75.バーリィ・戦《いくさ》型
ふん、と鼻を鳴らして、寒々とした広場を歩きだす。
時計がきっかり夜の8時になったとき、この多摩川沿いにある公園に変化が訪れた。それがなにかというと……。
「明日はここで遊べないな。ガキどもは嘆き悲しみそうだ」
辺りをぐるりと眺めて俺はそう呟く。
広々とした河川敷公園には、ちらほらと遊具もあるけど、ぽつんとしており物寂しい。
きっと明日は誰もあそこで遊べないだろう。広場には円形の大穴が開いていて、じゅううと白煙をまだ上げているんだ。
覗き込むとだいぶ土を溶かしたらしく、3メートルほどの深さとなっていた。
「……あれか」
その大穴の中央に、真っ赤なかたまりがあった。
なんトン分か分からない質量を食い、一点に集中させている。
どく、どく、という心音がかすかに聞こえてくるし、あれは恐らく生きている。
動き出すまであと30秒ほど余裕があるらしいので、銃剣を構えて躊躇なくシュドッ、シュドッ、と撃ち放つ。
溝に沿って火花を散らし、吐き出されたものは狙い外さず突き刺さる……はずだった。しかし途中で半透明の板みたいなのが出てバキンと弾かれてしまい、ふうん、と俺は唸る。
もう一発撃とうかと悩み……やめた。パラパラと散る破片を見て、弾の無駄だと考えたんだ。
「ん、たぶん日中と同じだな。物理的な干渉を受け付けていないんだ。ったく、待ち時間のあいだ無敵とか面倒くさい奴だなぁ」
などとものすごく面倒くさがった顔をしているけどさ、厄介なモンスターってことは分かっている。
俺はいいよ。普通に倒せるだろうし。だけど他の連中はというと、そういうわけにいかない。
いままでは出現と同時に蜂の巣にしていたけど、今回のモンスターは別だろう。完成するまで指をくわえて待たなければならず、被害がどれくらい出るかはこれからの検証次第だ。
中央にあるのは心臓だろうか。どくどくと鳴っており、また4本の柱がそれを支えている。
いや違う、あれは手足だ。行動開始予定の5秒前になって姿勢を大きく変えていき、せりあがった装甲が後ろから包み、真っ赤な体内を覆ってゆくと徐々に人型になりつつあった。
ズン、と地面に両腕を突き刺すと、そこから二本の剣を引き抜く。全身が大理石のように白く、またヴェールのような半透明のものがゆったりと漂う。乳房がある通りあれは恐らく女性で、ゆらゆら揺れる薄布のあいだに唇のむしれた歯が見えた。
そして、ようやくにして現れた姿に夜の案内者はこう告げる。
《 バーリィ・戦型。この世界で言うヴァルハラに近い概念で、勇猛に戦い抜いた魂が辿り着いた先、悪夢の世界です。彼ら彼女らは終わりなき戦いの世界に囚われました 》
なにそのバッドエンド。もしかしたら俺もああなるってこと?
真っすぐこちらを見ている感じがするし凍てついた気配もある。敵として認識されているだろう。
タタンと奴は足を鳴らして加速するや斜面を駆け上がり、少し離れた場所に着地した。
さて、どちらの剣を使おうか。
いまの動きを見るだけで機動性が恐ろしく高いのは分かるし、双剣による矢継ぎ早の連撃もあるだろう。なのでより軽いほう、肩に乗せている闇礫の剣をこのまま使うことにした。
ふっふっと左右に身体を揺らしながら魔物は近づいてくる。背の高さはやや負けており、幽体のように足音はまったくしない。対する俺はというと、相手に情報を与えないためにじっと待つ。
あと5メートルというところで、ツキュ、というかすかな音を立てて俺の元いた場所を直剣が貫いた。ツキュ、ツキュ、となおも続いて、横にかわすという動きを余儀なくされる。
瞬間的に面倒な相手だなと悟ったよ。シュドッと撃った弾を左右のステップだけでかわされて、息を吸う間もなく肉薄してくるんだ。上からの斬撃を剣で受け止めて、下からの斬撃には間に合わないから前蹴りをかます。
うっ、大理石みたいに重い。
硬さと重さをブーツ越しに感じながら、蹴りのおかげで生じた空間を奴の直剣が切り裂いた。つまり空振りだ。
ふーん、今回はちょっと人間くさい相手かな。当たったと思ったのに……と言うように己の刃をじっと見ているしさ。
観察されている気配もある。奴は油断なく双剣をハの字に構えた。
対する俺は「剣術士をレベル4まで上げろ」と口にする。とたんにめきめきと筋肉が鳴って、装甲のようにひとまわり大きくなった。
どうして最大の7まで上げないかというと、雨竜たちでも1対1でやり合える相手か調べるためだ。今夜は満月だし、他にも出るかもしれないしさ。
解放によって剣を扱うことの本質が流れ込み、また同時に相手が強敵だと告げてくる。体感的にはレベル15近くか。さっきは様子見っぽかったのでもっと上の可能性が高い。もしもこいつにエギアナをぶつけたら、大した活躍もできずに四肢を切り落とされる可能性が高いといえば伝わりやすいか。
「あのさぁ、日本語って分かる?」
「ポエキロエ、マギド、メッセラ」
あ、通じねーや。じゃあしょがない。言葉が通じないなら殺してもいいだろう。
タタタと走るあいだに時間差で俊足を2歩だけ利かせると、ほんのちょっとだけ変わったことが起こる。ふっ、残像だ。という感じになるんだよね。これ面白くない?
んで、なぜか油断していたらしい相手の腹部に蹴りを入れると、ゲエ、という声を残してくの字になって飛んでゆく。といってもアニメじゃないんだからせいぜい3メートルくらいだ。
地面に踏ん張った姿勢で、奴はがばっと顔を上げる。
「ホクゥ!!」
だから通じねえってのモンスター語は。さっさと駅前留学してこいや。まあ、お前がそう叫んでいる時点で、俺は一直線に飛びかかっているけどさ。
――ガギギィッ!
空中で力任せに相手の白剣を払うと、勢いそのままにぐしゃりと顔に膝を突き刺す。
着地しざま、ププンッと頭、足の位置に刃が抜けていったのは奴の反撃だろう。かいくぐり、先ほどと同じ脇腹に蹴りをズドンとかましたのは「バーカ」という俺の悪口と挑発も兼ねている。
「…………ッ!」
「こらこら、下がるな。前に出ろ、前に。こっちはお前が出てくるまでにものすごく待ったんだ。ロード時間よりも短い戦闘時間だったらクソゲー認定されるぞ。それでいいのか?」
「ベレド、ベレド! フォウ!」
言葉はまったく通じない。だけどつき合う必要なんてまったくない。宇宙からやってきたエイリアンだったら考えるけどさ、こいつらは普通に敵だし素材だし俺の新しい服でもある。
「速攻で襲いかかってきたしな。殺そうとする奴は、殺される覚悟があるもんさ。だろ?」
シュド、と撃ちながらそう言うと、奴はかがんで弾をかわす。その風で、ふあ、と奴のヴェールが音もなく浮き上がった。
どうやらあれはただの布じゃないらしい。広がると鉤爪のような形になり、真横から迫りくる。
巨大な張り手が近づいてきて、嫌だなーと思うのは移動方向の制限だ。前方か反対側への移動をどうしても意識してしまうし、ヴェールの速度的に「当たれえええ!」という相手の意思をあまり感じない。知性があり、こちらの移動速度を見た上なのだから尚更だ。
じゃあ様子見コースでお願いします。
ぴょんとヴェールの届かない後方まで下がると、ぎゅっぎゅっと空中で固まって、薄布は複数本の槍になった。
そのまま奴が前進を始めると、頭、胸、胸、脚、と連続的に空中から飛んできつつ、肉薄した双剣が目の前で火花を散らす。
はいはい、連続攻撃ね。でもヴェールを操っているせいか速度が少し落ちたかな。上体をボクシングのように揺らして避けつつも、目の前にいる唇のむしれた女に笑いかける。
「昔、こうやって戦うのに憧れてさ。たぶんゲームとか漫画とかの影響だと思うんだけど。棒を持って振り回したよ」
「…………!」
挑発だと思われたんだろうな。やたらめったら剣速を増してゆき、頬のすぐ横をすっ飛んでゆく。確かにかわした。しかし頬がばっくりと割けた。血が流れたし途中で頬骨がゴリッと鳴ったけどさ、そんなこと俺は気にしないよ。
通り過ぎざまに、疾走を一歩だけ利かせた膝蹴りを腹に入れる。ずどんと衝撃が反対側に抜けるのが見えたし、ビクビクと奴の腹が痙攣した。
相手が動けない隙に背中側に回ったのだが、追撃を邪魔された。上から槍が降ってきたので「よっ」と言いながら左右のステップでかわす。
ふーん、見えていなくても攻撃できるのか。こっちはたぶん意識外……自動的に範囲内を襲う感じだな。
「んで、男子と戦って怪我をさせて、先生に怒られてお終い。木の棒は取り上げられたし、もうしませんって反省文も書いた」
ヴェールの範囲外に遠ざかりながら意味もなく俺は話す。言葉が通じないんだし、話しかけても本当に何の役にも立たないんだけどさ。
でも俺ってなにかと試したがるんだ。相手の意表をつけないかなーとか、こうして話しかけることで心理的に動揺させられないかなーとかさ。試すだけならタダだし。
そうしてしばらく歩くとベンチのそば、地面に刺していたもう一振りの剣、闇刈ノ剣を引き抜いた。闇礫の剣はしばしお休みだ。
どすんと肩に乗る心地よい重さよ。なんでも一刀両断できそうな気がするし、あいつをバラバラにしちまおうぜって囁いてくる危ない武器だったりもする。でも強いんだよねー、これ。
ふっ、ふっ、と小刻みな息をして酸素を身体に取り込むと、戦う準備は整った。
「そのときの教訓はだな、意味のない暴力はみんなから怒られるってことだ。お前は勇猛だったんだろ? 人間を皆殺しだー、なんてことをするのは恥ずかしくないのか?」
俺みたいに「モンスターを皆殺しだ」って言うのなら、ぜんぜん恥ずかしくないんだけどな。え、どっちもどっち?
言葉が通じなくてもさ、悪口や挑発って不思議と通じるよね。それなりに腹を立てたのだろう。バーリィはゆっくり近づいてきて、互いの剣の届く間合いにまで入ってきた。
そいつは俺よりも大きくて、おっぱいが目の前にある感じ。近くで見ると分かるけど鎧のあいだがあちこち継ぎはぎだらけだし、戦いをくぐりぬけた相手だと分かる。
互いに首を斬り落とせる間合いで、奴はむしれた唇を開いた。
「ホクゥ、サクセラ」
「悪口は伝わるんだぞ」
ぎょっとされる気配があった。
つってもあれだよ。カンペだよ。俺の視界にはエギアナがいてピースしているし、あいつから聞いたまんま言っただけ。
でもまあそれなりに効果があったようで「ア……」と奴が呻いているので、そんな隙を俺が見逃すわけないよね。
シュカッ、と俺の指先が小さく鳴る。
解き放った爪が、狙い外さず奴の腹部に突き刺さる。俺、そしてバーリィーが見つめるその先で、ジュッと溶ける音、そしてもうもうと白煙を上げた。
――キャッ、アアアーーッ!!
あ、ごめーん。話してる最中だった?
でも女子同士の会話なんて生理で血が出たとかそういうのくらいだろ? ならいいじゃん。ドバドバ流そうぜ。
なぜか相手を怒らせたらしい。殺気が一気に膨れ上がり、まばたきする間に左右から剣が迫る。
びゅんびゅんと抜けた風が鋭くて、無事にかいくぐれても鳥肌が立つ。しかしビビっていても始まらないので両腕に力を込めて、真上からものすごい質量の大剣を振り下ろす。
こんなのかわしてくれと言っているようなものだ。
振り下ろす間際、奴が体勢を低くして横に抜けようとするのが一瞬見えたので「疾走」と呟く。
瞬間的に奴の姿が視界から消えたのは、単に俺が通り過ぎただけだ。あいつは俺の後ろにいる。振り下ろす大剣の角度を変えると、後方からガンッと鉄同士の当たる音、そして火花が散って周囲を照らす。
おっと、要求が早いね。
いいよ、俺ならいくらでもつきあえるし。
この武器はベストな攻撃方法を俺に教えてくれる。エギアというモンスターからの産物であり、そいつはいま俺の配下となった。
そんなのに「がんばれがんばれ、やればできる」と叱咤されるんだから、見もせずに背後に疾走を使うのもさすがに慣れたかな。ごすんと触れたのは奴の背中で、ちょうど背を合わせる感じになったわけだ。
向こうはビクッと驚いたのに対して、俺は平然としているのだから次の一手は大きく変わる。
駒のように奴は回転しざまの斬撃を与えようとして、こっちはしゃがんでかわして、また背後への疾走を選択。当然のこと、足元を払う形で奴をすっ転ばす。
ボ、ボ、ボ、と迫るヴェールからの槍をかわし、まだ着地さえできていない相手にたったの一歩で近づく。そして奴の目の前でバイバイと手を振った。
――ズガンッッ!!
ホームランを狙うような力任せのフルスイング。
叩き込む先の脇腹は、さんざん蹴ったり溶かしたりもした。当然のこと胴を分断できるかと思いきや……双剣をクッションにして飛びやがったよ。
ああ、なるほどねと納得したのはあのヴェールだ。
宙に飛び上がるやすぐさま形を変えて、ドスドスと地面に槍を刺す。そして引っ張ることで隙を見せることなく着地した。
大したことない火力のくせに、どうりで妙な雰囲気があると思ったよ。
「……あいつ、立体的に動けるぞ。ビル群とかだと厄介だ。気をつけろよ」
そう聞いている連中に声をかけた。
縦にも横にも動けるというのは、これまでにない機動力だ。あっというまに銃の届かない位置まで移動するに違いない。
だけど今夜はここまでかな。殺気を撒き散らすモンスターの背後、暗くてなにも見えない場所からぬうっと現れる女性がいたんだ。
黒髪を風にたなびかせて、肩にぺたんと触れてくる。
振り返るとその女性は真っ赤な唇にかすかな笑みを浮かべており、その突然の接触によってバーリィは身体をビクンと震わせる。
魔物をしげしげと眺めて、雨竜が嬉しそうに笑った。




