第1話 火ノ崎灼也、死亡
カチッ、カチッ。
スマホの電波も通らないコンクリの牢屋に、乾いたプラスチックの操作音が響く。
ダンジョンが出現して三十年。
多くの英雄が生まれる中、『火属性の名家』として知られる火ノ崎家。
その長男でありながら、剣も魔法も、何の才能もなく、欠陥品の烙印を押された少年、火ノ崎灼也。
ボロボロのベッドしかない牢屋で、壁にもたれるようにして座り込み……型落ちのゲーム機のボタンを押している。
壁際の清掃作業用のコンセントに充電ケーブルをつなぎ、短いコードの範囲で、体育座りをしている。
かつてはマットな質感だったであろう黒い筐体は、手脂と摩耗でテラテラと光り、十字キーの塗装は完全に剥げ落ちている。
酷使されたAボタンに至っては陥没したまま戻りが悪く、強く押し込まなければ反応すらしない。
「……あ、左スティックがドリフトした」
灼也は掠れた声で毒づきながら、親指でスティックを強引に押し込み、グリグリと回してニュートラル位置に戻そうとする。
画面の中では、彼が三年かけて築き上げた広大な城塞都市が広がっている。数万の兵士、堅牢な城壁、そして彼を「王」と崇める国民たち。
現実の彼は、実の親にすら見捨てられた『燃えないゴミ』だが、この四インチの液晶の中にだけは、彼の居場所があった。
「……」
ただし、灼也が何を口にしようと、それを聞く相手はいない。
言葉は必然的に少なくなる。
その時、ギギイィ……と、重い鉄扉が、錆びた音を立てて開いた。
食事の時間ではない。入ってきたのは、配膳係のメイドではない。
黒装束を身に包んだ、大柄な男の三人組だ。
「立て、欠陥品」
「?」
ゲーム機の液晶から目を離さず、灼也は首をかしげる。
「当主様からの慈悲だ。広い場所に案内してやる」
「……?」
三年前、ここに閉じ込められてから、一度も出たことがない。
そんな自分に対して、慈悲とは、いったいどういう風の吹き回しなのか。
骨と皮だけの体になった自分に、何の用があるのか。
骨と皮だけの体では抵抗できないというのも、事実ではあるが。
「……わかった」
ボタンを押してコマンドを選んで、セーブをする。
ボタンを軽く押してスリープモードにすると、暗部の男たちが、彼を強引に立たせた。
「歩け」
腕を引っ張られて、背中を小突かれる。
だが、ゲーム機は、手放さない。
「……広い場所って、どこ?」
廊下を歩きながら、灼也は暗部の男たちに問う。
「……広い場所だ。口を開かず歩け」
「……」
案内されるのは、広間か、それとも父親の執務室か。
灼也はそのどちらかだろうと思ってたが、そのまま、外に出た。
「?」
「おい、これに入れ」
「これ……ロッカー?」
鉄の箱だ。
何の変哲もないロッカーだ。
とはいえ、本来、人が入るようなものではないが。
「良いから入れ」
「あっ……」
無理矢理に入れられて、閉じられる。
完全に真っ暗になった。
しかも……。
「あー……」
地下牢でまともな食事をとっておらず、運動もしていない体は、力を入れてロッカーを叩くことも、大声を出すことも出来ない。
というより、ロッカーの内側には分厚い鉄板が仕込まれており、叩いたとしても、うんともすんとも言わないだろう。
「……ん」
ロッカーが運ばれている気がする。
一体、どこに連れて行かれるのか。
……先ほど、広い場所と言っていたが、あれは『屋敷の外』ではなかったらしい。
「……」
手持ち無沙汰になったのか、ゲーム機の電源ボタンを軽く押す。
再び、ゲーム画面が明るくなった。
「……もしも、お前だったら……」
細い声で、ゲーム内の自分に目を向ける。
赤いシャツの上から黒いコートを身に着けた、銀髪の青年だ。
彼の周囲には、彼を慕うモンスターたちが並ぶ。
当然、灼也の思いは彼らに届かないし、モンスターたちはゲームのデータに過ぎない。
「はぁ……ん?」
ポチポチとボタンを押していると、ロッカーが降ろされた感覚がした。
電源ボタンを軽く押してスリープモードにしたあたりで、ロッカーが開いた。
「出ろ」
暗部の男が灼也の体を引っ張り出す。
「……ここ。ダンジョン?」
三十年前、世界中に出現した、モンスターたちの巣窟たち。
そんなダンジョンの一つだ。
崖下から湿った空気が流れて、灼也の体を撫でる。
「……広い場所って、ここ?」
「ああ。そうだ。まぁ、もっと広い場所に行けるかもな」
「え……がっ」
腹に、鋭い痛みが走る。
視線を下げると、そこには、ナイフが、深々と刺さっていた。
「づっ……こ、これ、暗部用の……」
「ほう、覚えてるのか。まあいい。悪く思うなよ。お前の妹、天姫様の婚約が決まったんだ」
「こ、婚約? ……え? アイツ、十三歳……」
「それは三年前だ。今は十六歳。結婚はできないが、名家の婚約ならむしろ普通だ」
暗部の男はフンッと鼻を鳴らした。
「相手はあの剣聖の一族、御剣家の次男、刀悟様だ」
「み、御剣?」
「あちらは潔癖でな。『欠陥品の兄が戸籍に残っているのは生理的に無理だ』と仰る。火ノ崎の門出に、お前は要らないんだ」
もうすぐに死ぬ灼也に対して遠慮はないということなのだろう。
明け透けだが、それが、彼に刺さる。
灼也は乾いた笑いを浮かべようとして、ゴボッと血を吐いた。
「……お、俺が死ぬってこと。天姫は、知ってるのか?」
「お前が『ダンジョンの中で、事故で死ぬ』と伝えられる予定だ。お前が死んだあと、天姫様が海外留学から帰国し、刀悟様と正式に婚約が成立、当主の座は刀悟様のものとなる」
「……」
「なんだ?」
「何か、企んでるのか? 『当主の座は刀悟様のものとなる』って、一番うれしそうに言ってるぞ」
暗部の男は眉間にしわを寄せた。
「これから死ぬお前に言っても意味がないことだ」
「そう……か……あっ」
ズルッと、足を踏み外した。
自分が、崖に立っていることすらわかっていなかった。
「……任務完了か」
暗部の男のそんなつぶやきが聞こえた気がした。
崖の上が遠ざかり、暗部たちがゴミの行方を見届けるような、冷ややかな目線を感じる。
……それは、灼也には、どうでもよかった。
(……俺は、死ぬ……でも……)
ゲーム機を握る手は、むしろ、強く。
(お前だけは、放さない)
血まみれの手で、強く、強く。
最後の楽園。小さな箱庭だけは。
(もしも、次があるなら、お前たちと、ゆっくり過ごせるだけで……)
……その時だった。
腹の傷から溢れ出した灼也の大量の血液が、ゲーム機の充電端子へと流れ込んだ。
バチッ。
ショートしたような音が鳴り、画面が明滅する。
しかし、電源は落ちず。
……心臓が止まると同時に、青白い光が画面から溢れて、体を包んでいき。
火ノ崎灼也は、深淵に消えていった。
作品を読んで面白いと思った方、もっと多くの人に読んでほしいと思った方は、
ブックマークと高評価、よろしくお願いします!
とても励みになります!




