合戦宣言の朝
翌朝。
いつもは詮議が行われる広間には、歳若い男子たちが集まりそれぞれ居心地悪そうな表情を浮かべていた。
どの者もいずれはそれぞれの家を継ぐ身とはいえ、今は役職もない。城にこそ登城することはあっても、広間に通されることもなければ殿に直々に対面することすら殆ど無い者達ばかりである。
「やっぱり和成殿も呼ばれたんだね。」
総吾は広間に入ってくると、すでに広間に座していた和成を見つけ嬉しそうに言った。
「私は書庫に居るほうがいいんだがな。父上の命とあれば仕方ない。」
そう言いながら、和成は身の置き場に困っているような表情をした。
「和成殿は本当に書物が好きなんだねえ。俺はあのかび臭い感じがどうも・・・。」
感心したように言う総吾をみて、和成はにっこりと笑いながら。
「総吾は笛さえあれば良いんだろ。」
「ほんと、笛だけ吹いていればいいならすごく俺幸せなんだけどなぁ。」
「まあ、そうはいかないよな。」
「だよねえ。ほんとに今日剣術大会とか算術大会とか言われたら俺、どうしよう。」
本当に困った顔をして総吾は悩み始める。
「まだ言ってるのか。そうなったらそうなったで何とかするしかないだろう」
優しく笑いながら和成がそう言ったその時。
「・・・剣術大会に、算術大会。結構なことではないか。」
二人のやり取りは、広間に現れ、当然のように真ん中を正面へすすもうとしていた将希の耳に入ったようである。
「将希殿。」
「本当にそのような大会でも行われれば皆の実力もわかって良いのだが。」
「将希殿はどっちも得意だからいいよね。」
素直に総吾が言うと将希は当然だといわんばかりの笑みを返した。
「得意なのではない。得意にしたのだ。」
それだけ言うと座敷中央をすすみ、背筋を伸ばし座った。
総吾はしばらくあっけに取られたような顔をしていたが、呟くような声で和成に言った。
「和にい。なんか俺、いまちょっとむかついちゃったんだけど。なんでかな。」
「・・・なんでだろうね。」
「殿のお成りにございます。」
傍仕えの小諸純人が皆に声をかけると、ざわつきながらも皆ぞれぞれ居住まいをただし礼をして隆清を迎えた。皆の右手に皆のほうを向いて座っていた純人には皆の心なしか緊張した表情が見て取れる。
その中に珍しい顔が居ることに純人は気づいた。広間の端で口許にうっすらと笑みを浮かべ心ここにあらずといった風で座っているのは阿南雅貴である。体こそ正面を向いているが、誰とも目も合わさずただそこに居るだけといった様子である。
・・・殿のお召しとなればさすがに雅貴殿も登城せざるを得ない、か。
純人はそう思ったが、他の者たちも雅貴の噂は聞き及んでいるらしくちらちらと盗み見している者もいる。
「皆のもの、急に呼びだててしまってすまぬ。」
隆清は昨日とは打って変わって神妙な顔をしていた。
いつもの詮議とは違い、今日は中には自分よりも歳若い家臣たちも居る。主君の威厳というものもある。清隆は妙に緊張さえしていた。
「この度皆を集めたのは、ここにおる者がこれからのわが藩を造っていく者達であると思うたからじゃ。」
清隆の緊張が伝わるのか、家臣たちも神妙な顔をしている。・・・約3名を除いては。
・・・雅貴殿が居る。
大方皆が集まった後、本当に最後にふらりと雅貴が入ってきたのを将希は気づいていた。
雅貴殿はこないだろうと思っていたのだがな。
藩の役職や、立場など雅貴殿は必要ないとさえ思っているのではないかとも思っていた。
まあそれはそれでかまわない。雅貴殿とて負ける気はしない。
それにしても殿は何をしようというのか。
将希は先程総吾にも言ったが、それこそ何かの大会でも開いて実力を比べるのではないかと思っていた。
であれば好都合だ。剣術だろうと、算術だろうとなんだってかまわない。
俺は誰にだって負けはしない。
「これからのこの藩を造っていく。」
将希は君主のその言葉に、この変わらぬ毎日が変わるのだろうかと心が動いた。
しかしながら。
この藩を作っていくのは皆ではない。・・・この俺だ。
・・・来たくて此処に居るわけではないんだがな。
皆がちらちらと見ているのも、将希が自分を見て意外に思っているだろうことも雅貴は気づいていた。
早朝着替えだけでもするかと屋敷に戻った雅貴は、待ち構えていたかのような志乃に捕まってしまったのだ。その上本日の召集を聞かされ、志乃に必ず登城するように言いつけられ、挙句の果ては母にまで泣かれてしまい・・・それを見た志乃にさらに詰め寄られあきらめて登城したという次第である。
姉上さえ居なければ、うまく逃げおおせたのだけれど。とはいえ、殿の直々のお召しとあれば、今までのようにほっておくことも出来まいて。
人の気も知らないであの人は・・・まったく。
昨夜は結局またいつもの店に居て、一人酒を飲んでいた。酔えはしない酒なのにまだ体に残っているようで、何もかもがだるくっていけねえ。
純人は昨日隆清に聞き出した「企み」を思い返していた。
稚拙といえば稚拙な思い付きではあったが、隆清が純粋に考えたことであり、隆清の思いは十二分に心に響くところもあった。
・・・後は殿の悪戯癖が吉と出るか、凶と出るかだ。
もし暴走するようならば、私が止めて差し上げればよいこと。そのために私は此処にいるのだから。
そのためだけに私は存在しているのだ。
「しかし、わしはその方らのことはまだまだ何もわかっておらぬ。」
隆清は昨日と同じように、皆の前に立ったまま話を続ける。目の前に居るのは、白髪頭やたぬき腹の家臣たちではない。まだ元服したばかりの幼い者も居るが何かを成し遂げられる『時間』を持っている者たちである。しかしその時間は無限ではない。同じ毎日では時間は磨り減っていくばかりだ。
「なのでそなた等の力を見せてもらおうと思うのだ。」
やはり。そうか。
将希がにやりと笑った。家臣たちがさざめくようにざわついた。その一方で総吾はもう終わりだというような顔をしている。
「来年の秋祭りがあるであろう。そこで一つ大会を催す。」
更に広間はざわめき、家臣たちは口々に大会の内容をあれかこれかと囁きあっている。
その様子に隆清は満足そうに笑った。
「剣術でございますか?」
誰かが耐え切れずに声を上げた。隆清はゆっくりと首を横に振った。
「もしくは学問の腕を競うとか?」
他のものが声を上げると、もう一度より一層ゆっくりと隆清は首を横に振って。
「どちらも違う」
「馬術とか」
「算学」
「弓」
口々にあがる武士としては必要なたしなみの全てに、隆清は首を横に振り続けた。
とうとう、痺れを切らした将希が訊ねた。
「殿、大会で競うのは何の力でございますか?」
隆清は本当に嬉しそうに笑顔を浮かべていった。
「競うのは・・・唄じゃ。」
「うた、ですか?」
「そうじゃ。唄で競ってもらう。」
・・・そこでどうして唄になったのかは純人にも判らない。
もしかしたら、隆清様にも判らないのではないかとも思っている。思いつきに理由なんてないのかもしれない。
「一年後の秋祭りで皆に唄の力を見せてもらうことに決めた。その結果によっては出世も役職変えも思うままとする。」
そして昨日と同じように仁王立ちになって隆清は続けた。
「来年の秋、お家対抗歌合戦を執り行う!」
一瞬静まり返った広間が大きなどよめきに包まれた・・・。




