動き出す流
本日朝からの詮議もやっと半刻を超えた。
今日も望月は懲りずに自慢をしているし、阿南は嫌味を返している。隆清の前で繰り返されるその様子は、まるで読み終えた書物を何度も読んでいるかのようだと隆清は思った。
いや、まだ書物ならば良い。繰り返し読めば記憶に知識が残る。
けれど自己満足の自慢と感情の嫌味だけでは、何も残らない。時間はただ流れるだけで何も生み出しはしない。
本当につまらない。
父上もずっとこれを見続けてきたのだろうか。
そして。
そして、わしはこの毎日をあと何年続けるのだろう。
「純人は知っておるか?」
詮議を終え、自室へ戻ると隆清は唐突に純人にたずねた。
「何をでございます?」
いきなりの質問にも動じることなくいつものように静かに微笑を湛えて純人は聞き返した。
「望月家と阿南家はいつからあのように仲が悪いのだ?」
「私も詳しくは存じませんが。」
相変わらず部屋へ戻ると脱ぎ捨ててしまう隆清の羽織を、純人はしなやかな所作でたたみながら。
「元々、望月家は後から筆頭家老に並んだ阿南家については快くは思っておられぬのではないかと。」
となると四代前から続いている因縁だということになるが、それほど長くいがみ合っていられるものだろうか、と隆清は思う。
ふと見れば、隆清の部屋は庭の正面に面しており、今の季節は色とりどりの落ち葉が池の水面をいっぱいにしていて美しい。
日々は過ぎ、季節も過ぎ、時も過ぎてゆくのに、数十年以上も同じ所に留まりいがみ合うなどとはなんとも馬鹿らしいことではないか。
「しかしながら、特に今の両ご家老はとりわけ仲がお悪いと先代にも伺ってはおりますが、理由までは私も聞き及んではおりませぬゆえ。」
純人とて隆清と3歳しか違わないのだから、古いことはほとんどわからない。
しかし、幼少のときより次期当主となる隆清の傍に仕える事が決まっていたため、隆清の父にあたる前本城公などに高遠藩の歴史として聞いてはいた。
四代前当主の時代に大きな水害が起こった時、当時の筆頭家老望月家当主はその水害によるはやり病で倒れ病床にあった。水害が収まり病を回復して職務に戻ったときには、祭事を担う阿南家の当主が代理としての筆頭家老から正式な筆頭家老申し付かっていた。阿南家当主の娘が優秀な巫女であり舞を舞ったとたんに天候が戻ったため、主君に大層気に入られ阿南家の出世が決まったという話ではあったが、望月家としては面白くない。
その上、当時の君主は巫女である阿南家の娘を寵愛し亡くなるまで傍に置いたという話だから、望月家に味方する者たちは実は色仕掛けではないかなどと噂をした。噂は噂を呼び望月家当主が病に倒れたのは、神懸りな力を持つ巫女殿が呪ったのではないかという噂まで流れたそうである。
それ故、望月家は阿南家を成り上がりと見下し、阿南家は言われ無き濡れ衣を着せられたと望月家を嫌っているのではあるのだ。
しかし、当時はどちらも筆頭家老ではあるものの望月家は軍事、阿南家は祭事と役割を別としていたため今ほどの衝突はなかったという。
「となれば。」
隆清は思案顔で呟いた。
「今の当主二人の時代となり何かがあったのであろうか。」
それを聞いた純人は少し困ったように答えた。
「ただ、今の両ご家老になられた後とはいえすでに30年近くも以前の事となります。あいにく殿も私も生まれてすらおりませぬ。」
「まあ、そうだな。」
「それに」
純人は少し意地の悪い笑みを口許に浮かべながら言った。
「今更何をしようともあのお年ではお二方は何も変わりますまい。」
変われるのであればすでにもう変わっていただろう。数年付き合った隆清や純人ですらうんざりするような毎日をもう30年もあの二人は続けているのだから。
「まあ、そうであろうな。」
さすがに隆清にも思い当たるのだろううなづくも残念そうであるのが純人にも見て取れた。
隆清は何とか切り口はないかと思案していた。とにかく同じ事ばかりが繰り返される毎日にうんざりだった。
「となれば代が変わればどうであろうか」
「代が変わればと申しますと、両家のご子息の代になればということでございますか?」
「確かもう跡目をついでも良いような我等と同じ年頃であったであろう?」
確かに・・・ね。
純人は両家の子息を思い浮かべながら思った。
「望月家のご子息将希殿は見習いとして登城もしておられますゆえそろそろ跡をお継ぎになるかと。」
「そうだな。わしも武道場でよく見かけるが大層剣術が強いと聞いておる。わしと同じ年であったか」
「左様でございますね。学問もかなりのお方だと伺っております」
隆清も思い出したのかまたうんざりとした表情になった。
「その自慢ももう何度も望月に聞かされておる。」
「・・・私もです。」
隆清と純人は顔を見合わせて苦笑して。
で、問題はもう一人なんだよな、と純人は思った。
「阿南家のご子息は雅貴殿でございますが・・・・。」
「そうじゃ、雅貴!」
その名前を聞いて隆清は無邪気な笑顔を浮かべた。
「雅貴にはかつて良く遊んでもらった。そなたと同じ年であったであろう?」
「左様でございます。良く覚えておいででございますね。」
純人はいつもの微笑を浮かべた表情に戻ったが、何かを含んでいるような雰囲気を纏った。しかし隆清には気づかれなかったようだ。
「そなたと雅貴には良く遊んでもらったし、剣術の相手もしてもろうた。わしには姉君しかおらぬゆえ二人を兄のようにも思っておった。」
「光栄でございます。」
兄か。
純人は複雑な思いを抱きながら微笑を湛えたまま頭を下げた。
「しかし最近は雅貴は城に参ってはおらぬようだな。武道場でも見かけぬ。」
「昨日は久方ぶりに登城なさっておいでのようでございましたが、あまり城にはお越しにならぬご様子。」
「そうなのか、残念だ。」
本当にがっかりしている隆清を見て、純人はまた微笑んでしまう。
なんとこの方は可愛らしくていらっしゃるのだろう。嬉しい時も悲しい時も素直にお出しになる。
どのような時も真直ぐでこちらが戸惑ってしまう。
「今は嫁いでしまったが姉君も一緒によく城中を4人で走り回って爺に叱られたりしたな。」
「そんなこともございましたね。」
「雅貴、会いたいのう。純人は最近あったか?」
「いえ、長くお会いしておりませぬ。」
純人は出来るだけ何でもないように答えた。
もうあの頃のように無邪気に一緒にいることは出来なくなってしまった。
・・・おそらく、雅貴殿は私に会いたくはないはずだから。
「そうか寂しいな。」
「・・・ほんとうに。」
その気持ちは嘘ではなく。
私も寂しい。あの頃のように一緒に笑ったり喧嘩して泣いたりすることも出来ない事が。
すると何かを考えていた隆清が嬉しそうに言った、
「でも雅貴が家を継げば一緒に国を作っていけるのであろう?そうなれば、我等の時代になれば何かが変わるのではないか?」
「我等の時代、でございますか?」
「そうじゃ、我等の時代じゃ!」
いきなり立ち上がると隆清は純人の前に腰に手を当て仁王立ちになって。
「純人!わしは良いことを思いついたぞ!」
「良いこと・・・」
少し悪い予感もしないではないが。
「うむ。良いことじゃ。きっとこれならば退屈はせぬ!」
隆清様にとって大事なのは退屈するかしないか・・・なのか?
「どのような事でございますか?」
悪い予感が増えた純人が静かにたずねると、隆清は嬉しそうに笑った。
「まだ秘密じゃ」
・・・やっぱり悪い予感が少し増えた。




