龍姉虎妹演義 ProtoType 第二篇
ここは紅州、紅壁の街。
紅州の州都、赤城府より南に遠く離れた、小さな城塞都市で、地方都市で。城壁もそんなに高くなく、幅も広くもない。
そののどかな地方都市、紅壁を中天に昇った太陽が青い空の中で見下ろしている時刻、街の大通りには江湖の旅芸人が自慢の技を披露して、商売に励んでいる。
いくつもの球をこれでもか! という速さと正確さでお手玉している者や、身体を逆エビに曲げて、その柔らかな身体でさまざまな姿勢をとる少女。竹串ほどの細い棒で、皿を回している者。筋骨たくましい男の掌の上で軽やかに舞う女……。
街の人々はそれらの大道芸を見て、やんやの喝采を送って、とてもにぎやかだ。
大道芸人たちも、喝采に応え懸命に技を披露し、そのすごさにますます拍車がかかり。お金が雨あられと大道芸人たちに降りそそぐ。
この紅壁の街は、地方都市ながら大道芸人にとってうってつけの稼ぎ場のようだ。
「へ~、すごいなあ」
観客たちにまじって、碧い目の少女は驚きながら、その技のすごさに大きくため息をつく。
「虎妹、あんただってその気になりゃ出来るんじゃないのかい?」
虎妹と呼ばれた少女、虎碧はかたわらにいる女性の言葉を受け、寂しそうな笑顔を見せて、首を横に振った。
首を横に振ったとき、長い黒髪が紅い華服の肩をなで。腰に帯びた剣が少し揺れた。
虎碧のかたわらにいた女、龍玉は笑顔で大道芸を楽しそうに眺めてから、虎碧を見下ろす。彼女は女性にしては背が高い。その口元のほくろのところで、ようやく虎碧の頭のてっぺんが届くくらいだ。
虎碧は龍玉を見上げながら、ため息をつく。
(強い男の人をお婿さんにするために武者修行の旅をしてるのに、成り行きで龍お姉さんと一緒になっちゃって。こんなきれいな人がそばにいたら、男の人はみんなお姉さんの方に行っちゃうでしょうね)
と思うと、切ない気持ちにもなる。
蒼い華服と腰の剣が陽光に映えて、色鮮やかに輝いているようにも見える。それも龍玉の美しさあってのものといっていい。
この龍玉と虎碧、成り行きで一緒に旅をしている。ともに過去を明かさないが、仲も良く、義姉妹の契りを結び、風の向くまま気の向くまま、東西南北江湖を渡り歩いて早ひと月が経つ。
「ふーむ」
さっきまで芸の技を楽しんでいたのが、龍玉はおもむろに腕を組み、何か考え事をしているようだった。何を考えているんだろう。
虎碧はそれには取り合わず、すごいなあ~、と言いながら技に見入っている。とくに男性の掌の上で軽やかに舞を舞う女性の、掌上の舞が特に気に入ったようだった。
男女ともに白装束を身にまとい、それがまるで風に舞う花びらのようにも見える。それほどまでに達するために、どれほどの修練を積んだのか。
虎碧も武芸の修練を相当積んでいるものの、どうせ積むならあの掌の上の女性のような修練がよかったかな、と少女らしい憧れと嫉妬を入り交じらせて、その舞を見ている。
すると、龍玉が突然かがみこんだかと思うと、虎碧の足を掴んで、そうれ、とその身体を頭上高く持ち上げた。
驚いた虎碧は落ちないようにばたばた手を振り体勢を整えながら、
「ちょ、ちょっと、お姉さん、やめてよ、危ないじゃないの」
と下に呼びかけるも、龍玉は「あっはははは」とその美形にはやや似つかわしくないような、あけっぴろな笑い声を立てて、
「虎妹、じたばたしてると落ちちゃうよ。体勢を整えて、あたしの掌の上に乗るんだよ」
と言う。この様子では降ろしてもらえそうにない。
周りの人々は突然龍玉が虎碧を持ち上げたことに驚き、声を上げてふたりから離れ、それを真ん中にして人の輪をつくる。
虎碧はやむなく両手を伸ばして開いて、片足立ちで、開かれた龍玉の掌の上に乗って体勢を整える。それだけでもたいそうな技量がいるものだ。
しかしいくら虎碧が小柄で軽いといっても、女が持ち上げられるほど軽いわけでもないだろうに。持ち上げる龍玉とてまるで柳の枝を思わせるような細い体つきで、そんなに腕力があるとは思えない。
(龍お姉さんって何者なの?)
その掌に乗って、虎碧は唖然としていた。
龍玉は気を掌の上に集中させて、虎碧の体重を支えていた。体内の気を自在に巡らせて人並み以上の腕力を奮い起こすなんて、生半な修練では身につくものではない。それとも、気に関しては龍玉は素質があるのか。
「どうしたの、何かひとつ舞でも舞いなよ。すごくうらやましそうに見てたじゃない」
どうも龍玉は、虎碧が掌上の舞をまじまじと見入っているのを見て、自分もやってみたい、と虎碧が思ったのだと勘違いしたようだ。
「ね、ねえお姉さん。別にわたしそんなつもりじゃ……。お願いだから降ろして」
「降りる必要はありません」
降ろしてとせがむ虎碧に、突然飛んできた声。その声は凛として鈴の音のように、とても耳に心地よかった。
声の主は、掌上の舞を舞っていた白装束の女性だった。片足立ちで、男の掌の上に悠々と乗っている。
「わたしたちの仕事を邪魔をして、何のつもりですか」
声は耳に心地よく、女性は顔も温和そうな美人なのに、その周囲を包む空気はにわかに熱を帯びてきているようだった。つまりは怒っているようだった。
相棒の男性も何も言わないが、同じく怒っているようだった。
「別に邪魔するつもりはなかったんです。姉が突然わたしを持ち上げて……。すぐに立ち去りますから、どうかお許しを」
虎碧は手を合わせて頭を下げて女性に謝るが、龍玉が黙ってはいなかった。
「仕事の邪魔だって? あたしはただ妹を持ち上げただけじゃないか、それのどこがいけないのさ」
「わたしたちと同じ技を披露して、お客様を横取りしようとしているのでしょう。それが邪魔でなくてなんですか」
「客の横取り? 人聞きの悪いことを。少したわむれただけのことが、邪魔になるなんて、あんたらの技なんてたいしたことはないんだね」
「そこまで言われては黙っていられません。覚悟をして下さい」
龍玉の挑発に乗ってしまった女性と男は、すうっと足取りも軽く虎碧と龍玉に迫ってきて、女性は掌を繰り出し虎碧を攻め立てる。
驚いた虎碧だったが、龍玉が降ろしてくれないのでやむなく女性の掌を同じく掌でふせぐ。ささっと繰り出される掌は変幻自在、速さはまして、幾重にも掌が重なって攻めてきているようだった。
周囲の人々や他の大道芸人はこの突然はじまった掌上の戦いに驚き、次にやんやの喝采を送って楽しそうに観戦していた。
掌の上もさることながら、それを支える方も少しも揺るがず、まるで足に根が生えているかのようにしっかりと地面を踏みしめ踏ん張っている。
足の踏み場のない掌の上では踏ん張りも効かず、長いこと片足立ちでいたことで虎碧も少し疲れを感じざるを得なかった。しかし女性は場数を踏んでいるので、こともなげに虎碧を攻め立てる。まるで大地の上に足を踏みしめているかのようだ。
攻めの速さも増し、虎碧は劣勢に立たされ。ついには腕十字を組んで掌を受けたものの、こらえきれずに吹っ飛ばされてしまった。
「虎妹!」
龍玉は吹っ飛ばされた虎碧を追い、掌で受け止め、またその上に立たせた。
「お姉さん、もう勘弁して」
「だめ、あいつに勝つまで降ろしてあげないよ」
思わず泣きを入れる虎碧に、龍玉はハッパをかけて反撃に出させる。かなり意地になっているようだ。
(も~、お姉さんの意地悪!)
いい加減虎碧も我慢の限界に達し、どうにかして地面に降りて両足で地面を踏みしめたかった。
(こうなったら、無理矢理でも降りるしかないわ)
そもそもこの掌上の舞の男女と争ういわれはないのである。それを、龍玉がややこしくしてくれてしまった。そうこうしている間にも、女性が迫ってくる。
「破っ!」
気合のこもった掛け声をかけ、虎碧は跳躍した。もういい加減やってらんないわ、と。この跳躍に龍玉は不意をつかれ、慌てて虎碧の足を掴もうとしたが、遅きに失して、虚しく空を掴むのみ。
「愚かな」
やけのやんぱちで飛び蹴りでもしかけてくるか、と女性は袖を振ると、袖はまるで生き物のように伸び虎碧に迫り、その足に絡みつこうとする。
すると、虎碧の碧い目がきらりと光り、袖との距離を見切って足に届く直前に、ひらりと身を反転させて、両足首で袖を挟んで。
反転する勢いで、袖をぐいっと引っ張る。
この予想外のことに女性は驚き、袖を引こうとするが虎碧の足が勝って体勢を崩し、男の掌の上から足を踏み外してしまった。
「きゃあ!」
女性の悲鳴が響く。続いて、
「危ない!」
と、男と龍玉が一片に叫んで、落下しゆくものを慌てて受け止めた。
受け止めて、なんだか手ごたえが妙に違うと思えば、なんとそれぞれの対戦相手を受け止めていた。
龍玉は眉をしかめ、女性をぽいっと放り投げるようにして降ろした。女性は意に介さないように軽々と着地し、男のもとに戻った。
その男の腕で、虎碧は気まずそうに照れ笑いをしていた。
(ああ、こんな成り行きで男の人の腕に支えられるなんて、なんてはしたない……)
と恥らう虎碧に男は優しげに微笑んで、そっと降ろしてくれた。
虎碧には敵意がないのは、わかっていたようだ。
周囲の人々は手に汗握って、この戦いを見ていた。
四人それぞれは相手を見据え、隙をうかがっているように突っ立っている。さあまだやるか、と言いたげに。
そこへ、
「たいしたもんだ、いやあいいもの見せてもらった!」
と観客の一人がこの空気を読んでないのか、それとも読んだからなのか、銭を四人に投げてよこした。観客、とくに男の客にとって美女の繰り広げる大道芸は見ごたえたっぷりでご満悦の様子である。
もちろん、大道芸の技として披露したわけではないのだが……。それからも、次から次へと異口同音に、賞賛の言葉とお金が投げてよこされてきて。
お金が雨あられと降りそそぐ中、まさかこんな成り行きになるなんて、と素直に喜んでいいのやら気まずいやらと、四人は互いに目をやりあい、苦笑しあっていた。
このお金を受け取ってよいものか、どうか。
しかしそこは単純明快な龍玉。
「おありがとうござーい!」
意を決し、せっせとお金を拾っては懐に押し込み。ひらりひらりと、身をひねり伸ばした手を軽やかに振りながら、飛んでくるお金を受け取り。時には二本の指でたくみに挟みこんで受け取る。せっかくくれるというものを貰わないなんて、損だ、と。
その軽やかな身のこなしの動作は舞を舞っているようにも見え。観客はさらに喜び、さらにお金が投げてよこされる。ただ貰うだけではなく、ちゃんと客に喜んでもらえるような受け取り方をするあたりが、心にくい。
(なんて逞しいひとなんだ)
どたばたを巻き起こした張本人が、今はちゃっかりしっかり稼いで。虎碧と掌上の舞の男女は、龍玉の逞しさに舌を巻いていた。
「ささ、仲直りに、飲も飲も!」
ほくほく顔の龍玉。さっきまでの敵意はどこへやら、虎碧も掌上の舞の男女も、苦笑しつつも仲直りの雰囲気を壊すわけにもいかず、得意満面な龍玉の後に従って酒楼へ向かった。成り行きとはいえ、まさに。
雨ならぬ、金降らせて地固める。
終わり
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