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第3話 ゲーム機を買いたい奴の最大の敵。転売ヤー

 高スペックのアバターで走り抜けること数分。


 影にはタナトスが控えており、おそらくワインでも飲んでいるのだろう。


 地上が、見えてきた。


「アスファルトと排気ガスのにおいがしてきたな。やっと地上か」


 三十年前、世界各地に出現したダンジョンの一つ、『東京第八ダンジョン』のゲート前広場。


 広場の端には、封鎖柵と管理番号のプレートが並び、赤いランプを点滅させた監視カメラがこちらを向いている。


 アルバスは呼吸を整える間もなく、影に向かって言った。


「タナトス。陰から絶対出てくるなよ。ここは人間のテリトリーだからな」

『……ふむ、一刻も早く新しいゲーム機が必要なタイミングで、余計な騒ぎは不要でしょうね』


 物分かりが良いようで、影の中で頷いているように感じる。


「そういうことだ。モンスターを『ダンジョンの外でも出せる』のは、召喚士だけだからな。あれはいろいろ、手続きがめんどくさいから避けたい。出てくるなよ」

『承知した』

「さて、資金調達だ」


 というわけで、アルバスは窓口に向かう。


 ゲーム機を買うために必要な物。

 それは、お金だ。


 管理支部の窓口は、平日の昼間と言うこともあり、空いている。

 アルバスはカウンターに直行して、ポケットから魔石を取り出した。


 ゴトッ。


 握り拳ほどの大きさの、黒紫色の結晶体。

 先ほど倒した深層の主、アビス・グリズリーの魔石だ。

 それを見た受付の女性職員が息を呑む。


「こ、これは……」


 彼女の手元にある測定器が、信じられない数値をはじき出しているようだ。

 明らかに顔が青ざめて、手が震えている。


「お、お客様。これほどの純度の魔石をどこで……」

「拾った。で、換金したいんだが」

「は、はい! 査定額は……す、すみません、即決できませんが、少なくとも億単位には……!」


 億。


 その言葉を聞いても、アルバスは眉一つ動かない。


 今の彼に必要なのは、億の資産ではなく、目の前の家電量販店で買い物をするための小銭と、一秒でも早い時間だ。


「いいから手続きをしてくれ。急いでる」

「あ、はい! では、探索者ライセンスと、身分証明書のご提示をお願いします!」


 その言葉に、灼也の動きが止まった。


 探索者ライセンス。これは、持っていない。


 そもそも無能と称され続けたのが灼也であり、ライセンスを発行する手続きをしていないのだ。

 欠陥品とも呼ばれる彼を表舞台に出す必要がなかったということもあるが。


 ただ、身分証明書。


 手際のいい暗部が動いていたのだから、おそらく、現時点でもう、『火ノ崎灼也』は、死亡扱いのはず。


「……ない」

「え?」

「どっちもない。買い取れないか?」


 アルバスは苦虫を嚙み潰したような表情で聞いた。

 その瞬間、女性職員の目から光が消えた。


「……ん?」


 アルバスはその表情が、『単なるめんどくささ』によるものではなさそうに見えた。


 それに対して……。


(身分証なしで、こんな高価なものを……?)


 彼女の脳裏にフラッシュバックしたのは、つい先月の出来事だ。


 ある探索者が、出所不明の強力な『剣』を持ち込んだ。


 それが、あの『御剣(みつるぎ)家』の管理下にある宝剣の横流し品だったとは知らずに。


 男は翌日、東京湾で浮かんでいたようだ。

 担当した先輩職員も、「事情聴取」という名目で御剣家の私兵に連れて行かれ──二度と戻らなかった。


(や、ヤバい筋の人間だ。関わったら、私も消される!)


「も、申し訳ありません!」


 空いているとはいえ、他にも人がいる中、女性職員は裏返った声で叫んだ。


「法律により、身分証がない方の換金は一切お断りしております! お引き取り下さい! け、警察を呼びますよ!」

「……チッ、融通が利かんな」


 とはいえ、目の前の人間が『怯えている』のはわかる。


 三年間、地下牢に閉じ込められていた灼也には世間の動きや事件などさっぱりわからないが、アルバスというアバターが持つ感知能力は、職員の反応が『単なるお役所仕事』という範疇を超えているのはわかる。


 アルバスは肩をすくめると、魔石を掴んで踵を返した。


 事情は分からない。彼は知らない。

 とはいえ、正規ルートが詰んだのは事実だ。


 ★


 支部の外に出たアルバスは、路地裏で足を止めた。


(バッテリー残量は……6パーセントか。全速力で走り始めた時は14だったはずだが、減るのが早すぎる)


 リンクが切れれば、召喚の上限が死ぬ。

 そして、上限が死ねば――維持も死ぬ。タナトスは、戻る。


(……もう、閉じ込めるのは、嫌だ)


 一刻の猶予もない。


「おう兄ちゃん。困ってるみたいだねぇ」


 不意に、ねばつくような声がかかった。

 振り向くと、安っぽいスーツを着た、見るからにガラの悪い男が立っている。


「ウチなら、ワケアリの魔石でも買い取るぞ。レートは悪いがな」


 魔石はコートの裏に隠している。

 目の前の人間に、コート越しに魔石を判断する観察力があるとは思えない。


(……窓口でのやり取りを見てたってことか。まぁ、好都合だ)


 ゲーム機を買うためのお金が欲しいだけだ。

 どれほどレートが低くとも、10万円ももらえないことはないだろう。


「……案内しろ」


 時間はない。

 お金を手に入れて、電気店まで走って、ゲームのデータを移す。

 残り6パーセントの充電でしなければならない。


(厳密には、召喚上限が0になるだけで、タナトスが一度戻ったとしても、新しいゲーム機を手に入れたらまた呼べるとは思う。だが……)


 戻すということは、ゲーム機に閉じ込めるということだ。


 自我がある仲間を、閉じ込める。

 それが、あまりにも、耐えられない。


 ……アルバスが案内されたのは、繁華街の裏手にある雑居ビルの一室。


 看板には『黒蛇(くろへび)興業』と書かれている。


 中に入ると、タバコの煙が充満する事務所で、数人の男たちが札束を数えていた。


 そこで、アルバスは魔石をテーブルに置く。


「……ほう、コイツはすげぇ」


 鑑定役の男が、グリズリーの魔石を見て目を見開いた。

 しかし、すぐに下衆な笑みを浮かべる。


「出所不明じゃリスクが高いな。まぁ、300万ってところか」


 先ほど、窓口の女性職員から『億単位』と言われたばかりだ。


 しかも、『こんな事務所』なのだから、窓口にあるような市販の測定器よりも、鑑定の性能は高いだろう。


 価値がわからないということはあり得ない。

 明らかに足元を見られている。


 もっとも、そこは、アルバスとしてはどうでもいい。


「いいだろう。現金を寄こせ」

「へっ? い、いいのか?」

「急いでるんだ」


 男たちは顔を見合わせて、「カモが来たぜ」と嗤った。


 今のアルバスの見た目は、赤いシャツの上から黒いコートを羽織った美少年で、体格もそれ相応に良い。


 彼がそれ相応の実力者であることは、目の前の男たちも理解しているだろう。


 その上で、『ワケアリでも換金してやる』という交渉カードの強さが、アルバスを下に見ているわけだ。


 とはいえ、『何らかの交渉はしてくるだろう』と彼らが思っていた矢先に、『それでいいから寄こせ』というのは、笑うしかない。


 現金300万円。

 それを掴むと、アルバスは事務所を飛び出した。


 影の中で、タナトスが小さく嘆息する気配がした。

 ――言葉が届くなら、何か言いたかったのだろうか。


「これだけあれば、ゲーム機を買う分には全く問題ない」


 アルバスは風のように走り、大通りに面した家電量販店に滑り込んだ。


(バッテリー残量……5パーセント。まずい)


「いらっしゃいませー!」

「ゲーム売り場はどこだ!」

「えっ、あ、さ、三階になります……」


 少し、店員が苦い顔をしている。

 もっとも……その苦い顔をした理由は、『態度の悪い客だから』ではないのだが、すぐにわかることだ。


 エスカレーターを駆け上がり、ゲームコーナーへ突撃する。

 アルバスの目は、獲物を探す猛禽類のように鋭くなっていた。


 事実として、ゲーム機の充電は風前の灯火なので、『餓死寸前の猛禽類』といって良いかもしれない。

 ……猛禽類に失礼か。


「頼むぞ、株式会社モルペウス……!」


 知っている最新機種は、三年前に発売されていた『パンドラ3』だ。


 あれなら間違いなく在庫があるはず。

 だが、売り場のポップを見た瞬間、アルバスは足を止めた。


『待望の最新作! 『パンドラ4』本日発売!!』


「……フォー?」


 アルバスはポップを二度見した。


「3じゃなくて、4が出てるのか? ……そうか、三年も経てば次世代機が出るか!」


 アルバスの頬が紅潮した。

 ポップの横に書かれたスペック表を見る。

 メモリ四倍。処理速度八倍。冷却性能大幅アップ。


 しかもこれは、『3と比べて』だ。

 自分が使っているのは『寿命ギリギリのパンドラ2』であると考えると、大きく差があるはず。


(素晴らしい……! これならタナトスを展開したままナイトメア隊をフル稼働させても処理落ちしない! 俺の上限が四倍になるようなもんだ!)


 神機だ。

 灼也は震える手で、店員に声をかけた。


「これをくれ! パンドラ4だ! 色はミッドナイト・ブラックで!」


 しかし。

 店員は申し訳無さそうに眉を下げた。


「あー……申し訳ありませんお客様。パンドラ4は、開店と同時に完売しまして……」

「……は?」


 灼也の思考が停止した。

 完売? 今日発売で?


(……いや、人気のゲーム機なら、あり得るのか?)


 チラッと棚を見ると、3も在庫がない。

 2はない。もう製造されていないので、大型の家電量販店に新品が来ないのだ。


「次の入荷は?」


 近くの中古屋に全力で走ることを考えつつも、アルバスは店員に聞いた。


「未定ですねぇ。実は、ある業者の方々が、朝一で在庫を全て買い占めていかれまして……」

「……業者?」


 嫌な予感がした。

 アルバスの声が、地獄の底のように低くなる。


「どこの、どいつだ」

「えっと、確か……領収書の宛名は『黒蛇興業』様でしたが……」


 プツン。


 彼の中で、何かが切れる音がした。


 黒蛇興業。

 さっき、魔石を買い叩いた連中だ。


 人の進化に必要なハードウェアも、全て奪っていったのか?


「…………そうか」


 アルバスは静かに踵を返した。

 その背中から立ち昇る殺気は、深層の魔物よりも濃く、冷たかった。


 ★


「ギャハハハハ! 見たかよさっきのガキ! 300万でS級魔石置いていきやがった!」

「笑いが止まんねえな! これなら御剣様への上納金も余裕だぜ!」


 黒蛇興業の事務所は、笑い声に包まれていた。

 机の上には、アルバスから巻き上げた魔石。


 そして部屋の隅には、転売用に買い占めた『パンドラ4』の山が積まれている。


 バンッ!!


 不意に、事務所のドアが蹴破られた。

 静まり返る室内。

 入口に立っていたのは、先ほどの「カモ」だった。


「あぁ? なんだテメェ、まだ石を持ってたのか?」


 男の一人がニヤニヤしながら近づく。

 だが、アルバスは男を見もしない。

 彼の視線は、部屋の隅にある『宝の山』に釘付けになっていた。


「……あった」

「あ?」

「在庫はそこにあったか」


 アルバスは端正な顔に青筋をビッキビキに浮かべた。


「絶対に許さんぞテメエら。俺の神機を買い占めて値段を吊り上げるとはなぁ。貴様らはバグだ!」


 濃密な殺意があふれて、男たちがたじろぐ。


 指を勢いよく鳴らした。


「タナトス。こいつ等に絶望を教えてやれ!」


 アルバスの影から、大きな鎌とワイングラスを持った死神が姿を現す。


『……まるで厄介オタクだな。我が主よ』

「やかましいわ!」


 突如現れた死神。


 男たちも、これには仰天した。


「な……こいつ、召喚士か!?」

「全員、武器を抜け!」


 慌てた様子だが、戦うと決まれば、全員が武器を抜く。


「ククク……さぁ、恐ろしい目にあう覚悟はできてんだろうな。死神が相手してやるぞゴルアアアッ!」

『死霊神タナトス。参る』


 ゲーム機奪還作戦、開始。

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