318.商売っ気が、ないわけでもない
本日も1話更新です。
明日も更新できそうです( *˙ω˙*)و グッ!
ということで、私はさくっと話題を変えた。
「しかしファーレンドルフ先生、やはりこの表を全校生徒の教材として使用するのは難しいと、そういうお話でしたか?」
そう私が問いかけたとたん、ファーレンドルフ先生の眉間にシワが寄った。
「そうですね……それについては、陛下ともご相談させていただいたのですが、やはり一律に教材として使用するのは、いまの段階では難しいだろうというお話になりました」
「そうですか……」
やっぱ抵抗勢力は無視できないってことかー。
でもファーレンドルフ先生、陛下とご相談なんてできちゃうんだ……さすが侯爵家のご子息だけあるってことか。
などと思ってたら、テアが大きな声で私を呼んだ。
「ルーディ、ちょっと来て! これで合ってる? いまわたくしも計算してみたのだけど!」
テアちゃん、空気をまったく読まないその積極性、私は好きだよ。すでに私に対する遠慮のカケラもないってところも、大好きだよー。
私は先生に断って、いそいそと教壇を降りてテアのところへ行った。
テアのノートをのぞくと、すぐガン君も横からのぞき込んできて参加しちゃう。
「ルーディ、ほら、こうやって1の位と10の位を分けて……」
「うん、合ってる合ってる。ここで10の位に繰り上がるときは、繰り上がる数字を小さく書いておくといいわよ」
「本当だ、そのほうがわかりやすい」
ガン君も自分のノートと見比べてる。
「ゲルトルード嬢、私にも見せてもらえるだろうか?」
「私もお願いする」
先輩がたも自分のノートを持って、次々と参戦してくる。
「これは暗記してしまわなくても、この表で掛け合わせた答えを確認していくだけでも十分速く計算できるな」
「うむ、いちいち計算器具を出して操作するより、ずっと速く計算できる」
「でも暗記してしまえば、もっと速く計算できますよ」
思いっきり笑顔で私がそう言うと、みなさんもう真剣に九九の表とにらめっこしてくれちゃう。
「先生、次の問題をお願いできますか」
私たちの輪には参加せず、少し離れた席で九九の表とにらめっこしていた先輩が、静かに手を挙げた。2年生の、バルツィーア男爵家嫡男フランダルク・ゼルギース先輩だ。
すぐにファーレンドルフ先生が、黒板に新しい問題を書き始めた。
フランダルク先輩は自分のノートに問題を書き写すと、口の中で何かブツブツ言いながら、九九の表から目をそらして計算を始めたっぽい。
おおお、フランダルク先輩ってば、もしかしてもう覚えちゃった?
私だけじゃなく、みなさんも反応されちゃいます。
「まさかフランダルク君、すでにすべて暗記してしまったのか?」
同じ2年生のバルナバス先輩とエルンスト先輩が、さっと立ち上がってフランダルク先輩のところへ移動する。
「ええ、だいたい……なんとなく覚えていた答えもありますので、だいたい覚えました」
うわー、にっこり笑って答えちゃうフランダルク先輩、すげえ。
あくまでにこやかに、フランダルク先輩が九九の表を示す。
「ほら、5の行などは1の位が0か5にしかなりませんから、すぐ覚えられますし」
「それはそうなのだが……いや、すごいな、フランダルク君は」
3年生の先輩たちも、身を乗り出して賞賛してる。
当のフランダルク先輩は、本当ににこにこしながら言うんだ。
「我が家は平民商家の成り上がりですからね。計算については、幼いころから父に厳しく教え込まれましたので」
どうやらフランダルク先輩のバルツィーア男爵家は、いわゆる『爵位を買った』貴族家らしい。地方貴族家である男爵位だけは、爵位をお金で買えるんだよね。平民であっても、破産した中央貴族家の領地をお金で買い取って領主になると、国から男爵位を賜れるから。もちろんそれは、男性に限られるわけだけど。
あれ、それってつまり、フランダルク先輩のお家って、すんごいお金持ち?
だけど卑屈でも嫌味でもなく、本当にさらっとフランダルク先輩は言う。
「私も繰り返し計算する中で、ある程度は一桁の掛け算の答えを覚えてはいたのですが……いや、それをこうやって一覧表にして丸暗記するという発想はありませんでした」
フランダルク先輩のにこやかな黒曜石の目が、私に向く。
「ゲルトルード嬢は本当にすばらしいですね。こんなことを思いつかれるだなんて」
おおう、ここもできるだけさらっと流させてもらいましょう。
私は笑顔で答える。
「とんでもございません。わたくしは『家庭の事情』で計算器具を持っておりませんでしたので……本当に苦肉の策だったのです」
そうよ、『家庭の事情』なの。
そう言っておけば、みなさん気を遣ってくださってあんまり突っ込んでこないはず。
「だが、それをさらにこうやって、数字を桁ごとに分解して計算するなんてことを思いつくというのは、なかなかできることじゃないと思うな」
だーかーらー、なんで一言多いの、アルトゥース先輩は?
おかげでみなさんの視線が痛いんですけど。
ええい、話題を変えるよ、話題を!
「それでも、たねを明かしてしまえば、なんだその程度のことか、という内容ではありませんか。表を丸暗記し、そして数字の桁を合わせて縦に並べて計算するこの方法さえ覚えれば、学院に入学する前の子どもでも、すぐに素早く計算ができるようになります」
私はもう笑顔を振りまいちゃう。「わたくしは、いま10歳の妹にも、この表を使って計算することを教えようと思っています」
いやーすでに我が家では、下働きのカールも厩番のハンスも九九の表で計算を覚えてるけどね。なんか平民の子どもがこういう教材を、貴族に先んじて使用しているっていうのはイロイロまずいみたいなので、それは黙っておく。
「10歳の妹さんにも、ですか!」
「いや、でも本当に丸暗記してしまえば、あとは計算の方法さえ覚えれば解けるぞ?」
「計算器具の使い方を覚えるよりいいのではないか?」
みなさん、ざわついてます。
でも本当に私の前世では、九九は小学校2年生、つまり8歳とかそれくらいで覚えるんだから。
そんでもって案の定、ペテルヴァンス先輩が言い出した。
「ゲルトルード嬢、妹さんにも、ということは……我が家の姉にもこの表を使えるようご説明くださるということですか?」
「もちろんそうです。リケ先生、それにできればファビー先生ともご相談して、この表を使っていただこうと考えています」
「すみません、ゲルトルード嬢」
笑顔でペテルヴァンス先輩に答えた私に、フランダルク先輩が手を挙げて問いかけてきた。
「この表は、意匠登録の申請を当然されると思いますが、どの程度の価格での販売を予定されているのでしょうか?」
「意匠登録はしません」
「えっ?」
「わたくしは、この表を販売するつもりもありません。できるだけ多くの人たちに使っていただきたいと考えていますので」
さくっと答えた私の顔を、フランダルク先輩はなんだかぽかんと見返してる。
「あの、まさか、本当に……?」
私は教壇のファーレンドルフ先生に顔を向けた。
「ファーレンドルフ先生、それについても陛下からお話があったのではと思うのですが」
先生もさくっと答えてくださった。
「はい、陛下ならびにエクシュタイン公爵閣下から、この表は意匠登録せず販売もしないと、確かにうかがいました。学院にも無償で提供していただきました」
「えっ、待ってください、それでは例えば、私がこの表を我が家に持ち帰って、我が家の商会員たちに見せて暗記させるようなこともできてしまいますが……」
「もちろん、そのようにご利用くださって結構です」
なんだか慌てふためいてるようなフランダルク先輩に、私は思いっきり笑顔で言っちゃう。
「わたくしも、自分の商会の商会員にこの表を渡して使わせるつもりですので」
フランダルク先輩ってば、なんかもう愕然としちゃってるんですけど。
でも、ほかの先輩がた、それにテアやガン君は私たちの会話の意味がわからないらしい。なんか顔を寄せ合って小声で話してる。
「どういうこと? イショウ登録って……教材として販売はしない、ってこと?」
「いや、この表は計算器具と同等どころか、それ以上の値打ちがあると思うぞ?」
「けれど紙きれ一枚だからな、一枚だけ購入して、後はいま我々がしたように書き写してしまえばそれまでではないのか?」
「それは確かにそうだな……」
うーむ、フランダルク先輩はさすがにお家が商会をされているだけあって、意匠登録もご存じだし商機に敏い感じだわ。
バルツィーア領ってどの辺りにあるんだろう? こんなに優秀な跡継ぎさんがいるお家の商会なら、ちょっとお取引させていただきたいかも。
って、私もちょっと商売っ気が出てきちゃったな。
「ゲルトルード嬢、それでは、あの」
ペテルヴァンス先輩が再び私に言ってきた。「本日私がこの表を持ち帰り、姉に見せて説明をしても問題はない、ということなのでしょうか?」
「はい、まったく問題ありません」
笑顔で答える私に、ペテルヴァンス先輩は念を押すようにまた訊いてくる。
「その場合、貴女の妹さんの家庭教師をしている下の姉だけでなく、宮殿で女官をしている上の姉にも……それに我が家と交流の深いゲゼルゴッド宮廷伯家のかたにも、この表をお見せして説明しても問題はない、という理解でいいのでしょうか?」
「はい、それで結構です」
ファビー先生にも、もちろん見せてあげてくださいね。





