話しいただけないかと思います。そのほうが、我々としてもご配慮しやすいですし」
「えっ、そ、それは……」
身をすくめちゃったデズデモーナさまに、スヴェイは続けて言う。
「オードウェル先生がおっしゃった通り、学院が整備している乗馬コースに蜂が紛れ込むということは通常あり得ないのです。しかも今回は、誰かが故意に、貴女がたの誰かを害するために、蜂の巣を投げ込んだのです。実行犯はすでに捕えていますが」
ぎょっとばかりに目を見張っちゃったデズデモーナさまの前で、スヴェイが自分の後ろに転がしている馬丁らしき男に目を落とす。
「いったい誰が、この男に命じて、このような事件を起こしたのか。今回はたまたま、本当にたまたまどなたも怪我などされずに済みましたが、落馬は場合によっては命にかかわります。それに蜂に刺されたことで人が死亡する場合も、稀にですがございます。このようなことを企てた犯人を見逃すわけにはまいりません」
さすがにデズデモーナさまも、事態の深刻さが理解できたらしい。
その顔を青くしてまた唇を噛み、考え込むように視線を落として……でもその一度は落とした視線を、デズデモーナさまはちらっと私に送ってきた。
「その、それでしたら……そちらの、ゲルトルードさまの、ご事情もお聞きになるのよね?」
「ああ、それは」
スヴェイがにっこりと笑う。「申し遅れました、私はスヴェイ・フォルツハイムと申します。役職は王家直属の騎士爵文官ですが、現在はクルゼライヒ伯爵家へ派遣されております。そしてこのままクルゼライヒ伯爵家にお仕えすることが正式に決まっておりますので、ゲルトルードお嬢さまの『家庭の事情』はすでに把握しております」
って、またデズデモーナさまがぎょっと目を見張っちゃうと同時に、テアちゃんもまた思いっきり『マジ?』って顔で私を見てきちゃった。
うん、ごめんテアちゃん、マジです。
この気さくで腰の低いスヴェイもね、実は国家トップレベル人材なのよ。って、スヴェイって武官じゃなくて文官だったんだ? あ、警護っていっても隠密だからかな?
と、いくぶん目を泳がせぎみに、私はまたちょこっとうなずいちゃった。
でもって、今度はオードウェル先生もちょっと目が丸くなってるの。
「スヴェイ君……貴方、本当に王家を離れるのね?」
「そうです、オードウェル先生。このままずっとゲルトルードお嬢さまにお仕えしたいとお願いしたところ、受け入れていただきまして」
スヴェイってば満面の笑みで答えてるんですけど。
でも先生、名前で呼んじゃうってことは、もしかしてスヴェイも先生の教え子でした?
てか、どうやらゲオルグさんも教え子だったのか、オードウェル先生もなんかこう素でお話しになってきちゃったよ。
「ゲオルグ君、まさか貴方もクルゼライヒ伯爵家に、なんてことは……?」
「なかなか陛下のご許可が下りませんで」
って、ゲオルグさんもやっぱ、我が家の直接雇用をお望みなんですかーい。
あああああ、テアちゃんのさらなる『マジ?』な視線が痛い。
それなのにスヴェイがまた、楽しそうに笑っちゃうんだよぅ。
「さすがにゲオルグは難しいですよね。陛下も簡単には手放されないでしょう」
「それはまあ、そうでしょうねえ。ゲオルグ君の場合、代わりがいないですもの」
なんて、オードウェル先生も苦笑なんかされちゃってるし。それにやっぱそんな、代わりがいないほど凄腕御者さんなの、ゲオルグさんって?
「ふっ……ふはっ……うふふ……ふふふふっ」
唐突に、笑い声が聞こえた。
ハッと口をつぐんだその場の全員の視線の先で、デズデモーナさまが……さらに高らかに声をあげて笑い出した。
「あはっ、あははははは! やっぱり! やっぱりそうよね! そうなのよ!」
えっ、あの、えっと……デズデモーナさま、どうしちゃったの?
いきなり声をあげて笑い出したデズデモーナさまの、そのあまりの唐突さに、みんなちょっと本気でぎょっとしちゃう。
なのにデズデモーナさまはまったくお構いなく、さらに高らかに笑ってビシッと私を指さした。
「やっぱり貴女なのね、ゲルトルードさま!」
ナ、ナニがですか?
思わず腰が引けちゃった私に、デズデモーナさまが言いきった。
「ゲルトルードさま、貴女が王太子妃になるのね!」
悲報:ずっとルーディちゃんが『デー○ン閣下みたいなお名前』と言い続けたため、デズデモーナさまの名前が覚えられないという読者さんがおられることが発覚。
デズデモーナさまですよ、デズデモーナさま。いま斜め上に暴走してますけど(;^ω^)





