エピローグ
ざあっと降りしきる雨。
スーツ姿の若林は、ビニール傘越しに空を見上げた。
そういえば夜まで雨が続く予報だったなと思い出しながら、傘を畳むとやや高級感のある建物に吸い込まれていった。
彼が一人暮らしを始めたのは大学生になってからだ。
情勢が悪化していくのに反して収入が上がっており、この駐車場つきのアパートに移り住んだ。しかしいつまでこの生活が続くかは分からない。
鞄とノートパソコンをソファーに放り、それから気づいたら深々と溜息を吐いていた。
一人暮らしにぴったりの広さであり、料理が好きなので台所には気を使っている。住み心地もまずまずだ。しかし、いつも不安を感じて生きなければならないのは、きっと同僚たちも抱えている職業病だろう。
魔物を追い、市民を守る。
大義名分があるしやりがいもある。
しかし、聞こえはいいがネズミ退治と違って終わりが見えない。モンスターはどうやっても根絶できず、それどころか徐々に出現範囲も数も増している。本当に大丈夫なのかなと、市民のだれもが思っているけれど、この職業に就いているとよりリアルに実感できてしまう。
「意味がないな……」
ネクタイをゆるめながらそうつぶやいて、ソファーにどさっと身を預けた。
己で口にしたことなのに「意味がない」と言った理由が良く分からない。なんとなく魔物退治のことを言ったわけではない気がした。
ざあざあと聞こえる雨の音を聞きながら、若林はゆっくりと思考に浸かってゆく。己の内面を探るため……というよりも実際は眠りにつくまでの暇つぶしだ。
もうひとつ、こう思うんだ。
本当にこれでいいのか、と。
後藤という女性に情報提供をして、最前線でモンスター退治をしている。収入もある。もっとうまくやれるという自信もある。しかし、なぜか胸のもやもやがずっと晴れない。この雨のように。
若林という男は、もうずっと何年ものあいだ「理想の自分」を目指している。
こういう性格になりたい。
こういう仕草をしたい。
こう思われたい。
などという理想像を描くことは若者のあいだでそう珍しいことではない。むしろ無意識のうちに同じようなことをきっとしている。
理想と現実のギャップを埋めるのは昔から好きだった。
こうなりたいと思う人物を細部まで思い浮かべて、完成形が見えてから徐々に己を重ねていく。息づかいから声色のトーンまで合わせてゆくことで、だんだんと情けない己自身が消えていくのを自覚できている。
正直なところ市民のことなんてどうでも良かった。死のうが喚こうが他人ごとだし、そもそもこの国はあまりにも無作為に人口を増やし過ぎた。結果、膨れ上がった老人を全力で支えるという社会構造になってしまい、沈みゆく船に乗っている気さえする。
だから年齢の高い者から淘汰しても別に構わないとさえ公務員としてあるまじきことを思っている。
ただそう口にすると理想像からかけ離れてしまう。
若林という男は正義感や秘めた闘志を抱いているはずだろう。一歩も譲らぬ強い信念を持ち、一歩ずつ前に進んでいかなければならない。
しかしだ、ここに来て狂いが生じてしまった。後藤や雨竜と行動を共にするようになったせいだ。つまりは「理想的な自分」といういわば目標設計があやふやになってしまった。
行動を共にして分かったこともある。
彼女たちの言う通り、あとしばらくでこの世界は大きく変わるだろう。そのときに羽振りの良い男になど価値があるだろうか。いや、薄っぺらい紙のような男として認識されてしまう。
もうひとつ言うと、彼女たちから取り残される感覚を毎日のように味わっている。屈辱的であったし、耐えがたいとも思う。あやゆる意味で己を許せず、胸をかきむしりたくなる。
彼女たちの笑い声は明るくて、直視できないほどまぶしいとさえ思う。若々しくエネルギーに満ちており、だからこそモンスターごときを恐れない。
あの姿を羨ましいと思えば思うほど、己の理想像からかけ離れていると気づかされてしまう。
だから「意味がない」と先ほどはつぶやいた。
「男の矜持、か」
かすかに笑いながらそう呟く。先ほど後藤にも告げた言葉だ。見栄と意地だけで生きているが、少なくともこの言葉だけは本物だ。
どくっと鳴る心臓を手で押さえつける。しかし鼓動は一向に鳴りやまず、まるで消えない炎のようだ。胸からボッと火の粉をあげて、全身を焼き尽くそうとする。
苦しいし、痛いし、ぎりりと歯ぎしりをしながら心の底から願うのは――――ハッと目覚めるとそこはいつものアパートだった。先ほどよりも薄暗く、なおもざあざあと雨の音が響いている。
汗をしたたらせる若林は、ぺたんと額に触れてからこう漏らす。
「決めましたよ、後藤さん」
誰もいない一室でそう呟いた男は、すぐに起床を済ませると異なる衣服に袖を通した。一挙動の乱れもなく不敵な笑みを浮かべながら。
◆
オンッ、オンッ、と犬の吠え声がこだまする。
確かあの咆哮は特殊な波長をしており、声を浴びせられた者は極めて不快な思いをするのだとか。赤子の鳴き声も同じ性質を持っており、ずっと聞いていると泣き止ませなければ気が済まなくなるらしい。
ふうっと煙草の白煙をくゆらせて、一人の男がパイプ椅子に腰かけていた。
照明の半分ほどを落とした室内であり、薄暗くとも広々とした場所だと分かる。コンクリートで敷き詰められた飾り気のかけらもない様子を眺めて、体躯の優れた男はこうつぶやく。
「西岡さん、いつの間にこんな地下施設を作ったんです? どこにも情報提供してませんよね。それと犬がうるさくてしょうがないんですが」
「ああ、極秘ばかりで嫌になるが、これもきちんとした税金の使い道だろう、夷隅」
そう答えた年配の男性もまた煙草を手にしており、苛立たしげに灰皿に押しつけて火花を散らす。
しかし物々しい。夷隅と呼ばれた男の足元には大型の火器があり、またホルスターに吊ったものも本物の拳銃だ。税金でこしらえた施設に関わらず、ここには戦場に似た気配が満ちている。
そのなかで黙々と身支度する者がいた。
ギチギチと革手袋をはめており、また腰に反りのある太刀をつけているのは現代日本らしからぬ光景だろう。その柄を指で掴むと、上から粘着テープで固定してからビィッと歯で切った。
「それで、あれはなんですかい?」
着々とそんな身支度をする若者に親指を向けて、夷隅は呆れ混じりに問いかける。同じくパイプ椅子に座る白髪交じりの男は、トントンと煙草の箱を叩く。
「昔っから若い者は話を聞かんのだよ。困ったことに上からも要請されている。だからお前をここに呼んだ」
「呼んだって……西岡さん、頼んますよ。これって本当に合法的な仕事なんでしょう……」
のしん、という音を聞いて夷隅は口を閉ざす。はっきりと重圧を感じたし、これは連夜のように感じている独特の気配でもある。口のなかが酸っぱくなり、なぜか死を連想するこの味はどうしても忘れられない。
そろりと首を回す。熊を前にしたような可能な限り刺激しない仕草で。
すると白い女がそこにいた。一般的な女性よりも背が高く、長い髪も肌も骨のように真っ白い。それでいて瞳だけは鮮やかな紫色をしているものだから、数秒間ほど目を離せなかった。
「エギアナ……?」
かすれた声でそう呟く。
これまでに最大被害をもたらした魔物がそこにおり、のしん、のしん、と見た目にそぐわぬ重量感のある歩みをする。思わず腰を上げたのは夷隅だけであり、あとの二名は静かなものだった。
運動靴の紐を締め、ジャッと腰に替えのマガジンを差す。若林の横顔に表情はなく、しかし全身に闘志をみなぎらせているのは明らかだった。
まだ若く、物腰の柔らかい現代的な青年かと思われていたが、しかしここに来て違う顔を見せ始めている。
「僕なりに……」
古いバイク乗りがつけそうなゴーグルを手にしながら青年は初めて口を開く。ぎゅっぎゅっと締めつけを調整しながら、彼はわずかに顔を向けてきた。
「理論立てたことを証明しようと思いまして」
「理論? いったいなんの理論だ?」
「融合と進化です。簡単ですよ。魔物と肉弾戦をして才能を示すというだけです。そのためなら一人くらい命をかけても構わないと上から許可を受けました。まあ、言うほど簡単ではありませんでしたが」
普段通りの爽やかな笑みを見て、しかしこんな男だったかなと夷隅は思う。ゴルルと背後でモンスターが鳴いているというのに、さほども笑みが崩れない。
ぎゅっぎゅっと繊維が束ねられてゆき、真っ黒い四足獣が生まれてゆくのだが、気のせいか先ほどから犬の吠え声がまったく聞こえない。だから繊維が束ねられるギルギルという音だけが鮮明に聞こえて、気づかぬうちに煙草の灰をコンクリートに落としていた。
青年はいっそう笑みを深めてこう言う。
「つまり夷隅さんをここに呼んだのは、単なる護衛ですよ。無理そうなときは手を貸してください」
ただしそれは僕が死んだ後で、という言葉を飲みこんでから振り返る。言おうと言うまいと恐らく結果は変わらない。
ふうッ、と若林は鋭く息を吐く。
さあ、正念場だ。生きるか死ぬかの道しかなくて、それはつまりグズのまま死ぬか、あの輝かしい女性らと肩を並べて歩くかという二択でもある。ならば試す価値は十二分にあるだろう。
幸いなことに魔物を正面から見ても闘志はさほども衰えない。怖くないわけではなく、理想像に近づこうとする意思があまりに強すぎる。
そう、そうだ。こんな自分を僕は知らない。勝手に笑みがこぼれるほどの激情が僕のなかにもあったなんて。
笑みがより深まったのは、たぶん生きていると実感したからだ。エギアナの凍てついた表情を見ても、牙を剥きだしにする魔獣を見ても、火に薪をくべるかのようであり、ただただ己の命を感じ取れる。
その魔物の女王種は、こきんと首を鳴らしてから唇を開いた。
「ホクゥの言葉など聞く必要もナイが、貴様は美しき我が主の供である。優れた土壌でもある。亡骸に変わるようであれば有効テキに活用してやろう」
死にたいわけがない。むしろ生きたい。
しかし無意味に生き残ることになど意味はないと知っている。
己という存在を己自身で認められなければ、これからずっと狂おしいまでの嫉妬に耐え続けなければならない。
びょう、と不意に鳴ったのは己が手にした日本刀だった。
感覚が先走りしており、早く始めたくてウズウズしている。まるで生まれて初めてゲームで遊んだ日のようだ。
青年らしい笑みはさらに強まり、ふと思い浮かべたまま、あの人のようになりたいと思うがままに身体を動かす。不要となった目をつぶり、ツキュキュと太刀は小気味よく空を切り裂く。
理想に近づけ。抗うな。
恋焦がれるほどの妄執に逆らわず、鮮烈なイメージをただ描け。
と、背後から近づいて来た男、西岡の拳に肩を叩かれる。
いつになく力を感じた。どん、と叩かれただけなのに身体が燃え盛るかのようだ。
「決して負けるなよ、若林。お前には教えるべきことが多すぎる」
「はいッ!」
黒髪の下にある目玉は冷静そのものでありながら、しかしそれは表面上だけのものだと分かっている。
本物の魔物を相手にしての能力開花実験。その結果どうなるのかは間もなく分かることだろう。
やがてのそりと四足獣が動きだし、周囲を魔界の危険地帯に生息する植物が生い茂ってゆく。闇よりもずっと暗い草を見て、若林もまた安全装置をカチンと親指で切る。
はぁーー……、と長く息を吐き出して、一閃、そして連続的な銃声が実験場に響き渡った。
END 気ままに東京サバイブ《女王隷属編》
―――――――――【リザルト】―――――――――
◆後藤 静華
・レベル:14→19
・職業 :剣術士4、鍛冶士5→剣術士7、鍛冶士5
・HP :101→140
※剣術士補正値:56
・MP :27→35
・攻撃力:82(16)→135(21)
・AC :60(14)→42(19)
・MC :0→0
※カッコ内は武器防具を無視した数値と職による補正値。
※盾の解除、鎧の変更によりAC低下。
※AC=アーマークラス。対物理耐性。
※MC=マジッククラス。対魔術耐性。
――職業――
剣術士派生
・剣技:オラトリオ:連続攻撃のたびに加速をする
・剣技:灼熱剣:継続的な火力向上
・剣技:多重斬撃:連続的なダメージを与える
・剣術:盾LV10→12
・剣術:受け流しLV12→18
・剣術:回避LV18→21
鍛治士派生
・魔石加工LV14
・生産:剣、斧、盾、弓、刀、槍、防具 ※中級に限定
――技能――
【継続治癒 LV9→15】
手で触れた傷を継続的に癒す。他者への治癒効果は半減する。HP数値分を上限に回復をする。12時間で再使用可。
【俊足 LV9→13】
50歩分、通常時よりも早く移動できる。レベル上昇により速度、歩数の向上が可能。
【素材収集 LV14→22】
倒した魔物から素材を得る場合がある。レベル上昇に伴い、高レベルの魔物からの素材獲得も可能。
【人体蘇生 LV2】
人体に限り蘇生できる可能性がある。死亡後の経過時間、損傷具合、魂の結びつき度合いによって確率が低下する。
――耐性技能――
・暗視LV12→15
・ストレス耐性LV4→5
・恐怖耐性LV8→9
・痛覚耐性LV12→18
・隠密LV3→5
――称号――
【挑戦する者】
格上を相手に勝利した場合、ポイント、経験値、ドロップ品を多く獲得出来る。
【野性の直勘】
ここぞという時に実力を発揮する。
【突進する者】
前進しながらの攻撃時に威力が増す。
※下記への階位上昇により効果消滅
【思うがままに蹴散らせ】
闇夜の灯火で通じた者に対して能力向上を付与する。敵が死ぬまで効果が切れることはない。
【無慈悲な狙撃手】
相手から発見されていない時に、ダメージボーナスが発生する。
◆闇夜の灯火
滞在者数:4名?
統主/後藤 静華 LV19
雨竜 千草 LV13
藤崎 進 LV11
斑鳩 新 LV11
?????
※闇夜の灯火システムとは:害をもたらすモンスター駆除を担う者たちの集い。精神的な距離が近しいため、統主によって性質を変える面を持つ。
こちらで女王隷属編は終了です。
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