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第2話 召喚士アルバスと死霊神タナトス

 音のない奈落の底。


 上が確認できないほどの岩肌の壁の傍で、ゲーム機を握りしめている。


「……ん」


 そもそもなぜ、自分が起きることができたのか。

 そこに疑問を感じつつも、灼也は目を覚ました。


「……え、俺、なんで、生きてるんだ?」


 空いている左手で腹を触る。

 そこにはナイフがあったはずだ。

 だが、傷はない。


 そして……安っぽい服を着ていたはずなのに、今は、手触りが良すぎる。


 腕を持ち上げて、手を見る。


「……え、黒い袖? しかも、手が綺麗すぎないか?」


 軽く、手を握って、開く。


「しかも、皮と骨だけだったのに、なんか……」


 困惑しつつも、起き上がる。

 近くに水たまりがあり、覗き込んだ。


 そこに映るのは、綺麗な銀髪を揺らす、端正な顔の青年だ。


「こ……これ、間違いない。アルバスだ」


 右手で握るゲーム機を見る。

 本体も、画面は壊れていない。


「あんな高さから落ちたのに……」


 崖を見上げる。

 本当に、上も見えないほど、高い壁だ。


「普通の探索者じゃない。『人外』と呼ばれる奴らが、相当な準備をして『ショートカット』に使うようなところか。普通の人間なら落下した瞬間に終わりだし、本当なら俺も終わるはずだった」


 コートの袖を見る。


「ああ、そうか。このコート、『物理ダメージ無効』だから、それが落下ダメージも無効にしたのか」


 物理ダメージがコートによって排除された結果、衝撃がなくなり、ゲーム機も無事だったということなのだろう。


「……ゲームのアバターが、俺の体を上書きしたのか? そんなことがあり得るのか?」


 わからない。


 ただ、本能が、『それが事実だ』と告げているような気がする。


「まぁ、お前が無事でよかった……えっ?」


 画面にテロップが表示される。


『バッテリー残量:15%』


「じ、充電が……嘘だろっ?」


 充電器の差込口を覗き込む。

 端子の奥が黒く焼けて、何かが固着していた。――血が流れ込んだせいだ。


 これでは、地上に戻れたとしても、充電はできない。


 さらに。


『注:残量が0になり電源が落ちた場合、リンク切断により召喚コスト上限は0となります』


 表示された言葉は、彼にとって無慈悲なもの。


「召喚コスト上限が0……要するに、コートはそのままか? いやでも、今の俺が『アルバス』なら……物理も魔法もかなり、耐性がある。でも、技術や攻撃力は、召喚獣に頼る構成だ」


 アルバスは、召喚士。


 異界からモンスターを呼び出し、戦わせる。


 その上で、召喚獣を使わないアルバス自身の技術や戦闘力は、あまりにも低い。


「てことは……え、餓死?」


 モンスターの攻撃を受けてもほとんどダメージはない。

 だが、『突破できない』となれば、地上に出られない。


 地上に出られない人間がどうなるか。

 そんなもの、餓死に決まっている。


「グォォォォォォ……ッ!」


 その時、地響きのような咆哮が空間を震わせた。


 灼也が顔を上げると、暗闇の奥から、バスほどもある巨大な熊が姿を現した。


 深層の魔物、アビス・グリズリー。

 鋼鉄の如き剛毛に覆われた圧倒的な体躯で、獲物を見つけた歓喜と共に突進してくる。


「……ッ、邪魔すんな!」


 灼也は反射的に左手を出した。


 アルバスは、手を掲げて、そこから召喚のための魔法陣を出す。


 その動きが、何故か、即座に出た。


「出ろ……ッ!」


 頭に思い浮かんだのは、『単純な物理攻撃を得意とする相手』に対し、いつも呼び出していたモンスター。


 戦場には似つかわしくない、氷がグラスに当たるような、涼やかな音が響いた。  


 次の瞬間、空間が裂ける。


 現れたのは、身の丈二メートルを超える、巨大な人骨だった。


 深淵の闇を織り込んだようなボロボロの黒衣を纏い、右手には巨大な大鎌。


 そして左手には──なぜか、なみなみと注がれた赤ワインのグラスが握られている。


『──呼んだか、我が主』


 脳内に直接響く、重低音の声。

 ゲーム内でも最強格のアンデッド。


 その名は、『死霊神タナトス』。


 アビス・グリズリーが、目の前に出現した人骨に向かって、剛腕を叩きつける。

 しかし、その剛腕は人骨をすり抜ける。


『残念だが、私の体は攻撃を受け付けない。大抵はすり抜ける』


 右手で、大鎌を一閃。


 それだけで、グリズリーの首が落ちた。


「……あっ」


 グリズリーの体が、塵となって消えていく。


 後に残ったのは、魔石だ。


 ダンジョンでモンスターを倒すと、必ずドロップするアイテムであり、モンスターが強ければ強いほど、内部の魔力量が多くなる。


「……こ、この魔石……この魔力量。さっきのグリズリー。とんでもない強さだぞ。階層でいえば70層か? 人外であるSランク探索者が潜るのが51から60って聞いたことがあるが……」

『フフッ、吸血鬼の女帝に比べればまだ優しい部類だがね……それはともかく、ここでじっとしている場合ではないはずだ。我が主』

「そ、そうだ……」


 ゲーム機を見る。


『バッテリー残量:14%』

「クソオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 灼也は左手を掲げる。


「サモン。『影の軍馬(ナイトメア)』!」


 宣言する灼也。


 ……しかし、彼の宣言が周囲に響いただけで、何も出てこない。


「……あれ?」


 ゲーム機を見る。


【コスト使用率:99%】

【警告:ハードウェアの劣化により、これ以上の召喚は不可能です】


「なぬ!? 『アルバス』は、莫大な魔力があるはずだ。召喚するには魔力が必要だけど、呼び出せる最大数はゲーム機のスペックで決まるのか!? 何故!?」


 頭が疑問で埋め尽くされるが、答えはいたってシンプルだ。


 頭の中でぐるぐる考えて……。


「……魔力じゃない。俺の限界は端末(コレ)で決まるんだ」

『フフッ、騒がしいものだ。とはいえ、移動に私は必要ない。戻せばいい話だろう』

「……」


 灼也はタナトスを見る。

 その人骨に、人の体温は感じられない。


 だが、明らかに……。


「……いや、戻さない。俺の足で頑張る」


 そう言って、全速力で走り出した。


 タナトスは静かに、彼の傍で浮きながらついていく。


『普通の人間よりは早いだろう。とはいえ、馬に乗った方が効率的なはず』

「なんとなく、戻すのが嫌なだけだ!」

『……まぁ、いいだろう。どのみち、私が存在するための魔力に問題はない。モンスターが出てきたら私の鎌で片付けて、別の人間を見かけた場合は、我が主の陰に潜むとしよう』

「そうしてくれ!」

『しかし……走り方のフォームが汚いな。運動不足にもほどがある』

「うっさいわ!」


 余計な茶々を入れてくる人骨をしり目に、灼也は……いや。


「アルバスとして、お前たちは頼りにするさ。でも、戻すのは嫌だ。『閉じ込める』のは、嫌だ! ただそれだけの話だ! とにかく全速力で電気屋に行くぞ!」

『……地図もなく、何故その方向が出口に通ずるとわかるのかね?』

「ゲーマーの勘!」

『フフッ、なるほど、それで納得しておこう』


 タナトスは優雅に、赤いワインを飲んでいる。


『しかし……死神の正位置は『新しい始まり』だというのに、なかなか騒がしいものだ。嫌いではないがね』


 タナトスの呟きは、全速力で走るアルバスには届かなかった。


 とはいえ、三年間、充電器につなぎっぱなしだったゲーム機のリチウムイオン電池など、寿命をとっくに過ぎている。


 余裕がないのは事実なので、タナトスはそっとしておくことにした。

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