74.ゴミはゴミ箱へ
ほう、と息を吐くと白く染まった。
少し先には二車線の道路があって、事故を起こさないよう街路灯が明るく照らしてくれている。なのにもうほとんど車が走っていない。
見かけるのはせいぜい物流を支えるトラックくらいで、たぶんそれは「夜は危ないから出歩いてはいけません」という教えが子供のころより強くなったからだと思う。
車が走っていないとき、道路はまったく違う光景に変わる。ずっと向こうまで伸びており、広大でありまた寒々しい。
俺がいくらモンスターを倒しても、世間が変わっていくのはどうしようもない。本当は出現予測地帯に近づかなければ平気なんだけど、危険な臭いを嗅ぎ取ると人も動物も行動が素早い。そして誰にも止められない。
いくら情報規制をしたって無駄だ。気づいたらどんどん変わっていく。景色も人も。だからそのぶん、俺は変えたくないんだと思う。手を伸ばして届くものだけは。
「先輩?」
ぼうっとしていたときに背後から声をかけられた。
振り返ると雨竜がおり、その子は黒髪を夜風にたなびかせながら俺を見つめていた。首から下は黒色の革鎧なのだから少しおかしな光景だなと思う。
わずかに雨竜は小首を傾げて、たぶん大したことじゃないと思ったのだろう。手にしたコンビニ袋を掲げてきた。
「さっさと食べましょう。今夜は満月ですよ」
「だな、そうしよう」
あいつらが出てきて、3カ月目にして分かった。
月の満ち欠けによって活発さを変えることに。
まあ、だからどうしたって話なんだけど、消化にいいものを食っておこうぜって準備はできる。
でもいまの子供達はちょっと可愛そうかな。前なら「満月だー」と目を輝かせて夜空を見上げていたのに、もうそんなことは許されない。お父さんとお母さんから、夜は危ないから外に出てはいけませんという教えを受けるんだ。
「ガイド君、今夜は何体くらい出るの?」
《 予測できる限りで224体です 》
うへぇ、世も末だ。ずっと前は20体くらいで泣きそうになっていたのにね。
がらんとした駐車場。そこの端っこにあるブロックに座り、買ったばかりの食事に手を伸ばす。かき揚げうどんだ。七味を振って箸を手にすると、ずぞぞっとすする。
カップを両手で持ち、グイと雨竜が汁を飲んでから話しかけてきた。
「先輩、なんで鎧を着ないんです? その服よりずっと温かいですよね」
「……ハイレグが嫌だ。前のも太ももが丸見えだしさ。ガイド君、自分でデザイン選べないのはなんで?」
《 装備者の能力に応じて、最も適した形状となります。よって自動以外はありません 》
あってよ! あっていいだろ、それぐらいさあ!
夜の案内者はAIかよってくらい融通がきかなくて「ありません」「ありません」と繰り返すばかりだ。ふざけんなよ、ほんとにさあ。
「っはぁーー……、クソがぁ。なんで強制的にパンツしか履けないんだよぉー」
「先輩、パンツではなく水着のようなものです」
え、そうなの?
俺には2つの違いがぜんぜん分からないよ?
「あれは水中用なんだし一応は意味があるけどさ、陸上でハイレグになる意味は?」
「さあ……、空気抵抗が減る? みたいな? 感じじゃないですか?」
ずるずるとうどんをすすり、ハァーと息を吐いた。疑問符だらけで答えるんじゃねーよ。
だれでも分かると思うけどさ、空気抵抗なんて本気でどうでも良くない?
「じゃあ雨竜は履けるか……って、その恰好で普通にコンビニで買い物していたっけ。なら履けそうだな」
「ええ、性能が良いものを選ぶのは当然です。でも先輩が履いたほうが面白いと思いません?」
「ぜんっぜん思いませんよ。なんで俺に芸人みたいなのを求めるの? かなりの恥辱だし、狂戦士みたいに暴れると思うよ」
「なら良かったじゃないですか、普段通りで」
あーあ、うちで唯一の同性なのに、ぜんぜん俺の味方になってくれないよ。女らしい会話をこれっぽっちもした記憶がないけどさ。普通だったら「生理が重くってぇー」「やだー」みたいな会話をするだろうに。え、そんな会話はしない?
と、そのとき背後のお店からチャイムが鳴った。
「すみませーん」
声をかけられて、不満を露わにしたままの顔で振り返る。するとコンビニの戸口に立つ店員さんがいた。
「もう閉店ですけど、電気を消してもいいですかー?」
いーよいーよ、お構いなくと手を振って、しばらくするとバツッと明かりが一斉に消えた。
24時間営業のコンビニなんてもうなくなって、物寂しい景色はさらに寂しくなる。でも夜ってそういうものでしょ。寂しいから電気を点けて、寂しいからお店を建てた。でも俺は音楽やスタジオの笑い声を聴かなくても割と平気かな。
「あ、お月様だー」
見上げると真ん丸なお月様があって、さんさんと輝いている。いつか街灯が全て消えたら、ぶわっと広がる天の川が見えるかもな。その日が来るのはいつなのか分からないけどさ。
「おっきいなー」
「月見うどんですね、先輩」
はふはふとすすりながら俺もうなずく。
満月はいつもよりずっと大きくて、あれが星であると分かる陰影をしていた。そういえばここも宇宙なんだっけ、とか思う。
夜になるとみんなは家で休んでいるけど、俺は真逆の生活をしている。でもまあ、そんなに損だとは思わない。
あんなに綺麗なのに、うどんをずるずるしていていいのかなとは思うけど、こんな状況じゃなくっても現代人にとって宇宙を感じる時間は貴重だ。細かいことは気にしなくていいさ。
「雨竜、おかか売ってた?」
「ありませんでした。こっちのオムライスで我慢してください」
「……それ、おにぎりじゃないじゃん」
「おにぎりの棚にあったからおにぎりです」
「たったいま、おにぎりの定義が破壊されたな」
まあこんな風にさ、どんどん周りが変わっても、俺たちが変わらなかったら別にいいかなと思ってるんだ。
終末思想とか銃武装化反対とか、テレビのニュースはだんだんヒステリックになってきて……最近はあまり見なくなった。
その代わり俺は友達と話すことが多くなり、意思疎通とか直に会ったり、意味もなく一緒に寝泊りしている。藤崎や斑鳩だって遊びにくるぞ。あいつらはゲームをしてすぐ寝ちゃうけど。
でもたぶん、そんなにおかしなことじゃないと思うんだ。昔っからそうじゃん。デジタルもテクノロジーもない時代、人間はこうやってアナログに生きてきたんだし。
お腹いっぱいになって立ち上がり、雨竜と一緒にゴミを集めてゴミ箱へ。こんなときだからこそ礼儀は大事にしないとさ。わざわざ声をかけてくれた店員さんのためにも。
そのとき、視界にぱっと青年の顔が映る。
『こんばんは、二人とも。食事はもう済みました? もう少し合流を待っても僕は構いませんよ』
このあいだ死にかけていた割に、若林は平常運転そのものだ。スーツ姿で車に乗っており、その周囲にちかちかと明滅するものがある。それが気になって眺めていると、彼の目が嬉しそうに細められた。
『あ、これが気になります? 隊としては若輩者ですし、それなら違う方向で皆の役に立とうと思いまし……』
ウザそうだったのでブツッと切って、近くに放っていた鞄を手にする。ちょうどそのとき駐車場に大型車が入ってきて、まぶしいライトに包まれた。
では、ぱんぱんとお尻をはたいたらモンスター退治の始まりだ。明るくなるまでみんなで頑張ろう。
§
河川沿いの公園はだだっ広くて、川からの風が吹きすさぶ。
というか寒い。鼻をズズっと鳴らすほど寒い。
夜の河川敷公園ってさ、めっちゃ寒いよね。風が強いし冷たいし、だれもいないから物寂しい。
「いい加減、意地張らないで履くかなぁ。でもそろそろ次のモンスターが出そうだし、そうしたら新しいデザインが出るかもだし」
『新しいパンツかもしれませんよ』
なんでパンツ確定になるんだよ。あいつらがなんなのか分からないけどさ、地球に新作のパンツを配りにきたわけじゃないよね。
はぁー、と俺はため息を吐いてまた歩き始めた。
『先輩、本当に一人でいいんですか?』
「ああ、若林と一緒にいてやってくれ。せっかくレベルを3つも上げたのに、近接戦闘を覚えてないんだってさ」
『なんだか済みません。直接的ではない戦力として役立とうと思ったのですが』
んー、間接的な戦力ってなんだろ。仲間の能力アップとか、敵を弱くするとかそういうやつかな。
ふむふむと考えながら、だれもいない公園を歩いて行く。
さっきの声は意思疎通という機能だ。電話代もかからないし顔も見れる。だけど俺と関係している人……あー、所属と言ったほうがいいのかな。闇夜の灯火に加わっていないといけないらしい。
「新種が出るかなー」
『先輩、そんなに新しいパンツが欲しいんですか?』
「あー、分かった分かった。いいからもう最先端のパンツをくれ。今度出たのは文句を言わずにちゃんと履くか……」
とぽん、という音が響く。
とぽん、とぽん、と水の垂れる音がする。
ただの水の音なんだけど耳のすぐ近くで響いている気がして、なんかヤバそうだなって思った。
同時に腰のあたりがぞくっとしたのは、たぶんこれまでの戦闘経験によるものだと思う。前なんて登場シーンを動画撮影して遊んでひどい目に遭ったしさ。あれはさすがにバカだったと思うよ。我ながら。
ずしゃっと大剣を地面に突き刺す。でかい鞄に入れてきたのは闇刈ノ剣で、うじゅると音を立てる真っ黒な剣だ。
もう一振り、さっきのに比べれば細身な剣も地面に刺す。こっちは闇礫の剣といって、もう少し振り回しやすい。
振り返ると、そこには一滴ずつ垂れるものが見える。とぽんとぽんと音が鳴り続けて、血のように赤い水たまりが広がってゆく。
「うーん? これは血じゃないな」
腐臭に近しい泥沼の臭いがたちこめており、先ほどの剣を引き抜いて肩にかつぐと一歩ずつ遠ざかる。どんどん水たまりが広がっているし、汚そうだし触りたくない。
「そっちは見えてる?」
このシステムって俯瞰視点っていうのかな、引いて見ることもできるんだ。なので他の連中にも状況を伝えられるし、この場にいない藤崎や斑鳩たちも『見えてます』『おす!』と返事をしてくる。
皆に遅れて雨竜が返事をした。
『ええ、見えます。今までの魔物とだいぶ異なりますね。位置情報の把握と追跡を先に済ませます』
お、連携プレイだ。そうそう、雨竜は近接も行けるんだけど、魔物への対応に関するビルド構築に傾きつつある。追跡や位置情報把握、攻撃予測、それと最も強力な「乗っ取り」だ。
対する俺は……なんだろ、暴れ回るけどたまにトンテンカンと物づくりをする感じ。良く言っても悪く言っても脳筋かな。
「…………遅くない?」
とぷんとぷんという水滴は一向に止まず、赤い水たまりがさらに広がっている。
普通ならさ、それっぽく登場したら派手な音楽と共にバーン!って現れるもんだよ。ガハハーって笑ってもいいし、カッコイイポーズを決めてもいい。
でも出てこない。
この待ち時間が非常ぉーにダルい。
近くにあったベンチに座ってさぁ、くあっとあくびをするのってどうなのって思うよね。
「最近のゲームってさ、ロード時間がどんどん短くなってるんだよね。なんか久しぶりに昔のゲーム機を引っ張り出した気分だ」
『あ、わかります。イライラしますよね。ロードが終わったときにもう冷めていて、ゲームを終了することもあります』
「そうそう、それ。若林、新種が出たっぽいから今後の対策を考えておけよ」
『え、それは姿を見せてからじゃないですか。どちらにしろ後藤さんが敵わなければ対処しようがありません。ところでこの意思疎通、便利ですけど録画機能はないんですかね』
あー、いやいや、さすがにそこまで恵まれていないだろ。
《 映像については管理可能です。しかしこの世界のテクノロジーへの転送はできません 》
マジかよと俺たちはわっと喜びかけて、後半でテンションを一気に落とした。いまのはガイド君による「上げて落とす」という俺たちをがっかりさせる話術に違いない。
そっか、夢で見た光景を相手に伝えるようなものか。本人は見れるけど映像としては伝えられないのね。
そんなこんなで雑談をしていると、ようやく新種の準備が整った。広がり続けていた水たまりがぴたっと止まったんだ。
直後、しゅうしゅうと煙を上げ始めて……。
…………………………。
…………。
「おい、もう登場すべきだろ?」
《 周囲にある物質を融解、変質、再構築と順に進めています。あと12分ほどお待ちください 》
それを聞いて、大きく仰け反ったあとに意味もなく太ももをパンと手で叩く。
な~~~~っげえよ!
アホかよ、ふざけんなボケ! いますぐ金返せ!
いや別にゲームを買ったわけじゃないけどさ、これはもうクレーム待ったなしだろ。ああ、もうヤダ。ヤダヤダヤダヤダ帰りたい。待つのはもう嫌なんだ。帰ってトランプでもしたほうがまだ有意義だ。
脱力しきった俺は、ずるーっとベンチから滑って地面まで落ちた。
もう本当にモンスターってクソ。それだけは断言する。




