351.間違いなく事件
本日1話更新です。
えっ、と思ったときには、テアちゃんは私の乗るアレクサちゃんの行く手をふさぐように、自分の乗るレダちゃんの首を横へ向けていた。
さらにテアちゃんは、馬を操りながらスカートのポケットから何かを……瓶? 小さな瓶を取り出し、瓶を持つその手でその栓をぽんっと開けた。
いったい何を……と、アレクサちゃんの背で固まってる私の目にも、それが見えた。
は、蜂?
蜂……蜂が、いっぱい!
テアちゃんの向こう、私たちの進行方向に蜂がたぶん10匹以上、ブンブンと暴れるように飛び交ってるのが見える!
私の脇を、バッと白い馬が駆け上がった。
そのオードウェル先生の白馬がテアちゃんの前に出るより先に、テアちゃんは手にしていた瓶の中身を……何か液体をぱっと振りまいた。
とたんに、スーッと鼻に抜けるようなハッカみたいな匂いが……ハッカっていうより、これってもしかしてネッケ? あの蜂蝋のニオイ消しに使った、ネッケのような匂いが広がる。
気が付くと、前へ出たオードウェル先生の手にも、テアちゃんのと同じような小さな瓶が握られていた。
テアちゃんと先生の視線の先では、蜂の群れが……そのスーッとする匂いを避けるようにコースの両脇へと散らばっていく。
「動かないで。声も出してはいけません」
小声で、でも厳しい声で、オードウェル先生が言う。
そうだよね、蜂って確か動くものや大きな音を出してるものに反応するんだよね?
息を詰めちゃってる私の前へ、1匹の蜂がこちらをうかがうように近づいてきた。
アレクサちゃんが耳をしきりに動かして蜂を追い払いたそうにするんだけど、私は視線を動かさずにその首筋をそっと撫でてなんとかなだめる。
ここはとにかく、蜂が散ってしまうまで、刺激しないようにじっと息をひそめて……と、思ってたのに。
「キャーッ!」
あああああ、蜂って黒いものにも反応するんだっけ?
その悲鳴に私たちがそろって振り向くと、デズデモーナさまが寄ってきた蜂を振り払おうと腕を振り回してた。
「イヤッ! こないで! キャーッ!」
「デズデモーナ嬢、落ち着いて! 刺激しなければこの蜂は刺しません!」
すぐにオードウェル先生が声をかけたんだけど、デズデモーナさまはほぼパニック状態だ。
腕を振り回すデズデモーナさまに、さらに蜂が集まっていく。
そうなるともう、ブライトくんもじっとなんかしてられない。足を踏み鳴らして首を振り、蜂を振り払おうとしてるのか前足を振り上げて飛び跳ねた。
オードウェル先生は声をかけると同時に馬首を返し、ブライトくんに手を伸ばして……アレって魔力を通そうとしてるんだよね? 馬が制御できないときは、強めに魔力を通すようにって、私もゲオルグさんに教えてもらったから。
その通り、先生がまた声をかけた。
「デズデモーナ嬢、魔力を! 魔力を強く馬に通して!」
けれど、先生の手から逃れるようにブライトくんは再び大きく飛び跳ねたかと思うと、ものすごい勢いで来た道を逆走し始めた。
「貴女たちはそこを動かないで!」
そう言い残して、オードウェル先生も全速力でブライトくんを追う。
悲鳴を上げ続けてるデズデモーナさまは、なんとかブライトくんの首にしがみついてるようだけど、あんなすごい勢いでは振り落とされるのも時間の問題では……。
と、血の気の引いた私の目に、その姿が見えた。
ええええ、ゲオルグさん!
どういうわけだか、ゲオルグさんが乗った馬が突進してくる。
「ブライト!」
ゲオルグさんが鋭く馬の名を呼び、全速力のブライトくんとすれ違いざまその首をパシッとたたいた。
そのとたん、魔法のようにブライトくんの速度ががくんと落ちた。
いや、アレって、ホントにゲオルグさんがナニか魔法を使ったんだと思う。
ゲオルグさんはすぐさま反転し、速度を落として落ち着き始めたブライトくんを追う。
「止まれ、ブライト!」
ゲオルグさんの命令通り、ブライトくんはブルルと息を荒らげたままその足を止めた。興奮状態が治まらないのか、まだどかどかと足踏みしまくってるけどブライトくんが止まってくれた。
そして、その止まったブライトくんの背中から、ずるっとデズデモーナさまが滑り落ち……ゲオルグさんがキャッチ!
追いついたオードウェル先生に、ゲオルグさんが受け止めたデズデモーナさまをパスしてる。
デズデモーナさま、どうやら気を失っちゃったらしい。
でも……なんとか、最悪の事態は避けられたよね?
周回コース上での事件だったので、コーナーの向こうで繰り広げられてた一部始終が私にも、てか私たちにも見えてたんだ。私もテアちゃんも、ずっと詰めてた息をぶはーっと吐き出しちゃったもんね。
テアちゃんは私に馬を寄せ、そんでもって小声で言ってきた。
「わたくしたちも行きましょう。まだ蜂がいるので、ゆっくり、そーっと、ね」
「ええ、わかったわ」
うなずいた私から、テアちゃんが視線を動かす。
思わず私もテアちゃんの視線を追うようにそっちを見たんだけど……あの、アレって……あの道の真ん中に落ちてるモノって……蜂の巣?
私たちの進行方向に、握りこぶしくらいの大きさの灰茶色のナニかが落ちてるんだけど……どうやら蜂の巣っぽい。蜂がその周りに集まってる。でも、なんで道の真ん中に蜂の巣が落ちてるの?
テアちゃんの顔が険しい。
それでも、テアちゃんがそーっとレダちゃんを促して先生たちのほうへと進み始めたので、私も同じく蜂を刺激しないようにそーっとアレクサちゃんを促し、テアちゃんに続いた。
その場まで進んでいくと、馬から降りたオードウェル先生がデズデモーナさまを抱えて、コース脇の芝生の上に座らせ植え込みにもたれかけさせていた。
そしてゲオルグさんも馬から降りて、まだ興奮してるっぽいブライトくんをなだめてる。
やってきた私たちに気が付いたオードウェル先生は、ちょっとホッとしたような表情を浮かべて私たちを見た。
「よかったわ、貴女たちを呼びに行かなければと思っていたの」
うなずいてテアちゃんが問いかける。
「オードウェル先生、デズデモーナさまは……」
「気を失っているようです」
オードウェル先生が答える。「落馬してしまう前にボーンクリフト騎士爵どのが受け止めてくださったので、どこも怪我はしていないと思うのですが。蜂にも刺されていないようです。貴女たちは大丈夫でしたか?」
「わたくしは大丈夫です」
答えたテアちゃんが私に振り返る。「ルーディはどう? 蜂に刺されたりしてないわよね?」
「わたくしも大丈夫です、オードウェル先生」
答えた私の目の前で、テアちゃんがひょいっと馬から降りた。
えええええ、テアちゃんってばこの高さからあんなに華麗に降りられちゃうの?
無理、私は絶対無理!
馬から降りて先生の方へ歩くテアちゃんを見ながら、私はどうしようとおたおたしちゃったんだけど。でも、すぐにゲオルグさんがやってきて、私を支えて馬から降ろしてくれた。
「ご無事ですか、ゲルトルードお嬢さま?」
「はい、大丈夫です」
私とゲオルグさんのやり取りに、テアちゃんがちょっと驚いた顔をした。
そうだよね、別に紹介もしてなかったし、いきなり颯爽と現れてデズデモーナさまの危機を救ったスーパーヒーローが、なんで私のことをお嬢さまなんて呼ぶのか、びっくりするよね。
「テア、こちらのゲオルグさんはいま、わたくしの通学馬車の御者をしてくださっているの」
私の説明に、テアちゃんがうなずいてくれる。
「そうだったのね。エクシュタイン公爵さまがお手配くださったの?」
「ええ、その、いろいろあって……わたくし、我が国でいちばんの御者さんをつけてもらえたの」
「我が国でいちばんの御者さん、ですか。確かにそうですね」
ナゼかいきなり、オードウェル先生が噴き出しちゃった。
でもすぐに、オードウェル先生は表情を改め、ゲオルグさんに深々と頭を下げた。
「ボーンクリフト騎士爵どの、わたくしの生徒の危ないところを救ってくださって、本当にありがとうございます」
「いえ」
ゲオルグさんは、いつもの仏頂面のさらに倍、みたいな感じでめちゃくちゃ顔をしかめてる。
「しかし、いったい何があったのです? 確かにこちらのご令嬢は心もとないごようすでしたが、それでもいきなりブライトが暴走するとは……」
問いかけられたオードウェル先生の顔も険しくなる。
「突然、蜂の群れが……小さな群れでしたが、10数匹ほど現れたのです」
オードウェル先生はゲオルグさんに答えてから、その視線をテアちゃんに移した。
「ドロテア嬢、素早く対処してくれて本当にありがとう。貴女はあのように、常に虫よけ水を持参しているのですか?」
「はい、あの……」
めずらしくテアちゃんの視線が揺れた。
そしてちらっと私を見てから、テアちゃんは説明した。
「実は以前、休日にこちらの馬を借りて弟と乗馬を楽しんでいたときにも、蜂の群れに襲われたことがあるのです。そのときは群れといっても数匹程度で、わたくしも弟も難なくやり過ごすことができたのですが……それ以来、念のために乗馬のさいには虫よけ水を持参するようにしています」
「こちらの馬を借りて、ということは、学院内ですね?」
先生の顔がさらに険しくなった。「いつ頃、どの辺りで、蜂の群れに襲われたのですか?」
「夏休みの前です。厩舎を出て、あの馬場を横切って外宮の公苑に向かう、あの辺りです」
テアちゃんが指し示した方向を、オードウェル先生だけでなくゲオルグさんもめちゃくちゃ険しい顔をして見ている。
「ドロテア嬢、そのさい、蜂の群れに襲われたことは学院へ報告しましたか?」
「はい、弟と一緒にすぐ事務棟へ行って報告しました」
テアちゃんの返事に、オードウェル先生はぎゅっと口を引き結んで首を横に振った。
「わたくしの耳には、そのような話は届いていませんね……」
そのとき、コース脇の植込みの間からひょっこり、スヴェイが顔を出した。
「犯人はこの男です」
そう言ってスヴェイは、その手で襟首をつかんで引きずってきた男を私たちの前に投げ出した。
たぶんスヴェイの固有魔力で倒されちゃったんだろう、馬丁の恰好をしたその男はぐらぐらと頭を揺らしながら吐き気を堪えるように手で自分の口を押えている。
さらにスヴェイは、口を縛った小さな麻袋も私たちに示した。
「証拠の蜂の巣も回収してきました。この男が、この蜂の巣を投げ入れたのです。みなさまの乗られた馬が近づいてきた頃合いを見計らって」
なんか……なんか、なんか、あまりにもあまりな展開で、私は頭が追い付かないんですけど?
とりあえず、なんでスヴェイがいきなり犯人をとっつかまえてきて証拠の蜂の巣まで回収してきたのか、という疑問は横に置いておくとしても、よ?
私だって、あの道の真ん中に落ちてた蜂の巣を見たときに、もしかして誰かが故意にアレを投げてきたんじゃないかと……確かにそう、ちらっとは思ったけど……。
でも、まさか本当に?
しかも……テアちゃんはどうやら以前にも、同じように馬の前に蜂を投げ込まれたことがある?
それって……もしかして、テアちゃんを希望する馬に乗せないとかそういうのと同じ、誰かの嫌がらせなわけ?
いや、嫌がらせなんてレベルの話じゃないよね?
だって……蜂に驚いた馬が、さっきのブライトくんみたいに暴走する危険性はめちゃくちゃ高いでしょ? いくらテアちゃんやガンくんが馬に乗り慣れてるっていったって、いきなり馬が暴れたりしたら落馬しちゃうかもしれないじゃない。
冗談抜きで命にかかわることじゃないの!
明日も1話更新予定です( *˙ω˙*)و グッ!





