80.気ままに米軍基地サバイブ③
テレビ会議かなにかの最中だったのだろうか。部屋に入るとUの字に机が組まれており、お偉いさんたちが座っている。映し出されたプロジェクターの向こう側も鏡で映したような配置で、遠く離れていても同じ会議室にいるような感じがした。
「こんにちハ、ゴトーサン。私はアンダーソンです」
外国人なまりの日本語で挨拶をしてきたのは長身の彫りが深い男だった。席から立ち、にこやかな笑顔で近づいてくるが目は笑っていない。
「こんにち……じゃない。こんばんは、後藤です」
ハハと会議室にわずかな笑い声が響いているあいだに握手を交わす。軍人らしく体格に優れており、握手をしたのと反対側の手で俺の肩をパンと叩いてくる。彼が指し示すのは、プロジェクターに映る人物だ。
『――――――?』
「想像していたよりもずっと可愛らしいお嬢さんだ、とのことです」
席についていた軍服姿の日本人がそう言う。ゆとりも通訳はできるが、この場の進行もあるので黙っている感じがした。もしかしたら「お嬢さん」という言葉に吹き出しかけているのかもしれないが。
「ありがとうございます。まさか海外とテレビ会議で繋がっているとは思わず、こんな格好ですみません」
もうどうにでもなーれ、というわけじゃないが、かつんとヒールを鳴らして前も隠さずにそう言う。いや、ほんとにヤバいんだって。向こうに映っている人はテレビで何度も見たことのある大物だ。
嫌だなーと思うのはさ、その有名人物が実の娘を見るように笑みを浮かべていることなんだよね。
『初めまして、ゴトー。日本と同盟関係を築いていて、これほど喜ばしい日はない』
だれであろうと「うさんくさい」と思える笑みを崩さずに、プロジェクターの向こうで彼は通訳を介してそう言う。友好的に手を振ってはいるが、心のなかでは虎視眈々とたくらんでいる感じがした。
だったらさ、演技派の俺としても同じ舞台に上らないとね。
「私もです、大統領。魔物を倒し終えたら皆とバーベキューをする予定なんですよ。ぜひこちらにいらっしゃいませんか?」
ゆとりがハラハラしているけど知ったもんか。俺が嫌がると思って、事前にこのことをひとつも俺に伝えなかったんだ。なら責任をもって胃に穴を開けろ。
さて、向こうの通訳が俺の言葉を伝え終えると、意外にも彼は本気で笑った。ハハハという楽しそうな笑い声であり、そう悪い人物ではない気がした。
『ユーモアがある人物には興味と好感を持てる。もっと君と話したいが、モンスターの出現時刻がもう間もなくだと聞く。そこの彼に詳細を聞き、トラブルが起きないように手助けをして欲しい』
トラブルを起こさないように、だって? えー、トラブルばかり起こしている俺にそんなこと言わないでよ。そんなのゴリラに「バナナを食べないで」って言うようなものじゃん。
だからイエスともノーとも言わずに、俺は笑顔でひらひらと手を振って答える。相手も笑い、その様子からなんとなく気に入られた気がした。
ぷつんとプロジェクターが消えて、遠方とのテレビ電話は終了する。部屋の照明も元の明るさに戻った。
それを待っていたようにアンダーソン氏が再び近づいてきた。
「ゴトー。能力者というのがどういうものか私たちも十分に理解している。だからあえて言うが、ここから先は戦場に立つべきではない」
俺を見下ろしながらそう言う。さっきまで口元に笑みを浮かべていたのは、お偉いさんがいるとき限定だったらしい。
「と言いますと?」
「君の国でもさんざん言われているはずだが……。兵士として戦場を駆けるべきではない。そこにいる君の部下に任せて、敵に最も効果的な打撃を与えられる位置に立つべきだ」
「…………」
口元にかすかな笑みを浮かべたまま俺は黙り、なにも答えない。すぐ横から雨竜の冷ややかな視線を感じるが、俺も後輩とまったく気持ちだった。
と、その空気を嗅ぎ取ったのかアンダーソン氏は矛先を俺以外の者に向ける。
「ワカバヤシ、君のことも我々は高く評価しているよ。若くして自力で能力を得たのだとか。見た目によらずタフガイだ」
「いえ、まだまだ若輩ですし、隊のなかでは新参者です」
「ゴトー隊か。その名称はアニメの影響かね、ハハ。だが、日本人の良いところは上の者に必ず従うという点だ。我々の申し出をきちんと彼女に伝えているのかね?」
軍人らしい迫力ある睨みだったが、ゆとりは目を逸らさずに「そうでしたっけ?」とすっとぼけて言う。さわやかな笑みであり、柳に風という飄々とした態度は最初に出会ったころとぜんぜん違う。
んー、いいじゃん。アンダーソン氏はムカッとしているけどさ、肝の太さを俺はいいなと思うよ。だから仲間をかばうわけじゃないけど、カツッと靴を鳴らして彼の目前に立つ。そしてこう言った。
「そうしたら死にますよ」
「ん? どういう意味……」
「暖かくて安全な部屋にこもり、お茶を飲みながら部下に任せていたらきっと楽でしょうけど、私はいずれ死にます」
確かにね。俺はガイド君のおかげで敵の出現情報を予測できる。これまで圧倒的な戦力差で魔物を駆逐できているのは、その力があってこそだ。もしも予測する術を失ったら大変なことになるだろう。
しかしだな、ここいらへんが絶対に軍人連中には分かってもらえないところだと思うが、俺は敵と戦わなければ死ぬ。
敵を倒し、レベルアップをして、着実に力をつけていかなければ、やがては終末に呑み込まれてしまう。レベル50台のモンスターがうようよいるフィールドで俺がレベル10とかなら……分かるだろ?
この辺りは初期から一貫した考えであり、上から再三ドヤされているであろうゆとり君も俺にはその手のことを一切伝えなかった。諦めているわけではなく、状況を十分に理解しているからだ。
「我々が守り切れないとでも?」
「逆ですね。私があなた方を守りきれなくなる」
ここは笑うべきなのか?という乾いた笑いを聞くあいだも俺は笑みを絶やさない。
分からないかー。分からないよね。いや、現実的な人たちに理解できるはずもない。なぜ彼らに協力しているかというと、俺の知人たちを生き残らせる道はこれしかないと思っているからだ。
俺一人が強くなってどうする。
市民を守るための大戦力が必要だし、そのためなら情報提供くらいはすべきだろう。たまーに素材をチョロまかしたりするけどさ、できることはしっかり協力するよ。
「理解してもらえるとは思いませんが、ことを荒立てるつもりもありません。なるべく邪魔をしないので安心してください」
そう言い、背を向けて部屋を後にしようとする。
戸口を通り抜ける間際、彼はぼそりとこう言った。
「君は正義感のある女性だと思っているよ。父は国家公務員だったそうだね。超獣駆除課に属して、君よりも前にエイリアンのような存在の対処をしていたのだとか」
……なんだって?
ぴたりと足が止まったのは、まったく知らない情報を耳にしたからだ。
いやー、なんだなんだ? 親父がなんだって? そう思いはするが、動揺を見抜かれたくないから笑みを浮かべ続ける。そのとき、一瞬で走馬灯のように思い浮かぶものがあった。
『お父さん! お父さん!』
『だめっ! 見ちゃダメっ!』
これは俺がまだ小学生のころの光景だ。父の訃報を聞き、家に飛び込んできた俺を、母はおおいかぶさるように抱きついてきた。あのとき、なぜ見てはいけなかったんだ?
『お父さんっ!』
『見ちゃダメっ!!』
必死に隠そうとした母の向こう、むせびなく同僚たちの下、父の亡骸は普通と異なっていたのでは……?
じっくりと当時の光景を思い出そうとしていたとき、聞き慣れた声が耳を打つ。
『師匠っ、なにか変です!』
脳裏に響いた弟子の声に、ハッと我に返る。
お偉いさんを無視してバッとモニターに目を向けて、そのままカツコツとヒールを鳴らして近づいてゆく。暑くてもコートを着たままで良かったよ。でないとお偉いさんにケツを丸出しにしているところだった。
滑走路には無数の兵士がバリケードの向こうを陣取っており、また出現予測時間までまだ数分ある。大きな変化はまだないが、しかし……。
――ぱらららららっ。
窓の外では、かすかな雨粒のような音が鳴っていた。モニターの向こうで兵士たちも不思議そうに空を見上げている。
ぽっかりと満月が浮いていた夜に雨が降るとは思えない。これはいったいなんの音だ? 嫌な予感で腰のあたりがゾクゾクする。
「ゴトー、我々だけが知っている情報もある。ここに残り、協力するならば我々も最大限の協力をする。だから現地のことは私の部下に任せろ。この件はすでに日本政府と話がついている」
背後からの命令に「うるせえ、邪魔すんな!」と怒鳴り散らしたい気持ちになった。だけどそれじゃあダメだから、あくまでクールに、あくまで大人の笑みを崩さない。つかんだモニターがミシッと鳴ったのはただの気のせいだ。間違いない。
ゆとりの顔が「マズい」とゆがんだのは、ある意味でさすがだなと思う。もう一人も長い付き合いであり、俺の感情が伝わったと思う。極寒のように冷ややかな声で雨竜が発言した。
「構いませんよ、私たちはここで静観していても」
「ですね。後藤さん、ここは彼らに任せましょう。情報提供も大事な仕事ですから」
ふん、と軍人は息を吐く。生意気な言葉づかいに腹を立てたのだろう。
しばし悩み、俺も結論を出すことにした。
「……いいですよ。協力しましょう。同盟国で良かったですね、本当に」
どちらにしろ能力者どもをおびき寄せるまで俺は姿を見せられない。ならこの場にあるものを利用して、必要なときに襲いかかってやる。
親父のことは気になるけれど、不敵な笑みを崩すほどじゃあない。ハイレグパンツのことなんてこれっぽっちも気にせず、真っすぐにアンダーソン氏と見つめ合うと部屋の温度が数度ほど下がった気がした。
§
かつんと靴を鳴らして歩いてゆくのは若林だった。
飲み物を取って来ますと言って部屋を後にしたあと、明かりを落とした暗い廊下を歩いてゆく。真夜中の学校のような雰囲気があり、無機質な造りがまたそれを助長する。
珈琲メーカーなどの置かれている人けのない部屋に入り、そしてカップを手にすることなく椅子をギッと引いてそこに腰を下ろす。
窓から月明かりが差し込むなかで、彼の目には剣呑な輝きが宿っていた。
少し前の彼であれば、後藤を前線に出させないことを「当然だ」と思っていた。
いや、実際に当然だろう。魔物出現予測というあやふやなものに人類はすがっており、もしもそれを失った日には大惨事が待っている。確実にだ。ならば五つ星ホテルを貸し切ってでも彼女を隔離すべきだろう。
しかし今となればまったく逆の意見だ。
なんのためにこの能力を得たと思っている。彼女と肩を並べて歩き、絶対に無理だと思えるものを笑って打ち砕くためだろうが。
恥ずかしくて絶対に口にはできないが、彼女は女王だと思っている。チェスの駒としては最も攻撃力と柔軟性に優れており、かつ彼女の場合は最前線で暴れ狂う台風のような駒と化す。
彼女が最高の一手を指すことができるように力を得たというのに、上の連中がはるか後方を歩いており、また束縛したがるのだから非常に腹立たしい。
若林が軽薄な笑みを深めたそのとき、異質の力が彼に宿った。
――うんっ。
黒い満月のようなものが頭上に浮かぶ。
目元までそれに覆われたことで表情は読めなくなり、その黒月のなかを花らしきものが舞う。ひらひらと渡り鳥のように。
「若林さん」
と、彼に呼びかける女性がいた。
黒髪をかすかに揺らす雨竜であり、手にした刀はめきめきと血管を伸ばすように腕を浸食している。極めて物騒な光景だが、最近は見慣れてきた気もする。
「安全な場所でお茶でも飲んでいてください、ですか。私たちの統主をコケにされると腹が立つものですね」
「だね。これまではどこか他人ごとだったけど、僕もまったく同じ気持ちだよ」
そう正直に吐露すると雨竜はかすかな笑みを浮かべる。廊下からのかすかな明かりによって逆光となり、そのまま靴を鳴らして近づいてきた。
「なんとなくやれると思うんですよね。若林さんとなら、協力プレイが」
「え、ゲームの話? いやあ、雨竜君と組むというのはちょっと怖い気が……。あ、もちろん冗談だからね?」
足を組み、口元にさわやかな笑みを浮かべても異能の力によって彼の表情は乏しい。
目前に立った雨竜は対照的に無表情で、チャッと日本刀を鳴らすとそれを床に突き刺す。
「では、能力者たちの前に」
「モンスター駆除をするということで」
彼らがそう口にした直後、百メートルほど離れた駐車場でごうんと音が鳴る。立ち上がったのは有機的なボディをした二体の魔物であり、バーリィー戦型、そしてイゾット首切り型が目覚める音だった。
『あっ!』
「落ち着いて、斑鳩君。私たちも出るわ」
『えーー、まさか雨竜さんっスか!?』
「僕もいるから。後藤さんがちょっと上の人に捕まっているし、そのあいだは自由行動ということで」
「手助けするように、とアメリカ大統領が言いましたからね」
「そうそう、あくまでお手伝いだよ」
雌型のバーリィーは素早く地面に降り立ち、周囲に居並ぶ米兵らに「待て」と示すように手をかざす。胸元に深々と刺さった黒刀は、雨竜の所有物だと告げている。
ぎゅっぎゅっと指を一本ずつにぎって感触を確かめ、それから首の骨をゴキンと鳴らす。
「まずまずですね。技能も駆使できれば最高でしたが」
「そこは仕方ないさ。体術系のスキルは活かせるし、魔物の技を使えるはずだから利点もそれなりにあるし我慢しよう」
雨竜は感覚的なところが極めて鋭い。だからバーリィーの視野を乗っ取り、かつ身体の感覚も己に重ねようとしている。
実際には休憩室側でカツコツと靴を鳴らして珈琲を淹れようとしているのだから末恐ろしい。
一方の若林はあくまで後方支援だ。俯瞰的な視点を心がけているし、むしろ感覚的なものはイゾットに任せている。理由は単純にモンスターの能力を上回ることができないからだ。前進か後退かを決めるくらいでちょうどいい。
ズズと温かい珈琲を口に含んで、雨竜は唇を開く。
「それでさっきの音はなにかしら?」
『え、ええ、最初は雨音かと思いましたけど、斑鳩が変な感じがすると言って……師匠が動けないのなら、先に俺たちで滑走路に向かいます。でないと状況が見えませんし』
藤崎からの声に若林の操る魔物はうなずき、周囲の者たちに移動の旨を伝えてから行動を開始する。
とはいえ雨竜の身体能力と順応性は尋常ではない。また困ったことに協調性もない。グッと軸足の太ももにエネルギーを溜めて、解き放つようにドンッとアスファルトを砕きながら突き進む。
「ちょっ……!」
待って待ってと慌てながらイゾット、そして藤崎、斑鳩コンビも駆けだす。置いていかれた米兵たちが今度はぽかんとする番で「ファ〇ク」と立派な大人が口にしてはいけないことを言った。




