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プロローグ

 その日、がらがらと男たちは器具を押していた。

 急げと向こうから呼んでくるのは同僚で、大きく手を振ってエレベーターに招いてくる。腕に十字の腕章をつけているとおり、彼らは怪我人を搬送する役割がある。


 ヘルメットやゴーグル、それにマスクという装備は救急隊らしからぬと思われやすいが、昨今ではそう珍しくない。

 そのときゴオオと窓の向こうで風が唸り、ひぃと女性隊員が悲鳴を漏らす。以前なら風など気にもしなかったが、いまのはまるでモンスターが鳴いているようだった。


 夜になると怪物たちが目を覚ます。

 そんなのまるでパニック映画のようだが、現場にいる者たちはひしひしと感じている。日本がだんだんおかしくなっていることに。


 除隊して地方に逃げ出す者たちは数多い。

 だが頭の良い者は都内から離れない。いや、離れられない。なぜならば治安のために割ける人数がまったく違うからだ。


 地方だとモンスターの数はまだ少ないが、全て対処できるとは限らない。特に厄介なのがギズモ種で、巣を駆除しきれなければいつか完全体となってしまう。都内から専門の駆除隊を派遣しなければならず、あれの討伐には数日かかる。


 だんっ、とストレッチャーをぶつけてエレベーターに乗り込み、急いでカチカチと階下のボタンを押す。

 蛍光灯に照らされた3名の救急隊は、しばし無言で過ごし続ける。そのとき唐突に一人の男が頭を抱えた。


「ああ、くそっ! なんだよこれ、なんだこれ!」

「おい、落ち着け。今日は怪我人を運ぶだけだ。ここは出現予測地帯から離れている。問題は起こらな……」


 ゴオオッ! という唸り声がはっきり聞こえて、3名とも身体を震わせた。しばし息もできず、そして目的の階はすぐそこだ。

 先ほどよりずっと唸り声が大きくて、危険に近づいている気がしてならない。一人が腰に手を伸ばすと、周囲の者たちも慌てて拳銃を手にした。


 昨今だと情勢が大きく変わり、救急隊まで銃の装備が認められた。もちろん射撃テストや誓約書などといった前提をクリアする必要はあるが、多くの者たちが飛びつくように手にしている。


 先ほど冷静になるよう諭した者は、胸に「野田」という名前をつけている。彼は汗をかきながらこう言った。


「だ、大丈夫だ。落ち着け。ここは防衛省の敷地内だ。問題は絶対に起こらない」


 本当だろうなと同僚らが呻くなか、ポーンと電子音が鳴って到着を告げる。そしてガラッと開かれた先は……真っ暗闇だった。

 エレベーターの明かりが届くところまでしか見えず、その先は見通せない。夜よりもずっと暗い景色に、隊員たちは一歩も動けなかった。


 ひっ、ひっ、と悲鳴ともつかない呼吸音が響く。

 ここが目的の階のはずだが、電気は全て消えていた。

 それでいて遠くからカササササッと爪で駆ける音がして……もうそれだけで彼らは限界だった。


「戻りましょうッ! 野田さんッ!」


 裏返った女性の声が響く。ヒステリックに目を剥いた表情は現状の危うさを知らせており、もう一人もつられて頷く。野田という男は悩みながら口を開いた。


「い、いや、まず無線で連絡を……」

「無理です、俺らまで死にますよッ! 避難指示をお願いします!」

「野田さんッ! 上に戻りましょうッ!」


 夜の時間は、人の恐怖を駆り立てる。彼らは恐怖に呑みこまれて、ただ己が生き残ることを優先したがった。 

 しかし今夜に関しては別だろう。生き残ることが許されて、そして青白い顔で朝食をとるに違いない。遠くから懐中電灯の光が差して「おーい、こっちだ」と呼ばれたのだ。




 うっ、これは……!

 救急隊長の野田は、負傷者を見るなり呻いた。

 ビクビクと痙攣する青年が倒れており、はらわたが食われている。どうしてこれで死なないんだと驚きはするが、どちらにしろ長くはもたない。


「なにがあったかは知りませんが、急いで運びましょう」


 近くにはまだカサカサという爪音が聞こえている。それがおっかなくて、首をすくめながら野田は搬送することを選んだ。さっさとここを逃げ出したい。


「そうしてくれ……。夷隅(いすみ)、立てるか?」

「え、ええ、なんとか。西岡さん、ここはどうするんで?」

「後藤を呼んだ。あとはなんとかしてくれる」

「なら頼もしい限りですな。しかしあのエギアナってのは恐ろしく扱いづらいようで」

「ああ、嬉々として殺そうとしてくるな。油断するなよ。まだ若林を狙っているはずだ」


 意味の分からない会話だったが、それよりも青年を運ぶべきだ。肩と腰を2名で掴もうとしたとき、唐突にガバリと青年が身を起こす。


 そこから先は一瞬で、すさまじい速度で背後に抜けてゆく青年の腕、シュカッと宙を切り裂く太刀、鉄を斬ったような恐ろしい音、そして火花が起こり背後を照らす。


 ぐ、ゲ、ア、ア……ッ!


 目の前には鬼のような形相をした若者がおり、野田は唖然とした。

 しかし己の背後へと伸ばされた腕から、真っ黒い血が伝い落ちてくる。それを見て身体がガタガタと震えだした。救われたのか己を盾にされたのかは分からないが、すぐ背後でモンスターが死んでいる。


「見たか、獲ったぞッ!!」


 動けるはずがない。話せるはずがない。

 しかし青年は確かにニヤリと笑い、見開いた目をさらに輝かせる。ちかちかと光るのは、夜空にたくさんの星がまたたいているかのようだ。

 それを呆然と眺めているうちに、ゼッ、ゼッ、と荒い息を吐いて、青年はついに崩れ落ちた。




 モンスターを駆除したあと、あの恐ろしい気配は去った。

 隊員らはようやく安堵したが、ストレッチャーに乗せた青年はいつ死んでもおかしくない。

 大量の出血により肌は真っ白で、それよりも腹部の損傷があまりにひどい。運ぶときも血を溜めたバケツのような音を立てており、どうしてこれで死なないんだと改めて驚く。


 そのとき、ハッとした。

 建物の入り口に何者かが立っていることに。


「ちょっと、そこをどいてください! どいて!!」

「…………」


 むっすりと不機嫌そうにしたその女性は、そう声をかけてもどかなかった。それどころか邪魔をするようにストレッチャーを掴み、青年の身体は大きく揺れる。


「な、なにをやっているんだ、アンタは! 早く手を離しなさい!」


 そう大声で言い、どかそうと女の肩を押す。しかし微動だにせず、まるで銅像を押したようにおかしな感触があった。

 こちらに一瞥もくれず、女はゆっくりと口を開く。


「ゆとりくーん、大丈夫かー?」

「あ、大丈夫そうに見えます? 割と死にそうかなと思いますけどね」

「人間って意外とたくましいからさ、明日にはケロッとしてんじゃない? それで、痛覚耐性はいくつまで上がった?」

「えーと、まだそういう数値は分からないです。後藤さん、良かったら僕を誘ってくれません? 実は他にあてがないんです。たぶん役に立つと思いますし、料理と掃除洗濯も割と得意なんですよ」


 隊員らはあっけに取られた。まかり間違ってもこんな会話をしていられる容体ではない。

 ふーん、と後藤と呼ばれた女は興味なさそうに言いながら頬杖をつく。しげしげと青年を見たあと、いじけたように唇をとがらせた。


「いーけど、報告連絡相談のホウレンソウは大事なんだぞ。いわば社会の常識だ。そういう基本的なところを忘れるんじゃない。分かったか?」

「えーと、後藤さんこそホウレンソウを疎かにして……あ、もちろん冗談です。では、契約成立ですね」


 そう言い、青年は痛みをこらえながら片手を上げる。

 女はその手を握り返して「ああ」と言う。


 そして二人はにっこりと子供みたいに笑って、直後、青年の全身から白い煙が上がった。隊員らは驚いて離れたが、しかし彼らは「試すにしてもさ、あいつのレベルがいくつか知ってんの?」「え、知りませんけど」などと普通に会話をしており、まるで動じていない。


「後藤隊だ」


 そのとき、隊員の一人がぽつりとつぶやく。

 女性はちらりと一瞥して、さして興味なさそうに瞳をまた戻す。そして友達との会話を楽しむようにまた笑う。


 いや、まさか、と野田は動じる。

 後藤隊といえば、この異変を真っ先に伝えた者だ。

 渋谷スクランブル交差点で大暴れをして、市民らが観ている前でモンスターを粉砕してみせた。


 しかしテレビで見かけたときよりわずかに髪は長くなり、耳が出るようにヘアピンで押さえている。化粧っけはまるでなく、強気な瞳は映像で観たときとまるで変わらない。それでいてにっこり笑うと猫のような雰囲気に変わった。


 と、その瞳がこちらを向いてドキッと心臓が跳ねる。


「な、なにか?」

「こっちはもういいから帰ったら? 今夜も忙しいだろうしさ」

「いや、私たちは彼を搬送しないと……」


 そう言ってようやく気づく。じゅううと音を立てて、肋骨が肉で覆われてゆく様子に。さすがに全員であんぐりと口を開いた。

 幾分か血色の良くなった青年は、申し訳なさそうに頭を下げる。


「済みません、わざわざこちらが呼んだのに。治療はまだかかりますので、皆さんはお帰りください。このストレッチャーはあとで返しますので」


 はあ、と返事ともうめき声ともとれない声が勝手に出た。まさか死にかけの者から器具の心配をされるとは思わなった。

 そして隊員らと顔を合わせて、呆然としたまま防衛省を後にする。


 彼ら救急隊員には理解できなかったが、この日、後藤隊と呼ばれるグループに一名の青年が加わった。

 そして意図的に「能力者」として覚醒したのは彼が史上初だ。


 融合と進化。

 それは己の持つ輝かしいほどの素質を見せつけ、そして現代には決して存在しないはずのモンスターを駆除することで身につく。そう簡単なことでないことは、今後の実験によって明らかになるのだが後藤と若林の知るよしではない。


 そんなことよりも……と、後藤が振り向いた先には、真っ白い魔物がいた。

 肌は蝋のように白く、それでいて瞳は鮮やかだ。垂れた髪は花びらのように肌を飾り、そして服という概念を覚えたのだろうか。パキパキと硬質な音を響かせて胸元を覆ってゆく。


 のしん、と重量を感じさせる足音を立てて、エギアナと呼ばれる女王種(クイーン)はじろりと若林を見た。そして先ほどやり過ぎたことを悪びれもせずこう言う。


「ゆとり、ぬしは我の下だぞ。ネンコージョレツという言葉がこの国の定めであることをゆめゆめ忘れルな」

「……意味、間違ってます」

「アア、前の土は非常ーーに良かった。あのように栄養のある土を絶えず用意して、我の寝床を整えるのだ。この言葉を法と心得よ」


 ばっ、と手を振りかざして力強くそう言う様子に……後藤はげんなりした。


「あいつ、ほんっとに人の話を聞かねーな。調子に乗って人様の施設を壊しまくるし……おいコラ、ちょっとこっち来い。そのデカいケツを引っぱたいてやる」

「マ、待て待て! 後藤、我はネンコージョレツの大事さを……!」

「だからそれを教えてやるっつってんだよ」


 ダッと駆けだすと、エギアナもまた背中を向けて駆けだした。

 陸上競技選手のように姿勢正しく、しゅたっ、しゅたっ、と駆ける様は想像以上に素早い。さすがは退却上手のエギア種だと思わせる。触手を使えばさらなる跳躍も可能だろう。


 しかしこの場合、相手があまりに悪かった。俊足(ヘイスト)持ちの後藤であれば、エギアナの引きつった表情を誘うのはたやすい。

 わああーっと遠くから響く悲鳴に、残された青年は唖然とした。


「あの、まだ治療が……」


 そう青年は声をかけるのだが、ほどなくして大きなため息を吐いてストレッチャーに寝そべった。本当にこの隊に入って良かったのかなという表情で。


 だけどと若林は横になったまま笑みを浮かべる。

 目の前に見えるのは、これまでずーっと憧れていたもの、己の能力値だった。少し上には後藤の名前が記されていて、だれにも聞こえない小さな声で「やった」と言う。


 日本が崩壊するかどうかなど知ったことではない。

 しかし僕たちの隊を打ち倒すことができるとは思わないことだ。そう密かに彼は思い、己にとって必要な技能(スキル)を漁りだした。


気ままに東京サバイブのコミックは、明日25日発売です。

巻末には雨竜と沖縄にいって遊ぶ「気ままに沖縄サバイブ」を大ボリュームで書かせていただきました。

ぜひぜひよろしくお願いします。


挿絵(By みてみん)

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『気ままに東京サバイブ②』は、11月29日発売です!
(イラスト:巖本英利先生)

表紙&口絵

コミカライズもコミックPASH!様にて11/27に掲載予定です。
― 新着の感想 ―
[気になる点] >ビクビクと痙攣する青年が倒れており、はらわたが食われている。 >「そうしてくれ……。夷隅、立てるか?」 ここの描写から初読の時には、倒れて死にかけていて立ち上がって戦いその後倒れて…
[良い点] 祝!ゆとりくんは真の若林くんにしんかした! なにげに人類初の自主進化者なのか。 [一言] 若林はどんなスキル構成にするのかなあ。 後藤隊は前衛攻撃系は豊富ですが後衛系のサポート要素が弱いで…
[一言] 誰かが言ってたゆとり君のお葬式かと思いましたよw いいねぇ こういうヤンチャ坊主好きですよ
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