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第7話 交渉

 カチャカチャカチャカチャッ!

 カチッ、カチカチッ!


 ホテルの一室に、小気味良いが、どこか狂気じみたタッピング音が響き渡っていた。


 アルバスは、ベッドの上にあぐらをかき、新品のコントローラーを凄まじい手際で操作している。


 画面に映っているのは、無機質な設定画面。


 彼はそこで、カメラ感度、デッドゾーンの設定、キーバインドの変更を、秒単位で繰り返していた。


「……チッ、違う。感度が高すぎる。これじゃあ精密射撃の時にレティクルが流れる」

『新品だからな。前のコントローラーはスティックがドリフトしていたし、ボタンも陥没していただろう? 感覚がズレるのは当然だ』

「うるさい。俺はこの『遊び』の感覚を体に叩き込まなきゃならないんだ」


 傍らで見守る(というか呆れている)真夜の目には、その光景が全く別のものとして映っていた。


(……この指捌き。間違いないわ)


 彼女の脳裏に過ったのは、五年前に起きた『人形使い(パペッティア)』事件。


 改造したゲーム機型コンソールを使い、軍用ドローン五機を同時に操って要人を暗殺したテロリスト。

 

 アルバスの動きは、その『人形使い』すら凌駕している。

 画面上のカーソルが視認できない速度で飛び回り、複雑な数値設定が書き換えられていく。


偵察機(ドローン)のジャイロセンサー調整、そして火器管制システムの初期設定。……実戦投入の前に、自分の手足となる兵器を極限まで調整しているのね)


 やはり、彼はただの召喚士ではない。

 高度な電子戦と、遠隔操作兵器のエキスパートだ。


「……そろそろいいかしら。仮のIDを発行する手続きをしたいのだけど」

「ああ。適当にやってくれ」


 アルバスは画面から目を離さずに答える。


「じゃあ、まずは指紋と虹彩データの採取を――」

「断る」


 即答だった。

 アルバスは手を止め、露骨に嫌そうな顔で自分の指先を見た。


「指紋なんて採ってみろ。インクや粉が指につく。そんな状態でコントローラーを触ったら、感度が変わるだろうが」

「……は?」

「それに虹彩スキャンなんて論外だ。レンズを直視するとか、考えただけで吐き気がする」


 真夜は息を呑んだ。


 指紋採取の拒否理由は「指先の感覚センサーの保護」。


 金庫破りや爆弾処理班のような、極限の繊細さを要求されるプロフェッショナル特有の理由。

 ……にしても神経質な気はするが。

 そして写真撮影の拒否は、顔認証システムによる追跡を恐れる、スパイ特有の警戒心。


(徹底した『透明人間』のスタンス。……やはり、国際的な諜報機関から追われている?)


 この男の背後には、想像以上に深い闇が広がっている。

 真夜は戦慄しつつ、携帯端末を取り出した。


「……分かったわ。写真は……防犯カメラの映像があったから、加工して使う。指紋も、今回は免除するわ」


 指紋の免除。

 十中八九、偽造するということだろう。


「助かる」

「で、どうしてそんなに急ぐの? 三日以内だなんて、裏口を使うにしても無茶よ」


 真夜の問いに、アルバスはようやくコントローラーを置いた。

 真剣な眼差しで、彼女を見据える。


「オークションだ」

「……オークション?」

「ああ。ある『物件』の競売が三日後に迫っている。入札には実名と戸籍が必要なんだ」


 アルバスが言っているのは、ネットの競売サイトに出ている『海沿いの廃工場付き土地』のことだ。

 格安だが、広さと「人のいなさ」は完璧な物件である。


 何度か彼が話しているように、アルバスは、『自我がある存在を閉じ込めておく』ことを嫌がる。


 これは三年間、彼自身が牢屋に入れられていたからこそだろう。


 とはいえ、『出せる』とはいえ、『出していい』わけではない。

 広い私有地を確保しないと、余計な混乱を生むだけだ。


 それゆえに、タナトスがゲーム機に備わる検索機能で調べた結果、良い物件があったので狙っているというわけだ。


 しかし。


 真夜の脳内検索エンジンは、別の結果を弾き出した。


(『物件(ブッケン)』……隠語だわ。三日後に開催される裏社会の『闇オークション』。そこで取引される『何か』――希少な物質か、あるいは禁忌のアーティファクトか)


 正規の身分証が必要ということは、表向きは合法的なチャリティーオークションなどを装っているのだろう。

 そこへ潜入し、危険な『物件』を確保する。

 それが、彼の、いや彼と特務課のミッションになる。


「……了解。その『物件』の確保、私も協力するわ」

「ああ、助かる。(……荷物持ちくらいにはなるだろ)」


 認識のズレは、マリアナ海溝よりも深い。

 だが、利害だけは奇跡的に一致していた。


「よし。じゃあ移動しましょう。ここは目立ちすぎる」

「移動? 嫌だぞ。せっかく回線が安定してきたのに」

「私の管理するセーフハウスなら、政府専用回線を引いているわ。ここよりも安定するはずよ」


 真夜の口から出た適当な嘘に、アルバスは即座に立ち上がった。

 彼にとっては好都合だったので、とりあえずセーフハウスに向かうことに。


「行くぞタナトス。荷造りだ」

『……主よ、少しは疑うことを覚えた方がいいのではないか?』


 ★


 一時間後。

 都内某所、雑居ビルの地下にある『セーフハウス』。

 表向きはレンタル倉庫だが、奥には特務課が極秘任務のために使う居住スペースがある。


 生活感は皆無。あるのは堅牢なセキュリティと、業務用の太い回線だけ。

 アルバスにとっては天国のような環境だった。


「……悪くない。これならラグなしで戦える」


 アルバスは即座にモニターと電源を確保し、安堵の息を吐く。

 真夜は、そんな彼に一枚の書類と、写真を差し出した。


「約束通り、身元引受人の書類にはサインしたわ。私の経歴を人質に差し出すようなものよ」

「重いな。まあ、裏切るつもりはない」

「だといいけど。……で、これが『前金』代わりの依頼よ」


 テーブルに置かれた写真には、チンピラのような男の顔が写っている。


「名前は赤城あかぎ。ランクBの探索者よ。『黒蛇興業』と癒着して、新人の探索者をダンジョン内で『事故』に見せかけて始末し、装備を奪っていたクズ」


 真夜の声に、殺気が混じる。


「法では裁けない。証拠不十分で何度も不起訴になっている。……この『ゴミ』を掃除して」

「……(クエスト:悪徳探索者の討伐。報酬:日本国籍。難易度:低)」


 アルバスは写真を手に取り、つまらなそうに眺める。

 英雄を目指すわけではない。正義の味方になるつもりもない。

 だが、自分の平穏な生活……そう、ゲーム環境を手に入れるための「チュートリアル」だと思えば、悪い条件ではない。


「いいだろう。……タナトス」

『うむ』


 アルバスの影から、死神がニヤリと笑って姿を見せる。


「散歩の時間だ。……新しいハードの性能試験(ベンチマーク)には、ちょうどいい的だろ」


 亡命希望者と、はぐれエージェント。

 噛み合わないまま走り出した二人の、最初の共同作業が始まろうとしていた。


 ……ちなみに、タナトスは『私はコントでも見ているのか?』と思っていたが、口には出さなかった。

 指摘しても誰も幸せにならないので。


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