78.気ままに米軍基地サバイブ①
つい半日ほど前のことだ。
かつんこつんと俺は階段を下りていた。
辿り着いた階は灯りも暖房も最低限しかつけておらず、鉄格子が並ぶ景色をのんびりと眺めて「寒々しいな」と俺は思う。吐き出した息はかすかに白く染まった。
ザザッと左右に並んだのは完全武装をした特殊隊員で、利き腕にはブローバック式の銃を、もう片方の腕には黒色のグローブをつけている。ちょっと前は防弾性のあるセラミック・バリスティック・シールド辺りが多かったんだけど、最近はテスト的にギズモ製の盾が使用されつつある。カシシシシッとシールドが組まれる音もなんだか懐かしい。
鬱陶しいことにこいつらは俺のガード役だ。一人で面会することは許されなかったが、まあ仕方ない。
「おーい、いるのかー?」
房に人影はなく、またどこもコンクリート製だ。俺の声は地下2階に反響して、わんわんと響いた。
「……奥です。先輩」
冷たいと感じる声が返ってきた。雨竜だ。
後輩からの声に導かれてカツコツと薄暗い通路を進むあいだ、特殊部隊は俺の少し前を歩く。物騒だし息苦しいが、これがこいつらの仕事なのだから仕方ない。
しかし今回に限っては大して警戒をする必要はないだろう。たとえ相手が凶悪な能力者だとしても。
通路をひとつ曲がったとき、先ほどの声の主が振り返った。
「買ってきてくれました?」
返事代わりにカフェラテ入りの紙コップを揺らす。ついでにスコーンと甘い菓子も。
小さなテーブルに置くと、そのすぐ近くには真っ黒い脇差くらいの刀がある。何本もの細かな糸が伸びる先には椅子に座らされる男がおり、そいつの手足や頭部と繋がっていた。ぎろりと睨んでくるのは、まだ俺への恨みを忘れていないのだろうか。
「んー、いい感じ?」
「馬佐良君、お返事はどうしました?」
雨竜がそう問いかけると、椅子に座った男は顔をぴくぴく震わせる。俺たちの敵対組織である馬佐良という男はゆっくりと口を開いた。
「……この糸を切ってくれ。……頼む。……なんでも協力するから」
やるじゃん、という視線を後輩に向ける。彼女は温かいカフェラテをズズと飲み、目元に笑みを浮かべた。
もちろん男からの求めに応じるつもりはない。空いていた椅子に手をかけて、スコーンをパクつきながら後輩に目を向けると彼女は大して表情を変えずに甘菓子を手にした。
「やはりエギアナの協力があると違いますね。人間性を残した高度な“乗っ取り”もできるようになりました」
「そっか、刀はもともとエギアたちの産物だっけ。雨竜となら相性がいいはずだ」
はぐっとスコーンを食い、温かいカフェラテで流し込む。そのあいだ馬佐良はそわそわとしておりせわしない。禁断症状が出た患者みたいだった。
寒いときは甘いものが美味しいと感じる。じっくりと噛みしめて、完全防備の隊員たちに守られながら俺はもったいぶるようにゆっくりと口を開いた。
§
街灯の光がものすごい速さで後ろに流れてゆく。
タイヤをきしませてカーブを抜けていっても俺と雨竜はぜんぜん気にしない。せいぜい「予算のないカーアクション映画みたい」と思うくらいだ。
ザキッ、ジャッ、と金属音を立てて俺たちは完全武装をしていく。といっても違法の品などではない。どれもモンスターを倒して得た装備品なので……まあ、合法とは言えないか。せいぜいグレイってとこだ。
そのとき外気がドッと車内に入りこんできた。
「ん? なんで窓を開けるんだ? 寒いんだけど」
「…………」
真冬だというのに雨竜が窓を開けたのは、ついさっき飲んだ酒を抜くためだったらしい。俺を冷ややかに見つめる後輩、雨竜の身体からじゅううと煙のようなものが上がる。車内に少しだけアルコール臭が漂った。
「アルコールは毒です。先輩は抜かなくていいのですか?」
「あれくらい平気だよ。それより寒いから閉めてくれ」
ちょっとくらい酒が残っていた方が頭がぽやぽやして気持ちいいしさ。
ん、後部座席のさらに後方から恨みがましい視線を感じる? いやいや、気のせいだ。ゴオオとエンジン音を唸らせるランクル車には荷台があり、そこに斑鳩と藤崎を乗せているけれど俺はあいつらの師匠であり統主なのだから恨まれるはずがない。
『めちゃくちゃ寒いっス。藤崎、唇が青いよ?』
『俺だって普通に寒いんだよ! ああー、こんなことなら軍と一緒にいたほうがまだ良かった』
『……泣くなよ藤崎』
おーい、通話で嘆きの声が聞こえてんぞー。
まったく、最近の奴らは忍耐が足りん。俺の若いときは……ってバカな上司ごっこしている場合じゃないな。
『師匠、じゃんけんで席を交代しません?』
「すまん。いま着替えで忙しい」
男だから寒いのも暑いのもへっちゃらだろうし、レディーファーストというのは世の常だ。絶対と言っていい。もし世界の文明が滅びたとしても、この掟だけはずっと残り続けるだろう。だから耐えてくれ。すまん。
信じられないけどさ、俺の手にしたハイレグパンツが最も耐寒性に優れている装備なんだとさ。な? 信じられないだろ? ふざけているとしか言いようがない。頭がファンタジーかよ。
まあ、それはいい。本当はぜんぜん良くないんだけど、実際にあったかいんだからしょうがない。
しかしだな……と思いながらストッキングを履きかけたとき、雨竜が鋭い視線を向けてきた。
「先輩、よく考えたらその服装にストッキングは合わないですね」
「え? なんの話?」
「ですからファッションの話です。考えてみて下さい。太ももまでのハイブーツ、それにボアつきのロングコートという組み合わせです。せっかくおへそが見えるのに、ストッキングを履いたら中途半端にラインが見えてみっともないです」
俺はしばし硬直した。
え、なにそのこだわり。お前まだ酔ってんの?
ボリボリと頭を掻いて呆れている俺に向けて後輩がキッと睨んできた。
「履かないでください。生足でお願いします」
「なにその顔。今までの戦いでお前がそんなマジ顔をしたことある? まったく、ファッションなんか知ったことかよ。ダサかろうがジャージだろうが俺は履くぞ」
なぜなら恥ずかしくないからだ。
頼むよ、本気で頼む。お色気要素ってのはさぁ、俺以外の奴がするからいいんだ。そんときは「可愛い可愛い」って言ってやるよ。なのにどうして俺自身が半分以上ケツの見えるパンツを履かにゃならんのさ? 意味が分からないんだが?
「先輩、今は戦いの場です! そんな小さなことで文句を言わないでください!」
「っ! 分かった分かった、頼むから耳元で大声を出すな。ストッキングは諦めるよ。もー、なんだよこれ。RPGだと自分で装備を選べて当たり前だってのに……あっ!」
ぶつぶつ文句を言っていたときにストッキングをひったくられた。手にした雨竜がいそいそと履いてゆく様子に「こいつ最初っから狙っていたな」と俺は気づく。こいつ前からストッキング派だったし、職業を解放するとビリビリに裂けていたもんな。
「後藤さん、もう振り返っていいですか?」
そう声をかけてきたのは若林だ。いつものお高そうなスーツ姿であり、またいつものように頼りない雰囲気もある。だけど先ほどまでハンドルをきびきび動かして爆走していたのはおかしな感じだ。
「どうした?」
ちょうど信号で引っかかったとき、そう声をかけると若林が振り返ってきた。
「ええ、実は……って、後藤さん、ちゃんと着替え終えてから返事をしてください!」
うるっせえー、こいつ。
さっきまでの会話を聞いてた? 俺の場合はこのハイレグパンツが完全武装の装備なんだよ。よく覚えとけ。まあ、確かに雨竜は脚を伸ばしてストッキングを履いている最中だったけどさ。
だいたいさー、考えてみろよ。俺たちの使う通話には相手の姿を観る機能もあるんだから、こそこそしたって仕方ないだろ。プライバシーなんてものは一切無いと思え。
編み上げのついたハイブーツを履きながら俺は「はいはい、悪かったよ。で、どうした?」とまた声をかけた。
「間もなく横田基地に着きます。現場の様子を聞いたところ、魔物出現の対応は問題無いと連絡がありました」
「だろうな。アメリカ人は世界最強の戦争国家だ。俺たちが手を貸すまでもないだろう。問題は……」
「そこに能力者たちが本当に現れるか、ですね。武器が欲しいからといって横田基地を襲撃するなんてありうると思います?」
さてな、と俺はそっけない返事をした。
能力者どもは厄介だ。俺たちと同じ力を持っていながら、地下に潜伏して一切コンタクトを取ろうとしない。だから目的もよく分からず、捕虜からどうにか情報を引き出そうとしたのだが……。
「あの件だけど、西岡さん怒ってた?」
「ん? ああ、獄中の馬佐良に尋問した件ですか……いやぁ、僕の口からはちょっと。後藤さんから直に伝えた方が丸く収まると思いません? その、ほら、笑ってごまかす方向で」
「頼む。ゆとり君だけが頼りだ。そういう面倒くさいことは全部任せる」
「いえ、面倒ではありませんよ。すぐに済みます」
「まあまあ、そういうのはゆとり君が一番上手いって俺は信じてるよ」
大人同士の汚い押しつけ合いというのを、まさかニートになってもすることになるとは思わなんだ。
しかし会社を辞めてからというもの、社会が恐ろしいほどの速度で変化している。どさくさにまぎれて世界各国の軍事力は増大しつつあり、特に宗教が根強い国では終末論が巻き起こっている。
元の世界に戻る日は来るだろうか。楽観主義の俺でさえそう考えるほど、変化の荒波に揉まれているのを感じていた。
夜はとても危険だ。
広々とした道には他の車がまったく走っておらず、また後方を見ると荷台には2体の人型モンスターがうずくまっている。ややグチっぽく「あとで西岡さんから連絡があると思いますよ」と言った青年が管理している魔物だ。
もうひとつ、エギア種の女王であるエギアナは、移動と潜伏に長けている。ならこの車に乗せず、単独行動をさせたほうが絶対にいい。
ちらりと窓から外を見ると、満月がまだ上空にある。
俺が抱えているもうひとつの不安は、モンスターが最も活発化する夜だということだな。
能力者どもを放っておくのはもう飽き飽きだ。
斑鳩と藤崎を襲ったことへ心の底から後悔させてやりたいし、大規模な襲撃であれば奴らのボスも姿を現しておかしくない。この未曽有の混乱を持ち込んだ全身目玉野郎を痛い目に遭わせてやりたくて仕方なかった。
「先輩、なんだか楽しそうですね」
「そう見える? まあ、場合によっては米軍と協力して敵を倒すことになるんだし、楽しむくらいじゃないとやっていけないと思うよ、ハハハ」
そう口にすると、雨竜と若林はやや無表情ぎみにちらりと俺を見て、また荷台に座っていた藤崎は「嘘だろ」と言って頭を抱えていた。
まあまあ落ち着けよ。俺は国家公務員じゃないから気持ちはぜんぜん分からないけどさ。
やがて道路に面した横田基地の明かりが見えてくる。
周囲の建物はすべて灯りを落としているものだから、だれも住んでいないゴーストタウンみたいだなと俺は思った。




